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オネゲル作品集(フルネ指揮)


  • オネゲル:交響的楽章第2番「ラグビー」、交響的楽章第1番「パシフィック231」、コンチェルト・ダ・カメラ、夏の牧歌、交響曲第3番「典礼風」 フルネ/オランダ放送PO (DENON COCO 70425)
毎度のことながら、宝塚市交響楽団の第46回定期演奏会に、エキストラ出演させてもらえることになった。今回のプログラムは次の3曲:
  1. オネゲル:交響的楽章第1番「パシフィック231」
  2. ラヴェル:組曲「クープランの墓」
  3. シベリウス:交響曲第5番
ラヴェルは降り番(以前、かぶとやま交響楽団が同曲を第35回定期演奏会でやった時は、所用で演奏会に参加することができず。どうも、この曲には縁がなさそうだ…)なので、準備が必要なのは2曲。シベリウスの第5番は、20世紀末に2回弾いたことがあるので、身体はともかく、頭は曲を覚えている。

ということで、まずはオネゲルに集中しようとAmazonでスコアを買い、CD棚を物色して何とか1枚(メッツマッハー/ハンブルグ州立PO 「誰が20世紀音楽を恐れるか?」第2巻)を見つけ出して、ざっと聴いてみる。有名な作品なので、もちろん名前は知っていたし、たとえば黛敏郎時代の「題名のない音楽会」などで聴いたこともあるような気もするのだが、全く印象に残っていない。明らかに具体的な情景(?)を描写しているのだが、キワモノ臭は全くせず、リズムが生みだす動的な力感がとても魅力的な作品だ。

そもそもフランス音楽にあまり関心がないので、オネゲルの作品にはほとんど馴染みがない。すぐに思いつくところで、ムラヴィーンスキイ指揮の交響曲第3番と、小澤指揮の「火刑台上のジャンヌ・ダルク」くらいしか聴いた記憶がない(他に、BOXセットやLPのフィルアップで数曲を架蔵しているようだが、どんな曲だったか、全く思い出せない程度にしか聴いていない)。そこで、いわゆる“定盤”も聴いておきたいと考えて、Tower Records難波店へ。

そこで選んだのが、フルネ/オランダ放送POの1枚。有名どころが一通り入っていて、しかも安い(店頭では“15% OFF”のシールが貼ってあったので、さらに安かった)。そして何より、実に見事な演奏である。しっかりとした造形の上で、これ見よがしではない色彩感に富んだ響きが繰り広げられている。パシフィック231などは、僕にとってはこの1枚あれば十分といった感じ。ゆったりとしたテンポが凄味すら感じさせる交響曲も素晴らしく、今まで感じることのなかった作品の魅力に気付かされた。

家の楽譜棚には、オネゲルの無伴奏ヴァイオリン・ソナタの楽譜もあるのだが、フェラスの録音は廃盤になって久しいようで、Amazonのマーケットプレイスでも結構な値段がついている。再発されないかなぁ…



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tag : 作曲家_Honegger,A. 演奏活動_宝塚市交響楽団

テレビっ子な一週間

  • リームスキイ=コールサコフ(マルトィーノフ編):歌劇「ムラーダ」より「貴族たちの行列」、ムーソルグスキイ(ポージン編):交響詩「はげ山の一夜」、ショスタコーヴィチ(イヴァーノフ編):祝典序曲、ムーソルグスキイ(レプニコフ編):組曲「展覧会の絵」  レプニコフ/マリイーンスキイ歌劇場管弦楽団ブラス・アンサンブル (2007.11.2 録画 [NHK BS-hi(2009.6.16)])
  • ブルックナー:交響曲第7番  ウェルザー=メスト/クリーヴランドO (2008.9.25 録画 [NHK総合(2009.6.19)])
  • BS世界のドキュメンタリー BS20周年選 シリーズ ユーゴスラビアの崩壊 ([NHK BS-1 (2009.6.14~19)])
  • BS世界のドキュメンタリー BS20周年 シリーズ 1989からの出発 ルーマニア 民主国家への苦闘 ~流血革命より20年~ ([NHK BS-1 (2009.6.20)])
観たい番組が続いた一週間だった。まずは、以前、2008年11月21日に放送された際に録画し損なった演奏会の再放送である。

