フェドセーエフの「シェエラザード」

  • リームスキイ=コールサコフ:交響組曲「シェエラザード」 フェドセーエフ/モスクワ放送SO (Victor VICC-75007)
10月22日のエントリーで述べた演奏会の会場で購入した一枚。このコンビは「シェエラザード」を2回録音しているが、これは1981年に行われた最初の録音。

メタリックな輝かしさを持ったオーケストラの響きは、紛れもなくモスクワ放送響ならではのもの。各楽器の卓越した個人技が、一瞬たりとも全体から不必要に浮き上がることなく、それでいて多種多様な彩りを呈しているところが素晴らしい。必ずしも機械的に精緻な演奏という訳ではないのだが、このオーケストラの魅力である溢れ出る情感と野趣に富んだ音色には心を奪われる。

全曲を通した淀みのない流れは、いかにもフェドセーエフらしい。ことさらにオーケストラをドライブするのではなく、流れに身を委ねるようにして音楽の起伏を描きつつも決して常識的な枠組みを逸脱しないところに、颯爽とした恰好良さがある。

ただ、敢えて言えば、“平凡”な音楽だとも思う。これは必ずしも否定的な意味ではなく、「こうあって欲しい」という聴き手の期待に完璧に適っているということでもある。「シェエラザード」のように明確な標題があり、聴きどころもはっきりしている曲の場合、“平凡”であること自体が非凡だと言えるだろう。

驚くべきことに、30年前の本盤と先日の演奏会との間に表面的な演奏解釈はほとんどない。にもかかわらず、先日の演奏に聴かれた、決して想像すらできなかったほどの深淵は、フェドセーエフが真の巨匠としてその晩年を迎えたことの証左なのだろう。あの忘れ難い演奏会の記念に、何よりも相応しい一枚であった。

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80歳記念 ウラディーミル・フェドセーエフ指揮 チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ

80歳記念 ウラディーミル・フェドセーエフ指揮 チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ
  • リームスキイ=コールサコフ:交響組曲「シェエラザード」
  • チャイコーフスキイ:弦楽セレナード
  • チャイコーフスキイ:1812年
  • スヴィリードフ:組曲「吹雪」より「ワルツ・エコー」【アンコール】
  • チャイコーフスキイ:バレエ「白鳥の湖」より「スペインの踊り」【アンコール】
2012年10月20日(土) 兵庫県立芸術文化センター大ホール
その容姿のせいか若々しい印象の強いフェドセーエフだが、1970年代半ば(つまり僕が生まれた頃)からモスクワ放送響との素晴らしい関係が始まったことを考えると「80歳」という年齢も当然のこと。とはいえ、やはりその数字にはいささかの驚きがある。それは溌剌とした指揮姿のような外見上の理由ではない。オーケストラの機能を十二分に発揮させつつも、生気に満ちた淀みのない流れを持つ、颯爽とした力感に満ちた彼の音楽ゆえである。メタリックな音の輝きが印象的なソ連時代の演奏、個性的なテンポ設定や歌い回しで抒情性が際立つ1990年代以降の演奏と、そのスタイルに変遷はあったものの、いわゆる巨匠然とした音楽をすることはなかったし、またそれこそがフェドセーエフの魅力でもあった。

それは、年齢的にはもしかしたら最後の来日になるかもしれない今回の公演でも変わらなかった。しかしながら、そこにもう一つ“深い静寂”という要素(その萌芽は2006年のショスタコーヴィチにも聴かれてはいたが)が加わったことで、今回の演奏はまさに異次元の境地に達していたと言いたい。「美味しんぼ」の京極さん風に言えば、「なんちゅうもんを聴かせてくれたんや」といったところ。

