シェバリーン:弦楽四重奏曲第5番

  • ショスタコーヴィチ:交響曲第15番 カッツ/ノヴォシビルスクPO (Melodiya C10-18841-2 [LP])
  • ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第8番、シェバリーン:弦楽四重奏曲第5番 ボロディーンQ (Melodiya 33 C10-11643-4 [LP])
Ars Antiqua / Mikrokosmos Mail Order Co.から荷物が届いた。月初めに発注して翌月の中頃に届くというのが通常のペースなのだが、今回は2月の頭に注文したものが、もう届いた。もちろん、船便。もっとも、WWWサイト上でのオーダー処理が年明けからなぜかうまく動作せずにエラーが出続けたため、1月は注文しなかったので、その分が繰り上がりで届いたといった感じ。

サイトのエラーは今月に入っても状況が変わらなかったのだが、1月分にも2月分にも欲しいものがあったので、直接メールを送信してオーダーした。まずは、1月分のリストから注文した2枚を聴く。

カッツ指揮の交響曲第15番は、速めのテンポで引き締まった音楽づくりがなされているが、第4楽章の主部冒頭など少々あっさりし過ぎと感じる部分はあるものの、全体に作品の雰囲気をよく捉えたた、なかなかの佳演である。オーケストラは健闘しているものの、技術的には洗練されているとは言い難いのが惜しい。

ボロディーンQによるショスタコーヴィチの第8四重奏曲は、Melodiyaの有名な全集に収録されている録音である。演奏については、いまさら何かを述べる必要もないだろう。今回、この盤を注文したのはシェバリーンの四重奏曲を聴きたかったから。この録音から15年ほど後、創立50周年を記念した「Russian Miniatures」というアルバムで、第3楽章だけが再録音されているのだが、それがとても気に入ったので、いつか全曲を聴きたいと思っていた。「スラヴの主題による」と副題がつけられているように、全曲を通して民俗風の音調が前面に押し出されている。ただ、一聴した限りでは、両端楽章が少々冗長な印象。中間の3つの楽章は、品の良い洒落っ気を感じさせつつも、ときに甘美な抒情が素敵なだけに、ちょっと惜しい。どことなく、グラズノーフの四重奏曲を彷彿とさせる。ボロディーンQの演奏そのものは、非の打ちどころがない、と言ってよいだろう。
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N響アワー「第9を超えた男たち」

  • N響アワー「第9を超えた男たち」 ジンマン、コウト/NHK交響楽団 (録画 [NHK-ETV(2009.2.22)])
テレビの番組表を漫然とチェックしていたら、このタイトルが目についた。その時点で詳細は分からなかったのだが、とりあえず予約録画しておいたところ、期待通りショスタコーヴィチの、それも聴いた(観た)ことのない演奏がオンエアされた。なかなかの嗅覚……と自慢したいところだが、1月24日放送の新日本フィルによるショスタコーヴィチの交響曲第9番(「オーケストラの森」)や、バティアシュヴィリ独奏のショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲に至っては、2月6日分だけではなく23日放送分までも録画しそびれてしまった。すっかり衰えたなぁ……

さて、番組中で流れた演奏は、次の2つ:
  • マーラー:交響曲第10番より「アダージョ」 ジンマン指揮(2009年1月16日)
  • ショスタコーヴィチ:交響曲第9番 コウト指揮(2008年11月21日)

マーラーは、名演奏とまでは思わなかったが、雰囲気のある佳演だったと言ってよいだろう。弦楽器の整然としたアンサンブルが好印象。金管陣は、いつもながら冴えない。終演後の拍手は、早過ぎ。今時、まだこんなタイミングで拍手する人がいるのかと、逆に感心したくらい。

ショスタコーヴィチは、あまり褒められた出来ではないだろう。第1楽章の中途半端に遅めなテンポは、作品本来の諧謔性を後退させただけで、悲劇性のような要素を強調するわけでもなく、ただ単に音楽の流れが停滞しただけ。第2楽章の雰囲気は悪くなかったが、指揮にメリハリがないせいか、はたまた木管陣の表現力のせいか、いかにも単調な音楽に終始。第3楽章のテンポ感はよかったが、ここは、オーケストラ側(の一部)に技術的な不満あり。第4楽章にも、意味深さは感じられない。淡々とした……と言えば聞こえは良いが、少なくとも僕には、何かを訴えよう、表現しようという意思を見出すことはできなかった。第5楽章は、ごくオーソドックスな解釈。おちゃらけたばか騒ぎ、という作品解釈でなかったことはわかるが、じゃあ何なの?といった感じ。

最近の演奏会の映像をあまり熱心に観ていなかったこともあって今まで気づかなかったが、N響の顔ぶれも随分と世代交代が進んだようだ。もっとも、オーケストラのサウンドが劇的に変わった、とは感じられなかったが。それはこれからのお楽しみ、といったところだろう。

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【楽曲解説】目次

本ブログを開設した目的の一つに、今まで書き溜めてきた音楽関連の文章を整理することがある。自分が出演した演奏会のプログラムに執筆した「曲目解説」も、HDDの片隅に保存しておくだけでなく、ここにまとめておくことにしたい。今となっては加筆・修正したい箇所も少なくないのだが、当時のものをそのまま掲載する。

かぶとやま交響楽団
京都大学音楽研究会
宝塚市交響楽団
≪シュペーテ弦楽四重奏団≫

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【楽曲解説】ショスタコーヴィチ:交響曲第10番

Дмитрий Дмитриевич Шостакович
ドミートリィ・ドミートリェヴィチ・ショスタコーヴィチ(1906~1975)


Симфония No. 10 ми минор соч. 93
交響曲第10番 ホ短調 作品93



 昨年は没後35年、そして今年は生誕100年と節目の年が続いたこともあり、最近では演奏会のプログラムにショスタコーヴィチの名前を見かけることも珍しくなくなってきた。とりわけ、生涯に渡って書き続けられた15曲に及ぶ交響曲は彼の創作上の大きな柱とでも言うべき特別な存在で、実演や録音で取り上げられることが多い。ショスタコーヴィチの交響曲は、各楽章や個々のエピソードの性格付けがはっきりとしていて、標題の有無に係わらず聴き手に具体的なイメージを想起させることが少なくない。それは、彼が生きたソ連という国家体制の特殊性が深く刻まれた、社会や時代の雰囲気を色濃く反映したものである。それでいて、散漫な組曲的構成に陥ることなく、独特の論理的な感覚で作品全体を巧妙に統一しているところが彼の際立った特長だといえるだろう。交響曲第10番は、このようなショスタコーヴィチのエッセンスが極めて高い完成度で凝縮された傑作である。

 まずは、作品の成立背景について簡単に辿ってみよう。1948年、ジダーノフ批判と呼ばれる文化・芸術分野におけるイデオロギー統制が行われた。創作活動に対するこのような抑圧的傾向は、1953年にスターリンが死去したことで微妙に変化を始める。ショスタコーヴィチが8年振りに交響曲の筆をとったのは、このように新たな時代の到来に大きな期待を寄せる者、一方でスターリン主義の呪縛から解放されていない者、両者が手探り状態の中でのことだった。1953年12月17日の初演後、すぐに「第十論争」と呼ばれる反響と議論が巻き起こった。ここでは、全曲中における終楽章のバランスと作品の持つ悲劇性の二点が主な論点であったが、スターリンの死によって引き起こされたソ連社会のイデオロギー的な混乱と戸惑いの中、この作品が当局の新たな芸術政策に対して重大な影響を及ぼしたことは明らかだった。

