カバレーフスキイ:歌劇「コラ・ブリュニオン」


  • カバレーフスキイ:歌劇「コラ・ブリュニオン」 ジェムチュジン/スタニスラーフスキイ・ネミローヴィチ=ダーンチェンコ記念音楽劇場O & Cho他 (Melodiya 33CM 04245-50 [LP])
Ars Antiqua / Mikrokosmos Mail Order Co.から購入。実は5月頃には手元に届いていたのだが、解説書に記載されているあらすじだけでも読んでから聴こうと思っている内に、ただ時間だけが経ってしまった。

カバレーフスキイの名はピアノの初学者やヴァイオリンの中級者にとって、お稽古曲の作曲者として馴染みがあるだろうが、一般の聴き手にとっては、誰もが運動会で耳にしたであろう「道化師」のギャロップを除くとごく限られた作品しか知られていないだろう。この歌劇「コラ・ブリュニオン」の序曲は吹奏楽用に編曲されていることもあり、カバレーフスキイの数少ない有名曲と言ってよい。しかしその全曲となると、実演はおろか音盤ですら目にすることがない。このジェムチュジン盤は、もしかしたら唯一かもしれない歌劇の全曲盤である。

「コラ・ブリュニオン」の原作は、ロマン・ロランの傑作小説である。16世紀に実在した人物を主人公にしたこの本は、何とも陽気で愉快で、“オプティミスト”をそのまま具現化したかのような主人公の生き様と語り口は、美しい人間賛歌である。古いロマン・ロラン全集の類でしか読めないのが残念。

カバレーフスキイはこの小説を深く愛好し、自ら台本を手掛けて歌劇とした。当初は「クラムシイの親方」というタイトルだったが、初演から30年後に大幅な改訂を行い、「コラ・ブリュニオン」とタイトルも変更した。ジェムチュジン盤は、この改訂版による。

