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7月の視聴録

  • フンメル:ピアノ五重奏曲、シューベルト:ピアノ五重奏曲「鱒」 デンハーグピアノ五重奏団 (2017.2 録画 [NHK BSプレミアム(2018.6.20)])
  • パガニーニ:「『ネル・コル・ピウ』による変奏曲」より、モーゼ幻想曲、ヴァイオリン協奏曲第1番より第2楽章、シマノフスキ:「3つのパガニーニの奇想曲」より第3曲、リスト:パガニーニによる大練習曲第3番「ラ・カンパネラ」、エルンスト:シューベルトの「魔王」による大奇想曲、ワックスマン:カルメン幻想曲 渡辺玲子 (Vn) 江口玲 (Pf) 渡邊一正/東京PO (2016.2.24 & 27 録画 [NHK BSプレミアム(2018.7.2)])
  • ヴィルスマイアー:パルティータ第5番、ビーバー:パッサカリア、バルトーク:無伴奏バイオリン・ソナタ ファウスト (Vn) (2016.1.19 録画 [NHK BSプレミアム(2018.7.4)])
  • バッハ:無伴奏バイオリン・ソナタ第1番、無伴奏バイオリン・パルティータ第2番 エーネス (Vn) (2016.2.15 & 16 録画 [NHK BSプレミアム(2018.7.5)])
  • パガニーニ:24の奇想曲より第1、2、5、6、10、11、13、14、17、18、23、24番、シャリーノ:6つの奇想曲より第1、2、3、5、6番 グリンゴルツ (Vn) (2017.9.19 録画 [NHK BSプレミアム(2018.7.6)])
  • シューマン(河野文昭編):バッハの名前によるフーガ Op. 60-3、ブラームス(林 裕編):間奏曲 Op. 118-2、クレンゲル:即興曲、ワーグナー(グリュッツマッハー編):歌劇「ローエングリン」より「エルザの大聖堂への行進」、ポッパー(山口真希子編):ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」による即興曲、フンパーディンク(ニーフィント編):歌劇「ヘンゼルとグレーテル」前奏曲、フランク(河野文昭編):天使のパン 河野文昭、上森祥平、上村 昇、林 裕、藤森亮一 (Vc) (2016.2.20 録画 [NHK BSプレミアム(2018.7.13)])
  • モーツァルト:クラリネット五重奏曲より第2楽章、ブラームス:クラリネット五重奏曲 マンツ (Cl) カルミナQ (2015.11.29 録画 [NHK BSプレミアム(2018.7.16)])
  • シュルホフ:5つの小品、ラヴェル:弦楽四重奏曲、福富秀夫:関西ラプソディ  関西Q (2018.5.26 録画 [NHK BSプレミアム(2018.7.27)])
  • ブゾーニ:ヴァイオリン協奏曲、R. シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」(抜粋) R. カプソン (Vn) ブルニエ/読売日本SO (2018.3.16 録画 [BS日テレ(2018.7.7)])
5月から7月にかけて、関心のある映像が立て続けに放送された。一つを除いて、全てクラシック倶楽部である。ほとんどが再放送だと思われるが、気が向いた時しか放送予定をチェックしないため、いずれも今回初めて視聴したものばかり。

デンハーグピアノ五重奏団は、ピリオド楽器の団体。使用楽器や奏法など視覚的にも楽しい映像であるが、何よりもディヴェルティメント的な愉悦感に満ちた演奏の水準が高い。

7月の第1週は、無伴奏ヴァイオリン特集。「ヴィルトゥオーゾの魅力」と題された渡辺玲子による難曲集は、人選ミスな印象。彼女の魅力は、こういう技巧的な曲を完璧に弾き切るところにあるのではない。一方のファウストは、バロック音楽とバルトークとを組み合わせた選曲といい、各曲から引き出される多彩な響きとリズムといい、極めて完成度の高い仕上がり。エーネスのバッハは、一世代前のモダン楽器の演奏法に慣れている耳にとって、とても聴きやすいスタイルである。ファウストの尖り方に比べると、かなり穏当な印象。パガニーニとシャリーノを組み合わせたグリンゴルツの演奏会は、番組の時間の都合で抜粋であるために、その意図が完全には伝わらないこともあるのだろうが、意欲的、という以上の興味は惹かれなかった。グリンゴルツの左手は、こういう曲集を取り上げるに相応しい精度だが、彼の右手が奏でる音色は、僕にとってはかなり耳障りな部類。

京都府立府民ホール・ALTIにて行われた「チェロ・アンサンブルのたのしみ」は、学生時代に京大音楽研究会の定期演奏会で何度も舞台に立ったALTIの風景と、河野文昭氏のトークを楽しんで視聴した。もちろん、日本を代表する5名のチェリストの安定した音楽的なアンサンブルも立派なもので、編成上の無理を感じる箇所がないわけではなかったが、演奏そのものには総じて満足した。

カルミナQとドイツの若手クラリネット奏者マンツによるクラリネット五重奏曲は、番組の時間の都合で実質ブラームスだけなのが残念。揺るぎのない弦楽四重奏に支えられて、伸び伸びとアンサンブルを楽しんでいるマンツの姿が微笑ましい。ただ、僕の好みからすると、カルミナQの演奏は少々表現過多に感じられる。