演奏会の幕開けが「シェエラザード」というのは、名手揃いのチャイコーフスキイSOの奏者達にとってもプレッシャーが大きかったようで、序盤はピッチに不安定さがあったし、主力メンバーをトップに据えた木管陣にも細かい乱れが散見された。完璧としか言いようのないヴァイオリンのソロ(ハープの細やかな表情も特筆しておくべきだろう)の後、ゆったりとしたテンポで動き始めた主部では、そのテンポの遅さに起因するアンサンブルの綻びもなかったわけではない。しかし、このようなあら探しをいくらしてみたところで、鷹揚とした、それでいて表情豊かな、この第1楽章の音楽的な素晴らしさが損なわれることはない。晴朗な大海を彷彿とさせる振幅の大きな音楽の揺らぎに身を委ねているだけで、何とも形容し難い幸福感が全身を包み込んでくれる。威圧的な音が一切ないのに音量の幅は極めて大きく、個々の音の響きは冷たく乾燥しているのに全体の響きは人間的な温もりに満ちた、まさにロシアの響きが、フェドセーエフが紡ぎ出す音楽に一層の彩りと魅力を与えている。

アタッカで間髪入れずに始まった第2楽章は、個々の奏者の名技が炸裂。ただしそれは指回りの鮮やかさを誇示する類のものでは全くなく、極めて表情豊かな最弱音という形で発揮されるものであった。クラリネットをはじめとする木管楽器も素晴らしかったが、特に印象に残ったのは、コーダのヴァイオリン(シェスタコフ)とホルン(ニキティン)の掛け合い。もの凄い緊張感なのに、音楽から温もりと艶やかさが失われることがない。音響的にはあまり褒められた出来ではない芸文の大ホールが最弱音で満たされたのには、衝撃すら覚えた。

第3楽章の冒頭が息を飲むような美しさだったのは、当然の帰結だろう。やはりゆったりとしたテンポで奏でられる歌は、フェドセーエフらしく爽やかに流れていくが、それでいて時にフレーズや音がその場で息を潜めて佇んでいるかのような寂寥感が漂うのは、80歳にしてフェドセーエフが至った境地と言うべきだろう。しかしそれは人を寄せつけない厳しさではなく、あくまでも人懐っこい、心に寄り添うような温かみをまとっている。このような最弱音を実現できるオーケストラの機能の高さも、賞賛されなければならない。私が先に“深い静寂”と述べたのは、このようなことである。満を持して登場したサモイロフのスネアドラムに導かれる中間部の切ないほどの楽しさも、この主部の至高の表現あってこそ。

第4楽章ではオーケストラの威力が惜しげもなく披露されたが、それでも全ての音が指揮者の意思で完全に制御されているかのようで、単なる轟音の快楽に溺れることはない。最後に特筆しておくべきは、オーケストラの、そしてロシア音楽の醍醐味が凝縮されたクライマックスを経て、全てが静まり返った後のコーダの何という美しさ!これを形容する言葉を、私は持ち合わせていない。

正直なところ、「シェエラザード」がこんなに内容豊かな音楽だとは思ってもみなかった。ソロのみならずトゥッティでも高い技術を求められる曲であり、このオーケストラの卓越した名技に対する期待の方が上回った状態で、演奏を聴き始めたのも事実である。それが、第1楽章の主部に入った瞬間から、決して表層的な描写に留まらない心象風景の多彩で深い表現に心を奪われてしまった。演奏の流儀は、今となっては一世代前の、いささかロマンティックなもの。だから、新しい時代の扉を開くというよりは、一つの時代が幕を下ろそうとしている、そんな感慨を伴った演奏でもあった。翌21日は大阪で「悲愴」がメインの公演があったのだが、兵庫の「シェエラザード」を選択して本当によかった。

