未聴LP(9・10月分)

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  • Modern Music for Strings(ショスタコーヴィチ:弦楽八重奏のための二つの小品、バルトーク:ルーマニア民族舞曲、ラフマニノフ:セレナード 作品3-5、A. シュルマン:弦楽のための夜想曲、ヒンデミット:器楽合奏のための学習用作品より S. シュルマン/ストイヴェサント・シンフォニエッタ (Columbia ML 2121 [10" mono])
  • ショーソン:ヴァイオリンとピアノ、弦楽四重奏のための協奏曲 I. オーイストラフ (Vn) ゼルツァロヴァ (Pf) ショスタコーヴィチQ (Melodiya A10 00027 006 [LP])
  • ミャスコーフスキイ:交響曲第5番 イヴァーノフ/ソヴィエト国立SO (Melodiya D-01446-7 [LP])
  • ミャスコーフスキイ:交響曲第7番、鎖の環より ギンズブルグ/モスクワ放送SO (Melodiya 33D 024003-04 [LP])
  • ミャスコーフスキイ:交響曲第16&21番 イヴァーノフ/ソヴィエト国立SO (Melodiya D 09415-6 [LP])
  • ミャスコーフスキイ:交響曲第17番 ガウク/モスクワ放送SO (Melodiya D 07395-96 [LP])
  • ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第4番、ヴェリン:PC-132弦楽四重奏曲第2番、ヴィレーン:弦楽四重奏曲第5番 サウレスコQ (Caprice CAP 1024 [LP])
  • ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第1番 ストイヴェサントQ (Columbia Set X-MX-231 [12" 78 rpm])
Ars Antiqua / Mikrokosmos Mail Order Co.で10月頭に注文した品が届いた。いつも通り船便で注文したのだが、どうやら航空便で送られてきたようだ。

シュルマン指揮による弦楽合奏曲集、その最初にショスタコーヴィチの作品11が収録されている。ジャケットには第1曲だけのように記されているが、実際には全曲が収められている。やや感傷的な歌に流れがちな気もするが、音楽の雰囲気自体は悪くない。アンサンブルそのものはごく標準的なレベルではあるが、第2曲は技術的に相当苦しい。他の曲も同じ印象だが、技術的難易度の高い曲はないので、とりたてて不満を感じることはない。

ショスタコーヴィチ関係ではこの1枚しか収穫がなかったので、何か目ぼしいものはないかとカタログを眺めていたら、I. オーイストラフ他によるショーソンのコンセールを発見。父親のD. オーイストラフ、オボーリン、ボロディンQによる同曲のライヴ録音は濃密な表情と響きが傑出した名演だが、息子のイーゴリにそのレベルの演奏を期待する方が間違っているわけで、何かのネタにでもなれば…程度の軽い気持ちで注文してみた。イーゴリのヴァイオリンは、品のないヴィヴラート、不安定な音程といった彼の特徴がよく出たもの。音楽的にも平凡。ショスタコーヴィチQはこれといった主張をすることもなく、存在感が薄い。妙だったのはピアノ。ペダルの使い方に特徴があるのだろうか、滑らかさがなく、この作品ならではの濃い雰囲気が全くと言ってよいほど表出されていない。この音盤を聴くことは、たぶんもうないだろう。

2枚だけというのも寂しいので、引き続きカタログを眺めている内に、なぜだか分からないがふとミャスコーフスキイの名が浮かんできた。今、手元にあるCDは第1、2、19、22番だけなので、とりあえずカタログを検索したところ4枚がヒットした。いずれも安価だったので全て発注。気に入った曲があれば違う演奏者の音盤も聴いてみようとは思うが、まずは“旧き佳きソヴィエト”の演奏家で全27曲を一通り聴くことができれば、と思っている。スヴェトラーノフの全集CDを買うよりは、はるかに安くおさまりそうだし。