関西Qの映像は、奈良県文化会館で公開収録されたもの。結成5年ほどの団体だが、最近ではベートーヴェン全曲演奏に取り組むなど、本格的かつ活発な活動を繰り広げている注目の四重奏団である。東京芸大卒というのが4人の共通項のようで、それぞれにオーケストラなど他の仕事をこなしつつの四重奏団ではあるが、一聴してすぐにそれと分かる“カルテットの音”は、この四重奏団が彼らにとって片手間の活動などではないことの証。自然でありながらも緊密なアンサンブル、繊細な表現力など、傑出した力量を有する団体であることはこのラヴェルを聴けば明らかだが、さらに今後いかなる高みに到達することができるのか、大いに期待したい。

最後に、ルノー・カプソンを独奏に迎えた読売日本響の演奏会を読響シンフォニックライブで。ブゾーニのヴァイオリン協奏曲は、初めて聴いた。プフィッツナーの協奏曲などと同様に、何だかよくわからない晦渋な箇所もあれば、妙なテンションの高さを感じさせる箇所もあり、全体としてはむせ返るような濃い口の抒情とやみくもに至難な技巧に満ち溢れた、お好きな方には堪らないに違いない作品。映像とはいえ、こんな作品のライヴを視聴できるのは嬉しい。カプソンは、やや線が細いものの、集中力の高い見事な演奏を聴かせてくれる。「ツァラトゥストラはかく語りき」の前座としてはオーケストラにとって至難に過ぎる楽曲だっただろうが、読響の健闘、いや奮闘も立派なもの。メインの「ツァラトゥストラはかく語りき」はごく普通の解釈ではあるが、オーケストラの醍醐味を味わうに十分な絢爛さは表出されている。
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theme : クラシック
genre : 音楽

ショスタコ三昧

  • ショスタコーヴィチ:交響曲第1番、スケルツォ Op. 1、主題と変奏、スケルツォ Op. 7、5つの断章 ヒメノ/ルクセンブルクPO (Pentatone PTC 5186622)
  • R. シュトラウス:チェロ・ソナタ、レーガー:無伴奏チェロ組曲第3番、ショスタコーヴィチ:チェロ・ソナタ、フランセ:チェロとピアノのための幻想曲 タウアー (Vc) マウツジンスキ (Pf) (Hastedt HT 6602)
  • ショスタコーヴィチ:24の前奏曲、ピアノ五重奏曲 カドゥシュ (Pf) アルデオQ (Transart TR 162)
  • ショスタコーヴィチ:ステパーン・ラージンの処刑、組曲「ゾーヤ」、フィンランドの主題による組曲 シェンヤン (B) パロ (S) カタヤーラ (T) ラトヴィア国立cho. アシケナージ/ヘルシンキPO (Ondine ODE 1225-2)
  • ショスタコーヴィチ:イギリスの詩人の詩による6つの歌曲、スコットランド民謡「アニーローリー」の編曲、ミケランジェロの詩による組曲 フィンリー (B) T. ザンデルリンク/ヘルシンキPO (Ondine ODE 1235-2)
  • マーラー:「若き日の歌」より、第3集第2曲「夏に小鳥はかわり」、第1集全曲、ベルク:「あこがれI」、「花咲く春は短いと彼は嘆く」、「レーヘン」、「私の両眼を閉じてください」(第1&2版)、4つの歌曲より第1曲「眠ること、眠ること、ただ眠ること」、「ロイコンに」、シェーンベルク:「ブレッテルリート」より第6、2、1曲、ショスタコーヴィチ:クルィローフの2つの寓話、ブリテン:子守歌のお守り ライサネン (MS) ヴィータサロ (Pf) (Ondine ODE 1208-2)
  • レスピーギ:夕暮れ、カックソン:嵐の聖霊、ショスタコーヴィチ:ユダヤの民族詩より ジョンソン (MS) レヴィン、ズール (Vn) グターマン (Va) ソルステインスドッティル (Vc) コーエン (Cb) ビーティー (Cl) ビルガー (Hr) マギン (Hp) ヴァレンテ (S) モーリス (MS) ハンフリー (T) バトル (Pf) (Marlboro Recording Society 80002)
  • ヴァルトビューネ2011(ショスタコーヴィチ:ステージ・オーケストラのための組曲、ロータ:組曲「道」、レスピーギ:交響詩「ローマの噴水」、交響詩「ローマの松」、ショスタコーヴィチ:歌劇「ムツェンスクのマクベス夫人」組曲より第3曲、レスピーギ:バレエ組曲「シバの女王ベルキス」より「戦いの踊り」、リンケ:ベルリンの風) シャイー/ベルリンPO (EuroArts 2058404 [BD])
  • J. シュトラウスII:皇帝円舞曲(シェーンベルク編)、南国のバラ(シェーンベルク編)、酒、女、歌(ベルク編)、宝のワルツ(ヴェーベルン編) ベルリンQ クフェルナーゲル (Pf) フリードリヒ (Fl) グランデル (Cl) ミューズ (Harmonium) (Berlin Classics 0012582BC)
アリアCDで徒然にオーダーしていた音盤が五月雨に届き、気がつけばそこそこ溜まっていた。その時々で目に付いた音盤をクリックしていただけなのだが、こうしてまとめてみると、見事にショスタコーヴィチ作品が収録された物ばかり。

