【楽曲解説】ブリテン:ソワレ・ミュージカル

Benjamin Britten
ベンジャミン・ブリテン(1913~1976)


Soirees Musicales Op. 9
~Suite of Five Movements from Rossini~
ソワレ・ミュージカル 作品9



 近現代の英国音楽を愛好する熱心なファンは少なくないが、一般に広く知られている作曲家というとそう多くはない。その中でベンジャミン・ブリテンの名を、卓越した演奏活動(指揮およびピアノ)も含め、20世紀の英国音楽を代表するものとすることにまず異論はないだろう。詩人のW. H. オーデン、テノール歌手のP. ピアーズとの親交から生み出された、数々の声楽作品や歌劇に代表されるブリテンの創作活動については、ここで改めて述べるまでもない。日本との関係も意外に深く、いわくつきの「シンフォニア・ダ・レクイエム」や、日本で観賞した能「隅田川」に感銘を受けて作曲された歌劇「カーリュー・リヴァー」などの作品もある。

 彼の音楽の本質を考える上で、1960年代初め頃から始まったショスタコーヴィチとの交流を見逃すわけにはいかない。後にブリテンは歌劇「放蕩息子」をショスタコーヴィチに、ショスタコーヴィチは交響曲第14番をブリテンに献呈したが、この2曲を思い浮かべるだけでも両者の持つ音楽的な共通点を理解することができるだろう。特にオーケストレイションについては、表面的な類似もさることながら、共に極めて優れた職人的な技術を持っていたことがわかる。楽器固有の音色を十二分に活かしたオーケストレイションの見事さは、有名曲としてとかく軽視されがちな「青少年のための管弦楽入門」作品34を一聴するだけでも明らかだ。本日演奏される「ソワレ・ミュージカル」は、自身のオーケストレイションの技術向上を意図してG. ロッシーニの声楽作品を管弦楽配置したもので、比較的初期の作品(1935年)である。しかしながら、色彩感溢れる楽器選択や詳細なニュアンスの指示など、この作品には既に完成の域に達したブリテンの職人技が惜しみなく繰り出されている。

 ここでブリテンが題名を借用したロッシーニの「ソワレ・ミュージカル(音楽の夜会)」は、1835年に纏められた彼の代表的歌曲集である。ブリテンは「ソワレ・ミュージカル」の他に、同じロッシーニの他の声楽作品を組み合わせて、5曲から成る組曲を構成した。ロッシーニの原曲はあくまでも素材であり、構成や雰囲気はブリテンによって自由に変更されている。各曲の標題とその原曲は以下の通り:

  1. 行進曲:歌劇「ウィリアム・テル」第3幕第16曲「兵士の踊り」
  2. カンツォネッタ:「ソワレ・ミュージカル」より第1曲「約束」
  3. チロレーゼ:「ソワレ・ミュージカル」より第6曲「アルプスの羊飼の娘」
  4. ボレロ:「ソワレ・ミュージカル」より第5曲「招待」
  5. タランテラ:3つの宗教的合唱曲より第3曲「愛」

 1938年には、この作品にバレエの振り付けが施された。ちなみに、第二次世界大戦中に渡米していたブリテンは、「ソワレ・ミュージカル」と併せて『ディヴェルティメント』というバレエ(振り付けはG. バランシン)にするため、1941年に姉妹作「マチネ・ミュージカル」作品24を作曲している。

 ブリテンはロッシーニのこの歌曲集が気に入っていたようで、彼の晩年にあたる1971年のオールドバラ音楽祭にて4曲の抜粋を自らピアノ伴奏をした録音も遺されている(BBC-BBCB 8001-2)。ブリテンの色彩感溢れるニュアンスに富んだピアノ演奏は、まさにこの作品で聴かれるオーケストレイションと同質のものである。

かぶとやま交響楽団 第26回定期演奏会(2002年2月16日)