 ショスタコーヴィチはこの作品の内容について「ひとことだけいえば、この作品のなかでは、人間的な感情と情熱とをえがきたかったのである」と語っている。とりわけ意味深長なのは、第3楽章で現れて終楽章コーダで執拗に繰り返される自身の音名象徴のDSCH音型(この音型が移調などをせずに使われた、最初に公表された作品がこの交響曲である)である。これは、第1楽章冒頭の動機とも関連していて、全曲を統一する鍵となっている。文字通り主要楽章である第1楽章では、展開部に異質なエピソードを挿入して巨大なクライマックスを築く独自のソナタ形式が駆使されるが、それぞれに明確な役割を担う弦楽器(集団の感情)、木管楽器(個人の痛み、叫び)、金管楽器(荘厳な野蛮さ、威圧)、打楽器(無機質な暴力)は楽章を通じて互いに交わることがない。第2楽章は「悪の力の形象」とも評された急速で短いスケルツォ楽章。徹底して暴力や野蛮さが表現されるこの楽章の冒頭主題は、第4楽章でDSCH音型と交差する形で再び現れる。もう一つのスケルツォである第3楽章の中心主題は、DSCH音型である(楽章冒頭の第1主題もこの音型に由来する)。これと対比するように中間部でホルンが奏するEAEDA音型は、モスクワ音楽院の教え子エリミーラ・ナジーロヴァの音名象徴であることが、ショスタコーヴィチが彼女に宛てた書簡から明らかになっている。最終楽章は、第1楽章結尾の雰囲気を引き継ぐ序奏から始まる。ここで断片的に示されるそれぞれに性格の違う動機は、クラリネット(第1楽章の第1主題もこの楽器で提示される)のどこか調子はずれな合いの手で突入する主部の第1主題に結実する。通俗的な音調が狂乱の度合いを高め、ひときわ暴力的な様相を呈していく展開部はDSCH音型の最強奏で断ち切られ、再現部では序奏を含む全ての主題が律儀に回帰するが、そこには戸惑うようなぎこちなさが伴い、半ば強引に大団円を演出するかのようにティンパニがDSCH音型を乱打する中、長調で全曲が結ばれる。

 多少なりともショスタコーヴィチの生涯に対する知識を持ち合わせているならば、この音楽の中にスターリン時代を生きたショスタコーヴィチの自伝的側面を聴き取ることは容易であろう。しかし、いかなる国や時代の聴き手にとっても、そこに自分自身の考えや理想を見出すことができる作品こそが芸術として後世に残るのであり、この交響曲もまた、そうした普遍的な内容と価値を有した偉大な芸術作品であるがゆえに、我々の心を強く捉え続けているのだろう。

宝塚市交響楽団 第41回定期演奏会(2006年12月17日)

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【楽曲解説】ルクー:ピアノ四重奏曲(第1楽章)

Guillaume Lekeu
ギヨーム・ルクー(1870~1894)


Quatuor avec piano [inachevé]
ピアノ四重奏曲 ロ短調(未完)


より第1楽章
Dans un emportement douloureux. Très animé
(悩ましい忘我のうちに。たいそう生気をこめて)



 「…第2楽章の締めくくり方がわかった!第3楽章の主題も全部浮かんできた。この曲は3楽章でまとめるんだから、そうしたら終わりだ。終楽章は前の二つより、もっと美しくなるよ!(濱田滋郎訳)」まもなく24歳の誕生日を迎えようとしていたルクーは、1894年の新年早々、潜伏していたチフスのために臥していた病床で、うわ言のようにこう語っていたという。それからひと月も経たず(1月31日)に、ルクーはわずか24年の生涯を閉じることになる。

 1870年1月20日にベルギーのウジーで生まれたルクーは、14歳の頃から音楽に熱中し始め、当初は正規の音楽教育を受けることなく、J. S. バッハやベートーヴェン、ワーグナーなどの音楽を通して作曲法を習得していったらしい。中でもベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲のスコアは肌身離さず持ち歩いていたと伝えられている。また、19歳の時にバイロイトでワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」を観た際には、興奮のあまりに失神して担架で運び出されたとの逸話も残されている。

 ルクーがパリで本格的に音楽の勉強を始めたのは1888年のことであったが、そこでは最晩年のフランクから個人レッスンを受ける機会を得た。2年後の1890年にフランクが他界すると、ルクーは引き続きヴァンサン・ダンディ(1851~1931)に師事した。フランス楽壇の重鎮だった二人の師の縁で、大ヴァイオリニストであるウジェーヌ・イザイ(1858~1931)と知り合ったのもこの頃である。イザイの依頼によって書かれたヴァイオリン・ソナタ(1892年)は、ルクーの代表作として広く愛聴されている。このソナタの成功を受け、1893年に再びイザイからの依頼に応える形でとりかかったのが、本日演奏するピアノ四重奏曲である。

 「僕はつまり、言ってしまいますと、その細部に至るまで考えていくと自分でも怖ろしくなるほどの情感を、この曲に盛り込もうとしているのです」、「子供らしい喜び、春のあけぼのの情景……そしてまた秋と涙のメランコリー、あるいは最も痛ましい叫び…僕は自分の魂のすべてを音楽の中に注ぎ入れようと、心身をすりへらしています」。これらは作曲中のルクーから、それぞれイザイと母親に宛てられた手紙の一部であるが、これだけでも彼がどれほどこの曲にその情熱を傾けていたかが分かるだろう。6月末に書き上げられた第1楽章を見たイザイは、「君は大伽藍を建ててくれるんだね!」と喜んだという。そのおよそ半年後、第2楽章を完成することなく、冒頭の言葉を残してルクーは急逝した。遺稿の校訂・補筆は師のダンディが行い、全2楽章という形で出版された。

 本日演奏するのは、15分弱の長さを持つ長大なソナタ形式の第1楽章である。性格が異なる二つの主題から成るものの、“悩ましい忘我” という気分、そしてルクー独特の情熱溢れる甘美な抒情は終始一貫している。また、提示部のコデッタ直前に現れる密やかな部分は第2楽章を予告しており、師フランク譲りの循環形式の片鱗を窺うこともできる。時に唐突とすら思える転調や幻想的で自由な拍節の扱いが効果的で、“夭折の天才”の名にふさわしいルクーの天分が余すところなく発揮された傑作である。

京都大学音楽研究会 第100回定期演奏会(2005年6月8日)

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【楽曲解説】ブリテン:ソワレ・ミュージカル

Benjamin Britten
ベンジャミン・ブリテン(1913~1976)


Soirees Musicales Op. 9
~Suite of Five Movements from Rossini~
ソワレ・ミュージカル 作品9



 近現代の英国音楽を愛好する熱心なファンは少なくないが、一般に広く知られている作曲家というとそう多くはない。その中でベンジャミン・ブリテンの名を、卓越した演奏活動(指揮およびピアノ)も含め、20世紀の英国音楽を代表するものとすることにまず異論はないだろう。詩人のW. H. オーデン、テノール歌手のP. ピアーズとの親交から生み出された、数々の声楽作品や歌劇に代表されるブリテンの創作活動については、ここで改めて述べるまでもない。日本との関係も意外に深く、いわくつきの「シンフォニア・ダ・レクイエム」や、日本で観賞した能「隅田川」に感銘を受けて作曲された歌劇「カーリュー・リヴァー」などの作品もある。

 彼の音楽の本質を考える上で、1960年代初め頃から始まったショスタコーヴィチとの交流を見逃すわけにはいかない。後にブリテンは歌劇「放蕩息子」をショスタコーヴィチに、ショスタコーヴィチは交響曲第14番をブリテンに献呈したが、この2曲を思い浮かべるだけでも両者の持つ音楽的な共通点を理解することができるだろう。特にオーケストレイションについては、表面的な類似もさることながら、共に極めて優れた職人的な技術を持っていたことがわかる。楽器固有の音色を十二分に活かしたオーケストレイションの見事さは、有名曲としてとかく軽視されがちな「青少年のための管弦楽入門」作品34を一聴するだけでも明らかだ。本日演奏される「ソワレ・ミュージカル」は、自身のオーケストレイションの技術向上を意図してG. ロッシーニの声楽作品を管弦楽配置したもので、比較的初期の作品(1935年)である。しかしながら、色彩感溢れる楽器選択や詳細なニュアンスの指示など、この作品には既に完成の域に達したブリテンの職人技が惜しみなく繰り出されている。