初期の管弦楽作品を集めたヒメノのアルバムは、全体に生真面目ながらも、細部まで目の行き届いたニュアンス豊かな表情の多彩さが素晴らしい。整然とした構成感の中に若々しく勢いのあるドラマが繰り広げられる交響曲では、作品の魅力が余すところなく表出されている。最初期の習作群は特別な仕掛けもなく、生真面目に真正面から取り組んでいるが、それが却って音楽の楽しさや美しさを素直に描出する結果となっている。収録曲の中では「5つの断章」だけが初期の最後、あるいは中期の嚆矢たる作品だが、この繊細な滑らかさは、数少ない同曲の録音中でベストを争う出来と言ってよいだろう。



アニア・タウアーという女流チェリストのことは、不勉強にして知らなかった。「ドイツのデュ・プレ」などと呼ばれることもあるらしい。現代音楽専門のHastedt Musikeditionレーベルのヒストリカル・シリーズ「wiederentdeckt」は、ドイツの放送音源を用いた初出音源が目白押しのようだが、販売ルートの関係で入手困難(廃盤ではないらしい)とのこと。せっかくショスタコーヴィチのチェロ・ソナタも収録されているので、価格は高かったが、試しに1枚オーダー。

いささかの武骨さを感じさせる弾きっぷりには“男まさり”な雰囲気が漂い、確かにデュ・プレになぞらえられるのにも納得できる。ただ、その音楽のベクトルは華やかな外向きではなく、どちらかといえば内省的で、それでいて熱量の高いもの。技術的には心許ない箇所もあるのだが、とりわけレーガーは、そうした欠点を超えて心の深いところに沁みる充実した内容を持つ。ショスタコーヴィチも重心の低い味わいのある演奏。ただ、第2楽章などでは技術的な物足りなさが気になってしまうのが惜しい。フランセも同様に聴き応えのある演奏ではあるが、生真面目に終始する辺り、作品の魅力の全てを引き出せているかどうかには多少の疑問が残る。


フランスの若手注目株の一人、カドゥシュのショスタコーヴィチ・アルバムは、ライヴ収録。繊細な弱音を織り交ぜつつ聴かせる大柄で濃厚な情感たっぷりの表情は、いかにも19世紀末~20世紀初頭のロシア・ピアノ音楽の雰囲気。ショスタコーヴィチの「24の前奏曲」にもスクリャービン的な響きがないわけではないのだが、全曲をこの調子で、時に大きなルバートも加えながら演奏されると、ショスタコーヴィチならではの神経質な佇まいが台無しになってしまう。全体に鮮やかであるだけに残念。ピアノ五重奏曲でもピアノは同じスタンスだが、それ以上に弦楽四重奏の肌理の粗さが気になってしまい、解釈云々以前に楽しむことができなかった。


アシケナージによる声楽作品集は、珍しい(=録音点数の少ない)作品という以外に共通点があまり見いだせない、とりとめのない選曲。中では、生気に満ちた「フィンランドの主題による組曲」がなかなかの好演。曲想も技術面も平易な楽曲だが、真摯に取り組んだ美しい響きが立派である。威圧的なところが全くない「ゾーヤ」も、M. ショスタコーヴィチの爆演と比較すれば物足りなさは否めないものの、旋律の楽しさを上品に伝えてくれる点で悪くはない。この2曲に比べると、「ステパーン・ラージンの処刑」には大いに不満が残る。オーケストラのみならず、独唱も合唱も力不足としか言いようがないのだが、それを補う、あるいはそれを気にさせない何かが全くないことが最大の問題点だろう。そもそも全曲を一貫するドラマの流れが散漫な作品だけに、そこの手綱さばきが稚拙では楽曲の魅力が発揮されるはずもない。


オーケストラ伴奏によるバス歌曲集は、最初の2曲が稀少録音である。「イギリスの詩人の詩による6つの歌曲」のオーケストラ伴奏といえば作品140なのだが、本盤に収録されているのはピアノ伴奏の原曲が作曲された当時に編曲された作品62a。当然、管弦楽の編成やオーケストレイションは異なる。ジャケットには世界初録音とクレジットされているが、サフィウーリンの独唱、ロジデーストヴェンスキイ/ソ連国立文化省響による1986年の録音が存在する(既CD化)。フィンリーの声質は若干軽いが、編曲の質も相まって中期ならではのメロディアスで陽性の響きが手堅く引き出されている。「アニーローリー」の編曲は、その成立過程は明確ではないが、1944年という時期から考えても、連合国の戦意高揚を目的とした、他の前線慰問用の編曲などと同カテゴリーの仕事と考えてよいだろう。こちらは、たぶんクレジット通りの世界初録音。特に凝った編曲ではないが、しみじみとした情感に心惹かれる。素直な歌唱と品の良い伴奏が好ましい。「ミケランジェロの詩による組曲」は、イタリア語歌唱による世界初録音とのことだが、とりあえず手元にあったロシア語訳に合わせて作曲してしまったために、事前に依頼していたより良いロシア語訳が遅れて仕上がってきたものの、差し替えることができなかった……という作曲時のエピソードを想起するならば、ロシア語以外の言語による歌唱に積極的な価値はない。独唱の声質とオーケストラの特質ゆえか、激しさ、荒々しさといった表現には物足りなさもあるが、暗く沈潜するような表情の密やかな美しさは素晴らしい。T. ザンデルリンクの堅実かつツボを押さえたサポートも立派なもの。