歌劇のあらすじは以下の通り:
【序曲】
才能ある彫刻家コラ・ブリュニオンの音楽による肖像。彼は、辛苦ゆえに快活さを失うということがなかった。いつも陽気で、人生観は楽天的である。
【プロローグ】
ついこの間、60歳の誕生日を祝ってもらったばかりのブリュニオンは、自分の半生について語ろうとする…「でも、物語の終わりを先取りしてはならないよ。順番通りに話していこうじゃないか」。
【第1幕第1場】
舞台はクラムシイの葡萄畑。真昼間の日差しがきつい。娘たちが葡萄を収穫している。ブリュニオンとセリーヌは、例によって互いのことばかり気にしているのだが、快活な若者であるがゆえに、互いをだしにして絶え間なく冗談を言い合っている。彼らは愛し合っているが、その想いを告白するくらいなら死んだ方がましだと思っている。しかし愛というものは、愛し合っている者同士が誇り高く、互いに自分の方が強く想っていると考えている場合、本質的に気まぐれで予測のつかないものである。公爵の召使ジッフラールは、この活発なカップルが口げんかした時はいつでもセリーヌの機嫌をとろうとした。この二人はしょっちゅう口論していたので、彼にはその機会が数多くあった。小柄で黒髪のジャクリーヌもまた、機知のあるブリュニオンに強く惹かれている。城から聴こえてくる鐘の音が村に鳴り響く。町の司祭が、公爵がパリから帰還するという知らせを葡萄畑に伝える。公爵が、多くの客人と兵士を伴って村に到着する。
【間奏曲】
村の人々は、彼らの「守備兵」すなわち公爵の兵隊に何が期待できるのかをよく知っていた。彼らは皆大食いで大酒飲みであった。「神さまはわしらの救助者からわしらを救ってくださるんだ!わしらは自分ひとりで十分身を救うのだ」。
【第1幕第2場】
城の前の草地で、クラムシイの住人達は公爵に挨拶をする。本当のことを言えば、その挨拶は熱狂的なものではなかった。城の愚かな主人は、パリからの客人達に、彼の素晴らしい職人ブリュニオンと、彼が作った城を装飾する数多くの美しい彫刻を自慢する。パリから来た可愛らしい女性であるテルム嬢や他の客人を伴って、公爵は城に戻る。しかし、町の住人達は草地に留まり、楽しく過ごす。ブリュニオンは城に招待されるが、自分の気持ちに従うべきかどうか、すなわち客人達と合流するかセリーヌと共に留まるかを決めかねている。今日の彼女の機嫌は、最悪であった。ジッフラールは完全に落ち着きを失い、ほろ酔いの司祭は難なく彼らの結婚を祝福する。執念深いジャクリーヌもまた幸せであった。彼女はついにコラを籠絡する。
【第2幕第3場】
コラは今、40年に渡ってジャクリーヌと夫婦生活を送っている。この歳月、彼女は家から埃と静けさとを追っ払った。一方でコラはお気に入りの弟子ロビネと仕事をし、自分の妻を笑い、自分自身を笑い、あらゆることを笑った。唯一の例外は、セリーヌの思い出だった。彼はセリーヌの彫像を作り、それは彼の自慢の種だった。しかし今は、彼には別の喜びがある。それは最愛の孫娘グロディだ。少女はコラにたいそう可愛がられていて、彼の大切な宝物である。公爵は自分の城の装飾のために、コラの傑作の全てを持ち去っていた。そしてついに、公爵はセリーヌの像も手に入れることと決めた。コラは、「そこでなら彼女も火事や風雨から安全でいられるだろうよ!」と言って納得した。どんな時でも彼は芸術家そして職人であり、自分の力と芸術の不滅、そして未来を信じていた。敬虔な教区民達は、やれ祈祷だ、やれ行列だなどと言っては司祭を絶えず煩わせていたので、司祭は教区民一同から逃れて旧友の家にいた。彼らは、顔を合わせた時はいつも楽しく過ごした。しかし彼の休息は短い。家の外から聴こえてくる教会の聖歌は、不吉な予兆である。疫病がクラムシイを襲ったのだ!
【間奏曲】
恐ろしく情け容赦のない災厄がクラムシイの町を、そして勤勉で陽気な町の住人達の家々を覆う。まるで、大きく黒い雲のように。
【第2幕第4場】
丘の麓にある町の門の裏で、コラは静かにため息をつき、追い詰められた獣のように嘆いている。彼は疫病と格闘しており、それは生死を賭けた闘いであった。彼の朦朧とした意識の中では、例外的に思考がはっきりしている時と、暗い空に輝く星を見つめている時とが代わる代わる訪れた。星を見つめ、その柔らかな音楽に耳を澄ませることは、不滅の愛をもって生を愛する真の芸術家の全てであった。そしてこの生への愛は疫病に打ち勝ち、病は退却した。直ちに、ブリュニオンの友人達は戻ってきた。ブリュニオンが最初に見たのは、もちろんシャブリの瓶を持った陽気な司祭だった。それからロビネが非常に悪い知らせを持って戻ってきた。疫病に感染した家は焼き払われ、ブリュニオンの家は既に壊されてしまったのだ。彼の財産は全てなくなり、お気に入りの横笛だけが残った。「まぁ、何もないよりはマシだな」と、いつも楽観的なブリュニオンは言い、ワインを飲んだ… まさにこの時、ジャクリーヌがこの世を去ろうとしていること、そしてグロディもまた死に瀕していることを、司祭が伝える。この知らせは彼の家が破壊されてしまったことよりもずっと悪い知らせであり、苦労して立ち上がり、杖で身を支えながら、町へと出発する。
【間奏曲】
ゆっくりと苦しみながらも忠実なロビネと共に、ブリュニオンは町へ向かって歩く。
【第2幕第5場】