後半は、兵庫芸術文化センター管弦楽団との合同演奏。といっても、「1812年」のバンダ以外は弦楽器のみの参加。客席からざっと数えたところでは、1st Vnが12プルト、コントラバスが13人という巨大編成である。演奏に先立ってフェドセーエフのスピーチがあった後、弦セレが始まる。フェドセーエフによる同曲は2006年にも聴いており、今回もその基本的な解釈に違いはない。ただ、「シェエラザード」に聴かれた“深い静寂”を、とりわけ中間楽章で実現するには、アンサンブルの完成度が低かったことが残念。管楽器のトップの多くが前半と入れ替わった「1812年」はお祭りのような感じで、こうなると単純に轟音を愉しむに限る。曲も曲だし。これもまたフェドセーエフ、なのだろう。

アンコールの2曲は、お馴染みのもの。スヴィリードフでのシェスタコフのヴァイオリン・ソロは、「1812年」のお祭り騒ぎから一転、「シェエラザード」の世界に連れ戻してくれた。作曲家自身も想像しなかったであろう深い名演。「スペインの踊り」は、やりたい放題のサモイロフのタンバリンを目で楽しみながら、「1812年」のお祭り気分の中で終演。

率直に言って、後半の合同演奏は蛇足だったと思う。でも、その分入場料を安くしろ、とは言わない。「シェエラザード」1曲で十分にその元はとれたし、その圧倒的な印象は後半の演奏を経ても今なお全く薄まってはいないからだ。客席が6割程度しか埋まっておらず、演奏者に対して申し訳ないくらいだったが、損をしたのは間違いなく足を運ばなかった人の方。私は、勝ち組です(笑)

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【ニコニコ動画】フェドセーエフのショスタコーヴィチ3種

いささか遅ればせながら、訃報を一つ。ショスタコーヴィチ研究家として著名なマナシール・アブラーモヴィチ・ヤクーボフ氏(1936~2012)が、去る2月5日にご逝去された。DSCH社の新全集では、既刊のほぼ全てで解説や校訂報告を執筆されていた。ご高齢であったものの大往生と言うには少し早く、何とも惜しまれる。自筆譜をはじめとする一次史料を丹念に読み込むことで構成された緻密な論文を、これからは読むことができないと思うと、いかに後継者たる優秀な研究者が活躍しているとはいえ、大きな喪失感を禁じ得ない。立て続けにK. ザンデルリンク(1912~2011.9.18)やベリルンド(1929~2012.1.25)の訃報に接したこともあり、つくづく自分も歳をとったものだと、寂しい気持ちになる。ご冥福をお祈りいたします。

さて、本題。ニコニコ動画に、フェドセーエフ/モスクワ放送SOがウィーン楽友協会大ホールでショスタコーヴィチの交響曲を演奏した時の映像がアップされていた。第5番・第10番・第15番の3曲で、嬉しいことにいずれも全楽章が揃っている。

どの曲においても、オーケストラの高い機能性が際立つが、多くの優秀な首席奏者が長年に渡って在籍していることによって、この水準が保たれているのだろう。ソ連時代以前に比べるとかなり洗練されていることは確かだが、ロシア以外の何物でもない響きは、音楽的な伝統が最良の形で継承されていることの証でもあろう。もちろん、フェドセーエフとの長い関係も忘れてはならない。淀みのない、それでいて彫りの深い音楽は、近年では他に類を見ない指揮者とオーケストラの関係の賜物である。

第5番は、彼らも数え切れないほど演奏してきた作品であろう。僕も、1999年に大阪で彼らの実演を聴いたことがある。技術的な不満があろうはずもなく、颯爽としたフェドセーエフの解釈にも揺らぎがない。お手本のような演奏といってよいだろう。とりわけ第2楽章の格好良さは、彼らならではのもの。惜しいのは、第3楽章の後半辺りから、どこか緊張感が失われてしまっているところ。破綻はないものの、第4楽章も今一つ盛り上がりきらない。

第1楽章第2楽章
第3楽章第4楽章
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番
フェドセーエフ/モスクワ放送SO(2011年9月25日)