ライサネンによる20世紀歌曲のアルバムは、マーラ~ベルク~シェーンベルクという前半の流れとショスタコーヴィチ~ブリテンという後半の流れはそれぞれ納得できるのだが、この2つの繋がりに釈然としないまま聴き始めた。ショスタコーヴィチ最初期の作品である「クルィローフの2つの寓話」は原曲が管弦楽伴奏であり、その19世紀ロシア音楽の延長上にある響きの印象で楽曲を記憶していたが、ロシア臭のない彼女の歌唱をシンプルなピアノ伴奏で聴くと、マーラー風の伴奏音型や最後期ロマン派の濃密な情緒がこの作品に埋め込まれていたことに初めて気づかされた。ライサネンの声質は、ブリテンの暗い繊細さによく合っており、それぞれの作曲家の若書きを辿りつつ、歌手の魅力を存分に発揮するアルバムの構成の見事さに感心した。


マールボロ音楽祭の60周年記念自主制作盤は、近年のライヴ録音と歴史的録音とをカップリングした構成になっている。本盤は、おそらく「歌曲アンサンブル」といった辺りのコンセプトだと思われるが、率直に言ってそれほどの統一感はない。もっとも、ショスタコーヴィチ目当ての私にとって、それは大した問題ではないのだが。

さて、前半の「歌+アンサンブル」の2曲は、レスピーギこそ弦楽四重奏の音の強度が強過ぎるように感じられるものの、室内楽的親密さと音楽の大柄な起伏とが両立した聴き応えのある演奏。拍手の音から察するに、ごく小規模な会場でのライヴなのだろうが、実にもったいない。「ユダヤの民族詩より」は、ドイツ語歌唱であることは減点材料だが、単に(1968年の録音当時において)珍しい作品を取り上げたというに留まらず、共感に満ちた滋味のある演奏である。いささかこじんまりに過ぎるのが惜しい。


ベルリン・フィルの「ヴァルトビューネ2011」は、イタリア出身のシャイーにちなんだプログラム。「Fellini, Jazz & Co.」と題されたコンサートは、まず、シャイーがその存在を広く世に知らしめたと言ってよい「ジャズ組曲第2番(ステージ・オーケストラのための組曲)」から始まる。重厚さを秘めた華麗な響きは、楽曲に対して過分に立派ではあるものの、極上の演奏で全曲を、しかも映像で視聴できるという贅沢を前に文句を言っては罰が当たるだろう。アンコールで演奏された歌劇「ムツェンスクのマクベス夫人」組曲からの第3曲も、整い過ぎと感じてしまうほどに鮮やかな演奏。

ロータの組曲「道」の多彩な表情も素晴らしいが、このコンサートの白眉はレスピーギの2曲だろう。オーケストラにとっても指揮者にとっても“十八番”であることがよくわかる、凄まじい演奏である。この手の豪華絢爛さを好まない私でも、ここまでやられてしまえば血が滾らない訳がない。


最後は、ショスタコーヴィチと全く関係のない一枚。弦楽四重奏+αによるウィンナ・ワルツ集といえば、私にとってはアルバン・ベルクQのアルバムなのだが、新ウィーン楽派の3人が編曲した物の内、そのアルバムに収録されていなかったシェーンベルク編の「南国のバラ」を聴いてみるべく、ベルリンQのアルバムをオーダー。「ドイツの団体によるウィンナ・ワルツ」という先入観を裏切らない生真面目で硬いリズムが特徴的な演奏であるが、それ故に、原曲の雰囲気よりも編曲の意図や個性がよく分かるという点で興味深く聴くことができる。

theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Shostakovich,D.D.

実家のLP(2)