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【楽曲解説】プフィッツナー:交響曲

Hans Erich Pfitzner
ハンス・エーリッヒ・プフィッツナー(1869~1949)


Sinfonie Op. 46 für großes Orchester
交響曲(第2番)ハ長調 作品46



 十九世紀末から二十世紀前半(両大戦間)にかけてのドイツ音楽の動向は、決して単純ではない。加えて「第三帝国」時代のナチと音楽との関係が、問題を一層複雑にしている。ここでこの時代の音楽史を包括的に議論することは避けるが、十九世紀ロマン主義に対する批判と反動から出発した時代とされる二十世紀が、一方でロマン主義再評価の時代でもあったことを忘れてはならない。その“二十世紀のロマン主義”を代表する作曲家が、ハンス・プフィッツナーである。

 プフィッツナーの音楽は、当時のドイツで高く評価されていた。彼はナチ体制下のドイツ国内でリヒャルト・シュトラウスに次ぐ名声を受けており、戦前の日本においてもドイツ文化のいわば守護神として今では想像できないほどの知名度を持っていた(そこには、指揮者としての評価も含まれる)。ではなぜ、今日プフィッツナーの名が不当なまでに忘れられているのだろうか。それは彼の音楽が一つの時代思想であり、その背景を理解することなく解釈し得ないからである。徹底してロマン主義にこだわり、それをドイツの伝統的な文化の支柱においた独特の美学は、トーマス・マンにも熱烈に評価されていた。彼が護ろうとしていたものは、ベートーヴェンに始まりワーグナーへと至るドイツ音楽の歴史であり、“ドイツ的”なものそのものであった。彼の純粋すぎる国粋主義は必然的にナチ顔負けの反ユダヤ主義へともつながり、そのことがプフィッツナーに対する評価に大きく影響していることは否めない。もっともプフィッツナーはユダヤ性の本質を血筋におかなかったという点でナチズムとは無縁で、ヒトラーと個人的な面識があったにもかかわらず、そもそもナチ党員ですらなかったのだが。

 こうしたプフィッツナーの創作活動を代表するのは、歌劇「パレストリーナ」(1915年)や、カンタータ「ドイツ精神について」作品28(1921年)といった思想性が前面に押し出された作品である。しかしながら、本質的に内面的で形式的なプフィッツナーの美質は、むしろ絶対音楽の分野、中でも室内楽作品に発揮されている。最晩年の名作である六重奏曲作品55(1945年)や中期の傑作ヴァイオリン・ソナタ作品27(1918年)などは絶対に聴き逃せないし(録音が極めて少ないのは残念)、3曲ある弦楽四重奏曲はマーラー夫人アルマも愛好していたらしい。R. シュトラウスの音楽世界を豪華で華やかな鯛の活き造りに例えるとすれば、プフィッツナーのそれは海原雄山の壮大な薀蓄と共に食する鰯の塩焼きだと言えるだろう。ワタの苦味に舌鼓を打ちながら食材を通して世界を語る、これがプフィッツナーの音楽である。

 プフィッツナーの交響曲作品は全部で3曲あるが、第1番作品36aは弦楽四重奏曲第2番をオーケストレイションしたもの、小交響曲作品44はその名の通り小編成向けの作品であること(初演はフルトヴェングラー)を考えると、本日演奏される交響曲(第2番)ハ長調作品46が事実上プフィッツナー唯一の交響曲と言ってもよい。1940年10月11日、フランツ・コンヴィチュニーの指揮によって初演された。

 切れ目なく演奏される3つの楽章から成るこの作品には、晩年を迎えたプフィッツナーの音楽的特徴がしっかりと刻まれている。第1楽章冒頭で唐突に示される英雄的な第一主題ももちろん印象的だが、プフィッツナー独特のほの暗い抒情を存分に堪能できる第2楽章は非常に魅力的。両端楽章の経過句における曖昧な調性感や拍節感も、まさにロマン主義的な雰囲気そのものだ。そして、喧噪と混沌の中から冒頭の主題が輝かしく回帰する終楽章コーダでは、誰よりも真に純粋なドイツ精神を信じた彼の世界観が高らかに歌い上げられる。