番号順に聴いてみようということで、まずは第5番から。全曲を通して平穏な抒情美に満ちた佳曲。旋律自体が特別素晴らしいわけではないし、第1楽章などでは若干の冗長さも感じられる。しかし、それでもなお、どこか素朴さの漂う音楽的風景の魅力はなかなかのものである。イヴァーノフの土臭い音楽も、作品の魅力を一層高めている。

第7番は、うって変わって暗く劇的な内容。しかしながら、構成が散漫なのか、焦点がはっきりとしないまま延々と音楽が続いていくような感じで、率直に言って退屈した。カップリングの「鎖の環」を聴く限りでは、メリハリのある響きと思い切った歌い込みには不足していないので、こうした不満は演奏者の責任ではないのだろう。

第16番は、英雄的な柄の大きさとロマンティックな抒情とのバランスが素晴らしい、優れた作品である。第5番にもまして、イヴァーノフの音楽性との相性が良い。興味深いのは、この作品の作曲がショスタコーヴィチの交響曲第4番とほぼ同時期に進められていること。ミャスコーフスキイとショスタコーヴィチとの25歳という年齢差の故だけとは思えない作風の違いが、何とも面白い。一緒に収録されている第21番では、さらに深化した抒情性が極めて感動的である。単一楽章にまとめられた構成も緊密で素晴らしい。スターリン賞を受賞したというのも頷ける。

順序が前後したが、最後は第17番。初演者かつ作品の被献呈者であるガウクの演奏。今回聴いた曲の中では、最もロシアらしさに満ちた作品で、どこかラフマニノフの交響曲第2番を彷彿とさせるような旋律美と劇的な力強さが印象的であった。ガウク/モスクワ放送SOならではの、前時代的なホルンのヴィヴラートをはじめとする強烈なローカル色も、こうした印象を強くしている一因なのだろう。この曲なんかは、実演でも一般の受けは良いだろうし、編成もごく普通なのだから、もっと演奏されてもおかしくないと思う。

…と、ちょうど一通り聴き終えたところで、9月頭に注文した品が届いた。こちらは、きちんと船便で送られてきたようだ。

スウェーデン放送SOの首席奏者によって結成された弦楽四重奏団、サウレスコQのアルバムは、いかにも北欧の団体らしい木の香りが漂う響きが美しい。素朴で伸び伸びとした歌心はこの曲に相応しく、実に魅力的な音楽に仕上がっている。ただ、非常に残念ながら音の間違いが少なからずある。使用楽譜のミスプリントなのか、単なる譜読み上の問題なのかははっきりとしないが、音楽そのものの水準が高いだけに惜しまれる。他の2曲は、共にこの団体に献呈された作品。どちらも難解さや晦渋さとは無縁の平明な作品で、心地よく聴けた。

ストイヴェサントQは、最初に触れたストイヴェサント・シンフォニエッタの指揮をしていたS. シュルマンが第一Vnを務める団体。残念ながらSPなので、すぐに聴くことはできない。
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theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Shostakovich,D.D. 作曲家_Chausson,E. 作曲家_Myaskovsky,N.Y.

オーケストラ・アンサンブル金沢

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  • オーケストラ・アンサンブル金沢 大阪定期公演
    • モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲 K.527
    • モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番 イ長調 K.219
    • J. S. バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 ニ短調 BWV1004より第3曲「サラバンダ」【アンコール】
    • モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番 ハ長調 K.467
    • モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番 イ長調 K.331より第3楽章【アンコール】
    • モーツァルト:交響曲第35番 ニ長調「ハフナー」K.385
    • モーツァルト:行進曲 ニ長調 K.335【アンコール】
       2006年9月23日16:00~ ザ・シンフォニーホール
       指揮:井上道義、Vn独奏:バイバ・スクリッド、Pf独奏:菊池洋子
    井上道義氏に呼び出されて、オール・モーツァルト・プロなんて僕には似合わねぇなぁ…と思いつつ、久しぶりのコンサートに足を運んだ。OEKを聴いたのは、京都市交響楽団の定期演奏会でベルリオーズの幻想交響曲を合同で演奏した時以来だと思うので、実に10年ぶりくらい。