 ここでブリテンが題名を借用したロッシーニの「ソワレ・ミュージカル(音楽の夜会)」は、1835年に纏められた彼の代表的歌曲集である。ブリテンは「ソワレ・ミュージカル」の他に、同じロッシーニの他の声楽作品を組み合わせて、5曲から成る組曲を構成した。ロッシーニの原曲はあくまでも素材であり、構成や雰囲気はブリテンによって自由に変更されている。各曲の標題とその原曲は以下の通り:

  1. 行進曲:歌劇「ウィリアム・テル」第3幕第16曲「兵士の踊り」
  2. カンツォネッタ:「ソワレ・ミュージカル」より第1曲「約束」
  3. チロレーゼ:「ソワレ・ミュージカル」より第6曲「アルプスの羊飼の娘」
  4. ボレロ:「ソワレ・ミュージカル」より第5曲「招待」
  5. タランテラ:3つの宗教的合唱曲より第3曲「愛」

 1938年には、この作品にバレエの振り付けが施された。ちなみに、第二次世界大戦中に渡米していたブリテンは、「ソワレ・ミュージカル」と併せて『ディヴェルティメント』というバレエ(振り付けはG. バランシン)にするため、1941年に姉妹作「マチネ・ミュージカル」作品24を作曲している。

 ブリテンはロッシーニのこの歌曲集が気に入っていたようで、彼の晩年にあたる1971年のオールドバラ音楽祭にて4曲の抜粋を自らピアノ伴奏をした録音も遺されている(BBC-BBCB 8001-2)。ブリテンの色彩感溢れるニュアンスに富んだピアノ演奏は、まさにこの作品で聴かれるオーケストレイションと同質のものである。

かぶとやま交響楽団 第26回定期演奏会(2002年2月16日)

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【楽曲解説】プフィッツナー:交響曲

Hans Erich Pfitzner
ハンス・エーリッヒ・プフィッツナー(1869~1949)


Sinfonie Op. 46 für großes Orchester
交響曲(第2番)ハ長調 作品46



 十九世紀末から二十世紀前半(両大戦間)にかけてのドイツ音楽の動向は、決して単純ではない。加えて「第三帝国」時代のナチと音楽との関係が、問題を一層複雑にしている。ここでこの時代の音楽史を包括的に議論することは避けるが、十九世紀ロマン主義に対する批判と反動から出発した時代とされる二十世紀が、一方でロマン主義再評価の時代でもあったことを忘れてはならない。その“二十世紀のロマン主義”を代表する作曲家が、ハンス・プフィッツナーである。

 プフィッツナーの音楽は、当時のドイツで高く評価されていた。彼はナチ体制下のドイツ国内でリヒャルト・シュトラウスに次ぐ名声を受けており、戦前の日本においてもドイツ文化のいわば守護神として今では想像できないほどの知名度を持っていた(そこには、指揮者としての評価も含まれる)。ではなぜ、今日プフィッツナーの名が不当なまでに忘れられているのだろうか。それは彼の音楽が一つの時代思想であり、その背景を理解することなく解釈し得ないからである。徹底してロマン主義にこだわり、それをドイツの伝統的な文化の支柱においた独特の美学は、トーマス・マンにも熱烈に評価されていた。彼が護ろうとしていたものは、ベートーヴェンに始まりワーグナーへと至るドイツ音楽の歴史であり、“ドイツ的”なものそのものであった。彼の純粋すぎる国粋主義は必然的にナチ顔負けの反ユダヤ主義へともつながり、そのことがプフィッツナーに対する評価に大きく影響していることは否めない。もっともプフィッツナーはユダヤ性の本質を血筋におかなかったという点でナチズムとは無縁で、ヒトラーと個人的な面識があったにもかかわらず、そもそもナチ党員ですらなかったのだが。

 こうしたプフィッツナーの創作活動を代表するのは、歌劇「パレストリーナ」(1915年)や、カンタータ「ドイツ精神について」作品28(1921年)といった思想性が前面に押し出された作品である。しかしながら、本質的に内面的で形式的なプフィッツナーの美質は、むしろ絶対音楽の分野、中でも室内楽作品に発揮されている。最晩年の名作である六重奏曲作品55(1945年)や中期の傑作ヴァイオリン・ソナタ作品27(1918年)などは絶対に聴き逃せないし(録音が極めて少ないのは残念)、3曲ある弦楽四重奏曲はマーラー夫人アルマも愛好していたらしい。R. シュトラウスの音楽世界を豪華で華やかな鯛の活き造りに例えるとすれば、プフィッツナーのそれは海原雄山の壮大な薀蓄と共に食する鰯の塩焼きだと言えるだろう。ワタの苦味に舌鼓を打ちながら食材を通して世界を語る、これがプフィッツナーの音楽である。

 プフィッツナーの交響曲作品は全部で3曲あるが、第1番作品36aは弦楽四重奏曲第2番をオーケストレイションしたもの、小交響曲作品44はその名の通り小編成向けの作品であること(初演はフルトヴェングラー)を考えると、本日演奏される交響曲(第2番)ハ長調作品46が事実上プフィッツナー唯一の交響曲と言ってもよい。1940年10月11日、フランツ・コンヴィチュニーの指揮によって初演された。

 切れ目なく演奏される3つの楽章から成るこの作品には、晩年を迎えたプフィッツナーの音楽的特徴がしっかりと刻まれている。第1楽章冒頭で唐突に示される英雄的な第一主題ももちろん印象的だが、プフィッツナー独特のほの暗い抒情を存分に堪能できる第2楽章は非常に魅力的。両端楽章の経過句における曖昧な調性感や拍節感も、まさにロマン主義的な雰囲気そのものだ。そして、喧噪と混沌の中から冒頭の主題が輝かしく回帰する終楽章コーダでは、誰よりも真に純粋なドイツ精神を信じた彼の世界観が高らかに歌い上げられる。

かぶとやま交響楽団 第26回定期演奏会(2002年2月16日)

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【楽曲解説】ステーンハンマル:管弦楽のためのセレナード

Wilhelm Stenhammar
ヴィルヘルム・ステーンハンマル(1871~1927)


Serenade Op. 31
管弦楽のためのセレナード ヘ長調 作品31



 一般に北欧音楽といえば19世紀後半の国民楽派、特にグリーグとシベリウスの名を想起する人がほとんどだろう。加えてニルセンを挙げる人も少なくないかもしれない。彼らはそれぞれノルウェー、フィンランド、デンマークの作曲家だが、残る一つの“スカンディナヴィア”、スウェーデン(アイスランドがデンマークから独立したのは第二次世界大戦中のこと)を代表する作曲家の一人が、ヴィルヘルム・ステーンハンマルである。19世紀の民族ロマン主義を背景に各々が個性的な創作活動を繰り広げた彼らについて、大束省三氏は次のようにまとめている:「グリーグは民俗音楽の芸術音楽への融合というテーマに真正面から取り組んで生涯離れることはなかった。シベリウスは民族ロマン主義的傾向から次第にユニヴァーサルな、宇宙的真実にむかって突進した。彼と同い年のカール・ニルセンは農民的な直観で民俗音楽を愛して自作との関係を持ち続けながらも、特にリズムと下降型旋律への愛好と思いがけないハーモニーの変化でオリジナリティを顕著に発揮した。同時代のステーンハンマルは民俗音楽には醒めた目で臨んだが、ときには素晴らしい民俗的な風景を音楽で描き、また愛国的なカンタータなども作曲した」。(大束省三:北欧音楽入門, 音楽之友社, p. 191, 2000.)