  • シューベルト:交響曲第8番「ザ・グレート」 フルトヴェングラー/ベルリンPO (DG MG 6007 [LP])
  • ブルックナー:交響曲第3番 ベーム/ウィーンPO (London L15C-2210 [LP])
  • ブルックナー:交響曲第4番 ベーム/ウィーンPO (London L20C-2036 [LP])
  • ブルックナー:交響曲第7番 カラヤン/ベルリンPO (EMI 29 0858 1 [LP])
  • ブルックナー:交響曲第9番 ショルティ/シカゴSO (London L28C 1999 [LP])
  • マーラー:交響曲第1番 ショルティ/シカゴSO (London L20C-2003 [LP])
  • マーラー:交響曲第6番、さすらう若人の歌 ミントン (A) ショルティ/シカゴSO (London L30C-2095/6 [LP])
  • ヘンデル:王宮の花火の音楽、水上の音楽 マリナー/アカデミーCO (London K20C-8665 [LP])
  • シューベルト:弦楽四重奏曲第14番、ピアノ五重奏曲「鱒」 ウィーン・フィルハーモニーQ ウィーン八重奏団員 カーゾン (Pf) (London K20C 8681 [LP])
  • ハイドン:弦楽四重奏曲第77番「皇帝」、モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番 アマデウスQ (DG 20MG 0329 [LP])
5月29日7月8日のエントリーにて実家に残っていた亡父のレコードを紹介したが、この他に、私と同じく高校まで実家暮らしをしていた弟のLPレコードもいくらか残っていた。弟は現在LPレコードの再生環境が整っていないとのことで、とりあえずこれらも全て一括して引揚げてきた次第。兄弟とはいえ好みが全く異なるので、一目でどちらが買ったレコードか分かってしまうのが面白い。私自身は、大オーケストラが長い時間をかけて繰り広げる豪華絢爛な響きには、当時からそれほど関心がなかったので、このリストにあるようなブルックナーやマーラーは、昭和の終わり頃にブームであったにも関わらず、結局まともに聴かず終いだった。

ということで、まずは穏当にシューベルト……と思って最初に聴いたフルトヴェングラーの「ザ・グレート」の凄さに、文字通り腰を抜かすほど圧倒されてしまった。後期の弦楽四重奏曲をはじめとするシューベルトの長大な作品群には、聴くだけでなく自ら弾く機会もあったことで、随分と耐性もでき、その魅力を心から味わえるようになってきたものの、「ザ・グレート」だけは未だに進んで聴こうという気になったことがない。楽曲の構造や転調の意味合いを多少なりとも理解できるようになってきたとは思うのだが、楽曲あるいは音楽全体を貫く論理が自分の中で明解に腑に落ちていないので、結局は“冗長”という印象を拭うには至らず終いのままだったからである。

フルトヴェングラーのこの録音は、その論理が極めて明確かつ感動的に示されている点において非凡である。音楽の微細な変化に息を飲み、進行と共に興奮を募らせるような聴き方をしたのは、いつ以来だろう。この歳になってもなおこういう経験ができるのは幸せなことだ。


ベームのブルックナーは、ひたすらウィーン・フィルの響きを堪能した。特に、第4番の冒頭に代表されるウィンナ・ホルンの魅力が際立つ。ただ、上述のシューベルトのように「分かった!」というような手応えはなし。


第3番や第4番と第7番を同列にして比較する訳にはいかないだろうが、ドラマティックな壮麗さで圧倒しつつも全体を流麗にまとめ上げるカラヤンの手腕は、やはり流石。退屈するということはない。ただ、これもまた比較すべきではないのかもしれないが、カラヤン最晩年のウィーン・フィルとの名盤の境地にはまだ程遠い。


ショルティの第9番は、良くも悪くも彼を特徴付ける剛毅さが、残念ながらこの作品とは異質なものとしか思えない。だが、オーケストラと一体となって自分の音楽を貫き通す意志の強さが、不思議と説得力を持つ。とはいえ、ブルックナーかと問われれば首を傾げるしかないのだが。


マーラーの「巨人」でもショルティとシカゴ響のスタイルに変わりはないが、この作品ではそれが悉くツボに入り、血湧き肉躍る魅力的な演奏に仕上がっている。技術的には現在ではこのコンビでなければ聴くことができないというほどではないのだが(もちろん極めて高い水準であることは言うまでもない)、一時代を築いた完成度の高さに改めて圧倒される。


一方、第6番になると、全体に直線的で単調な表現が物足りなく、全曲を通して聴くのは少々辛い。威力に満ちたシカゴ響のサウンドは実に格好良いのだが、さすがにそれだけでは聴き疲れがする。カップリングの「さすらう若人の歌」は、手堅くも寛いだ雰囲気が好ましい。


マリナー指揮のヘンデルは、ピリオドの潮流にはほとんど関心を持たずに過ごしていた私にとって、聴き慣れたバロック音楽の響きである。もしかしたら曲順なども今では「古臭い」のかもしれないが、全く知識がないので分からない。演奏そのものは、上品な華やかさが心地よいものの、私の趣味からするといささか穏やかに過ぎる。


ウィーン・フィルの団員によるシューベルトの室内楽は、アンサンブルを率いるボスコフスキーのキャラクターが大きく反映した演奏。技術的な精度以前に、気楽で(必ずしも悪い意味ではない)鄙びた田舎臭さをどう受容するかによって評価は変わるだろう。私にとっては、ディヴェルティメント的な「鱒」はその音楽の有り様が心地よく楽しいが、「死と乙女」はシリアスさに欠けて終始物足りない。