    会場はほぼ満席で、補助席も出された上に立ち見もいる大盛況。本来この公演は岩城宏之氏が振る予定だったもので、プログラムも岩城氏が決めたものをそのまま“代理”で井上氏が演奏したとのこと。井上氏は、冒頭の「ドン・ジョヴァンニ」序曲から持ち前のエネルギッシュで活力に満ちた音楽を繰り広げたが、オーケストラのアンサンブルはやや雑然としていて少々集中力に欠けていた感は否めない。管楽器の音程も不安定。1曲目だから仕方ないのだろうが。

    スクリッドの独奏によるヴァイオリン協奏曲は、なかなかの好演。凛とした美しさの際立つソロは、音量はそれほどでもないものの線の細さは感じさせず、節度を保ちながらも十分な表現意欲を持っていた。オーケストラも手堅いサポートぶりで、端正な仕上がり。アンコールは、技術的な不満は特にないものの、少々あっさりしすぎ。

    後半最初のピアノ協奏曲は、う~ん…… 技術的には達者で、良く言えば堂々とした風格を感じさせる独奏ではあったのだが、率直に言って音楽的には退屈。たとえば終楽章の最後なんて、居ても立ってもいられなくなるような高揚感を持った音楽のはずだが、何事もなく終ってしまう。オーケストラはどうにも集中力を欠いているようで、独奏との呼吸が揃わない。一貫した音楽の流れの感じられない散漫な演奏で、アンコールでも印象は変わらなかったが、聴衆は随分と盛り上がっていた。

    と、ここまでの正直ぱっとしない印象を一気に払拭したのが、最後の「ハフナー」。井上氏とOEK、そしてモーツァルトの美質が存分に発揮された名演で、終始ワクワクしながら音楽を堪能することができた。こんなに活き活きとして覇気に満ちた、それでいてチャーミングな音楽は、久しぶりに聴いた。ブラボー!

    井上氏からの、この共演を「棚からぼた餅」だとユーモアを交えつつも、「岩城さんはきっと指揮台の近くにいらっしゃると思います」というスピーチの後、井上氏の本領発揮とも言える全身を駆使したパフォーマンスで奏でられたアンコールで、何とも楽しい雰囲気の中、コンサートは幕を閉じた。

    theme : クラシック
    genre : 音楽

今さらながら、生誕100年もろもろ

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  • ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲全集 ラズモフスキー四重奏団 (OEHMS OC 562)
すっかり日が経ってしまったが、9月25日はショスタコーヴィチ100歳の誕生日。職場の近所の酒屋でジュヴレ・シャンベルタン(もちろん安物ですが)を見つけたので、交響曲第8番のDVD(ムラヴィーンスキイ指揮)を観ながら晩酌。

翌26日には、NHK-BS1の「BSニュース きょうの世界」の中で「“体制と芸術”・いま見直されるショスタコービッチ」と題された20分弱の特集があり、キャスターの小島晋と亀山郁夫氏とのやり取りの背後に流れていた交響曲第10番のもの凄い音量に大笑いしながら楽しい夜のひと時を過ごした。この特集、たとえば「交響曲第7番にも反体制的な裏の意味が隠されている」のようにネタをふっておきながらどういう意味が隠されているのかについての言及はないなど、短い時間に多くの内容を盛り込もうとし過ぎて消化不良になってしまった感は否めない。裏読み的な話に終始して、安易なグローバリゼーション批判をショスタコーヴィチ再評価につなげてしまう結論にも疑問が残る。まぁ、色んな制約の中でとにかくある形にまとめることの難しさは自分で本を書いてみてよく分かったので、あまり文句を言う気にもなりませんが(^^;。それに、普通のニュース番組の中で突然ディープな話が展開されるというのも、なかなかシュールで良い。それにしても、N響のホルンの酷さといったら… これには失笑。

