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長年探していたCD

  • アレーンスキイ:歌劇「ラファエロ」、ショスタコーヴィチ:組曲「馬あぶ」より スミルノフ/モスクワ放送SO & cho.他、ソヴィエト国立映画省O(Marans)
  • グラズノーフ/ソコローフ/リャードフ:ポルカ「金曜日」(「金曜日の曲集」より)、リームスキイ=コールサコフ他:ロシアの主題による変奏曲、グラズノーフ/リャードフ/リームスキイ=コールサコフ:命名祝日四重奏曲、リームスキイ=コールサコフ/リャードフ/ボロディーン/グラズノーフ:「B-la-F」の名による弦楽四重奏曲 ショスタコーヴィチQ(Olympia OCD575)
ブログや音盤批評系の書籍などでその存在を知ったものの、おそらくは初期の販売数が少なかったためにその後入手できずにいる音盤は少なくない。2012年5月11日のエントリーで触れたヴィクトル・スミルノフという指揮者のMARANSレーベルのCDはそんな一枚であったが、つい先日、米amazonで中古盤が出品されているのを見つけてようやく入手が叶った。と言っても、この音源自体はSpotifyのリストなどにあるので、メディアに拘らずとにかく聴くというだけならばそう難しくないと思われる。

ジャケット等から判断するに、指揮者の子供が自主制作に近い形でCD化したものなのだろう。ディスクの品番は記載されていないし、そもそも「МАРАНС」というレーベル自体を見かけたことがない。何らかの事情でその存在が忘れ去られた指揮者なのだろうが、本盤に収録されているアレーンスキイの歌劇は、LPが中古市場で流通している(2012年5月11日のエントリー)。

「馬あぶ」の方は、おそらく完全初出音源と思われる。アトヴミャーンによる組曲(全12曲)から9曲が抜粋され、曲順が入れ替えられている。組曲版の全曲録音は既に複数あるので、このことがマイナス・ポイントとなることはないだろう。いや、この演奏を聴いた後では、残る3曲も(長さも内容もそれほど重要な曲ではないが)録音して欲しかった!と思うことはあるかもしれない。録音状態はすぐれないし、オーケストラは技術的にめっぽう荒い。しかしそうした欠点は、隅々まで甘美で悲劇的な情感と力感に満ちた、大柄で壮大な音楽の前では問題にすらならない。どこか肩の力が抜けた感じで始まる第1曲「序曲」が数小節進んだ時には、もうこの演奏の虜である。ショスタコーヴィチというより、ロシア音楽を代表する映画音楽を聴いた、とでも言いたくなるような充足感が得られる。現時点では、E. ハチャトゥリャーンの全曲盤を抜いて、本盤を決定盤としてよいだろう。


もう1点、ベリャーエフ・グループの作曲家達が仲間内で合作した弦楽四重奏曲集のアルバムも、ふと思い出してAmazonで検索したところ、安くはなかったが、中古屋巡りのルーティーンに入れて気長に探すのも面倒なので、勢いでオーダー。

このアルバムは、率直に言って、史料的な意味合いが強い。ショスタコーヴィチQによる演奏は手堅くもロシア情緒に満ちた立派なもので、これらの作品を知る上でとりあえずは、本盤が手元にあれば十分だ。リームスキイ=コールサコフ、グラズノーフ、リャードフの3人は、収録曲のほぼ全てにおいて参加しているが、いずれも力作ではあるものの、小品なのか弦楽四重奏曲(の1つの楽章)なのか、中途半端な感は否めない。「ロシアの主題による変奏曲」は、いかにもやる気のないスクリャービンの変奏を含む10の変奏から成るものの、作曲家が全て異なる割りには変奏の多彩さには欠ける。唯一、ボロディーンによる「B-la-F」四重奏曲の第3楽章「スペイン風セレナード」だけが、本盤の中で傑出した名曲である。



ちなみに、「ロシアの主題による変奏曲」の主題は、ロシア民謡なのかリームスキイ=コールサコフの創作なのかが解説によってまちまちだが、正しくは「Надоели ночи надоскучили」というニジニ・ノヴゴロド地方のロシア民謡である。