第10番も、西宮で彼らの実演を聴いている(2006年5月29日のエントリー)。この曲にもフェドセーエフの個性的な解釈が聴かれるが、曲との相性が良いのか、そのほとんどに違和感はない。オーケストラの首席奏者も、大多数が西宮公演時の顔ぶれと共通しており、かつての感動や興奮がそのまま甦ってくるような映像である。ここにアップされている3曲の中では、演奏の出来が最も良い。

第1楽章第2楽章
第3~4楽章
ショスタコーヴィチ:交響曲第10番
フェドセーエフ/モスクワ放送SO(2011年9月26日)


第15番を映像で観ることができるのは嬉しいが、この曲に関しては、フェドセーエフの解釈に違和感が残る。とりわけ第1楽章と第3楽章の鈍重なテンポは、明らかに意図を持ったものではあるが、僕がこの曲に抱くイメージとは異なる。ただ、第4楽章のクライマックスに向かう長大なクレッシェンドは、このコンビにしか成し得ないであろう、独特のしなやかさを持った素晴らしいもの。

第1~2楽章第3~4楽章
ショスタコーヴィチ:交響曲第15番
フェドセーエフ/モスクワ放送SO(2011年9月27日)

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フェドセーエフ/モスクワ放送SO演奏会

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  • チャイコーフスキイ:序曲「1812年」
  • チャイコーフスキイ:弦楽セレナーデ
  • ショスタコーヴィチ:交響曲第10番
  • ショスタコーヴィチ:劇音楽「条件つきの死者」より「ワルツ」
  • ショスタコーヴィチ:映画音楽「司祭とその下男バルダの物語」より「バルダの行進曲」
     V. フェドセーエフ/モスクワ放送SO
     2006年5月28日15時開演 兵庫県立芸術文化センター大ホール
久しぶりのコンサート。前回がボロディンQ(2005年6月13日;2005年7月8日付本欄)だったから、ほぼ1年ぶりということになる。生来の出不精なことと、平日の演奏会は時間的にちょっと厳しいこともあって、めったに演奏会に出向くことはないのだが、その代わり行く時は満を持して…といった感じで気合が入る。演奏会場が近場ということもあって、あっさりと家人の許しも出た。実はこのホール、終電で帰ってきてタクシーを待っている時とか、ちょっと出かけたりする時に車で前を通ったりして、建設中からずっと見ていたのだが、入るのは初めて。バブル期かと錯覚してしまうような豪華な建物で、近所にこんなホールができたら、ますます大阪方面への足が遠のいてしまう…(^^;

会場に入ると、まずはCD売り場チェック。残念ながら目ぼしいCDはなし。公演プログラムが3種類(日本語プログラムとロシア語の記念パンフレット、2001年刊の写真集(?))あったので、それをまとめて購入。日本語のプログラムは、500円でももったいないほど内容がない。ロシア語のパンフレットは、ゴンチャロフやガールキンの若き日の写真が載っているのが目をひくものの、録音のレビューも含めてそれほど目新しい内容はなし。ただ、110ページの写真集のような冊子は極めて充実した内容で、これが1500円というのはお買い得(ロシア語と英語)。モスクワ放送SOのスポンサーである石油会社ルクオイルの資金力の賜物だろうか。多数の現役奏者の写真を見ているだけでも楽しい。ざっと目を通して、たばこを1本吸ったら開演時間(天井が高く広々とした喫煙所は嬉しい)。

右隣が空席だったので、ゆったりと腰掛けて団員の入場を眺める。最後列にコントラバス(9人)が一列に並び、その前に下手側からTp、Tb、Tub、Hrと金管楽器が並ぶ。打楽器群は舞台上手側。弦楽器は対向配置で16型+α。前半のプログラムは、正直嫌いな部類の曲なのでリラックスして聴き始める…が、1812年冒頭のチェロのTuttiの素晴らしいこと!暖かく厚みのある音色で、朗々と懐かしさを感じさせる歌を歌い上げる。一体感のあるアンサンブルで、何の苦もなく壮麗な音響を積み上げていくところに、このコンビの卓越した境地が示されていた。炸裂するサモイロフの小太鼓を筆頭に、やりたい放題の打楽器が楽しい。最終和音の前にお囃子みたいな鐘の乱打が入るのは、フェドセーエフお得意の改変だろうか。まぁ、これはこれで良いのではないでしょうか。他にもカットがあったように思うが、よくわからない。