40年で初めて、コラの妻は愛の言葉を語る。しかしそれは、普通ではない愛の告白であった。「あたしはお前さんのことを思っていたが、お前さんはあたしのことを思ってくれなかったのでね。それだからお前さんが優しくって、あたしが意地わるだったのさ。お前さんがあたしを可愛がってくれないもんだから、あたしゃお前さんを憎んだのさ。それでお前さんときたら、そんなことを気にすることか……コラ、お前さんは何時も笑ってばかりいてさ…」この短い時間に、彼らは彼らの悲しい歴史を読み返しているように思えた。隣の部屋では幼いグロディが、傷ついた鳥のように、死と闘っていた。突然、奇跡が起きた。死が、幼い患者の病床から去ったのだ。彼女は穏やかに呼吸をし、それを聞いたジャクリーヌは「やっとこれであたしも行けるわ」という言葉を残して、静かに死んだ。ブリュニオンは彼女の瞼を閉じてやり、生涯片時も休むことを知らなかった働きものの手を組み合わせてやり、ベッドのカーテンを閉めた。彼はそれからグロディのところへ行き、彼女の看病をした。ブリュニオンが歌う子守唄の歌詞は徐々に人生讃歌へと変わっていく。それは彼が死んだ後に生きる者に向けて、そして彼がそうであったのよりも賢く幸せであるだろう者に向けて歌われる。彼の歌は、彼がまだ見ぬ人々に向けた歌である。
【第3幕第6場】
セリーヌとブリュニオンは、草地で行われたあの祭り以来、会うことがなかった。彼らは偶然に出会う。とはいえ、この出会いは実際のところ、本当に偶然の出来事だったのだろうか?コラは、セリーヌが暮らす農場に足を踏み入れたのは全くの偶然なのだと、自分に言い聞かせた。彼らはありとあらゆることを語り合う。しかし彼らの心の中では、遠い昔に葡萄を収穫していた娘達が歌っていた柔らかな旋律が響いていた。それは、若かりし日々の永遠の追憶のようであった。そしてついにセリーヌは、人生で初めてコラへの愛を、からかうような調子など抜きで、白状する。40年間、彼女はこの愛の言葉を胸に秘めていた。彼女の感情の発露はあまりにも情熱的だったので、まるで18歳の少女に戻ったかのようであった。しかし人生は過ぎてしまっていて、何も元には戻り得ない。「コラ、コラ、このろくでなし!」
【間奏曲】
コラがクラムシイに戻ると、彼は多くの住人達に会う。不穏な空気が、町を支配していた。ジッフラールは曹長になっており、町の住人は皆彼を恐れていた。彼は金に汚く、人を裏切るという点でユダの化身である。コラは城へ行き、公爵に直訴することに決めた。友人達は命が危ないと言うが、勇敢なブリュニオンは自分の任務のために旅立つ。
【第3幕第7場】
公爵は、クラムシイの家々が焼けるのを見て、サディスティックな喜びを感じている。町の住人達が、略奪をし、疫病を持ち込んだ兵隊達と、彼らの新たな曹長ジッフラールに憤慨していることに、彼は気付いている。彼はまた、人々が彼のことも憎んでいることも知っている。「その巣と共に、怒れる者どもは焼けてしまうだろう!」非常に都合よく、ジッフラールが登場する。彼はこれまでずっとブリュニオンに復讐する機会を窺ってきた。それは、セリーヌが彼女の短気な友人に当てつけるためだけに彼の妻になったということを、彼が分かっていたからだ。そこでジッフラールはコラを中傷することに決め、公爵にこう言った:「ブリュニオンは謀叛人です!彼は殿下の悪口を言い、人々を謀叛へと扇動しているのです!」愚かであったが故にこれまで自分では何も創ることがなく、他人の創った美しい物に満足することができなかった公爵は、憤激のあまり、ブリュニオンが創った素晴らしい芸術品を全て壊してしまう。公爵はただ一つのことだけを知っていた。すなわち、彼は主人でブリュニオンは従者ということである。彼は美術品を一つずつ火の中へ投げ込むと、木彫りの鹿、美しい箱、葡萄の木の蔓など、ブリュニオンの天才的な才能によって創り出された作品の全てを、炎は直ちに焼き尽くした。狂った野蛮人は、何もかも焼いた。セリーヌの彫像までも。言うまでもないことだが、ジッフラールはできる限りのことをして公爵を助けた。その時、誰かがドアをノックした。ブリュニオンである。彼が創ったあらゆる作品が巨大な暖炉の中で燃えているのを見た時、彼は自分の目を信じることができなかった。しかし、彼の痛切な涙は、猛烈な笑いへと取って代わられる。自分の手で創った物は壊れてしまうが、彼の器用な手と彼の思考、そして彼の才能は決して壊されないのだということに、彼の辛辣な魂は思い至ったのだ。そこで彼は、「非難」を受けたことに対して許しを請うふりをし、その償いをすることを約束する。
【間奏曲/第3幕第8場】
陽気に騒ぎ笑いながら、クラムシイの住人達は城の前の草地に集まる。彼らは厳かな祭りに参加するためにやってきたのだ。今日は、聖マルタン(クラムシイの守護聖人)の祭日なのだ。公爵の栄光を記念する像の除幕式が行われることになっている。公爵とその客人達は、城の玄関先に姿を現す。式典は厳かに執り行われ、鐘、太鼓のロール、そして大音量のファンファーレが混然一体となって響く。ブリュニオンは公爵に、像はとても印象的で、騎士の鎧に身を包み、堂々と勇敢な姿で馬に乗っている様子を表現したものであることを約束していた。ブリュニオンは像の除幕をする栄誉を与えられた。司祭はブリュニオンに祝福を与え、クラムシイの人々は公爵の栄光を讃えるカンタータを歌う。そしてついに、厳粛な瞬間が訪れる。ブリュニオンの芸術品を力づくで破壊した公爵は、このまさに芸術品によって恥をかかされて立ち尽くしてしまう。彼が見たのは驢馬に跨り、さらに尻尾の方を向いている自分の姿であった。とめどのない大笑いが勝利を収めた。ブリュニオンと町の人々は、この勝利を祝った。それは天才の、人々の、そして生の勝利であった。「人生はいいものだ。わしの仲間たち!ただ一つの欠点はそれが短いことだ。長生きしたいものだね!」