かぶとやま交響楽団 第26回定期演奏会(2002年2月16日)

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【楽曲解説】ステーンハンマル:管弦楽のためのセレナード

Wilhelm Stenhammar
ヴィルヘルム・ステーンハンマル(1871~1927)


Serenade Op. 31
管弦楽のためのセレナード ヘ長調 作品31



 一般に北欧音楽といえば19世紀後半の国民楽派、特にグリーグとシベリウスの名を想起する人がほとんどだろう。加えてニルセンを挙げる人も少なくないかもしれない。彼らはそれぞれノルウェー、フィンランド、デンマークの作曲家だが、残る一つの“スカンディナヴィア”、スウェーデン(アイスランドがデンマークから独立したのは第二次世界大戦中のこと)を代表する作曲家の一人が、ヴィルヘルム・ステーンハンマルである。19世紀の民族ロマン主義を背景に各々が個性的な創作活動を繰り広げた彼らについて、大束省三氏は次のようにまとめている:「グリーグは民俗音楽の芸術音楽への融合というテーマに真正面から取り組んで生涯離れることはなかった。シベリウスは民族ロマン主義的傾向から次第にユニヴァーサルな、宇宙的真実にむかって突進した。彼と同い年のカール・ニルセンは農民的な直観で民俗音楽を愛して自作との関係を持ち続けながらも、特にリズムと下降型旋律への愛好と思いがけないハーモニーの変化でオリジナリティを顕著に発揮した。同時代のステーンハンマルは民俗音楽には醒めた目で臨んだが、ときには素晴らしい民俗的な風景を音楽で描き、また愛国的なカンタータなども作曲した」。(大束省三:北欧音楽入門, 音楽之友社, p. 191, 2000.)

 1871年2月7日ストックホルムに生まれたステーンハンマルは、建築家であるとともにアマチュア作曲家でもあった父ペール・ウルリク・ステーンハンマルと、貴族の家柄の出で音楽的素養に恵まれた母エヴァとを両親に持ち、歌手であった叔父夫婦らにも囲まれて、恵まれた音楽的環境の中に育った。7歳で最初の作曲(歌曲)をした彼は、16歳(1887年)の時に本格的に音楽の道を志してクララ・シューマンの弟子であるリシャード・アンデルソンにピアノを学び、さらに翌年からは作曲をエーミル・シェーグレンに師事した。1892年から翌年にかけてはベルリンへ留学して、ハインリヒ・バルト(ハンス・フォン・ビューローの弟子)にピアノを師事し、帰国後はベートーヴェンやブラームスを得意とするコンサート・ピアニストとして活発な演奏活動を展開した。また1897年にはストックホルム・フィルハーモニーを初めて指揮し、以後指揮者としても同時代人の新作や近代スウェーデン音楽の祖ベールヴァルドの紹介に尽力することになる。

 ベルリン留学中にワーグナーの音楽に魅了されたことやピアニストとしてのレパートリーなどからも想像がつくように、ステーンハンマル初期の作品はドイツ的感覚に満ちていた。そんな彼がシベリウスの交響曲第2番を聴いて大きな衝撃を受けたのが1903年のこと。当時、妻に宛てた手紙の中で「私は、審美的な理想が間違っていることに気づいた。私の意思だけが私の魂を救うのであり、世界の美は私を助けてはくれない」と書いた内面の変化に加え、シベリウスの交響曲に対する共鳴は彼の作風を引き締まった北欧的スタイルへと変えていった。