 1871年2月7日ストックホルムに生まれたステーンハンマルは、建築家であるとともにアマチュア作曲家でもあった父ペール・ウルリク・ステーンハンマルと、貴族の家柄の出で音楽的素養に恵まれた母エヴァとを両親に持ち、歌手であった叔父夫婦らにも囲まれて、恵まれた音楽的環境の中に育った。7歳で最初の作曲(歌曲)をした彼は、16歳(1887年)の時に本格的に音楽の道を志してクララ・シューマンの弟子であるリシャード・アンデルソンにピアノを学び、さらに翌年からは作曲をエーミル・シェーグレンに師事した。1892年から翌年にかけてはベルリンへ留学して、ハインリヒ・バルト(ハンス・フォン・ビューローの弟子)にピアノを師事し、帰国後はベートーヴェンやブラームスを得意とするコンサート・ピアニストとして活発な演奏活動を展開した。また1897年にはストックホルム・フィルハーモニーを初めて指揮し、以後指揮者としても同時代人の新作や近代スウェーデン音楽の祖ベールヴァルドの紹介に尽力することになる。

 ベルリン留学中にワーグナーの音楽に魅了されたことやピアニストとしてのレパートリーなどからも想像がつくように、ステーンハンマル初期の作品はドイツ的感覚に満ちていた。そんな彼がシベリウスの交響曲第2番を聴いて大きな衝撃を受けたのが1903年のこと。当時、妻に宛てた手紙の中で「私は、審美的な理想が間違っていることに気づいた。私の意思だけが私の魂を救うのであり、世界の美は私を助けてはくれない」と書いた内面の変化に加え、シベリウスの交響曲に対する共鳴は彼の作風を引き締まった北欧的スタイルへと変えていった。

 このように作風が変化しつつあった1906年秋から1907年夏にかけて、ステーンハンマルはイタリアのフィレンツェに滞在した。彼自身はフィレンツェにもっと長く住んでいたかったようだが、経済的な事情に加えて家庭の事情もあり、1907年秋には創設間もないヨェーテボリ交響楽団の音楽監督兼指揮者に就任した。南国の風物は彼の創作意欲を刺激し、1907年のある手紙の中で彼は「このような美しく、こわれやすい南についての詩を北国の人間にしかできないようなやり方で私は書きたい」と記している。この着想が、本日演奏される『セレナード』として結実することになる。

 『セレナード』は、後期ロマン派特有の豊穣で絢爛な響きの片鱗を窺わせながらも、抑制された清澄な響きが古典的なまとまりと風格の中に繰り広げられる、まさに燻し銀の魅力を持ったステーンハンマルの代表的名作である。1908年に作曲が始められ、大部分は1912年から翌13年にかけて書き上げられた。1914年1月、ストックホルムにて作曲者指揮の王立管弦楽団によって初演されたが、あまり評判がよくないこともあって1919年に大幅な改訂が行われた。改訂の内容は、ホ長調で書かれていた第1楽章と第6楽章をヘ長調に変更し、第2楽章「レヴェレンツァ」を独立させて全体を5楽章にまとめ直すという大規模なものであった。改訂版は1920年3月に同じく作曲者指揮のヨェーテボリ交響楽団によって行われた。

 本日演奏されるのは改訂版である。第1楽章「序曲」はソナタ形式で、生気溢れる溌溂とした主題と抒情的なエピソードとの対比が美しい。第2楽章「カンツォネッタ」は、ためらいがちに前進するワルツのリズムが印象的。クラリネット独奏による導入部の後、カールフェルトの詩による未出版の歌曲「五月の夜の声」のスケッチが現れる。第3楽章「スケルツォ」は、目まぐるしいまでの気分の変化と独特の和声感覚が特徴的であり、野性味溢れるフィレンツェのカーニヴァルが下敷きになっている。第4楽章「ノットゥルノ」はいかにも“北欧的な抒情”を感じさせる歌謡楽章。ここでは第2楽章「カンツォネッタ」とは対照的に、スウェーデンの民俗的な語法がさりげなく用いられている。これら中間の3つの楽章は、アタッカで続く一つのブロックを形成している。第5楽章「フィナーレ」では、ステーンハンマルとしては異例なほど強くスウェーデンの民族ロマン主義を感じさせる冒頭のホルンのメロディーに続いて、性格の違う二つの楽句が交互に現れる。

 北欧音楽といえばすぐに北欧の自然と結び付けられることが多いが、ステーンハンマルの作品、中でもこの『セレナード』においてはそうした直接的な自然描写や民族感情の投影は注意深く避けられている。それでいて我々が一般に持つ“北欧的”な雰囲気を色濃く持つ一方、南国フィレンツェの穏やかな陽光を思わせる明るさにも満ちている。聴き手によって思い浮かべる心象風景が全く異なる、そんな透明な存在感がこの作品の一番の魅力かもしれない。

かぶとやま交響楽団 第24回定期演奏会(2001年1月27日)

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【楽曲解説】アリアーガ:歌劇「幸福な奴隷」序曲

Juan Chrisóstomo Jacobo Antonio Arriaga y Balzola
ファン・クリソストモ・ヤコボ・アントニオ・アリアーガ・イ・バルゾーラ(1806~1826)


Los Esclavos Felices Overture
歌劇「幸福な奴隷」序曲



 全く長い名前である。ヨーロッパの由緒正しい家にはこういう名前が多いようで、人気劇画『ゴルゴ13』の第288話「ドイツはひとつ」(SPコミックス第91巻所収)には、西ドイツ選出欧州議会議員“フランツ・ヨーゼフ・オットー・フォン・ハプスブルグ・リンデンバウム”というハンガリーの貴族(カール四世の長男)が登場する。名前を呼び損なった報道記者に対して「名前ぐらい覚えときたまえ」とのたまうが、それは酷というものだろう。有名なところでは、画家のピカソの本名が“パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピニャーノ・デ・ラ・サンテシマ・トリニダッド・ルイス・ブランスコ・ピカソ”という驚異的な長さ。我が日本にも、“寿限無寿限無、五劫のすり切れ(ず)、海砂利水魚の水行末、雲行末、風来末、食う寝る所に住む所、やぶら小路ぶら小路(藪柑子とも)、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助”という名前があるにはあるが、これは檀那寺の和尚さんがロクでもないだけで、別に公家の名前でも何でもない。

 さて、名前の長さに反比例して、アリアーガの生涯は短い。1806年1月27日にスペインのビルバオに生まれ、20歳の誕生日を目前にした1826年1月17日にパリで客死した。アリアーガが生まれる丁度50年前の1756年1月27日は、あのウォルフガング・アマデウス・モーツァルトの誕生日であり、同じく夭折したことからアリアーガのことを“スペインのモーツァルト”と称することも多い。

 彼は幼少の頃からヴァイオリンを弾き、作曲もしていたという。15歳になる前に生涯唯一の歌劇「幸福な奴隷」を作曲するという神童ぶりを発揮する。ただしこの作品は、本日演奏される「序曲」の他、いくつかの室内楽風器楽曲から構成されたもので、一般に歌劇という言葉から想像されるような大規模な作品ではなかったようだ。正確な日時は不明だが、この歌劇は作曲後間もなく初演された。