讀賣新聞の10月16日朝刊11面(文化面)には、「ショスタコービッチ生誕100年」と題してバルシャイ、西村朗、亀山郁夫の3氏による簡単な論説が掲載された。亀山氏はここでも同様にアンチ・グローバリズムという側面を持っているからショスタコーヴィチの作品には聴く者の魂を揺さぶる力がある、と結論づけている。バルシャイは「公式見解」とは異なる裏の意味があるから真の芸術たり得るとし、西村氏も彼の芸術はソヴィエトの歴史と常にセットで語られるべき存在だとしている。いずれもごく一般的な論調ではあるものの、いつまでも体制や歴史との絡みでのみ語られる作曲家というのも不幸だな、というのが僕の率直な印象。結局のところ、死後もスターリンの呪縛から解放されないのか。無論、ショスタコーヴィチの創作活動の背景に極めて特殊な状況があったことは事実で、彼の音楽が持つ痛切な響きの多くにそれが反映していることは疑う余地がない。しかし、ショスタコーヴィチの作品が時代も社会も共有しない僕のような人間にも魅力を持っているのは、彼が人生を通して体験したことや感じたことを、(素材そのものが標題性を持った具体的なものであっても)抽象化して普遍的な音楽作品に昇華することのできた天才であったからに他ならない。悲劇的で皮肉っぽい陰鬱な響きが時代背景と密接に関連していることは否定しようもないが、彼の音楽に満ちている不屈の力強さや気高い美しさこそショスタコーヴィチの本性であり、まさにそれが時代を超えて価値を持つ彼の芸術の特質なのだと思う。

Hayesさんのブログ(9月27日)で、未完の弦楽四重奏曲(第9番になる予定だったもので、当初作品番号に113番が割り当てられていた)のライヴ録音を、ぶらあぼ音楽配信サイト ブラビッシモ!のネット配信(150円)で聴けることを知り、早速購入。これは、モルゴーアQによるショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲連続演奏会の中でアンコールとして日本初演されたものである(2006年9月24日:第一生命ホール)。同じくHayesさんのブログ(8月16日)を見て衝動買いしたスコアを見ながら聴く。この演奏では、ショスタコーヴィチ自身がスコアを残した225小節(練習番号18)で終っている(スコアは、レデニョフが補筆完成させた形で収録されている)。この作品の経緯についてはスコアの序文(解説)に詳しいが、当然と言えば当然なのだろうが、全体の雰囲気には第9番と共通するところも多い。ただ、響きに広がりが感じられず、このまま作曲が進まなかったことも納得できるところ。この作品に取組んでいた時期は創作上のスランプだったとも言われているが、確かにそうだったのかもしれないと思う。しかし、この後すぐにあの交響曲第13番が完成しているのだから、天才の創造力の凄さを思い知らされる。

Unfinished Quartet: For Two Violins, Viola and VioloncelloUnfinished Quartet: For Two Violins, Viola and Violoncello
(2006/04/10)
不明

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最後に、『レコード芸術』誌の10月号に簡単な評を書いたラズモフスキーQの弦楽四重奏曲全集も紹介しておく。

ラズモフスキーQは2001年に結成された団体で、ピリオド楽器への関心が高い奏者が集まっているのが特徴(実際にピリオド楽器での演奏活動も行っているようだ)。なお、僕のCD棚にはラズモフスキーQという同じ名称の四重奏団によるアリアーガの弦楽四重奏曲集のアルバムがあるが、こちらはサイモン・スタンデイジが第1Vnを担当している全くの別団体(現在でも活動しているのかどうかは知らない)。