この喜びの情景で、才気溢れる、そして何より楽天的なクラムシイの職人の歌劇は幕となる。

原作が戯曲ではないので、話の構成などをそのまま歌劇にすることができないのは当然だが、ジッフラールを悪役として主要人物の一人に格上げしたことで、単純な勧善懲悪の話になってしまい、コラ・ブリュニオンの魅力的なキャラクターが十分に生かされていない台本には不満が残る。楽天的な主人公に堕落した貴族(支配者)、そして人民に支持される芸術の力という要素は、社会主義リアリズムの理念によく合致したと思われる。もっとも、芸術を理解しない愚鈍な支配者というのはソヴィエト時代には微妙な話題だったかもしれず、それが体制の御用作曲家カバレーフスキイの代表作とされながらも演奏機会に恵まれなかった理由なのかもしれない。

カバレーフスキイの音楽は、いかにも平明でわかりやすく、野趣溢れる華やかさと歌謡性とに満ちた彼らしいもの。ただ、コラの人生は決して順風満帆ではなく、時に苦い思いをしながらも、それを自身の中で楽天的に解決して人生を謳歌しているところがコラの魅力であるにもかかわらず、音楽はその感情の移ろいを表面的になぞっているだけのように感じられる。たとえば、ブリュニオンとセリーヌの再会のシーンは小説の白眉だが、妻ジャクリーヌとの死別のシーンもまたそれに劣らず白眉であるにもかかわらず、音楽は小説ほどの感動を与えてはくれない。この辺りがこの作品の、そしてカバレーフスキイに対するあまり高くはない評価の一因なのだろう。

ジェムチュジン率いるスタニスラーフスキイ・ネミローヴィチ=ダーンチェンコ記念音楽劇場のメンバーは、作品の喜劇的な雰囲気を見事に表出している。歌手陣の表現力が素晴らしく、オーケストラも洗練はされていないが手堅く音楽を支えている。

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久し振りのディスクユニオン

  • ショスタコーヴィチ:交響曲第10番 スクロヴァチェフスキ/ベルリン・ドイツSO (Weitblick SSS0076-2)
  • ショスタコーヴィチ:交響曲第14番 モノガロヴァ (S) レイフェールクス (Br) V. ユロフスキイ/ロンドンPO (London Philharmonic Orchestra LPO-0028)
  • ショスタコーヴィチ:交響曲第5番、ブルックナー:交響曲第4番 エッシェンバッハ/NDR SO (Treasure of the Earth TOE2079)
  • カバレーフスキイ:ピアノ協奏曲第2、3、4番 N. ペトローフ (Pf) キタエーンコ/モスクワPO ギレリス (Pf) カバレーフスキイ/モスクワ放送SO Y. ポポーフ (Pf) カバレーフスキイ/モスクワPO (Olympia OCD 269)
  • ハチャトゥリャーン:ヴァイオリンのためのコンチェルト・ラプソディー、コニュス:ヴァイオリン協奏曲、フロロフ:ガーシュインの「ポーギーとベス」の主題による演奏会用幻想曲 コールサコフ (Vn) シーモノフ/モスクワ・マールイ劇場O、コジュハル/ソヴィエト国立SO、ミハーイロフ/モスクワ・ポップスO (Russian Disc RD CD 10 010)
久し振りに泊りで東京に行く用事があり、仕事終わりに御茶ノ水~神保町界隈を散策。と言っても、あまり時間の余裕はなく、今回はディスクユニオンでCDをざっと物色しただけで終わってしまった。以下、一ヶ月以上経ってようやく全部聴いた感想など。