ゲールギエフが率いるマリイーンスキイ歌劇場管弦楽団の金管奏者達によるアンサンブル。放送されたのは4曲だったが、実際のプログラムは次のようなもの:
  1. リームスキイ=コールサコフ(マルトィーノフ編):歌劇「ムラーダ」より「貴族たちの行列」
  2. ムーソルグスキイ:歌劇「ホヴァーンシチナ」より「モスクワ川の夜明け」
  3. ムーソルグスキイ(ポージン編):交響詩「はげ山の一夜」
  4. ショスタコーヴィチ:映画音楽「馬あぶ」より「人民の祝日」
  5. オブロフ:金管五重奏のための組曲「おとぎ話のイメージ」より「バーバ・ヤガー」「アリョーヌシュカ」「サルタン王」
  6. ショスタコーヴィチ(イヴァーノフ編):祝典序曲
  7. ムーソルグスキイ(レプニコフ編):組曲「展覧会の絵」
  8. ムーソルグスキイ(レプニコフ編):組曲「展覧会の絵」より「卵の殻をつけた雛の踊り」【アンコール】
前半5曲は金管五重奏(2Tp、Hr、Tb、Tub)、後半2曲はブラス・アンサンブル(4Tp、2Hr、4Tb、Tub、2Perc)による演奏。

確かに吹き損じも少なからずあるのだが、このプログラムを考えるならば、まず、そのスタミナに驚嘆せざるを得ない。面白かったのは、アンサンブルが意外に緩かったこと。それでいて、乱れたり不統一を感じさせたりはしない。音色にロシア臭はあまりないのだが、こういうアンサンブルの作り方がロシア風なのかもしれない。

宝塚市交響楽団の第45回定期演奏会(6月21日)で演奏するブルックナーの第7番が、タイミングよくNHKの芸術劇場で放送された。まずは、オーケストラの機能性の際立った高さに感服。全てに余裕がありつつも、全ての奏者に主体的に音楽を作り出そうとする姿勢が見てとれ、オーケストラの理想的な姿と言ってよいだろう。アメリカのオーケストラらしく、金管楽器の威力も十分だったが、ヨーロッパの有声音のような発音に比べて、無声音風なアメリカの金管は、僕の好みではない。もちろん、これはその巧さを否定するものではないが。問題(?)は、ウェルザー=メストの指揮。早めのテンポは別に悪くないのだが、おそらくは流麗な音楽の流れを意図しているにも関わらず、音楽は上滑りしているだけ。奏者は一生懸命歌おうとしているし、指揮者もこの長大な作品をしっかりと見通した設計をしているのだが、楽曲のどこも心に引っかからないままに終わってしまうような印象しか残らない。宇野巧芳先生のようにブルックナーを語るつもりはないが、僕はこういうブルックナーを好まない。

今週…というより、近年最も夢中になって観たのが、「ユーゴスラビアの崩壊」というドキュメンタリー。「私たちは20世紀に生まれた」というブログ(6月15日の記事)でたまたまこの番組を知り、第2回目からの視聴となった。各回のタイトルは以下の通り:
  • 第1回:民族主義の台頭
  • 第2回:戦争への道
  • 第3回:独立戦争
  • 第4回:地獄の門
  • 第5回:安全地帯
  • 第6回:アメリカによる和平
旧ユーゴスラビアの人々が直面したとてつもない悲劇は、知識としては知っていたし、当時のニュース等も興味を持って見ていたような記憶はある。だが、こうやって一つの流れとしてまとめてみると、呑気に面白がって感想を述べることが憚られるほどの悲惨さに言葉もない。素晴らしいドキュメンタリーだった。第1回目を見逃したのが口惜しい。再放送しないかなぁ。ちなみに、ユーゴスラビアに関心のある方には、坂口尚の「石の花」もお薦めしておきたい。