 このように作風が変化しつつあった1906年秋から1907年夏にかけて、ステーンハンマルはイタリアのフィレンツェに滞在した。彼自身はフィレンツェにもっと長く住んでいたかったようだが、経済的な事情に加えて家庭の事情もあり、1907年秋には創設間もないヨェーテボリ交響楽団の音楽監督兼指揮者に就任した。南国の風物は彼の創作意欲を刺激し、1907年のある手紙の中で彼は「このような美しく、こわれやすい南についての詩を北国の人間にしかできないようなやり方で私は書きたい」と記している。この着想が、本日演奏される『セレナード』として結実することになる。

 『セレナード』は、後期ロマン派特有の豊穣で絢爛な響きの片鱗を窺わせながらも、抑制された清澄な響きが古典的なまとまりと風格の中に繰り広げられる、まさに燻し銀の魅力を持ったステーンハンマルの代表的名作である。1908年に作曲が始められ、大部分は1912年から翌13年にかけて書き上げられた。1914年1月、ストックホルムにて作曲者指揮の王立管弦楽団によって初演されたが、あまり評判がよくないこともあって1919年に大幅な改訂が行われた。改訂の内容は、ホ長調で書かれていた第1楽章と第6楽章をヘ長調に変更し、第2楽章「レヴェレンツァ」を独立させて全体を5楽章にまとめ直すという大規模なものであった。改訂版は1920年3月に同じく作曲者指揮のヨェーテボリ交響楽団によって行われた。

 本日演奏されるのは改訂版である。第1楽章「序曲」はソナタ形式で、生気溢れる溌溂とした主題と抒情的なエピソードとの対比が美しい。第2楽章「カンツォネッタ」は、ためらいがちに前進するワルツのリズムが印象的。クラリネット独奏による導入部の後、カールフェルトの詩による未出版の歌曲「五月の夜の声」のスケッチが現れる。第3楽章「スケルツォ」は、目まぐるしいまでの気分の変化と独特の和声感覚が特徴的であり、野性味溢れるフィレンツェのカーニヴァルが下敷きになっている。第4楽章「ノットゥルノ」はいかにも“北欧的な抒情”を感じさせる歌謡楽章。ここでは第2楽章「カンツォネッタ」とは対照的に、スウェーデンの民俗的な語法がさりげなく用いられている。これら中間の3つの楽章は、アタッカで続く一つのブロックを形成している。第5楽章「フィナーレ」では、ステーンハンマルとしては異例なほど強くスウェーデンの民族ロマン主義を感じさせる冒頭のホルンのメロディーに続いて、性格の違う二つの楽句が交互に現れる。

 北欧音楽といえばすぐに北欧の自然と結び付けられることが多いが、ステーンハンマルの作品、中でもこの『セレナード』においてはそうした直接的な自然描写や民族感情の投影は注意深く避けられている。それでいて我々が一般に持つ“北欧的”な雰囲気を色濃く持つ一方、南国フィレンツェの穏やかな陽光を思わせる明るさにも満ちている。聴き手によって思い浮かべる心象風景が全く異なる、そんな透明な存在感がこの作品の一番の魅力かもしれない。

かぶとやま交響楽団 第24回定期演奏会(2001年1月27日)

theme : クラシック
genre : 音楽

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【楽曲解説】アリアーガ:歌劇「幸福な奴隷」序曲

Juan Chrisóstomo Jacobo Antonio Arriaga y Balzola
ファン・クリソストモ・ヤコボ・アントニオ・アリアーガ・イ・バルゾーラ(1806~1826)


Los Esclavos Felices Overture
歌劇「幸福な奴隷」序曲



 全く長い名前である。ヨーロッパの由緒正しい家にはこういう名前が多いようで、人気劇画『ゴルゴ13』の第288話「ドイツはひとつ」(SPコミックス第91巻所収)には、西ドイツ選出欧州議会議員“フランツ・ヨーゼフ・オットー・フォン・ハプスブルグ・リンデンバウム”というハンガリーの貴族(カール四世の長男)が登場する。名前を呼び損なった報道記者に対して「名前ぐらい覚えときたまえ」とのたまうが、それは酷というものだろう。有名なところでは、画家のピカソの本名が“パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピニャーノ・デ・ラ・サンテシマ・トリニダッド・ルイス・ブランスコ・ピカソ”という驚異的な長さ。我が日本にも、“寿限無寿限無、五劫のすり切れ(ず)、海砂利水魚の水行末、雲行末、風来末、食う寝る所に住む所、やぶら小路ぶら小路(藪柑子とも)、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助”という名前があるにはあるが、これは檀那寺の和尚さんがロクでもないだけで、別に公家の名前でも何でもない。