スクロヴァチェフスキが振ったショスタコーヴィチの交響曲第10番は、リリース時に話題になったものの、買いそびれたまま今日に至っていたもの。中古音盤屋に行くのは、こういう落穂拾いをする契機にもなるのでやめられない。帯や解説で煽られているほどオーケストラは上質ではないが、技術的な綻びは気にならず、指揮者の意図するところに十分応えているように思える。全体としては楽曲に内在する感情の起伏に沿った演奏が行われているものの、細部には随分と個性的なアゴーギグが聴かれる個所もあり、結果として流れの良さはあまり感じられない。人工的な臭いのする高揚感を楽しめるならば、なかなか面白い演奏といえるだろう。

HMVジャパン

「死者の歌」を振っているユロフスキイは、Capriccioレーベルへのショスタコーヴィチ録音で有名なミハーイルではなく、その息子ヴラディーミルの方。この音盤、HMVやTower Recordsなどのサイトには情報がなく、話題になった記憶もなかったので、僕自身もリリースされていたことを知らなかった。ロンドン・フィルPOのBOXセットに収録されていたことは分かったが、単独でリリースされていた形跡がほとんど見当たらない。余程売れなかったのだろうか、かなりネガティヴな意味でのレア・アイテムなのかもしれない。演奏内容にも、特に聴くべきものはない。完璧とは言い難いまでも整然としたアンサンブルは、しかし聴き手に何かを表出することはない。


いわゆる裏青盤は、単価が高いことに加えて、そこまで手を出したらキリがないということもあって、たまに購入することはあったが、最近はチェックもしていない。今回も店内で何点か目にしたが、どれも決め手はなく、結局一番安かったものを選択。それがエッシェンバッハ指揮の交響曲第5番だったのだが、ジャケットに見覚えがなかったことで安心したのが悪かった。よりによって、たまたま購入していたEn Larmes盤と同一の音源。音質の比較などはしていないが、どこか時代がかった大仰な表現は、ライヴでなら盛り上がって聴けるのだろうが、期せずして聴き直すことになった今回も好きにはなれなかった。併録のブルックナーは、初めて聴く音源。エッシェンバッハの音楽の作りは、ショスタコーヴィチと同じ。どちらかといえば、ブルックナーの方が相性が良いように感じた。


カバレーフスキイの棚に懐かしいOlympia盤CDを見つけたので、第2番以外は既に持っている音源であったが、ピアノ協奏曲集を確保。なぜ全てを作曲者自身の指揮による音源で揃えなかったのかは疑問だが、N. ペトローフの演奏自体はいかにもソ連的な力強さと泥臭さと派手さとを兼ね備えた立派なもの。ギレリスの有名な録音や、長らく唯一の録音だったポポーフの「プラハ」は、もちろん今なお色褪せることのない優れた演奏。



Russian Disc盤も、見かけると郷愁から思わず手に取ってしまう。A. コールサコフの独奏による珍しい作品を収録したアルバムは、リリース当時に見かけたことがあったのかもしれないが、全く記憶に残っていなかったもの。ハチャトゥリャーンは、L. コーガンの決定的な録音と比較すると、張り詰めた緊張感だけでなく技術的にも聴き劣りがしてしまうのは致し方のないところ。それよりは、初めて聴いたコニュスの協奏曲が作品と演奏の相性が良くて楽しめた。こういうグランドロマンとでも形容したくなるような曲は、たまに聴くと癖になる。フロロフの「ポーギーとベス」幻想曲は、曲自体が僕には退屈に感じられた。


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ギレリス、ロジデーストヴェンスキイらによるソ連音楽

  • アレーンスキイ:ピアノ協奏曲 カプラン (Pf) ハーイキン/モスクワPO (Melodiya 33C 235-236 [10"mono])
  • カバレーフスキイ:ピアノ・ソナタ第2番、ヴァーインベルグ:ピアノ・ソナタ第4番 ギレリス (Pf) (Melodiya M 10-42715-D-07938 [LP])
  • ロクシン:交響曲第11番、アルティオーモフ:13人の協奏曲、グバイドゥーリナ:カンタータ「ルバーイヤート」 ソコレンコ (S) ヤコヴェンコ (Br) メシシャニノフ (Pf) ロジデーストヴェンスキイ/アンサンブル・ソリスツ (Melodiya C 10-15059-60 [LP])
Ars Antiqua / Mikrokosmos Mail Order Co.からの6月到着分。

アレーンスキイ最初期の作品であるピアノ協奏曲は、ショパンの第2番の影響を受けているという話を聞いたことがあったが、まさかこれほど似ているとは思わなかった。特に第2楽章などは、そのままである。とはいえ、甘美な旋律を彩る和声の煌めきにはアレーンスキイらしさが感じられ、単なる亜流として無視するには惜しい作品である。カプランの、幾分田舎臭さを残した武骨な演奏は、表面的な美しさの再現に留まらず、内なる情念を素直に表出していて好ましい。


