【楽曲解説】ドビュッシー:弦楽四重奏曲

Claude Debussy
クロード・ドビュッシー(1862~1918)


Quatuor à cordes en sol mineur, opus 10
弦楽四重奏曲 ト短調 作品10



 普仏戦争(1870~1)の敗戦を機に高揚したフランスのナショナリズムは、音楽界においては「国民音楽協会」の設立をもたらしました。そして、発起人の一人であるサン=サーンス(1835~1921)やフランク(1822~90)、フォーレ(1845~1924)といった作曲家達が、近代フランス音楽の幕を開けることになります。そこでは、ワーグナー(1813~83)の圧倒的な影響下から出発しつつも、一方で脱ワーグナーが模索されました。それは、脱ロマン主義、脱ドイツ音楽を意味していました。
 今年没後100年を迎えたドビュッシーが国民音楽協会に入会したのは1889年のことですが、同年のパリ万国博覧会でインドネシアの民族音楽ガムランに接したり、ワグネリズムの限界を悟ってアンチ・ワグネリアンに転向したり、象徴派の詩人マラルメ(1842~98)の知己を得たりするなど、この年は彼にとって大きな転機となりました。その4年後、31歳の若きドビュッシーが発表したのが、この弦楽四重奏曲です。国民音楽協会の定期演奏会においてイザイ四重奏団が初演し、同団に献呈されました。
 この作品には、こうした背景が全て反映されています。古典的な楽章構成と、「作品10」という堅苦しい番号付け(本作以外にドビュッシーが作品番号を付けた楽曲はありません)にはサン=サーンスの保守主義が、3つの楽章で採用されている循環形式にはフランクの影響が、そして循環主題でもある第1楽章冒頭の第1主題にフリギア旋法が用いられていることにはフォーレの和声の趣味が、それぞれ投影されていることは明白です。その上で、機能和声(心地よく感じられる和声の進行)からの逸脱、調性感(長調・短調)の不明瞭化、個々の和声が持つ色彩を重視した音響感覚、声部間で異なるリズムを用いてリズムの輪郭を曖昧にすることなどの、ドビュッシー独自の作曲技法が余すところなく披露されています。さらに、この曲の和声の連なりにガムランの影響を指摘する向きもあり、ロシア五人組にも影響を受けていたドビュッシーの異国趣味の片鱗も窺うことができます。
 ドビュッシーの音楽は、上述した彼の作曲技法が、外光を表現するための色彩理論や輪郭線の処理といった印象派の絵画の技法に類比できることから「印象主義」とされますが、彼の創作の根本にあったのは「象徴主義」でした。ドビュッシーは師ギロー(1837~92)に、こう語っています:「言葉が表現する力のなくなったところ、そこから音楽がはじまる。いうにいわれぬもののために、音楽が作られる。影から出てきたような気配があって、そして瞬時にしてそこに戻ってしまう、そんな音楽。いつも控え目にしているひとみたいな、そんな音楽が書きたいのです」。循環主題が唯一現れない第3楽章の、揺れ動く和声の中に流れる洗練された、それでいて官能的な旋律が醸し出す個性的な雰囲気は、こうしたドビュッシーの芸術の極致と言えるでしょう。


シュペーテ弦楽四重奏団 第8回公演(2018年4月14, 22日)

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tag : 作曲家_Debussy,C. 演奏活動_DasSpäteQuartett

【楽曲解説】シューベルト:弦楽四重奏曲第12番「四重奏曲断章」

Franz Peter Schubert
フランツ・ペーター・シューベルト(1797~1828)


Streichquartett Nr. 12 c-moll, D 703 „Quartettsatz“
弦楽四重奏曲第12番 ハ短調 D 703「四重奏曲断章」



 シューベルトが弦楽四重奏曲第11番ホ長調D 353を書いた1816年は、彼が職業作曲家を自身の進路として自覚するに至った年です。この年以降、後にシューベルティアーデと呼ばれることになる友人達の集いの始まりや、自作の初の公開演奏、歌劇をはじめとする劇場作品への取組みなど、それまでとは一線を画す創作活動が展開されていくことになります。それはまた同時に、世間の評価との闘いの始まりでもありました。その結果、1819~23年頃のシューベルトは、特に器楽曲の分野において大きなスランプに陥ってしまいます。この第12番は、まさにこうした苦悩の最中の1820年に着手されました。
 第2楽章を41小節書いたところで放棄されてしまったために「断章」の名で呼ばれるこの作品は、緊迫感の漲る悲劇的な性格と、徹底して旋律的な動機、再現部を第2主題で開始するアーチ型の楽曲構造など、シューベルトの個性が存分に発揮されているだけでなく、古典派の枠を超えてロマン派の到来を告げる完成度の高い新しさを有しています。ベートーヴェンの第12番 作品127が1825年の作曲であることを考えると、この作品の斬新さは明らかでしょう。第1楽章しか完成されなかったことは、変イ長調で書かれた第2楽章の断片の美しさゆえにつくづく残念ですが、しかしこの単一楽章はシューベルト後期の独創的な音楽世界の嚆矢とするに相応しい充実した名曲です。


シュペーテ弦楽四重奏団 第8回公演(2018年4月14, 22日)

theme : クラシック
genre : 音楽

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【楽曲解説】ハイドン:弦楽四重奏曲第41番

Franz Joseph Haydn
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732~1809)