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カバレーフスキイのレクイエムなど

  • ショスタコーヴィチ:24の前奏曲 ネルセシャン (Pf)(Melodiya C10 23079 003 [LP])
  • カバレーフスキイ:交響曲第4番、プロコーフィエフ:祝典序曲「ヴォルガとドンの出会い」 カバレーフスキイ/レニングラードPO、サモスード/モスクワPO(Monitor MC 2007 [LP])
  • カバレーフスキイ:レクイエム レフコ (MS) ヴァライティス (Br) カバレーフスキイ/モスクワPO他(Melodiya C 0805-8 [LP])
  • カバレーフスキイ:バレエ「道化師」より、ヴァシレーンコ:中国組曲第1番、B. チャイコーフスキイ:弦楽のためのシンフォニエッタ、ヴラーソフ:ルーマニアの主題による狂詩曲 カバレーフスキイ/モスクワPO、ガーウク/モスクワ放送SO(Liberty SWL 15001 [LP])
  • フィッシャー:オーボエ協奏曲 Es-dur、ヴィヴァルディ:オーボエ協奏曲 a-moll、ルクレール:オーボエ協奏曲 C-dur、アルビノーニ:オーボエ協奏曲 d-moll ラルドロ (Ob) ベッチャー/ウィーン・ゾリステン(amadeo AVRS 19 044 St [LP])
  • C. シュターミッツ:フルート協奏曲 D-dur、リヒター:フルート協奏曲 e-moll、J. シュターミッツ:フルート協奏曲 G-dur リンデ (Fl) ウィーン・ゾリステン(Archiv 2533 085 [LP])
Ars Antiqua / Mikrokosmos Mail Order Co.から6枚が届いた。

アナヒト・ネルセシャンはアルメニア出身の女性ピアニストで、1984年の録音当時はちょうど30歳の若手奏者だった。技巧に任せて弾き散らかすことが一切なく、どこか退廃を感じさせる落ち着いた抒情的な音楽が心地好い。曲によってはもっと切れ味の良さも求めたいところだが、全体として鈍重になることがない辺り、演奏者の若さがプラスに作用しているのかもしれない。


カバレーフスキイの交響曲第4番は1955~6年に作曲されているが、第2楽章の葬送行進曲風の音楽など、スターリン死後の雪解け期らしい雰囲気を湛えている。もっとも、ショスタコーヴィチが交響曲第10番を作曲したのは1953年であり、それから2年以上もかけてじっくりと社会情勢を見極めた後に“進歩的な”大曲を手掛ける辺り、いかにもカバレーフスキイらしいと言えるだろう。作風は保守的で、目新しい手法は一切用いられていない。音楽上の展開もごくありきたりで、時折聴こえる壮麗な響きにも心を動かされることはない。

併録はプロコーフィエフ最晩年の作品で、表題の通り、ヴォルガ・ドン運河の開通を記念したものである。交響曲第7番をはじめ、この時期のプロコーフィエフらしい響きや節回しに満ちているが、録音の悪さもあるのだろう、私にはこの作品の中に音楽的な論理を見出すことができず、どうしても駄作にしか聴こえない。天才が、その生涯を終えようという時期に、こんな作品を書かなければいけなかったのは、悲劇以外の何物でもない。


ショスタコーヴィチが交響曲第13番を作曲した1962年、カバレーフスキイが取り組んでいたのが“ファシズムとの闘いに倒れた人々を追悼する”「レクイエム」であった。もちろんこれは宗教曲の体裁とは全く無縁で、ロベルト・ロジデーストヴェンスキイの詩による大規模な声楽作品である。彼はエフトシェーンコなどと並ぶ反体制詩人として名を馳せていたらしく、ショスタコーヴィチの「バービィ・ヤール」とよく似た背景を持ちつつ、この問題作に対する体制派からの模範解答みたいな作品だったのかもしれない。実際、上述の交響曲に比べると、大袈裟な慟哭と土俗的で野生的な咆哮を児童合唱で覆い隠す典型的な社会主義リアリズムの音楽が思う存分に繰り広げられている。演奏にかかるコストを考えると本作品が今後演奏される機会は僅少であろうが、交響曲に聴かれる偽りの深刻さよりはこの陳腐さの方がはるかに楽しい。


今回は、カバレーフスキイ関連に収穫があった。彼の代表作である「道化師」の自作自演が収録されたアルバムは、ガーウクが指揮したその他の珍しい作品の方に惹かれる。これらの中では知名度の高い作品と言えるだろうボリース・チャイコーフスキイのシンフォニエッタは、基本的に保守的で抒情的な音楽ながらも繊細な和声や響きの現代的なセンスが傑出した佳曲。ヴァシレーンコの中国組曲は義和団事件を題材にした歌劇「太陽の子」からの抜粋らしいが、情緒の移ろいの美しさが印象的な作品である。ヴラーソフの作品は、“ルーマニア”と“狂詩曲”というキーワードから期待される要素が余すところなく盛り込まれた楽しい音楽。ガーウクの指揮は、どの曲も王道のロシア色で塗り潰している感は否めないが、それでもこれらの作品を知るには十分な水準の仕上がりとなっている。ちなみにカバレーフスキイの自作自演は、非常に良く整った演奏であるものの、コンドラーシンの有名な録音を超えるほどの出来ではない。