ギレリスが弾いたソ連のピアノ・ソナタ2曲は、どちらも作曲家の個性が存分に発揮された佳曲であると同時に、ギレリスの音楽的な個性も色濃く投影された逸品である。これでもかと通俗的な楽想を、しかしもっともらしい雰囲気に仕立てて繰り出すカバレーフスキイ、民族的な熱狂を憚ることなく曝け出すヴァーインベルグ、重量感のあるメタリックな響きで猪突猛進するギレリス。好き嫌いが大きく分かれそうな強烈な個性を持った3人の音楽家の饗宴といった感じが楽しい。


ロジデーストヴェンスキイによる現代ソ連作品集は、ショスタコーヴィチをはじめとするソ連第1世代に続く第2世代の作曲家の内、知名度の高い3人の有名曲を集めた内容である。ロクシンは11曲の交響曲を残しているが、その最後となる第11番は、交響曲というにはややスリムな感じはするものの、主題と8つの変奏から成る管弦楽曲である。ソプラノ独唱の使い方が、とても美しい。「13人の協奏曲」は、アルティオーモフの出世作。前衛的な肌触りながらも、最終的にはカバレーフスキイやヴァーインベルグの狂乱に通じていく様が面白い。カンタータ「ルバーイヤート」も、グバイドゥーリナ初期の傑作の一つ。ライナーの情報からは、11世紀ペルシャの詩人ウマル・ハイヤームによる同名の四行詩集とどのような関係があるのか知ることができなかったが、タタール共和国生まれのアイデンティティを感じさせる標題であることは確か。自己の作風を確立しつつあった時期の作品だけに、後年の作品を想起させる響きの作りと、青臭いまでに前衛的であろうとする音楽の運びが興味深い。他の演奏を知らないので聴き比べのしようがないが、さすがにロジデーストヴェンスキイはいずれの曲もそつなくまとめあげている。

theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Arensky,A.S. 作曲家_Kabalevsky,D.B. 作曲家_Weinberg,M. 作曲家_Gubaidulina,S.A.

社会主義リアリズム三昧

  • アレーンスキイ:交響曲第1番、組曲第1番 セローフ、イヴァーノフ/モスクワ放送SO (EMI ASD 3642 [LP])
  • フレーンニコフ:バレエ「軽騎兵のバラード」(組曲) フェドセーエフ/モスクワ放送SO (eurodisc 206 406-425 [LP])
  • カバレーフスキイ:カンタータ「わが祖国」、カンタータ「明日の歌 春と平和」、歌曲(学生時代、おやすみ、幸せ) キタエーンコ、カバレーフスキイ/モスクワPO 児童合唱団“春” (Melodiya C10 22421 000 [LP])
  • アルテュニャーン:トランペット協奏曲、クリューコフ:トランペットと管弦楽のための協奏的詩曲、ヴァーインベルク:トランペット協奏曲 ドクシーツェル (Tp) ロジデーストヴェンスキイ、ジュライティス/ボリショイ劇場O (Melodiya C10 02273 009 1968 [LP])
  • My Boundless Motherland(ドゥナエーフスキイ:祖国の歌、ホールミノフ:レーニンの歌、トゥリコフ:我ら、共産主義者、バスネル:労働者階級は行進する、ショスタコーヴィチ:E.ドルマトーフスキイの詩による4つの歌曲より「祖国は聞いている」、フレーンケリ:ロシアの曠野、ロシア民謡:カリーンカ、ノーヴィコフ:星に向かって、ロシア民謡:雪の山で、ポノマレーンコ:その歌は何処で聴けるの、ロシア民謡:行商人) (Melodiya 33CM-03745-6 [LP])
  • ディレーツキイ:Solemn Song「 Glorify the name of the Lord」、クレスチヤーニン:Befittingly、カラーシニコフ:12声部のコンツェルト「ヘルヴィームの歌」、ベレゾーフスキイ:Do not reject me in my old age、ボルトニャーンスキイ:ヘルヴィームの歌第7番、コンツェルト第24番「I lift up my eyes to the hills」、ヴェーデリ:コンツェルト第3番「How long, O Lord, how long wilt thou forget me?」 ユルローフ/ロシア共和国合唱団 (EMI ASD 3102 [LP])
  • ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第1番、ボロディーン:弦楽四重奏曲第2番 ブルガリアQ (Harmonia Mundi HMO 34.709 [LP])
Ars Antiqua / Mikrokosmos Mail Order Co.からの、11月到着分。ここ数ヶ月、何かとばたばたしていたせいか、LPに針を落とすのは久し振りのような気がする。