 今日この歌劇が全曲演奏されることはほとんどなく、「序曲」のみが比較的よく取り上げられる。まだ正規の音楽教育を受ける以前の作品であり、特に対位法的な技術はまだまだ稚拙であることは否めないが、その瑞々しい歌心と和声の感覚は、若干15歳に満たない素人の作品というにはあまりにも魅力的である。また、自らヴァイオリンを弾いていたこともあってか、ヴァイオリン・パートに技巧的なパッセージが多いのも特徴的である。

 この作品を仕上げた後、アリアーガはパリの音楽院に入学してヴァイオリン奏法と共に和声学と対位法を学ぶ。「自分の才能だけで、既に作曲技法の初歩的な部分を習得している」と音楽院で評されたことは、本日演奏される「序曲」からも明らかであろう。

 2年間の勉強を経て、アリアーガは1823年に優秀な成績でその課程を修了する。専門的な訓練を受けたことで彼の才能は開花し、交響曲や3つの弦楽四重奏曲をはじめとする忘れ難い個性的な作品を生み出していく。技法という点においては、独自のスタイルを確立する前に死が訪れたと言わざるを得ないだろうが、“スペインのモーツァルト”というよりはむしろ“スペインのシューベルト”を思わせる美しく歌に溢れた品の良い抒情性は、彼の豊かな才能を存分に感じさせ、またその早すぎる死を惜しませる。

かぶとやま交響楽団 第24回定期演奏会(2001年1月27日)

theme : クラシック
genre : 音楽

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【楽曲解説】ショスタコーヴィチ:ロシアとキルギスの民謡による序曲

Дмитрий Дмитриевич Шостакович
ドミートリィ・ドミートリェヴィチ・ショスタコーヴィチ(1906~1975)


Увертюра на русские и киргизские народные темы соч.115
ロシアとキルギスの民謡による序曲 作品115



 ドミートリィ・ドミートリェヴィチ・ショスタコーヴィチ(今年没後二十五年を迎えた)がキルギス共和国を訪れたのは1963年6月1~10日、キルギスのロシアへの自由加盟(1863年にロシア帝国がキルギス人の大部分が住む北キルギスタンを領有したことを指す。すなわち事実上の征服)百年祭と同時に開催されたロシア・ソヴィエト音楽旬間へ出席した時のことだった。

 1960年9月14日、ショスタコーヴィチは作曲家同盟合同党組織全体会議においてソ連共産党員候補に推薦され、翌年9月にモスクワ作曲家組織の公開党会議で正式にソ連共産党員として承認された。1961年にはレーニンの思い出に捧げた交響曲第12番「1917年」作品112を作曲し、いかにも従順で模範的な共産党員のような素振りを見せたショスタコーヴィチだが、それと引き換えに1936年に作曲された後にプラウダ批判の影響で長らくお蔵入りしていた交響曲第4番作品43の初演を果たす。そして翌1962年にはエヴゲーニイ・エフトゥシェーンコの詩につけた問題作、交響曲第13番作品113を発表する。ここには、共産党員としての立場を最大限に利用するショスタコーヴィチのしたたかさが見られる。

 1956年のスターリン批判以降多くの政策が転換を迫られたが、キルギスのロシアへの自由加盟百年祭というのも当時の民族政策を反映した行事だと考えられる。そして、共産党員であるショスタコーヴィチがそれを祝う作品を作曲することは、いわば当然のことだったのだろう。

 作曲は1963年初秋頃、レニングラード(現サンクト・ペテルブルグ)郊外のレーピノで行われた。1963年10月10日または11月10日にモスクワでイワノフ指揮のソヴィエト国立交響楽団によって初演され、同年11月2日には、キルギス共和国の首都フルンゼ(現ビシュケク)でも演奏されている (演奏者は不明)。

 序奏付きのソナタ形式によるこの曲は、ロシアの民謡「Эх, бродяги вы, бродяги(おぉ、放浪の人よ)」(A. メドヴェージェフによって1959年に西シベリアのオムスク州で採譜された)と、キルギスの民謡「Тырылдан(ティリルダン:キルギスの神話的な人物の名前)」「Оп майда(オプ、マイダ:脱穀する人の歌)」(1956年刊のV. ヴィノグラドーフによるキルギス民謡集に所収)という3つの旋律が元になっている。ここでロシアの民謡としてあまり知られていないシベリア地方の民謡を取り上げたのは、ショスタコーヴィチの両親が共にシベリアの出身であったことが影響しているのかもしれない。

 序奏はModeratoで、木管楽器のユニゾンによる主題(ティリルダン)によって開始される。Allegro non troppoの主部に入るとすぐに、ホルンのソロで奏される第1主題(おぉ、放浪の人よ)が現われる。いかにもショスタコーヴィチらしい転調を含む盛り上がりを見せた後、第1ヴァイオリンがD線の開放弦を伴って第2主題(オプ、マイダ)を奏する。金管楽器によって第2主題が繰り返された後、特徴的な第1主題の変形が現われ、提示部を終える。この変形は、第2主題に近い雰囲気も持っており、「キルギスのロシアへの自由加盟」を象徴するような役割を担っているとも考えられる。加えて、リズムの構成がいかにもショスタコーヴィチ的で大変効果的である。

 展開部では、序奏の旋律を中心にして第1主題の前半部分と第2主題とが自由に展開される。全体の雰囲気は極めて勇壮で、ショスタコーヴィチの手慣れたオーケストレイションが高揚感を自然に表出している。盛り上がりが頂点に達したところで第1主題の変形が再び現われ、展開部を締めくくる。型通りに第2 主題と第1主題が再現された後、第1主題の変形をはさんで序奏の旋律が印象的に奏され、クライマックスを築く。ここで冒頭のキルギス民謡の主題が力強く登場することは非常に効果的で、ロシア帝国によって(事実上)征服されたキルギス人の魂の叫びを感じることもできよう。小休止後のコーダでは、第2主題(これもキルギス民謡)を弦楽器が演奏し、テンポがAdagioからAllegroまで早められた後、あたかも「キルギスのロシアへの自由加盟」を意固地に主張するかのように第1主題の変形が三度繰り返される中で速度と音量を増し、圧倒的な勢いの中で華やかに曲は閉じられる。

かぶとやま交響楽団 第23回定期演奏会(2000年6月3日)

theme : クラシック
genre : 音楽

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【楽曲解説】ディーリアス:日の出前の歌

Frederick Delius
フレデリック・ディーリアス(1862~1934)


A Song before Sunrise
日の出前の歌



 フリッツ・セオドア・アルバート・ディーリアス(1903年9月にイェルカ・ローゼンと結婚した際、フリッツをフレデリックと改名した)は、1862年1月29日にブラッドフォードのクレアモントで生まれた。ドイツから移住してイギリスに帰化したドイツ人である両親は、羊毛貿易業を営んでいた。すなわち、イギリス人の血は一滴も流れていない。また、生前(少なくとも第一次大戦前まで)はイギリスよりもドイツの方で有名だったらしく、ディーリアスより有名なのはリヒャルト・シュトラウスだけだったともいわれているので、むしろイギリス“生まれ”の作曲家というべきなのかもしれない。ちなみに、ミュージカル・リーグ誌が1910年にディーリアスをイギリス音楽界のニュー・リーダーとして挙げた時、ディーリアスはすでにパリ郊外に隠遁していた。

 ディーリアスは7歳の頃からハレ管弦楽団の楽員からヴァイオリンのレッスンを受けたり、ピアノをいじってはちょっとした小品を作ったりはしていたようだが、別に大したことはなかったらしい。しかし、家庭で弦楽四重奏を演奏したり、ヨアヒムやピアッティが演奏旅行でやって来ると父親は自宅に招いて歓待したり一緒に演奏したりするなど、音楽的環境はよかったようだ。家業を継ぐのをきらったディーリアスは、若い頃からアメリカ、ライプツィヒ、パリ、さらには北欧を放浪して回った。ライプツィヒ音楽院では、当時キャリアの絶頂にあったグリーグやシンディングらと出会い、オペラ・ハウスで指揮をしていたニキシュやマーラーによってヴァーグナー音楽の洗礼も受けた。ここで出会ったグリーグがディーリアスの父親を説得し、26歳にしてようやく彼は音楽家として独立することができる。