2曲目の弦楽セレナーデは、フル編成の弦楽器による演奏。一切力むことなく、しなやかな歌を貫く解釈は、近年のフェドセーエフに特徴的なものだろう。非常にゆったりとしたテンポで節度を持ちつつも丁寧に歌い込んだ音楽は、極めて抒情的で美しい。特に、第2楽章の主題の入りや第3楽章で多用された超弱奏は、このオーケストラの機能性あっての表現で非常に効果的。もっとも、これだけの大編成だとデュナーミクの幅を生かしたスケールの大きさは際立つものの、全体にざわついた感じが残るのは致し方のないところか。立派な演奏ではあったが、全曲を通して聴くのは……正直眠かった。

さて、休憩。一服して座席に戻ると、舞台上では、FlのフェドートヴァとObのパーニンが第3楽章の第1主題を丹念に合わせている。丁寧にイントネーションを整えていく様は、まさに一流のプロの仕事。その後ろではFgが、第4楽章コーダ直前のパッセージを合わせている。時間になり団員が登場し、チューニングが始まると、今度はTbが第1楽章展開部の終わりのコラールを合わせている。団員のショスタコーヴィチにかける気合が窺えるようで、否が応にも期待は高まる。

第1楽章。冒頭の一音から張り詰めた緊張感に貫かれた、しなやかな弦楽器の美しさが際立つ。オーケストラが一体となった音楽のうねりは見事。第1主題を提示するClのペルミャコフの超弱音は、腰が抜けるほどの圧倒的な名技。流麗でありながらも、決して上滑りすることのない音楽が繰り広げられていく。噛み締めるように何度も呻きを繰り返しつつ壮大なドラマを積み重ねていく息の長い音楽作りは、ロシアの団体ならではのものだろう。木管楽器の美しくも悲痛な鋭い響きと厚みのある弦楽器の透明な響きは、これぞショスタコーヴィチ。顔を真っ赤にして切々と吹き込むFgに導かれて、いよいよ展開部。なんという哀しい音楽なのだろう。聴きながら、涙を堪えるのが精一杯。ガロヤンのTimpが意味深い楔を打ち込み、金管楽器が威圧的にそびえ立つ。圧倒的な音響の中で切なく悲鳴をあげ続ける木管楽器と、とどまることなく感情を爆発させ続ける弦楽器の美しさ。これらが一体となって押し寄せて聴き手を飲み込む。圧巻は、再現部以降の緊張感漲る静寂。このコンビでしかなし得ない至高の境地といえるだろう。この楽章が終った後、尋常ではない緊張感からの解放された客席は、猛烈にざわついた。

続く第2楽章は、やや遅めのテンポ。しかし、楽章の暴力性は極めて適切に表出されている。サモイロフの小太鼓が、実に見事。硬質な鈍器を思わせる金管楽器の魅力もさることながら、木管楽器の巧さには舌を巻く。この解釈だと、短すぎるといわれるこの楽章のアンバランスさが気にならない。全弦楽器が弓を大きく空中に放り出すようなエンディングは、視覚的にも効果抜群。

第3楽章の多彩な響きは、名手揃いのこのオーケストラならではだろう。また、ひねくれたワルツのリズム感を一体となって繰り広げるアンサンブルも凄い。Hrのソロは特筆すべき出来。最初のE-A-E-D-A音型の英雄的な吹きっぷりと、その後の痺れるような弱奏が素晴らしかった。もちろん、楽章を通じてノーミス。てっきりガールキンが吹くのだとばかり思っていたのだが、お亡くなりになっていたようで、名前を知らない奏者だったのだが、これならガールキン亡き後のホルンセクションも安泰だろう。最初のソロの後、おそらくはフェドセーエフとのアイコンタクトがあったのだろう、にやりと微笑んだ顔が印象的だった。壮麗なクライマックスの後の終結部では、コンサートマスターのシェスタコフの音色も美しく、DSCHのピッツィカートを強調しながら余韻を残しつつ、この楽章が終った。