アレーンスキイの甘美な音楽は、グラズノーフと並んで僕の愛好するところだが、交響曲第1番も期待に違わぬ憂愁の旋律美に満ちた素敵な作品である。セローフのやや直情的な演奏も、作品の若々しい魅力を率直に伝えてくれる。カップリングの組曲第1番も同様だが、イヴァーノフに剛毅でスケールの大きな演奏を期待していただけに、よくまとまった普通の演奏ではあるものの、どこか肩透かしをくらった感じ。もちろん悪くはないのだが、この曲に関してはスヴェトラーノフ盤の方が良い。


フレーンニコフの「軽騎兵のバラード」は、スヴェトラーノフお得意のアンコール・ピースでもある「アダージョ」しか聴いたことがなかった。できれば全曲盤が欲しいところではあったが、この組曲(編者は分からなかった)も20曲が抜粋されているので、とりあえずは良しとしよう。誰もが口ずさめるような分かりやすく平易な旋律に、大仰で華やかなオーケストレイション、程よく民族臭が散りばめられた和声とリズムなど、まさに「社会主義リアリズム」の極致と言っても構わないだろう。こういう曲をやらせたら、フェドセーエフは天下一品だ。


カバレーフスキイの児童合唱用の作品集も、「社会主義リアリズム」のお手本のようなアルバムだ。2曲のカンタータは、一聴しただけでは明確に区別できないほど曲調や構成などがよく似ている。音楽史上にその名を轟かせるような作品ではないが、ソ連音楽のある時代の特徴が凝集した作品と言うことはできるだろう。カバレーフスキイ自身が伴奏をした3つの歌曲は、映画音楽や劇音楽などからの抜粋なのか、元から児童合唱用に作曲されたものなのか定かではないが、伴奏のオーケストレイションも含めていずれも魅力的な小品である。


ドクシーツェルが独奏を務めた現代ソ連トランペット協奏曲集は、彼のアルバムがいつもそうであるように、ドクシーツェルの圧倒的な名技を堪能すべき内容。有名なアルテュニャーンの協奏曲は言うまでもなく、クリューコフの幾分地味な作品でも、ドクシーツェルの華麗な音楽が惜しげもなく繰り広げられる。とはいえ、このアルバムのメインはヴァーインベルクの協奏曲だろう。ショスタコーヴィチ風の瞑想から民族色が暴発し続ける狂喜乱舞まで、ヴァーインベルグの音楽の諸相を適切に音化しつつも、その全てをドクシーツェル色に染めてしまう音楽性と個性の強烈さが素晴らしい。


恐らくはソ連時代の愛国歌集と思われるアルバムが、リストの中にあった。そこにショスタコーヴィチの名前が挙がっていたので、既に架蔵済みの音源である可能性が高いと思いつつもオーダーしてみた。届いた現物を確認してみると、「My Boundless Motherland(広大なる我が祖国)」というタイトルで、アエロフロート社50周年を記念して制作・頒布されたアルバムであった。雰囲気から察するに国外からの旅行者を対象としているようだが、搭乗者全員に無償で渡されたのか、それとも機内販売のような形で希望者だけが購入したものなのかは判然としない。それはともかく、ソ連大衆歌曲の粋を集めた内容は、単なるお土産の域を超えている。イヴァーン・ペトローフの雄大極まりない「祖国の歌」の名唱に、「リェエーニィイーン」の甘美な連呼が次第に理性を蝕んでいく「レーニンの歌」と続く最初の2曲で、ソ連大衆歌曲の世界が畳みかけるように聴き手の心身を縛り付けてしまう。残念ながら目当てのショスタコーヴィチは、ガガーリンが宇宙で歌ったとされる「祖国は聞いている」の有名な録音で、予想通りの結末であったが、いかにもな愛国歌が並べられたA面の威力は相当なものである。一方のB面は、映画音楽などの大衆歌謡と古典的なロシア民謡とが交互に並べられた構成。とりわけ憂愁のロシア情緒が惜しげもなく垂れ流される歌謡曲は、抗い難いほど魅力的だ。映画「小悪魔たちの大冒険」(1969年)の挿入歌「ロシアの曠野」のグリャーェフ、「星に向かって」のズィーキナ、「その歌は何処で聴けるの」のヴォローネツといった、当時のソ連で人気のあった歌手達の雰囲気豊かな歌唱も素晴らしい。音源の選択が実に絶妙なアルバムだ。