アマデウスQによる有名曲2曲のアルバムは、それぞれ選集/全集の音源による編集盤。名演奏家による名曲の名演、といった貫禄が(廉価盤にもかかわらず)ジャケットから滲み出ている。彼らの音には、LPが相応しい。

theme : クラシック
genre : 音楽

5月の視聴録

  • モーツァルト:弦楽四重奏曲第15番より第1&4楽章、メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲第2番 アロドQ (2017.12.14 録画 [NHK BSプレミアム(2018.5.7)])
  • ドビュッシー:弦楽四重奏曲より第1、2、4楽章、ラヴェル:弦楽四重奏曲 モディリアーニQ (2015.11.26 録画 [NHK BSプレミアム(2018.5.9)])
  • ヒナステラ:弦楽四重奏曲第1番より第1、3、4楽章、スメタナ:弦楽四重奏曲第1番「わが生涯より」 ストリング・クワルテットARCO (2016.12.8 録画 [NHK BSプレミアム(2018.5.10)])
  • アサーフィエフ:バフチサラーイの泉 グルージン/マリイーンスキイ劇場 (2017.5.27 & 28 録画 [NHK BSプレミアム(2018.5.21)])
  • パリ・オペラ座「エトワール・ガラ」来日公演 (2016.8.5 & 6 録画 [NHK BSプレミアム(2018.5.21)])
テレビ番組の放送予定をマメにチェックしなくなって久しいが、ふと思いつきでケーブルテレビのジャンル検索をしてみたら、運よくクラシック倶楽部で弦楽四重奏が立て続けに放送されるのを見つけたので、兎にも角にも録画してみた。

結成からようやく5年になろうとするフランスの若手アロドQは、個々人の高い技術に基づくしなやかな歌とアンサンブル、そして各人の美音に耽溺することなく知的にコントロールされた響きの多彩さという点で、現代の弦楽四重奏団の典型と言ってよいだろう。4人の同化の仕方も、いかにもカルテットといった雰囲気で、音楽表現がいささか直線的で単調ではあるものの(これは、メインのメンデルスゾーンが若書きの作品であることも影響しているのかもしれないが)、今後の深化と発展が期待される団体である。

同じくフランスのモディリアーニQは、結成から15年を迎えようとする中堅の団体。ここで収録された演奏会では、諸事情でチェリストの代理を元イザイQのコッペイが務めているが、残る3人の弾きぶりを見るに、基本的にはいつも通りの自分達の音楽を奏でているように推察される。ドビュッシーもラヴェルも、何よりも高い技術水準が前提となる作品であるが、個人技のみならずアンサンブルにおいても、モディリアーニQは十分以上にそれをクリアしている。4人が一体となった溌剌とした勢いの良さも聴き手を惹きつける。ドビュッシーの四重奏曲は、シュペーテQでつい先日弾いたばかりなので、ボウイングやフィンガリングにも参考になるところが多々あったが、それはまたいつか、次の機会に活かすことができればと思う。

日本を代表するオーケストラの首席奏者達が集まった(結成当初のポジションは当然異なっていたわけだが)ストリング・クワルテットARCOの映像は、結成20周年の記念演奏会を収録したもの。快刀乱麻を断つ、というのとは異なるが、4人ともそれぞれに安心感のある技術水準を有した、実力者のグループである。ただ、どうしても「カルテット」とは異種のアンサンブルのように感じられてならない。何を“合わせよう”とするのか、その意思のベクトルが、オーケストラ的なアンサンブルを志向しているとでも言えばよいのだろうか。この違和感の理由を明解に言葉にすることができないのはもどかしいが、いずれにせよ、ここで聴く音楽には満足することができなかった。

アサーフィエフのバレエ「バフチサラーイの泉」の舞台が、プレミアムシアターで放映されたのには、驚いた。作曲家アサーフィエフの名前を、その具体的な音楽と共に知っている人は、わが国でもそう多くはないだろう。若きショスタコーヴィチの敵役としての音楽学者アサーフィエフですら、それほどの知名度はないはず。そんなアサーフィエフの代表作を、初演以来レパートリーとしているマリイーンスキイ劇場の舞台で観ることができるのは、極めて貴重な機会である。

ということで楽しみに視聴したのだが、肝心の音楽が退屈なのに閉口した。『ロシア音楽事典』の記述によれば、「20世紀のクラシック・バレエの大きな潮流の一つとなったジャンル『ドラマティック・バレエ』の先駆けとなった作品」で、「(マリーヤ役の)ウラーノヴァの名演は後世の理想的モデルとなっている」そうだが、バレエの舞台に不案内な私にとっては、舞台装置や衣装の壮麗さを楽しむことはできても、そうした振り付けや舞踊技術の妙などもよくわからず、頼みの音楽がこの出来では(演奏が悪いというわけではないように思う)どうしようもない。とりあえず、資料として大事に保存しておくことにしよう。

番組後半のパリ・オペラ座による「エトワール・ガラ」は、簡素な舞台装置にもかかわらず、純粋に華やかで美しい、楽しい舞台であった。ショスタコーヴィチを批判した論調やプーシキンの原作の雰囲気などから、「バフチサラーイの泉」にもこういう美しさを期待したのだが、アサーフィエフがバレエで目指した美しさの方向性は、どうもそれとは違う物のようだ。

theme : クラシック
genre : 音楽

実家のLP(1)