第4楽章では、木管楽器の鮮やかさに終始圧倒された。奇妙に明るい曲調の意味も完全に消化されていて、完全に納得させられる解釈に大満足。コーダの途切れながら何度も踊り始めようとする部分のギクシャクした感じは秀逸。終わりが近づくにつれ、このままずっと音楽が続いて欲しいという思いで切なくなってしまったほど。最終和音の後、ブラボーが乱れ飛び、あちこちでスタンディングオベーションが見られたのも当然の大名演であった。それにしても、わりと年配の聴衆が多かったにもかかわらず、ショスタコーヴィチでこの盛り上がりとは。

アンコールは、マニアにはたまらない選曲。「条件付きの死者」のワルツは、録音もしているだけに、彼らにとってはお得意のアンコールピースなのだろう。サックス、ピアノ、グロッケンシュピールをこの曲のためだけに追加した心意気が嬉しい。CDよりも一層ゆったりとしたテンポで、雰囲気豊かな弱音で奏でられた音楽にはうっとり。シンバルと小太鼓を担当したサモイロフの名技が目をひいた。「坊主とその下男バルダ」の行進曲は、組曲には収録されていない曲。オペラ版では第2幕エピローグの最初で「バルダの入場」とされている。管・打楽器のみによる短いが気の利いた曲で、とても素敵な選曲。勢いのある早目のテンポが楽しかった。2曲ともフェドセーエフ自身による紹介あり。「ショスタコーヴィチ、ワルツ」「ショスタコーヴィチ、マーチ」という言葉で、これらの曲を想定できた聴衆はおそらく皆無なのでは?バルダの行進曲の前には「もう一曲ショスタコーヴィチ、いきますよ」といった雰囲気のフェドセーエフの言い方に、客席からも和やかな笑いが起こっていた。

とにかく、猛烈に巧いオーケストラに大満足。アインザッツの隅々まで完璧に統率された鉄壁のアンサンブル…というわけではなく、むしろ緩さもあるのだが、全セクションがごく自然に一体化したアンサンブルは、オーケストラらしからぬ水準である。こういうリズム感を表出できる団体は世界中でも稀だろう。デュナーミクの幅の広さも凄い。唯一不満があったとすれば、Tpくらいか。それだって、贅沢な要求には違いない。これで、また1年くらいコンサートに行かなくても耐えられそう。

終演後は、サインをもらいに楽屋口で出待ち。団員が出てくる度に並んでいる人々が拍手で見送っていたのは、僕は初めての経験。並んでいた僕の後ろを、高校生達が「なんか、外人いっぱいおったで。有名人でも来てるんかな?」と話しながら通っていったのは、土地柄か。あぁ、関西…

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フェドセーエフとチェクナヴォリャーンのショスタコーヴィチ

  • ラフマニノフ:ピアノ三重奏曲第2番、ショスタコーヴィチ:ピアノ三重奏曲第2番 マフチン (Vn) クニャーゼフ (Vc) ベレゾフスキー (Pf) (Warner WPCS-11844)
  • ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番、ヤナーチェク:ヴァイオリン協奏曲「魂のさすらい」 スクリデ (Vn) M. フランク/ミュンヘンPO、ヤノフスキイ/ベルリン放送SO (Sony 82876731462)
  • ショスタコーヴィチ:交響曲第1&3番 フェドセーエフ/モスクワ放送SO、モスクワ国立アカデミー室内合唱団 (Relief CR991077)
  • ショスタコーヴィチ:交響曲第10番、ハチャトゥリャーン:バレエ「ガイーヌ」より(「ガイーヌのアダージョ」「レズギンカ舞曲」「剣の舞」「ゴパック」) チェクナヴォリャーン/ナショナルPO (BMG TWCL-3014)
  • ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲全集 ダネルQ (Fuga Libera FUG512)
何だかやらなければならないことが山積み。思いっきり現実逃避モードでTower Records難波店へ。本当は、ムーソルグスキイを何か聴きたかったのだが、「展覧会の絵」以外はお寒い品揃えだったので、いつものようにショスタコーヴィチばかりになってしまった(^^;