 さて、名前の長さに反比例して、アリアーガの生涯は短い。1806年1月27日にスペインのビルバオに生まれ、20歳の誕生日を目前にした1826年1月17日にパリで客死した。アリアーガが生まれる丁度50年前の1756年1月27日は、あのウォルフガング・アマデウス・モーツァルトの誕生日であり、同じく夭折したことからアリアーガのことを“スペインのモーツァルト”と称することも多い。

 彼は幼少の頃からヴァイオリンを弾き、作曲もしていたという。15歳になる前に生涯唯一の歌劇「幸福な奴隷」を作曲するという神童ぶりを発揮する。ただしこの作品は、本日演奏される「序曲」の他、いくつかの室内楽風器楽曲から構成されたもので、一般に歌劇という言葉から想像されるような大規模な作品ではなかったようだ。正確な日時は不明だが、この歌劇は作曲後間もなく初演された。

 今日この歌劇が全曲演奏されることはほとんどなく、「序曲」のみが比較的よく取り上げられる。まだ正規の音楽教育を受ける以前の作品であり、特に対位法的な技術はまだまだ稚拙であることは否めないが、その瑞々しい歌心と和声の感覚は、若干15歳に満たない素人の作品というにはあまりにも魅力的である。また、自らヴァイオリンを弾いていたこともあってか、ヴァイオリン・パートに技巧的なパッセージが多いのも特徴的である。

 この作品を仕上げた後、アリアーガはパリの音楽院に入学してヴァイオリン奏法と共に和声学と対位法を学ぶ。「自分の才能だけで、既に作曲技法の初歩的な部分を習得している」と音楽院で評されたことは、本日演奏される「序曲」からも明らかであろう。

 2年間の勉強を経て、アリアーガは1823年に優秀な成績でその課程を修了する。専門的な訓練を受けたことで彼の才能は開花し、交響曲や3つの弦楽四重奏曲をはじめとする忘れ難い個性的な作品を生み出していく。技法という点においては、独自のスタイルを確立する前に死が訪れたと言わざるを得ないだろうが、“スペインのモーツァルト”というよりはむしろ“スペインのシューベルト”を思わせる美しく歌に溢れた品の良い抒情性は、彼の豊かな才能を存分に感じさせ、またその早すぎる死を惜しませる。

かぶとやま交響楽団 第24回定期演奏会(2001年1月27日)

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【楽曲解説】ショスタコーヴィチ:ロシアとキルギスの民謡による序曲

Дмитрий Дмитриевич Шостакович
ドミートリィ・ドミートリェヴィチ・ショスタコーヴィチ(1906~1975)


Увертюра на русские и киргизские народные темы соч.115
ロシアとキルギスの民謡による序曲 作品115



 ドミートリィ・ドミートリェヴィチ・ショスタコーヴィチ(今年没後二十五年を迎えた)がキルギス共和国を訪れたのは1963年6月1~10日、キルギスのロシアへの自由加盟(1863年にロシア帝国がキルギス人の大部分が住む北キルギスタンを領有したことを指す。すなわち事実上の征服)百年祭と同時に開催されたロシア・ソヴィエト音楽旬間へ出席した時のことだった。