  • ブラームス:交響曲第1番 ベイヌム/アムステルダム・コンセルトヘボウO (London LY 1 [LP])
  • ブラームス:交響曲第4番 ベイヌム/アムステルダム・コンセルトヘボウO (Philips SFL-5521 [LP])
  • チャイコーフスキイ:交響曲第4番 モントゥー/ボストンSO (Victor LS-2287 [LP])
  • チャイコーフスキイ:交響曲第5番 シュヒター/北西ドイツPO (Angel IP 4 [LP])
  • ベートーヴェン:交響曲第5&4番 ワルター/コロムビアSO (Columbia RL 113 [LP])
  • ベートーヴェン:交響曲第7番 ワルター/コロムビアSO (Columbia RL 115 [LP])
  • ベートーヴェン:交響曲第6番 E. クライバー/アムステルダム・コンセルトヘボウO (London LY 6 [LP])
  • ベートーヴェン:交響曲第9番 プライス (S) フォレスター (A) ポレリ (T) トッツィ (B) ミュンシュ/ボストンSO ニュー・イングランド音楽学校cho. (Victor RCA-2013 [LP])
  • ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 リッチ (Vn) ボールト/ロンドンPO (King ACL 9 [LP])
  • ブラームス:ピアノ協奏曲第2番 リヒター=ハーザー (Pf) カラヤン/ベルリンPO (Angel SCA 1049 [LP])
  • ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1&2番 リヒテル (Pf) K. ザンデルリンク/レニングラードPO (Shinsekai SH-7644 [LP])
  • ビゼー:「カルメン」組曲、「アルルの女」組曲 アンセルメ/スイス・ロマンドO (London SLC 1707 [LP])
  • ヴェルディ:歌劇「トロヴァトーレ」(抜粋) セラフィン/ミラノ・スカラ座O (DG SLGM-1163 [LP])
  • イタリア民謡をあなたに(オー・ソレ・ミオ、カタリー、マレキアーレ、君に告げよ、帰れソレントへ、ナポリよさらば、マンマ、朝の歌、禁じられし歌、踊り、忘れな草、サンタ・ルチア) ヴェロー (T) グラッシ/管弦楽団 (Victor SHP-5360 [LP])
随分と間が空いてしまったが、5月29日のエントリーに引き続き、父のLPの残りを。ほぼ全てが1960年頃の録音で、父が若かった頃にはこれらが“新譜”として店頭に並んでいたのかと思うと、自分自身が生きてきた時代との雰囲気の違いを改めて実感するような、何か不思議な気分である。

ベイヌムによるブラームスの第1番は、中学生の頃に繰り返しよく聴いた音盤。その後、自分でミュンシュ/パリ管のLPを買ってからは専らそちらばかりを聴くようになったので、本盤の印象はかなり薄れていたものの、淡々とした、それでいて随所から味わいが染み出てくるような渋さと同時に、溌剌とした疾走感を内包した(テンポが速いわけではない)演奏の高い完成度に改めて感心させられた。


同第4番も、その後ケルテス/ウィーン・フィルばかりを聴いていたのだが、確かにこちらは一層渋い演奏である。構造的な見通しはすっきりとしているにも関わらず、全曲を通して響きの色合いに変化が乏しい(ように聴こえる)ので、さりげない、というよりは素っ気ないくらいの表情の移ろいに感じ入ることができる程度には曲を知り、腰を落ち着けて鑑賞する必要があるのかもしれない。


モントゥーによるチャイコーフスキイの第4番は、彼を代表する名盤の一つということらしい。確かにこの音盤に封じ込められた熱量の大きさは尋常ではない。両端楽章の随所で爆発しつつ燃えさかるような感情に没入しきった大柄な音楽の迫力もさることながら、第2楽章の寂寥感が漂いつつも慈愛に満ちたニュアンスで奏でられる音楽も印象深い。今なお聴かれる価値のある、極めて素晴らしい音盤である。


シュヒターの名は、1960年頃のNHK交響楽団を鍛え上げたオーケストラ・トレーナーとして耳にしたことはあるが、実際にその音楽を聴いたのは手兵であった北西ドイツ・フィルを振ったこのチャイコーフスキイの第5番が初めて。良くも悪くも“ドイツ風の生真面目な演奏”である。よく整ってはいるが、そこにロシアの薫りは微塵もなく、端正に奏でられる小奇麗な旋律が並んでいるだけの印象。申し訳ないが、率直に言って退屈な音楽である。N響との関係がなければ国内盤がリリースされることもなかっただろうし、現在に至るまで未CD化であることも当然だろう。


ワルターがコロンビア響を振ったベートーヴェンの交響曲全集は、私がクラシック音楽に関心を持ち始めた当初において、まだ依然としてスタンダードの一つであった。宇野功芳氏の『名指揮者ワルターの名盤駄盤』(講談社+α文庫, 1995)には、第4番は最高の名演で、第5番は終楽章のテンポが遅すぎて迫力に欠ける、そもそもワルターは第5番が苦手だと書かれている。札幌にいた頃の私は宇野氏の著作を読んでいなかったが、おそらく別の何かにも、ワルターは偶数番号が得意だから第4番は良くて第5番はいまいち、といった類のことが書かれていたのだろう、そのような先入観を持って聴いていたし、実際そのような印象を持ち続けていた(実は、札幌を離れて以降、この演奏を聴く機会が一切なかった)。今回改めて聴いてみると、第4番が優れた演奏であることに異論はないものの、むしろ第5番が十分に力感のある覇気に漲った立派な演奏であったことに驚いた。とりわけ第2楽章のロマンティックな味わいは堪らない。終楽章も、勢いに任せて徒に盛り上がるような演奏よりもはるかに格調高くて、むしろ好ましい。