映画「小悪魔たちの大冒険」より
Новые приключения неуловимых
フレーンケリ:ロシアの曠野
グリャーェフ(歌)
ノーヴィコフ:星に向かって
ズィーキナ(歌)
ポノマレーンコ:その歌は何処で聴けるの
ヴォローネツ(歌)


濃厚なロシアの香りを堪能した後のクールダウンに、17~8世紀のロシア聖歌集というのは、期せずして良い選択となった。ボルトニャーンスキイ以外は今まで名前しか知らなかった作曲家ばかりで、各々の個性を明確に把握するには至らないものの、資料として十分に価値がある。ただ、ユルローフ/ロシア共和国合唱団の演奏が楽曲の時代様式をどれほど踏まえているかには疑問が残る。もちろん、いわゆるヒーリング・ミュージック風の聴き易さに文句を言うつもりはない。


ブルガリアQのショスタコーヴィチは、ディモフQ名義の架蔵済みLP(Columbia OS-2901-HA)と同一音源。技術的な怪しさはあるものの、それほど悪くない演奏である。

theme : クラシック
genre : 音楽

tag : USSR大衆歌曲 作曲家_Arensky,A.S. 作曲家_Khrennikov,T.N. 作曲家_Kabalevsky,D.B. 作曲家_Weinberg,M. 演奏家_Dokschitzer,T.A. その他_正教会

シェバリーン、カバレーフスキイ、スヴィリードフ

  • シェバリーン:ヴァイオリン協奏曲、ホルンと管弦楽のためのコンチェルティーノ ジューク (Vn) アファナーシエフ (Hr) アラノーヴィチ、アノーソフ/モスクワ放送SO (Melodiya D 015389-15390(a) [LP])
  • カバレーフスキイ:ピアノ協奏曲第2&3番 フェーリツマン (Pf) カバレーフスキイ/ソヴィエト国立SO マンスーロフ/モスクワPO (Melodiya 33 C 10-08015-16(a) [LP])
  • スヴィリードフ:R. バーンズの詩による歌、シェイクスピア組曲より第4、1曲 ヴェデールニコフ (B) ナウーモヴァ (Pf) (Melodiya 33CM 02251-52 [LP])
久し振りにArs Antiqua / Mikrokosmos Mail Order Co.で買い物をした。ここのところ、ショスタコーヴィチ関連の音盤にめぼしい出物を見つけることができず、カタログも雑に斜め読みする程度だったのだが、今回は不思議と目に留まる音盤が何枚かあり、しかもその全てを入手することができた。

まずは、シェバリーンの協奏曲集。どこか近代フランス音楽のような響きながらも、嫌味を感じさせない民族臭が漂う音楽は、なかなか魅力的である。大作ヴァイオリン協奏曲は、地味ながらも技巧的な聴かせどころに不足せず、奏者にとっては相当の難曲と思われる。ただ、幾分の冗長さは否めず、初演者ジュークの快演をもってしても途中で退屈する瞬間があるのは残念。その点で、簡潔にまとめられたホルン協奏曲には不満がない。アファナーシエフによる典型的なロシア流儀の吹奏も、哀愁を帯びた曲調に相応しい。


フェーリツマンによるカバレーフスキイのピアノ協奏曲集は、第3番はCDで架蔵済みだが、第2番が曲自体初めて聴くもの。これぞ社会主義リアリズムといった、わかりやすく歌謡的なメロディーラインが民族的な明るさを湛えたリズムにのって、華麗で技巧的なパッセージに彩られながら展開していく構成には、ある種の潔さすら感じる。こういう音楽は、余計なことを考えずに音の奔流を愉しむに限る。


ヴェデールニコフで聴くスヴィリードフには、これぞソヴィエト歌曲の真髄と呼ぶに相応しい貫禄がある。ネステレーンコのどこか気取った格好よさとは異なる、田舎臭い鈍重さがたまらなく魅力的。このアルバムに収録された歌曲はいずれも初期の明朗な曲調の作品だが、簡潔に並べられた音と音との間の雄弁さは、いかにもスヴィリードフらしい。


あと3枚届いているのだが、それはまた後日。

theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Shebalin,V.Y. 作曲家_Kabalevsky,D.B. 作曲家_Sviridov,G.V.

プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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