ウィーン・ゾリステンのアルバムは、今回も2枚を注文。まず一つは、後期バロックの作曲家によるオーボエ協奏曲集。現代ではピリオド楽器でしか演奏されることがない楽曲群と思われるが、闊達な、それでいて節度のある上品なモダン楽器の弦楽アンサンブルの奏でる響きは、学術的な評価は別にして、とにかく魅力的だ。

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もう一枚の初期古典派の作曲家によるフルート協奏曲集も同様。ただしこちらはアルヒーフ・レーベルということもあってか録音がとても明晰で、この団体の演奏スタイルともよく合っている。いずれも初めて聴く曲ばかりだが、リヒターの協奏曲などは極めて魅力的な作品で、強く惹かれた。

ちなみに、この音盤の録音は1971年。ピヒラー、メッツェル、バイエルレの3人はその前年にウィーン・アルバン・ベルクQを結成してアメリカで研鑽を積んでいる時期と思われるため、この録音には参加していない可能性が高い。この音盤を聴く限りは演奏内容に大きな変化は感じられないが、ウィーン・ゾリステンの編成は3-3-2-2-1なので、各パートの首席奏者3名の脱退はさぞかしダメージが大きかったことだろう。

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御茶ノ水での買い物録

  • ショスタコーヴィチ:交響曲第7番 アーロノヴィチ/シュトゥットガルト放送SO (Profil PH07009)
  • チャイコーフスキイ:弦楽四重奏曲第2番、ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第8番、弦楽四重奏のための2つの小品 ダヴィード・オーイストラフQ (muso mu-011)
  • ショスタコーヴィチ:自作全集への序文とその序文に関する考察、24の前奏曲とフーガより第1 & 4番、ピアノ三重奏曲第2番、雑誌「クロコディール」の詩による5つの歌曲、ブロークの詩による7つの歌曲、チョールヌイの詩による5つの風刺、ヴァイオリン・ソナタ、レビャートキン大尉の4つの詩 スミルノヴァ (S) ミグノフ (B) ムーリャ (Vn) ハリンク (Vc) スホーンデルヴルト (Pf) (Alpha ALPHA055)
  • ハイドン:弦楽四重奏曲第67番「ひばり」、第1番、第74番「騎士」 ハーゲンQ (DG F00G 20401)
  • ニールセン:弦楽四重奏曲第1~4番、弦楽五重奏曲、木管五重奏曲 カール・ニールセンQ、ヴェスティスク室内アンサンブル (DG POCG-3405/6)
  • シニートケ:ゴーゴリ組曲、バレエ「迷路」  マルキス/マルメSO (BIS BIS-CD-557)
日帰り出張の合間をぬって、ディスクユニオン お茶の水クラシック館へ。特に狙いを定めていかなかったこともあってか、今回はめぼしい収穫はなし。ショスタコーヴィチの未架蔵盤+αといった感じ。6セットで5,000円弱だったので、買い物としては満足。

アーロノヴィチによる「レニングラード」のライヴ盤は、両端楽章こそ大仰な感情表現が聴かれなくもないが、全体には端正な音楽作りを志向した、いかにもな“ソ連崩壊後”の純音楽的なショスタコーヴィチ解釈である。オーケストラの技術精度にさらなる緻密さがあれば、より現代的な演奏に仕上がったかもしれない。一方で、熱気に任せたような両端楽章に比べると、中間の2つの楽章の印象は薄く、録音がなされた1993年という時代には、まだショスタコーヴィチ解釈の方向性が定まりきっていなかったことが思い起こされる。