続いてルーマニアのドキュメンタリーも録画したが、こちらは演奏会が終わってから観よう。さて、これから宝塚市交響楽団の本番。いってきます。

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genre : 音楽

tag : 作曲家_Bruckner,A. 演奏活動_宝塚市交響楽団

ブルックナー:交響曲第7番


  • ブルックナー:交響曲第7番(ハース版) カラヤン/ウィーンPO (DG 429 226-21)
  • ブルックナー:交響曲第7番(改訂版) シューリヒト/ハーグPO (Denon COCO-6591)
  • ブルックナー:交響曲第7番(改訂版) シューリヒト/ベルリンPO (KEN Records M-1037 [LP])
  • ブルックナー:交響曲第7番(ハース版) 朝比奈隆/大阪PO (Victor KVX-5501-2 [LP])
宝塚市交響楽団の第45回定期演奏会(2009年6月21日、いたみホール)で、ブルックナーの交響曲第7番(ノーヴァク版)を弾かせてもらうことになった。正直なところ、ブルックナーの音楽は嫌いではないのだが、かといって特別好きなわけでもない。第3番以降は各曲1枚以上の音盤を持っているものの、第9番をたまに聴くくらいで、他の作品を引っ張り出すことはまず滅多にない。第7番には好印象があったが、それでも架蔵している音盤はLPとCDそれぞれ2種類の計4枚のみ。

せっかくの機会なので、とりあえずCDを聴きながら、版の問題も含めて勉強してみるかと、張り切って初版(改訂版)のスコアと音楽之友社のスコア(ノーヴァク版)とを見比べてみる。……が、第7番は、ブルックナーの交響曲としては例外的に版の問題がほとんどない作品らしい。特にノーヴァク版と改訂版には、一聴して明らかな違いはごくわずかしかないことを知り、ちょっと肩透かし。だから、ハース版のスコアまで入手するのは見送った。

ともかく、きちんと聴き込むにつれ、実に素晴らしい作品だと今更ながらに思った次第。白眉が第2楽章であることは明らかだが、とってつけたような軽さに何となく違和感を感じていた終楽章にも、自分の中で納得がいくようになった。

持っている音盤を聴き直してみたが、カラヤン最後の録音となった一枚が群を抜いて素晴らしい。荘厳でありながらも華麗な響きと、極限まで澄みきった抒情の美しさが比類ない。宇野巧芳氏の解説が楽しいシューリヒト/ハーグPO盤は、確かに枯淡の味わいや第3楽章の引き締まったテンポと音楽の流れは傑出しているが、オーケストラの性能に物足りなさが残る。この25年近く前に録音されたシューリヒト/ベルリンPO盤の方が、清澄で余裕のある明るさという点でより魅力的に感じられる。朝比奈/大阪POによる聖フロリアン修道院マルモア・ザールでのライヴ盤(1975年)は、言わずとしれた名盤、とされているもの。大学の先輩が下宿を引き払う際に譲ってもらったLPで、各楽章がLPの各面に収録されている。第2楽章は、全てが本当に素晴らしい。続く第3楽章も集中力の高い立派な演奏。ただ、第1楽章は会場の響きや雰囲気に対する戸惑いもあったのだろうが、生硬さが気になるし、第4楽章はスケールが大き過ぎて何が何だか訳がわからない感じ。何より、オーケストラの非力さ、特に音程の悪さがどうしても気になってしまう。この演奏の記念碑的な意義や内容の素晴らしさを認めることにやぶさかではないが、唯一無二の名盤とまで言ってしまうのは、贔屓の引き倒しのように思える。

ついでにYouTubeも検索してみると、ヨッフム最後の来日公演の映像があった。この演奏はAltusレーベルでCD化(ALT-015/6)されているが、僕は未聴。これがまた、とても、とても素晴らしい。細部まで目を光らせつつも音楽は淀みなく雄大に流れ、安っぽい感傷に溺れることのない剛毅な抒情が崇高ですらある。最晩年の老人にしか見えない身体から繰り出される、異様なまでに若々しくエネルギッシュな棒の力は、奏者だけではなく、観る者までも引き込んでしまう圧倒的なもの。CDではなく映像ソフトで持っていたい……と思って調べてみたら、同じくAltusレーベルで既にDVD化(ALTDVD-008)もされていた。買わねば。

第1楽章(1)第1楽章(2)
第1楽章(3)第2楽章(1)
第2楽章(2)第2楽章(3)
第3楽章(1)第3楽章(2)
第4楽章(1)第4楽章(2)
ブルックナー:交響曲第7番
ヨッフム/ロイヤル・コンセルトヘボウO(1986年9月17日 東京文化会館)

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【楽曲解説】ショスタコーヴィチ:交響曲第10番

Дмитрий Дмитриевич Шостакович
ドミートリィ・ドミートリェヴィチ・ショスタコーヴィチ(1906~1975)