一方で第7番は、テンポという点では全曲を通じてオーソドックスな解釈が採られているが、小奇麗に小さくまとまっているという以上の積極的な印象を持つことはできなかった。


カルロス・クライバーの父エーリッヒを代表する名盤である「田園」は、録音が古いモノラルであることを考慮に入れてもなお、聴き継がれる価値のある素晴らしい演奏である。折り目正しい楽曲構造の整理もそれだけで傑出しているが、それに終始することなく、各楽章の音楽的な起伏と、全曲を通じて形成される息の長いクライマックスとの両立が、極めて論理的かつ自然に実現された稀有の名演と言ってよいだろう。あらゆるフレーズに息づくニュアンスの多彩さにも、耳を奪われる。


ミュンシュ/ボストン響の第九は、LP1枚に収まる「最速の演奏」として知られていたようだ。現在までにリリースされた音盤中、演奏時間の短さという点でこの演奏が何位にランクされるのかは分からないが、いずれにせよ、全ての楽章においてテンポが速いことは事実。それがLP1枚に収めるという技術的な制約から来たものなのか、あるいはミュンシュ自身の音楽的欲求によって導かれたものなのかは寡聞にして知らないが、全曲を通じてひたすら忙しないだけで、音楽的な魅力は全くと言ってよいほど感じられない。とりわけ、ただ弾いているだけのようにしか感じられない第3楽章には、がっかり。


技巧の精度という次元を超えて、パガニーニやサラサーテの作品で聴くことのできるリッチの冴えた切れ味は、私が非常に好むところ。しかし残念ながらこのベートーヴェンの協奏曲は、リッチの線の細さばかりが耳につき、楽曲の魅力ばかりか、ヴァイオリンの魅力すらも感じられない仕上がりである。オーケストラも伴奏に終始する、控え目と言うよりはむしろお仕事的な演奏ぶりで、印象に残らない。


カラヤンが伴奏したブラームスのピアノ協奏曲第2番は、バックハウスが独奏を務めたライヴ盤を聴いたことがあるものの、「剛毅なバックハウスの立派さに比べて、軟弱なカラヤンの品のなさ」みたいに一刀両断するような世評が多く、私自身も、バックハウスとの相性はさておき、カラヤンが志向するレガートの使い方がこの曲には合わないように感じていた。それだけに、リヒター=ハーザーを独奏に迎えて、いわばカラヤンの思い通りに仕上げることができたであろうこの音盤には、期待に近いものを抱いて針を落とした。結果として受けた印象は、バックハウス盤とさして異なるところはなかった。第2楽章の仄暗い情念のうねりと、第3楽章のロマンティックな歌には唸らされるものはあったが、両端楽章がどうにも締まらない。カラヤンのブラームスには、たとえば交響曲第1番のように申し分なく立派な演奏も少なくないので、ブラームスというよりは、単にこの作品との相性が悪いだけなのだろう。リヒター=ハーザーのピアノは、派手さこそないものの、表現の幅が広い、端正で堅実な弾きぶりが素晴らしい。


リヒテルによるラフマニノフの協奏曲は、今さら言葉を重ねる必要のない名演奏である。全編に渡って19世紀の巨匠芸の薫りが濃厚に漂う、理想的な演奏と言ってよいだろう。


ビゼーの有名曲「カルメン」と「アルルの女」の抜粋をアンセルメが振った音盤は、録音技術の粋を集めたような光彩陸離たる煌びやかなサウンドが印象的。必要以上にクリアな打楽器の音など、とにかく人工的な響きに耳が疲れてしまうが、録音の精緻さに比してアンサンブルそのものは意外なほど緩いことにも失笑を禁じ得ない。それでいて、音楽そのものは引き締まっているという、何だか不思議な音盤である。どちらの曲にも第1組曲と第2組曲があるが、いずれもそれら全てではなく、適当に抜粋して組み合わされている。


セラフィンによる「トロヴァトーレ」は、往年の名盤であるが、今に至るまでオペラに熱心になれない私には、その良し悪しを論じるための材料に欠ける。


カナダ出身のテノール、リシャール・ヴェローによるイタリア民謡集は、おそらく彼のデビュー当初の録音の一つだと思われるが、若さゆえの溌剌とした輝きのある歌声と、素直な歌いぶりが好ましい。「イタリア」「テノール」という語から連想される毒々しさとは無縁だが、必ずしもそれを愛好するわけでない私のような聴き手にとっては、こういう歌唱の方が歌そのものを楽しむことができる。中学の音楽の授業で「帰れソレントへ」を原語で歌うテストがあった時、このLPを何度も聴いたことを、懐かしく思い出した。


theme : クラシック
genre : 音楽

プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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