ダヴィード・オーイストラフQという重量級の名前を持つ団体は、2012年のエリザベート王妃国際コンクール優勝者であるアンドレーイ・バラーノフが結成した弦楽四重奏団。若手ながら個々の技量は傑出しており、アンサンブルも極めて高水準である。彼らの音楽的な特徴は、演奏頻度の低いチャイコーフスキイの第2番によく表れている。猛烈に高いテンションで、濃厚かつロマンティックな語り口に終始する彼らの音楽は、胃もたれがするほど。だが、この曲やシューマンの第2番などは単に模範的に仕上げるだけでは、作品が抱える冗長さという欠点を克服することができない。彼らのアクの強さには、作品の欠点を魅力に錯覚させるに足るだけの押しつけがましさがある。ショスタコーヴィチでも彼らのアプローチは同様だが、作品の持つ情感の繊細さや響きの多様性に対して、演奏表現がやや一本調子に過ぎるように聴こえるのが惜しい。


「ショスタコーヴィチ、紆余曲折の人」という副題のつけられた2枚組は、1920年製のベヒシュタインをはじめとする“ピリオド楽器”の使用が特徴である。確かに、ショスタコーヴィチが生きた当時の銘器(弦楽器を含む)に違いはなく、この謳い文句に嘘はない。ただ、奏法においては当時と現代との間にそう大きな違いはないので、ごく普通の現代的で知性的な演奏であるように聴こえる。

使用楽器という点ではピアノ三重奏曲第2番とヴァイオリン・ソナタが注目されるが、響きの繊細さと端正なアンサンブルに聴くべきところは多いが、楽曲が内包する生々しい迫力には欠ける。「ピリオド」を謳いながら、初演当時の演奏を好む向きには物足りなさを感じさせるのは、どこか皮肉にも感じられる。

楽器の響きについては、ピアノ独奏による24の前奏曲とフーガからの2曲で、それを堪能することができる。淡々とした、それでいて繊細な表情の移ろいを感じさせるスホーンデルヴルトの演奏は、楽器の魅力を自然に伝えている。

本アルバムの聴きどころは、何と言っても2人の歌手だろう。後期の諧謔味の強い歌曲ばかりが収録されているが、過度にシニカルになることはなく、むしろショスタコーヴィチ後期に特有な、どこか退廃の影すら感じさせる不健全な美しさが、上品に表出されている。2人ともまろやかな声質ながらも鋭さを失うことなく、演奏頻度のそう高くないこれらの歌曲の真価を適切に表出している。


シュペーテQの来年の公演で取り上げる予定のハイドンの「騎士」だが、未聴の音源を探して棚を眺めてみたら、ハーゲンQ初期の録音があったので確保。ノンヴィブラート気味の弱音への傾倒が既に伺えるものの、近年のマニエリスティックな細部への拘泥はなく、素直で伸びやか、かつ技術的にもクリアな、心地好い演奏である。結局のところ私には、モダン楽器によるこういう演奏がちょうど良い。


ニールセンの弦楽四重奏曲全集+αは、学生時代に輸入盤で架蔵済みだったのだが、DGのその盤は、2017年9月2日のエントリーで紹介した音盤と同様に再生不能な状態になってしまっていた。何度か聴いて演奏用のパート譜を入手しようとしたが、どの曲も貧乏学生の身には高価過ぎて手が出ず、そのまま棚の肥やしになったまま再び音を奏でることのなかった不遇の音盤である。ハイドンの棚を見終えて振り返ると、その国内盤が目に飛び込んで来たのも運命だろうと確保。

作品により印象の強さはまちまちだが、総じて後期ドイツ・ロマン派的な暑苦しい濃厚さを纏った音楽ながら、どこか涼しさを感じさせる透明な響きが耳につく辺り、交響曲などと同様にニールセンの個性が表出された作品として、もう少し演奏頻度が高くてもよいような気がする。作曲家の名を冠したカール・ニールセンQは、その名に恥じない堅実なアンサンブルである。


私の学生時代はちょうどシニートケの晩年で、BISレーベルから数多くのCDがリリースされた時期でもあった。「多様式主義」という分かったようでよく分からないキーワードの下、それなりに関心を抱いて数枚を購入したものの、私の中での優先順位がそれほど上位に来ることはなく、多くは結局未架蔵のままとなっている。そんな懐かしさを感じながら、このシリーズ中で最も人気があったであろう「ゴーゴリ組曲」を収録した1枚を購入。真面目で手堅い演奏ではあるが、シニートケの摩訶不思議な雰囲気は十分に表現されていて楽しく聴くことができる。