ピアノ三重奏曲では、クニャーゼフがフィーチャーされているようなクレジットだが、実際は三者が拮抗した、大柄でありながらもバランスのとれた名演。現代風の洗練が感じられるとはいえ、ロシアの伝統的な音色であるのも嬉しい。特にピアノのベレゾフスキーが好調で、幾分ロマンティックな歌に流れる傾向はあるものの、圧倒的な力で音楽を牽引している。クニャーゼフの切実な音楽も素晴らしいが、マフチンも負けずに健闘している。国内盤で発売されたこともあって購入を後回しにしていたが、なんともったいないことをしていたのだろう。

スクリデのヴァイオリン協奏曲は、ナージャなどと同じく切々と歌い込みながらも派手に切れ味を見せ付ける、甘口路線の演奏。華やかで効果満点の演奏ではあるが、この作品はこんなに軟派な曲ではない。ヤナーチェクの協奏曲は初めて聴いたが、なかなか美しい曲で聴き入ってしまった。ただ、演奏自体はいまいち。ソロにもオーケストラにも、さらなる繊細さを求めたい。

フェドセーエフは、以前キャニオンでショスタコーヴィチの交響曲全集をリリースするはずだったが、諸般の事情でそれが頓挫したのを残念に思っていた。今回Reliefから発売された第1&3番のジャケットを見る限りでは、新たに全集の企画が進んでいるようで嬉しい限り。第10番と第8番は既にReliefからリリースされているが、この全集でその録音が使われるのか、それとも新たに収録し直されるのかはわからない。さて演奏内容だが、両曲ともに近年のフェドセーエフらしさが存分に発揮された美演に仕上がっている。オーケストラの高い技量に支えられた、隅々まで磨きぬかれた響きの美しさは、この演奏の最大の魅力だろう。力みの一切ない甘さすら感じさせる歌は、ショスタコーヴィチの初期作品の一面を魅力的に描き出している。第1番の立派な壮麗さは他に類がなく、聴き手によっては違和感を持つかもしれないほど。ただ、少々甘口に過ぎるところが、僕の好みではない。第3番はさらなる名演。流麗な音楽の中から、今まで気づかなかった美しい響きが随所に浮かび上がってくる。この作品をこれほど楽しんで聴いたのは初めて。きびきびとした合唱も素晴らしい。全集の完成が待ち遠しい。

チェクナヴォリャーンの交響曲第10番は、タワーレコードRCAプレシャス・セレクション1000の第3期発売分。世界初CD化だが、事前に全くチェックしていなかったので店頭で見つけて驚いた。発売直後だったようだが、もちろん即確保。これがまた、何とも凄い演奏。こういうのを爆演というのだろう。物理的な音量・音圧もさることながら、テンションが尋常ではない。オーケストラの技量はあまり高くなく、第2楽章などでは乱れまくるのだが、そんなことはお構いなしに突き進む音楽の凄みは筆舌に尽くし難い。低弦や金管楽器の妙なバランスを素直に認める気にはならないが、独特の沸き立つようなリズムの力が表出されているのは面白い。ハチャトゥリャーンは、全曲盤からの抜粋。こちらは文句なしにハマっている。

ダネルQの弦楽四重奏曲全集も購入したが、こちらは聴き通すのに時間がかかりそうなので、また後日…(いつになることやら(^^;)

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プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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