Симфония No. 10 ми минор соч. 93
交響曲第10番 ホ短調 作品93



 昨年は没後35年、そして今年は生誕100年と節目の年が続いたこともあり、最近では演奏会のプログラムにショスタコーヴィチの名前を見かけることも珍しくなくなってきた。とりわけ、生涯に渡って書き続けられた15曲に及ぶ交響曲は彼の創作上の大きな柱とでも言うべき特別な存在で、実演や録音で取り上げられることが多い。ショスタコーヴィチの交響曲は、各楽章や個々のエピソードの性格付けがはっきりとしていて、標題の有無に係わらず聴き手に具体的なイメージを想起させることが少なくない。それは、彼が生きたソ連という国家体制の特殊性が深く刻まれた、社会や時代の雰囲気を色濃く反映したものである。それでいて、散漫な組曲的構成に陥ることなく、独特の論理的な感覚で作品全体を巧妙に統一しているところが彼の際立った特長だといえるだろう。交響曲第10番は、このようなショスタコーヴィチのエッセンスが極めて高い完成度で凝縮された傑作である。

 まずは、作品の成立背景について簡単に辿ってみよう。1948年、ジダーノフ批判と呼ばれる文化・芸術分野におけるイデオロギー統制が行われた。創作活動に対するこのような抑圧的傾向は、1953年にスターリンが死去したことで微妙に変化を始める。ショスタコーヴィチが8年振りに交響曲の筆をとったのは、このように新たな時代の到来に大きな期待を寄せる者、一方でスターリン主義の呪縛から解放されていない者、両者が手探り状態の中でのことだった。1953年12月17日の初演後、すぐに「第十論争」と呼ばれる反響と議論が巻き起こった。ここでは、全曲中における終楽章のバランスと作品の持つ悲劇性の二点が主な論点であったが、スターリンの死によって引き起こされたソ連社会のイデオロギー的な混乱と戸惑いの中、この作品が当局の新たな芸術政策に対して重大な影響を及ぼしたことは明らかだった。

 ショスタコーヴィチはこの作品の内容について「ひとことだけいえば、この作品のなかでは、人間的な感情と情熱とをえがきたかったのである」と語っている。とりわけ意味深長なのは、第3楽章で現れて終楽章コーダで執拗に繰り返される自身の音名象徴のDSCH音型(この音型が移調などをせずに使われた、最初に公表された作品がこの交響曲である)である。これは、第1楽章冒頭の動機とも関連していて、全曲を統一する鍵となっている。文字通り主要楽章である第1楽章では、展開部に異質なエピソードを挿入して巨大なクライマックスを築く独自のソナタ形式が駆使されるが、それぞれに明確な役割を担う弦楽器(集団の感情)、木管楽器(個人の痛み、叫び)、金管楽器(荘厳な野蛮さ、威圧)、打楽器(無機質な暴力)は楽章を通じて互いに交わることがない。第2楽章は「悪の力の形象」とも評された急速で短いスケルツォ楽章。徹底して暴力や野蛮さが表現されるこの楽章の冒頭主題は、第4楽章でDSCH音型と交差する形で再び現れる。もう一つのスケルツォである第3楽章の中心主題は、DSCH音型である(楽章冒頭の第1主題もこの音型に由来する)。これと対比するように中間部でホルンが奏するEAEDA音型は、モスクワ音楽院の教え子エリミーラ・ナジーロヴァの音名象徴であることが、ショスタコーヴィチが彼女に宛てた書簡から明らかになっている。最終楽章は、第1楽章結尾の雰囲気を引き継ぐ序奏から始まる。ここで断片的に示されるそれぞれに性格の違う動機は、クラリネット(第1楽章の第1主題もこの楽器で提示される)のどこか調子はずれな合いの手で突入する主部の第1主題に結実する。通俗的な音調が狂乱の度合いを高め、ひときわ暴力的な様相を呈していく展開部はDSCH音型の最強奏で断ち切られ、再現部では序奏を含む全ての主題が律儀に回帰するが、そこには戸惑うようなぎこちなさが伴い、半ば強引に大団円を演出するかのようにティンパニがDSCH音型を乱打する中、長調で全曲が結ばれる。

 多少なりともショスタコーヴィチの生涯に対する知識を持ち合わせているならば、この音楽の中にスターリン時代を生きたショスタコーヴィチの自伝的側面を聴き取ることは容易であろう。しかし、いかなる国や時代の聴き手にとっても、そこに自分自身の考えや理想を見出すことができる作品こそが芸術として後世に残るのであり、この交響曲もまた、そうした普遍的な内容と価値を有した偉大な芸術作品であるがゆえに、我々の心を強く捉え続けているのだろう。