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ABQの揺籃期

  • ショスタコーヴィチ:交響詩「ステパーン・ラージンの処刑」、交響曲第2番 ハナーク (B) スロヴァーク/スロヴァキアPO & cho. (Supraphon SUA ST 50958 [LP])
  • ショスタコーヴィチ:「ミケランジェロの詩による組曲」より第1、4、5、10、11曲、交響曲第1番 ノヴァーク (B) クリメシュ (Pf) コウト/チェコPO (Panton 11 0604 H [LP])
  • ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガより第24番、弦楽四重奏曲第6~8番 ダフォフ/トルブーヒンCO (Balkanton BKA 12305/6 [LP])
  • ハイドン:交響曲第1番、J. C. バッハ:シンフォニエッタ ハ長調、L. モーツァルト:シンフォニア・ダ・カッチャ ト長調、J. シュターミッツ:マンハイム交響曲 ト長調 ベッチャー/ウィーン・ゾリステン (amadeo AVRS 6298 [LP])
  • モーツァルト:ピアノ協奏曲第14&12番 エンゲル (Pf) ベッチャー/ウィーン・ゾリステン (amadeo AVRS 6319 [LP])
  • メンデルスゾーン:弦楽のための交響曲第9番、八重奏曲 ウィーン・ゾリステン (Metronome 201.818 [LP])
Ars Antiqua / Mikrokosmos Mail Order Co.から届いた荷物は、ショスタコーヴィチ関係が3枚に、4月25日のエントリーで触れたウィーン・ゾリステンのアルバムが3枚の、計6枚という内容。

スロヴァーク/スロヴァキア・フィルのアルバムは、「ステパーン・ラージンの処刑」はPraga盤CDで、交響曲第2番はOpus盤LPでどちらも架蔵済み。Praga盤は音質をかなりいじっているのか、「ラージン」は細部の印象が異なる箇所もあるものの、いずれにせよそれほどの演奏ではない。一方の交響曲第2番は洗練さに欠けるものの、聴き応えはある。


ショスタコーヴィチの最晩年の歌曲と最初期の交響曲とをカップリングしたアルバムは、歌曲がピアノ伴奏である上に抜粋であることなど、その企画意図はよくわからない。ミケランジェロ組曲は、あまり意味の感じられない抜粋の仕方であることを除けば、録音で取り上げられる機会のそれほど多くないピアノ伴奏版であるだけでなく、独唱も伴奏ピアノも地に足のついた存在感のある立派な歌唱であり、一聴の価値はある。交響曲は、颯爽とした切れ味には不足するものの、各楽章の特徴が模範的に描き分けられており、作品を十分に楽しむことができる。


ブルガリアの弦楽合奏団によるショスタコーヴィチ・アルバムは、全曲オリジナルの編曲による演奏のようだ。編曲者が一切記載されていないために詳細は不明だが、有名な第8番もバルシャーイ版とは異なる。第8番以外は必ずしも弦楽合奏の形態が相応しいとは言い切れない楽曲ではあるものの、熱のこもった共感が溢れ出すような勢いのある演奏で、技術的にはやや鈍重ながらも聴き手を惹き込む力を持った演奏である。


ウィーン・ゾリステンによる初期古典派のアルバムは、全編に渡って活力が漲り、生気のあるリズムと技術面の清潔さが何とも心地よい。1980年代前半のアルバン・ベルクQの音楽に通じるものがある。この響きの形成に、この団体の録音の多くで指揮をしているベッチャーがどのように関わっているのか、あるいは関わっていないのか、知りたいところではある。


エンゲルを独奏に迎えたモーツァルトのピアノ協奏曲集は、落ち着いた渋みを漂わせつつも清冽で上品な情緒を紡ぐエンゲルの独奏と、爽やかな活気を持った端正なオーケストラとの組み合わせが地味ながらも何とも魅力的である。第12番はこの30年近く後に、アルバン・ベルクQがブレンデルと共演して録音している。この選曲の背景に、ピヒラーの若き日の経験があった……のかもしれない。


メンデルスゾーンの作品集は指揮者の名前がクレジットされていないので、指揮者なしの演奏なのだろう(演奏者の名前は全てクレジットされている)。ピヒラーの弾く八重奏曲を期待していたのだが、残念ながら第1ヴァイオリンは別人。メッツェルとバイエルレは参加している。チェロが若干弱い感じはするものの、内声が充実した精度の高いアンサンブルで、ウィーン・ゾリステンという団体の底力、あるいはこの団体に参加していた演奏家達の水準の高さを感じ入らせてくれる演奏である。弦楽のための交響曲も、極めて室内楽的な演奏であり、ピヒラーが精力的にリードしている様子がそこはかとなく窺えるような音楽となっている。