 27 歳の時にパリに惹かれ、住居を構えて世紀末の芸術家達と交流を持った。、このパリ時代に始まった交友関係には、ストリンドベルイ、ゴーギャン、ムンクなどが含まれていた。特にムンクとは生涯にわたって文通を続けた。他に、画家のスレヴェンスキ、ミュシャ、詩人のルクレルク、音楽家ではメサジェ、ララ、フローラン・シュミットなどとも交友があったようである。タヒチへわたったゴーギャンとも一時期はたいへん親しくつき合っていた。音楽家よりも画家、作家とつき合っていた。またこの時期に、傾倒していたニーチェを通じてディーリアスは、生涯の伴侶となる若い画家イェルカ・ローゼンと知り合う。彼女は旧シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州出身、著名な外交官を数多く輩出した家系の出である。彼女と結婚したディーリアスは、パリ郊外のグレ=シュール=ロアンという美しい村に隠遁し、その広い交友関係の中で培った経験をもとに充実した創作活動を繰り広げた。

 晩年は、放蕩のパリ時代に罹患したジフィリスのため1922年に両手の自由を失い、1927年には四肢が麻痺した上に視力までも失ってしまった。失意のディーリアスを支えたのはイェルカ夫人と、ディーリアスの音楽に心酔していたエリック・フェンビー(1906~1997)というヨークシャー生まれの青年だった。フェンビーはディーリアスが語り、歌い、喋り、唸り、呟き、囁き、喚き、怒鳴るのを、献身的に口述筆記することで、「ヴァイオリン・ソナタ第3番」、「夏の歌」、「告別の歌」、「カプリースとエレジー」、「幻想舞曲」、「イルメリン前奏曲」、「田園詩曲」といった数々の名作を完成させた。この辺りのことについては、ケン・ラッセル監督の『夏の歌』(1969)というテレビ映画に詳しい。そして1934年6月10日、ディーリアスは日曜日の朝早く永眠した。翌年亡くなったイェルカ夫人と並んで、サリー州のリンプスフィールドにひっそりと埋葬されている。

 彼の音楽についてフェンビーは、その著書の中で「ディーリアスの音楽にある興味深い特徴の一つは、ある公式に基づく旋律形への増進的執着である」と述べ、次のように記している:「一音の上昇には、上方への跳躍が後続する。一音の下降には、下方への下降が後続され、さらに一音の下降が続く」。自然を愛し、季節のうつりかわりに敏感だったディーリアスは、口癖のように「人間は無だが、自然のみは永劫に巡ってくる」と言っていたというが、彼は自然と季節の交流する美しい瞬間をとらえたばかりでなく、人間の営みも謳った。

 「日の出前の歌」も、こうしたディーリアスの特質がよく現れた作品の一つである。この曲は、ディーリアスを深く敬愛し、ディーリアスそっくりの作品を作り続けた後輩の作曲家ピーター・ウォーロック(本名:フィリップ・ヘスルタイン;1894~1930)のために書かれた。Carley 書簡集によれば, 1918年6月末には完成していたらしい。イギリスの詩人スウィンバーンの詩から霊感を得て作曲したといわれ、日の出前のイギリスの田園風景を描いた、3部形式による小管弦楽のための小品である。分割された弦パートが醸し出す複雑な和声の織り成す甘美で暖かな曲調は、非常に魅力的である。

かぶとやま交響楽団 第22回定期演奏会(1999年12月4日)

theme : クラシック
genre : 音楽

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【楽曲解説】ショスタコーヴィチ:組曲「黄金時代」

Дмитрий Дмитриевич Шостакович
ドミートリィ・ドミートリェヴィチ・ショスタコーヴィチ(1906~1975)


Сюита «Золотой век» соч. 22a
組曲「黄金時代」 作品22a



 旧ソ連が生んだ20世紀最大の作曲家ドミートリィ・ドミートリェヴィチ・ショスタコーヴィチは、他の偉大な作曲家達と同様に、あらゆるジャンルの音楽において多くの傑作を残している。エフゲニィ・アレクサンドロヴィチ・ムラヴィンスキィ、ダヴィド・フョードロヴィチ・オイストラフ、ムスチースラフ・レオポールドヴィチ・ロストロポーヴィチ、ベートーヴェン記念四重奏団といった名演奏家の存在によって作られた交響曲や協奏曲、室内楽曲はいずれも比肩するもののない名作ばかりであるし、他のジャンルと比較するとやや地味ではあるが、ピアノ曲にも洒落た佳曲が揃っている(彼自身、第1回ショパン・コンクールに参加するほどの名手であった)。また歌曲、特に晩年の作品の官能的な美しさは、この世のものとは思えないほどだ。近年録音される機会が増えてきた映画音楽や劇付随音楽なども注目に値する。前衛的な「鼻」作品15や最大の問題作である「ムツェンスク郡のマクベス夫人」作品29(1956年に改訂されて「カテリーナ・イズマーイロヴァ」作品114となる)、未完に終った「賭博師」(テーマがヴィオラ・ソナタ作品147に引用されている)、最大の駄作との呼び声も高い喜歌劇「モスクワよ、チェリョームシキよ」といった4作の歌劇はいずれ劣らぬ力作揃いである。

 一方バレエは、「黄金時代」作品22、「ボルト」作品27、「明るい小川」作品39の3作だけで、いずれも1930年代前半に集中して手がけられている。しかし、ショスタコーヴィチの多岐に渡る創作活動の中で、バレエは決して成功したジャンルとは言えない。彼がバレエを手がけた時代は、第1次及び第2次5ケ年計画の実施による発展とともにスターリン独裁に伴う思想的統制が強化され始めた時期であった。そのような流れの中で彼が取り上げたテーマは極めてイデオロギー的色彩の強いものであり、当時の社会状況を濃く反映したものであった。これは、プロコフィエフがおとぎ話や伝説に基づいてバレエの王道を歩んだのとは対照的である。さらに、採用された振付がバレエというよりはレビューに近いものであったことも彼にとって不利に働いた。そして1936年2月「プラウダ」紙上に発表された論文「バレエの偽善」で、コルホーズを主題にした3作目のバレエ「明るい小川」を厳しく批判されたショスタコーヴィチは、以後バレエへのアプローチを全くやめてしまう。

 しかし、こうした失敗の原因についてショスタコーヴィチは、「主な誤りは、台本の作者が、バレエ劇によってわが国の現実を表現しようとしながら、バレエ劇ということを少しも考慮しなかった点にあると私は思う。」というように台本と演出にその大きな責任があると捉えていた。実際、彼の音楽そのものは生き生きとした楽想や現代的リズムに満ち、機知とユーモアに溢れた注目すべきものである。1962年、レニングラードのマールイ劇場でボヤルスキーが振付けたマヤコフスキー原作の「お嬢さんとならず者」は、ショスタコーヴィチのバレエ曲を用いて構成されたが、この成功には彼の音楽が大きく貢献していた。余談だが、ショスタコーヴィチの他の絶対音楽作品(いくつかの交響曲やピアノ三重奏曲、ピアノ協奏曲など)によるバレエも数多く試みられている。