宝塚市交響楽団 第41回定期演奏会(2006年12月17日)

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読書の秋・演奏会の秋

asabuki.jpg
  • 朝吹英和:時空のクオリア, ふらんす堂, 2008.
  • 片山杜秀:音盤考現学(片山杜秀の本 1), アルテスパブリッシング, 2008.
  • 片山杜秀:音盤博物誌(片山杜秀の本 2), アルテスパブリッシング, 2008.
文学、というか文芸一般には非常に疎く、要するに文学音痴なので、詩の類は必要に迫られない限りまず読むことがない。その“必要”というのも十中八九は音楽絡みなので、邦人作家の作品に触れることは、極めて稀である。

先日、職場に一冊の本が届いた。まったくもって失礼ながら、送り主の名前に見覚えはなく、しかも俳人だと知るに至り、一体なぜ?と暫し考え込んでしまった。しかし、ざっと目次に目を通し、兎に角も読み始めてみると、そうした疑問は霧消。それはクラシック音楽作品、あるいは作曲家を題材にしたエッセイ集で、特に「伍藤暉之とドミトリー・ショスタコーヴィチ、その交響的序論」「『静寂のうちに、ものがたる余裕』――森永かず子のエッセイに寄せて」という2編のエッセイにて、ショスタコーヴィチを取り上げていた。

もっとも、文中でショスタコーヴィチやブルックナーをはじめとする作曲家達の生涯や代表作に触れられているとはいえ、本書を音楽書に分類するのは適当でないだろう。著者の音楽に対する造詣の深さはどのページからも読み取ることができるが、本書を通じて感じるのは俳句という形態を通して示される言葉(日本語)の持つ多様な広がりの素晴らしさだ。したがって、文中で展開されている音楽論の是非を問うことは、そもそも無意味だろう。音楽を説明するための言葉ではなく、音楽が表現しているであろう意味世界を、俳句を通して思索する。全編を貫くそんな雰囲気が、とても心地好い一冊である。たっぷりと時間をかけて味わうように読みたい。

『レコード芸術』誌の連載記事「傑作!?問題作!?」をまとめた片山杜秀氏の著作は、刊行から半年以上も経ってようやく購入。。まさに博覧強記と形容する以外にない氏の真骨頂と言って過言でないだろう。とにかく面白い。話の切り口も面白ければ、主張そのものも面白い。シチェドリーンは、なるほどこう聴くのか!ミャスコーフスキイの交響曲に、こういうストーリーを見出すことができるのか!などなど。文中に出てくる音楽や映画の全てを知らないことを、これほどまでに口惜しい気分にさせてくれる本も珍しい。僕の関心がある分野が占める割合は決して大きくないが、こういう本は常に手の届くところにおいておきたいものだ。

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片山杜秀の本(2) 音盤博物誌片山杜秀の本(2) 音盤博物誌
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話は変わるが、2週続けてオーケストラの本番だった。
宝塚市交響楽団第44回定期演奏会
  • モーツァルト:歌劇「魔笛」序曲
  • ベートーヴェン:交響曲第1番
  • チャイコーフスキイ:交響曲第6番「悲愴」
  • タラのテーマ(映画「風と共に去りぬ」より)【アンコール】
2008年11月16日(日) 堤俊作(指揮) 兵庫県立芸術文化センター大ホール
かぶとやま交響楽団第38回定期演奏会
  • ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」
  • メンデルスゾーン:劇音楽「真夏の夜の夢」より
  • アイヴス:交響曲第1番
2008年11月22日(土) 中村晃之(指揮) 伊丹アイフォニックホール
宝塚市交響楽団は創立25周年、かぶとやま交響楽団の方は創立20周年の記念演奏会と銘打たれていたが、両者ともに記念だから何か特別なことを…という意識はなかったと思われる。どちらもエキストラという立場での出演なので、演奏会そのものにコメントすることはないが、どちらもそれぞれにハードなプログラムではあった。前者の演奏会終了後、打ち上げの二次会で堤先生から日が変わるまで色々なお話を聞かせていただいたのは、思わぬ収穫だったけど。しかし、「悲愴」に「新世界より」って……コバケンでもあるまいし、我ながら似合わないなぁ。

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tag : 演奏活動_宝塚市交響楽団 演奏活動_かぶとやま交響楽団

プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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