ウィーン・ゾリステンには、モーツァルトのセレナードや、後期バロック~初期古典派の各種協奏曲などの録音がまだまだあるようだ。私自身が架蔵していないレパートリーがほとんどなので、目に付いたらぼちぼち買い集めていきたいと思う。

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いまさらながら、2010年代前半の注目盤

  • ショスタコーヴィチ:交響曲第7番 ネルソンス/バーミンガム市SO (Orfeo C 852 121 A)
  • ヤナーチェク:弦楽四重奏曲第1&2番 アルカディアQ (Orchid Classics ORC100036)
  • ベートーヴェン:弦楽四重奏曲全集 ベルチャQ (Alpha ALPHA262)
アリアCDで、目に付くままにオーダーしたものがまとめて届いた。

近年とみに評価を高めている指揮者の一人であるネルソンスは、音楽監督を務めているボストン響とショスタコーヴィチの交響曲を録音するプロジェクトを2015年から進行中だが、この第7番はそれに先立つ2011年のライヴ録音。ネルソンスの演奏は、アラベラ・美歩・シュタインバッハーの独奏によるショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番の録音で聴いたことがあるのみで、この音盤の印象が良くなかったため、世評が高くなってきてもなお触手が伸びなかった。

ところが、この第7番のライヴは、最良の意味においての現代的な演奏で、全楽章を通して非常に感じ入ってしまった。オーケストラの機能はそれほど高くないのだが、隅々まで目配りの行き届いたアンサンブルと、スコアを逸脱することなく、それでいて情感と熱量が十分に込められた音楽は、流麗かつ端正でありながらもスケールの大きなもの。両端楽章の心の底からの共感を窺わせる盛り上がりも素晴らしいが、中間の2つの楽章のニュアンスに満ちた音楽はこの演奏を際立たせており、特筆に値する。音楽の流れや佇まいを歪めることなく、ごく中庸で標準的なテンポを採りながらも、その内容の訴求力は群を抜いている。


ルーマニアの弦楽四重奏団であるアルカディアQのデビュー盤であるヤナーチェクの2曲は、これらの作品の決定盤と言いたくなるほどの完成度である。2014年の大阪国際室内楽コンクールで優勝する前の録音だが、2005年の結成後、既にいくつかの国際コンクールで華々しいキャリアを積んでおり、若々しさと同時に堂々とした貫禄も感じられる。

ヤナーチェクの“田舎臭さ”よりも、表現主義的な前衛的な響きが前面に押し出された演奏で、若きハーゲンQの録音を彷彿とさせるが、技術的な鮮やかさと完成度は比較にならないほど本盤の方が高い。時に暴力的なまでの刺激的な鋭い激しさが印象的だが、夢と不安が同居しているような弱奏部の雰囲気の表現力は圧倒的。スメタナQの秘技を尽くしたような老獪さとは対極にある演奏だが、晩年のヤナーチェクの精力に満ちた激しい若々しさを直截的に表出した、極めて印象的な名演である。


数度のメンバー交代を経て押しも押されぬ中堅団体となったベルチャQが、現在に至るメンバーになってから満を持してリリースしたベートーヴェンの全集は、知る人ぞ知るといった感じで、絶賛する人が少なくない割にその名が挙げられることがあまりなく、私もこれまで入手する機会がなかった。

ヴィブラートの抑制的な使用、弱音を活かした繊細な響き、洗練されたアンサンブル……といった現代の名団体に共通する長所を全て備えた、よく考え抜かれた演奏という印象である。初期から後期に至るまで、いずれの作品においても高い水準で仕上げられている。

しかし、あまりに弱音に拘り過ぎた結果、音楽の焦点がぼやけたり、過剰な緊張感が楽曲全体の集中力を削いだりする箇所が多いのは、私には受け入れられない。しかも、ほとんどのクレッシェンドの息が短く、急激に音量を増した結果のフォルテが悉く汚いのも気になる。たとえば第16番の第3楽章では、楽章全体が第2変奏のPiù lentoと同じ音量で、楽章の核となるこの変奏の印象が薄まっている上に、頂点のフォルテが鋭いだけで興を削いでいる。こうした弱音重視の意図はよく分かるのだが、やはり全体を俯瞰したデュナーミクのバランスが大切で、この全集に聴かれる極端な偏りは、むしろアンサンブル技術の誇示にしか聴こえない。

とはいえ、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴く愉しみは、十分に味わうことができた。多くの全集ではほぼ番号順に収録されているのに対し、本全集は1枚が1つの演奏会のような曲順で収録されているのも良い。

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プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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