 さて本日演奏される「黄金時代」は、映画監督A. イワノフスキーの手による「ディナミアーダ」という台本に基づいた作品である。大まかな筋は次の通り:西側の資本主義国である某国で開催されている工業博覧会『黄金時代』に、とあるスポーツ労働組織によってソ連のサッカーチームが招待される。彼らは労働者達に人気を博すが、ファシスト達は彼らに対して陰謀をめぐらす。ミュージック・ホールでの馬鹿げた踊りやスタジアムにおける各種競技の光景などを織り込みながら、黒人のボクサーや地区の共産党員をはじめとする労働者達とソ連サッカーチームとの友情を描く。そして最後は、ファシスト達の陰謀が西側の共産党員の手によって暴かれ、喜ばしい労働の踊りによって幕となる。

 ショスタコーヴィチはサッカーの熱烈なファンであった(公式審判員の資格を持っていたほど。ただし、運動神経は悪かったらしい)が、「黄金時代」はサッカーをテーマとした唯一の作品である。オリジナルな形での再演は全くされないが、4曲からなる組曲作品22aは現在でも比較的よく演奏会で取り上げられている。組曲版の初演は、バレエの全曲初演に先立つ1930年3月19日に、A. ガウク指揮のレニングラード・フィルハーモニー交響楽団によって行なわれた。

【序曲】

 幕が上がる前の序曲と、博覧会場での見物客達の行進。

【アダージョ】

 第1幕でファシストの美人ダンサー、ジヴァがファンの男どもの挨拶に応えて舞う踊り。ソプラノ・サックス、ヴァイオリン、フルートのソロが、彼女の妖艶さと頽廃したフェロモンをまき散らす様を描写している。

【ポルカ】

 第3幕のミュージック・ホールでの余興として踊られる踊りの一つ。1927年のジュネーヴ海軍軍縮会議を風刺した踊りで、「平和の天使」と名付けられている。全曲中で最も有名な曲。

【舞踏】

 第1幕でジヴァがソ連サッカーチームのキャプテンを誘惑しようと踊るエロティックでどぎつい踊りに対抗して、ソ連サッカーチームのメンバーが踊る陽気で健康的な踊り。

かぶとやま交響楽団 第19回定期演奏会(1998年5月9日)

theme : クラシック
genre : 音楽

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【楽曲解説】シベリウス:交響曲第5番

Jean Sibelius
ジャン・シベリウス(1865~1957)


Symphonie Nr. 5 Es-dur Op. 82
交響曲第5番 変ホ長調 作品82



 ジャン・シベリウスは、国土の8割が森と湖の国フィンランドを代表する作曲家である。この国は長らくスウェーデンの支配下にあり、その後18世紀の北方戦争を経て1809年にはロシアに併合された。この頃から、ヨーロッパの周辺地域における国民主義の高まりとともにフィンランドでも民族意識が強まってくる。そのような時代の空気の中で、シベリウスは生まれた。1830年代、世界最大の民族抒事詩のひとつといわれる「カレワラ」がリョンロットによって編纂されると、それは国内的にも大きな影響力を持つようになった。シベリウス自身も青年時代に「カレワラ」に熱中し、そこにうたわれている様々な民族感情や、素朴な英雄主義やヒューマニズムに大きな影響を受けた。「クレルヴォ交響曲」、交響詩「エン・サーガ」、「カレリア」組曲、「レミンカイネン」組曲のような民族的な主題を扱った初期の作品にその影響を見てとることができる。フィンランド国民による自治政府の終結をロシア皇帝ニコライ2世が宣言した1899年には、シベリウスの代表作であり、フィンランド第2の国歌ともいわれる交響詩「フィンランディア」が作曲され、フィンランド国民の独立への願いを反映した作品として圧倒的な支持を得ることになる。このような社会状勢と愛国的な創作態度のゆえに、「国民主義音楽」の巨匠としてシベリウスは政府から終身年金を受けるまでに上りつめる。

 神とか博愛主義といった「普遍的」なものを指向したそれまでの音楽に対して、個人の感情や何らかの標題といった「主観的」なものを指向したのがロマン主義音楽だとすると、そのロマンの対象が主として個人ではなく、国民や民族に向けられたものを国民主義音楽ということができる。それらの多くが民俗音楽と密接に結びつくことで郷土色や民族性を追求しているのに対し、シベリウスの音楽は民族意識や北欧的な自然感情を、あくまで厳格な交響的構成の追求によって表現しようとしている点にその独自性が認められる。

 国際的な評判を呼んだ第2交響曲を作曲した後、シベリウスは1904年にヘルシンキの北30キロにあるヤルヴェンパーへと引っ越す。恋敵と決闘しそうになるほどの大恋愛の末に結ばれた妻アイノの名にちなんで「アイノラ荘」と呼ばれた家で、彼は死ぬまで過ごすことになる。そこでの創作はそれまでの愛国的・民族的な指向から離れ、第4交響曲に顕著なように個人の内側へと向かっていく傾向を見せる。簡潔化を目指し、短い動機を有機的に展開することで息の長いフレーズを作り出す、透明で独特の静寂に満ちたシベリウスの作風は、彼が1930年を最後に作曲の筆を断つまでの間、磨ぎ澄まされ続けていくのである。

 さて本日演奏される第5交響曲は、1915年12月8日、シベリウスの生誕50年を記念した国家規模の祝賀演奏会において新作として発表された。作曲は第1次世界大戦開戦の年1914年から始められ、交響詩「大洋の女神」などを携えた生涯ただ一度のアメリカ旅行やスカンディナヴィア各地への楽旅など身辺は多忙を極めたものの、第3交響曲のように予定の期日に間に合わないということもなく、無事予定通りに祝賀演奏会での初演が行なわれた。作曲者自身の指揮による初演は圧倒的な好評であったにもかかわらず、翌1916年12月の再演にあたって改訂版が作られた。しかしそれでもまだ満足が行かなかったのか、さらに1919年にも再び手を加えている。現在一般に演奏されるのはこの第3版である。このように執念深く改訂を重ねることはシベリウスとしては珍しく、この曲に対する彼の思い入れの深さを窺わせる。現在初稿版もレコードで聴くことができ、構成の簡潔化と無駄な響きの削除という改訂の意図を耳で確かめることができる。初稿版と現行版とを比較すると、冒頭のホルンはないわ、主題の調は違うわ、オーケストレイションが全く違うわ、各楽章の終り方は不自然だわ、変てこな不協和音があちこちで鳴り響くわ、コーダではダサい弦楽器のトレモロが聴こえてくるわ…、といったあまりの違いに驚かされる。この2度にわたる改訂の結果、第4交響曲とは対象的な明るさと安らぎに満ちた作品となり、自身の誕生祝賀演奏会のための作品であるという祝祭的な性格がより一層鮮明にされることとなった。ヨーロッパ中が戦争に巻き込まれていく不穏な社会状勢の中、あえて大自然から受ける大いなる感動を歌い上げたこの曲は、シベリウスの全交響曲の中でも第2交響曲と並ぶ人気作となっている。

第1楽章 Tempo molto moderato 12/8拍子-Allegro moderato 3/4拍子-Presto

 初稿版の第1楽章と第2楽章とをつなげて1つの楽章としたものであるが、ソナタ形式による前半とスケルツォ風の後半とが極めて密接かつ自然に結合されているところに、シベリウスの創意と熟練とを見ることができる。ホルンの音色はただちに聴き手を霧の中へと誘い、弦楽器のトレモロはあたかも明滅する鬼火のようである。様々な表情を見せながら音楽は進んでいくが、じきに霧は濃くなり、骨の髄まで凍るようなファゴットのうめき声が鮮烈な印象を残した後、金管楽器の響きとともに霧は晴れ、田園舞曲風の旋律とともに音楽は明るさを取り戻す。そして斧の一撃で終結させられるまで、もつれ合うような楽器が生命の讃歌を高らかに歌う。