Streichquartett Nr. 41 G-dur, Op. 33-5 (Hob.III-41)
弦楽四重奏曲第41番 ト長調 作品33-5(Hob.III-41)



 ハイドンの「ロシア四重奏曲」(1781)は、前作「太陽四重奏曲」作品20(1772)からおよそ10年を経て50歳を目前にしたハイドンが世に問うた、新たな工夫に満ちた6曲から成る曲集です。その5曲目である第41番は、彼の弦楽四重奏曲の中で初めて冒頭に序奏部が置かれた作品です。初版時は曲集の1曲目にこの作品が配置されていたことと関係があるのかもしれません。19世紀の英国では、この序奏がお辞儀の仕草を想起させることから「ご機嫌いかが」「挨拶」などの副題が付けられました。
 この軽妙で簡潔な序奏で始まる第1楽章は、序奏の動機が楽章全体に渡って活用され、序奏のエコーで閉じられます。第2楽章は、一転して短調の物悲しく美しい旋律を第1ヴァイオリンが連綿と歌い上げる歌謡楽章。グルック(1714~87)のオペラのアリアを思わせる、抒情的かつ劇的な音楽です。スケルツォの名に相応しい諧謔味を湛えたリズムの工夫が愉しい第3楽章に続き、シチリアーナの主題による変奏曲で全曲が終えられます。バロック期に大流行した舞曲であるシチリアーナを終楽章に採用したのは、同じく古い形式であったフーガを「太陽四重奏曲」中の3曲で終楽章に用いたことと呼応するのかもしれません。一聴してすぐにお気づきになられると思いますが、この主題を短調に変えて同じく変奏曲に仕立てたものが、モーツァルトの第15番ニ短調KV421の終楽章です。「ロシア四重奏曲」と「ハイドン・セット」とを結ぶ、ハイドンとモーツァルトとの親交を窺わせる楽章と言ってもよいでしょう。
 なお、「ロシア四重奏曲」という呼称は、この曲集がロシア大公(エカチェリーナ2世の息子で、後のロマノフ朝第9代皇帝パーヴェル1世)に献呈されたことに由来します。ベートーヴェンの「ラズモフスキー四重奏曲」とは異なり、音楽面でロシアに関係する要素はありません。


シュペーテ弦楽四重奏団 第8回公演(2018年4月14, 22日)

theme : クラシック
genre : 音楽

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【楽曲解説】モーツァルト:弦楽四重奏曲第3番

Wolfgang Amadeus Mozart
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~1791)


Streichquartett Nr. 3 G-dur, KV 156 (134b)
弦楽四重奏曲第3番 ト長調 KV 156 (134b)



 「あの子(ヴォルフガング)は今、退屈なので四重奏曲を書いています」(1772年10月28日)と父レオポルドが手紙に記しているように、3回目のイタリア旅行中であった16歳のモーツァルトが退屈しのぎに書いたとされる6曲の弦楽四重奏曲が、いわゆる「ミラノ四重奏曲」(第2~7番)です。いずれも「急・緩・急」の典型的なイタリア風の3楽章形式を採っていて、全体としては前古典派の雰囲気を色濃く残しています。当時はまだ四重奏=4人の奏者では必ずしもなく、各パートの人数は自由なものでした。しかし、この第3番でモーツァルトは初めてソロ編成、すなわち4人の奏者による演奏を指定しました。また、短調で書かれた中間楽章の暗く情熱的な感情表現は、時代を大きく先取りしたものです。なお、最初に書かれた中間楽章は父レオポルドによって「聴衆に合わない難しい曲」だとされ、書き直されました。本日演奏するのは、この「第2稿」です。


シュペーテ弦楽四重奏団 チャリティーコンサート2016(2016年10月22日)

theme : クラシック
genre : 音楽

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【楽曲解説】ボッケリーニ:弦楽四重奏曲 G.170

Luigi Rodolfo Boccherini
ルイジ・ボッケリーニ(1743~1805)


Quartetto per archi in la maggiore, G.170
弦楽四重奏曲 イ長調 G.170



 イタリア生まれの作曲家ボッケリーニは、ハイドン(1732年生)やモーツァルト(1756年生)と同時代を生きた古典派の作曲家です。チェロの名手として知られ、ウィーンの宮廷でも活躍しましたが、その後マドリッドの宮廷に招かれて後半生を過ごすことになります。自身が得意としたチェロを含む室内楽の分野、とりわけ、それぞれ100曲を超えるとも言われる弦楽五重奏曲や弦楽四重奏曲などにその手腕を遺憾なく発揮しました。当時の音楽界の中心であったウィーンから離れた地にいたせいか、ハイドンなどが志向したソナタ形式などの構造的な手法よりも、リズムや和声、旋律の感覚的な楽しさを前面に押し出した情緒的な作風で、ウィーン古典派とは異なる経路でバロックとロマン派との橋渡しを務めたともいえるでしょう。マドリッドに渡った1769年に発表された作品8(出版社によっては作品6とされることもある)の6曲は、ハイドンの作品9、モーツァルトの第1番と同時期の弦楽四重奏曲ですが、四声の対等な扱いという点では抜きん出て先進的な作品群です。本日は、この作品8の第6曲から第3楽章のみを演奏いたします。輝かしくも愉悦に満ちた音の奔流は、ボッケリーニの真骨頂です。


シュペーテ弦楽四重奏団 チャリティーコンサート2016(2016年10月22日)

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プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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