【楽曲解説】ステーンハンマル:管弦楽のためのセレナード

Wilhelm Stenhammar
ヴィルヘルム・ステーンハンマル(1871~1927)


Serenade Op. 31
管弦楽のためのセレナード ヘ長調 作品31



 一般に北欧音楽といえば19世紀後半の国民楽派、特にグリーグとシベリウスの名を想起する人がほとんどだろう。加えてニルセンを挙げる人も少なくないかもしれない。彼らはそれぞれノルウェー、フィンランド、デンマークの作曲家だが、残る一つの“スカンディナヴィア”、スウェーデン(アイスランドがデンマークから独立したのは第二次世界大戦中のこと)を代表する作曲家の一人が、ヴィルヘルム・ステーンハンマルである。19世紀の民族ロマン主義を背景に各々が個性的な創作活動を繰り広げた彼らについて、大束省三氏は次のようにまとめている:「グリーグは民俗音楽の芸術音楽への融合というテーマに真正面から取り組んで生涯離れることはなかった。シベリウスは民族ロマン主義的傾向から次第にユニヴァーサルな、宇宙的真実にむかって突進した。彼と同い年のカール・ニルセンは農民的な直観で民俗音楽を愛して自作との関係を持ち続けながらも、特にリズムと下降型旋律への愛好と思いがけないハーモニーの変化でオリジナリティを顕著に発揮した。同時代のステーンハンマルは民俗音楽には醒めた目で臨んだが、ときには素晴らしい民俗的な風景を音楽で描き、また愛国的なカンタータなども作曲した」。(大束省三:北欧音楽入門, 音楽之友社, p. 191, 2000.)

 1871年2月7日ストックホルムに生まれたステーンハンマルは、建築家であるとともにアマチュア作曲家でもあった父ペール・ウルリク・ステーンハンマルと、貴族の家柄の出で音楽的素養に恵まれた母エヴァとを両親に持ち、歌手であった叔父夫婦らにも囲まれて、恵まれた音楽的環境の中に育った。7歳で最初の作曲(歌曲)をした彼は、16歳(1887年)の時に本格的に音楽の道を志してクララ・シューマンの弟子であるリシャード・アンデルソンにピアノを学び、さらに翌年からは作曲をエーミル・シェーグレンに師事した。1892年から翌年にかけてはベルリンへ留学して、ハインリヒ・バルト(ハンス・フォン・ビューローの弟子)にピアノを師事し、帰国後はベートーヴェンやブラームスを得意とするコンサート・ピアニストとして活発な演奏活動を展開した。また1897年にはストックホルム・フィルハーモニーを初めて指揮し、以後指揮者としても同時代人の新作や近代スウェーデン音楽の祖ベールヴァルドの紹介に尽力することになる。

 ベルリン留学中にワーグナーの音楽に魅了されたことやピアニストとしてのレパートリーなどからも想像がつくように、ステーンハンマル初期の作品はドイツ的感覚に満ちていた。そんな彼がシベリウスの交響曲第2番を聴いて大きな衝撃を受けたのが1903年のこと。当時、妻に宛てた手紙の中で「私は、審美的な理想が間違っていることに気づいた。私の意思だけが私の魂を救うのであり、世界の美は私を助けてはくれない」と書いた内面の変化に加え、シベリウスの交響曲に対する共鳴は彼の作風を引き締まった北欧的スタイルへと変えていった。

 このように作風が変化しつつあった1906年秋から1907年夏にかけて、ステーンハンマルはイタリアのフィレンツェに滞在した。彼自身はフィレンツェにもっと長く住んでいたかったようだが、経済的な事情に加えて家庭の事情もあり、1907年秋には創設間もないヨェーテボリ交響楽団の音楽監督兼指揮者に就任した。南国の風物は彼の創作意欲を刺激し、1907年のある手紙の中で彼は「このような美しく、こわれやすい南についての詩を北国の人間にしかできないようなやり方で私は書きたい」と記している。この着想が、本日演奏される『セレナード』として結実することになる。

 『セレナード』は、後期ロマン派特有の豊穣で絢爛な響きの片鱗を窺わせながらも、抑制された清澄な響きが古典的なまとまりと風格の中に繰り広げられる、まさに燻し銀の魅力を持ったステーンハンマルの代表的名作である。1908年に作曲が始められ、大部分は1912年から翌13年にかけて書き上げられた。1914年1月、ストックホルムにて作曲者指揮の王立管弦楽団によって初演されたが、あまり評判がよくないこともあって1919年に大幅な改訂が行われた。改訂の内容は、ホ長調で書かれていた第1楽章と第6楽章をヘ長調に変更し、第2楽章「レヴェレンツァ」を独立させて全体を5楽章にまとめ直すという大規模なものであった。改訂版は1920年3月に同じく作曲者指揮のヨェーテボリ交響楽団によって行われた。

 本日演奏されるのは改訂版である。第1楽章「序曲」はソナタ形式で、生気溢れる溌溂とした主題と抒情的なエピソードとの対比が美しい。第2楽章「カンツォネッタ」は、ためらいがちに前進するワルツのリズムが印象的。クラリネット独奏による導入部の後、カールフェルトの詩による未出版の歌曲「五月の夜の声」のスケッチが現れる。第3楽章「スケルツォ」は、目まぐるしいまでの気分の変化と独特の和声感覚が特徴的であり、野性味溢れるフィレンツェのカーニヴァルが下敷きになっている。第4楽章「ノットゥルノ」はいかにも“北欧的な抒情”を感じさせる歌謡楽章。ここでは第2楽章「カンツォネッタ」とは対照的に、スウェーデンの民俗的な語法がさりげなく用いられている。これら中間の3つの楽章は、アタッカで続く一つのブロックを形成している。第5楽章「フィナーレ」では、ステーンハンマルとしては異例なほど強くスウェーデンの民族ロマン主義を感じさせる冒頭のホルンのメロディーに続いて、性格の違う二つの楽句が交互に現れる。

 北欧音楽といえばすぐに北欧の自然と結び付けられることが多いが、ステーンハンマルの作品、中でもこの『セレナード』においてはそうした直接的な自然描写や民族感情の投影は注意深く避けられている。それでいて我々が一般に持つ“北欧的”な雰囲気を色濃く持つ一方、南国フィレンツェの穏やかな陽光を思わせる明るさにも満ちている。聴き手によって思い浮かべる心象風景が全く異なる、そんな透明な存在感がこの作品の一番の魅力かもしれない。

かぶとやま交響楽団 第24回定期演奏会(2001年1月27日)

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theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Stenhammar,W. 演奏活動_かぶとやま交響楽団

プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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