 1960年9月14日、ショスタコーヴィチは作曲家同盟合同党組織全体会議においてソ連共産党員候補に推薦され、翌年9月にモスクワ作曲家組織の公開党会議で正式にソ連共産党員として承認された。1961年にはレーニンの思い出に捧げた交響曲第12番「1917年」作品112を作曲し、いかにも従順で模範的な共産党員のような素振りを見せたショスタコーヴィチだが、それと引き換えに1936年に作曲された後にプラウダ批判の影響で長らくお蔵入りしていた交響曲第4番作品43の初演を果たす。そして翌1962年にはエヴゲーニイ・エフトゥシェーンコの詩につけた問題作、交響曲第13番作品113を発表する。ここには、共産党員としての立場を最大限に利用するショスタコーヴィチのしたたかさが見られる。

 1956年のスターリン批判以降多くの政策が転換を迫られたが、キルギスのロシアへの自由加盟百年祭というのも当時の民族政策を反映した行事だと考えられる。そして、共産党員であるショスタコーヴィチがそれを祝う作品を作曲することは、いわば当然のことだったのだろう。

 作曲は1963年初秋頃、レニングラード(現サンクト・ペテルブルグ)郊外のレーピノで行われた。1963年10月10日または11月10日にモスクワでイワノフ指揮のソヴィエト国立交響楽団によって初演され、同年11月2日には、キルギス共和国の首都フルンゼ(現ビシュケク)でも演奏されている (演奏者は不明)。

 序奏付きのソナタ形式によるこの曲は、ロシアの民謡「Эх, бродяги вы, бродяги(おぉ、放浪の人よ)」(A. メドヴェージェフによって1959年に西シベリアのオムスク州で採譜された)と、キルギスの民謡「Тырылдан(ティリルダン:キルギスの神話的な人物の名前)」「Оп майда(オプ、マイダ:脱穀する人の歌)」(1956年刊のV. ヴィノグラドーフによるキルギス民謡集に所収)という3つの旋律が元になっている。ここでロシアの民謡としてあまり知られていないシベリア地方の民謡を取り上げたのは、ショスタコーヴィチの両親が共にシベリアの出身であったことが影響しているのかもしれない。

 序奏はModeratoで、木管楽器のユニゾンによる主題(ティリルダン)によって開始される。Allegro non troppoの主部に入るとすぐに、ホルンのソロで奏される第1主題(おぉ、放浪の人よ)が現われる。いかにもショスタコーヴィチらしい転調を含む盛り上がりを見せた後、第1ヴァイオリンがD線の開放弦を伴って第2主題(オプ、マイダ)を奏する。金管楽器によって第2主題が繰り返された後、特徴的な第1主題の変形が現われ、提示部を終える。この変形は、第2主題に近い雰囲気も持っており、「キルギスのロシアへの自由加盟」を象徴するような役割を担っているとも考えられる。加えて、リズムの構成がいかにもショスタコーヴィチ的で大変効果的である。

 展開部では、序奏の旋律を中心にして第1主題の前半部分と第2主題とが自由に展開される。全体の雰囲気は極めて勇壮で、ショスタコーヴィチの手慣れたオーケストレイションが高揚感を自然に表出している。盛り上がりが頂点に達したところで第1主題の変形が再び現われ、展開部を締めくくる。型通りに第2 主題と第1主題が再現された後、第1主題の変形をはさんで序奏の旋律が印象的に奏され、クライマックスを築く。ここで冒頭のキルギス民謡の主題が力強く登場することは非常に効果的で、ロシア帝国によって(事実上)征服されたキルギス人の魂の叫びを感じることもできよう。小休止後のコーダでは、第2主題(これもキルギス民謡)を弦楽器が演奏し、テンポがAdagioからAllegroまで早められた後、あたかも「キルギスのロシアへの自由加盟」を意固地に主張するかのように第1主題の変形が三度繰り返される中で速度と音量を増し、圧倒的な勢いの中で華やかに曲は閉じられる。

かぶとやま交響楽団 第23回定期演奏会(2000年6月3日)

theme : クラシック
genre : 音楽

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プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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