DSCH出版社の全集版楽譜を使用していることがセールス・ポイントとなっているが、ミス・プリントをそのまま演奏しているいくつかの録音は例外として、ベーレンライター版のベートーヴェンの交響曲のように一聴して驚くような変更(校訂)があるわけではない。ただ、楽曲に対する献身的といってよい丹念な解釈には好感が持てる。特に、適切なテンポ設定と律儀で明晰なアーティキュレーションに、この演奏の特長が認められる。こうしたアプローチの背景には、ピリオド楽器の演奏に対する彼らの造詣の深さも影響を及ぼしているのだろう。一方で、いわゆるロシア風な骨太の音色や深く伸びやかな歌、ショスタコーヴィチ特有の巨大なクライマックスの力強さや悲痛な叫びなどは後退している。したがって、旋律性よりは凝縮された形式感へのこだわりを持つ後期作品が良い。特筆すべきは第十一番。ゆったりとしたテンポで奏でられる上品で集中度の高い音楽は、知情意のバランスがよくとれた名演である。第十三番の抑制されたヴィヴラートで表現される静謐感も見事。上品な官能性が漂う第十四番や、いたずらに深刻ぶらずに広がりのある美しい響きを引き出している第十五番にも惹かれるものがある。

こうした繊細かつ端正な佇まいは、第九番のように熱血度の高い演奏においても保持されているが、有名な第八番では淡々とした風情で巧みに悲劇性を表出している一方で、第一番などの抒情的な作品では幾分窮屈な印象に終始しているのが惜しい。とはいえ、こうした楽曲毎の差異は彼らの演奏スタイルとの相性に起因するものだろう。強力に推薦したい内容ではないが、このようなアプローチを好む聴き手も少なくないだろうと思う。以下、各曲についてのコメント:
第1番:
律儀で明晰なアーティキュレーションが全曲を通して貫かれている。作品の古典的な側面を強調した解釈といえるが、少々窮屈さも感じられる。
第2番:
ロシア情緒や伸びやかな歌には欠けるが、Tutti時の安定した統一感が悪くない。
第3番:
軽やかで古典的な形式感を持ち、あまり旋律的ではない第1楽章は、なかなかの好演。しかし、第3楽章などでは土俗的な雰囲気には欠け、ショスタコーヴィチ特有のやみくもに叩きつけるような力強さの表出には不足しているのが惜しい。
第4番:
この団体特有の折り目正しい演奏が、どこかとりとめのないこの曲に端正な外観を与えていて心地好い。
第5番:
透明感のある明るい響きが作品とよくあっている。ただ、クライマックスの力感には物足りなさも残る。
第6番:
第2楽章では繊細な美しさが際立つ(特に高音域)一方、第1楽章などの盛り上がりきらないクライマックスには不満が残る。ロシア情緒に不足しているので、第3楽章は単調で退屈な仕上がりになっている。
第7番:
第3楽章のフーガが明晰で素晴らしい。他は、ごく標準的な内容。
第8番:
巨大さには欠けるものの、淡々とした風情が作品の悲劇性を際立たせているようにも感じられる。
第9番:
端正な佇まいを保ちながらも、熱血度は高い。ただ、最後の盛り上がりは物足りない。
第10番:
切れ味の良い颯爽とした演奏。ロシア風のアクの強さはない。
第11番:
凝縮された形式感を適切に表現している。ゆったりとしたテンポで奏でられる上品で集中度の高い音楽は、知情意のバランスがよくとれた名演である。
第12番:
端正なアンサンブルが美しい。ただし、力強さには欠ける。
第13番:
静謐感の表現が傑出している。抑制されたヴィヴラートは、ピリオド楽器も演奏する奏者から成るこの団体ならではのものだろう。冒頭の美しさは特筆すべき出来。
第14番:
作品の持つどこか不健康な官能性が上品に表現されている。淡々とした音楽だが、作品を味わうのに不足はない。
第15番:
いたずらに深刻ぶることなく丁寧に広がりのある響きの美しさを引き出している。一方、悲痛な叫びは残念ながら希薄である。
2つの小品:
エレジーが雰囲気豊かな好演。ポルカは生真面目ながらも肩の力が抜けた颯爽さが心地好い。

theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Shostakovich,D.D.

プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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