第2楽章 Andante mosso, quasi allegretto 3/2拍子

 ヴィオラとチェロのピッツィカートで提示される素朴な主題に基づいた、自由な変奏曲。雄大に自然を歌い上げる両端楽章の間にあって、のどかでありながらもどこか哀愁を漂わせる、実に美しいインテルメッツォである。

第3楽章 Allegro molto 2/4拍子-Un Pochettino largamente 3/2拍子-Largamente assai

 弦楽器による活動的なトレモロが次第に濃い生地を形成すると、ホルンによる鐘を打ち鳴らすような印象的な音形に乗って、木管とチェロが主題を提示する。これらの主題と動機に基づいて、オーケストラは大自然の中を旅し続ける。やがてテンポの広がりとともに、トランペットが朗々と厳かに奏する揺れる主題を弦楽器のシンコペーションが支えると、ダウンズが「日の出のように荒涼として雄大だ」と評した壮麗なクライマックスが築かれ、曲は6つの分断された断固たる和音で終わる。

 シベリウスは1915年4月21日の日記に、次のように記している:

「今日、11時10分前に16羽の白鳥を見た。大いなる感動! 神よ、何という美しさだろう! 白鳥は長い間私の頭上を舞っていた。輝く銀のリボンのように、太陽のもやの中へ消えていった。声はツルと同じく吹奏楽器のタイプだが、トレモロがない。白鳥の声はもっとトランペットに近い…小さな子供の泣き声を思わせる低い繰り返し。自然の神秘と人生の苦悩…長い間、真の感動から遠ざかっていた私にこそ、これは起こるべきことであった。私は今日、聖なる殿堂にいたのだ。」

かぶとやま交響楽団 第18回定期演奏会(1997年11月2日)

theme : クラシック
genre : 音楽

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ガーウクの10枚組BOX(Brilliant)

  • Alexander Gauk Edition (Historical Russian Archives) (Brilliant 8866)
12月16日17日、1月9日、そして21日の記事で紹介した買い物の完結編。これもまた1年ほど前にリリースされたBOXセット。収録曲は以下の通り:
【CD 1】
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番(モスクワ放送SO 1957.12.4)
ラフマニノフ:3つのロシアの歌(モスクワ放送SO 1956.12.19)
ラフマニノフ:カンタータ「春」(モスクワ放送SO 1958.6.26)
【CD 2】
ショスタコーヴィチ:交響曲第11番(モスクワ放送SO 1958.12.21)
リームスキイ=コールサコフ:賢者オレーグの歌(モスクワ放送SO)
【CD 3】
ハチャトゥリャーン:「スパルターク」組曲より(ボリショイ劇場O 1957.1)
グリーンカ:ポルカ第1番(ソヴィエト国立SO 1951.10.31)
グリーンカ:カマーリンスカヤ(モスクワ放送SO 1958.12.13)
【CD 4】
ハチャトゥリャーン:交響曲第1番(モスクワ放送SO 1958.12.15)
フンメル(グリーンカ編):友情の追憶(ボリショイ劇場O 1957.3.26)
グリーンカ(ガーウク編):愛国の歌(ソヴィエト国立SO 1950.12.30)
【CD 5】
ミャスコーフスキイ:交響曲第17番(モスクワ放送SO 1959.7.15)
プロコーフィエフ:十月革命30周年のためのカンタータ「花咲け、偉大な国土よ」(ソヴィエト国立SO 1961.4.15)
プロコーフィエフ:ロシア序曲(モスクワ放送SO 1961.1.11)
イヴァーノフ=ラドケヴィチ:ロシア序曲(ソヴィエト国立SO 1944.4.7)
【CD 6】
チャイコーフスキイ(ガーウク編):「四季」より(ソヴィエト国立SO 1953~4)
バラーキレフ(カゼッラ編):イスラメイ(モスクワ放送SO 1957.3.25)
グラズノーフ:交響的絵画「春」(モスクワ放送SO 1958.1.30)
グラズノーフ:3つの小品より「ワルツ」(モスクワ放送SO 1950.2.2)
アレーンスキイ:行進曲「スヴォロフの思い出に」(モスクワ放送SO 1958.2.1)
アレーンスキイ:24の小品より第24曲「草原にて」(モスクワ放送SO 1950.2.2)
アレーンスキイ:子どものための6つの小品Op.34より「ワルツ」(モスクワ放送SO 1950.2.2)
【CD 7】
チャイコーフスキイ:劇音楽「ハムレット」(モスクワ放送SO 1951.9.29)
チャイコーフスキイ:幻想曲「運命」(ソヴィエト国立SO 1948.7.31)
【CD 8】
チャイコーフスキイ:劇音楽「雪娘」(モスクワ放送SO 1951.9.17)
【CD 9】
リスト:ファウスト交響曲(ソヴィエト国立SO 1952.4.24)
デュカス:交響詩「魔法使いの弟子」(モスクワ放送SO 1960.2.15)
【CD 10】
ベートーヴェン:「コリオラン」序曲(ソヴィエト国立SO 1953.11.1)
メンデルスゾーン:「ルイ・ブラス」序曲(ソヴィエト国立SO)
ビゼー:序曲「祖国」(モスクワ放送SO 1960.3.22)
カセルラ:狂詩曲「イタリア」(モスクワ放送SO 1960.9.7)
エネスコ:ルーマニア狂詩曲第1番(モスクワ放送SO 1956.10.4)
ミヨー:プロヴァンス組曲(モスクワ放送SO 1960.5.11)
例によって、収録年月日やオーケストラなどの録音データは、あまり信用できない。拍手も、笑ってしまうくらい明らかに後付けだったりする。以下、ディスク順に。

【CD 1】ショスタコーヴィチの第5番は、大熱演。オールド・スタイルな田舎臭い響きで思い切り鳴らし切った、この手のサウンドが好きな人にはたまらない演奏である。演奏者の興奮が直截的に伝わってくる一方で、独特の推進力を持った緊張感は終始維持されているところに、この演奏の非凡さがある。ショスタコーヴィチ自身がこういう筋骨隆々な激情型の演奏を好んだとは思えないが、そうした批判をも呑み込んでしまうスケールの大きさを持った音楽である。技術的な瑕は数え切れないほどあるが、うるさいことを言わないでこの世界に浸り、むやみに感動してしまうのも悪くはないだろう。一方ラフマニノフは、しっとりとした情感に満ちた、ごくオーソドックスな秀演。これぞロシアの抒情、と言わんばかりの説得力を持つ、素晴らしい音楽である。

【CD 2】先の第5番をはじめ、ガーウクのショスタコーヴィチ演奏にはいわゆる爆演が多く、第11番という作品には当然期待が高まるが、残念ながら肩透かし。随所でテンポや音量は煽られているのだが、肝心の音楽がそれほど盛り上がり切らない。オーケストラが技術的に粗いのはこのコンビの常だが、ここでは音楽の詰めも粗い印象である。魅力的な箇所は決して少なくはないものの、全体としては楽想がただ漫然とまとまりなく流れていく感じ。リームスキイ=コールサコフの作品は、初めて聴いた。きちんとした筋のある、小歌劇とでもいった風情の作品だが、歌詞も内容もわからない。わりとマイナーな部類の作品なのかな?演奏は、非常に落ち着いた、とても手堅いもの。

【CD 3】「スパルターク」抜粋は、非常に格調が高く、スケールの大きな秀演。選曲からして勢い一辺倒でないことは明らかだが、拍子抜けするほど淡々と音楽を紡いでいきながらも雰囲気は濃厚で、音楽の起伏は壮大極まりない。オーケストラも素晴らしい。真正なガーウクの姿を知るには最良の一枚だろう。グリーンカの小品も同様。「カマーリンスカヤ」冒頭の壮麗さが印象的。

【CD 4】ハチャトゥリャーンの交響曲は、以前Veneziaレーベルから復刻リリースされたものと、おそらくは同一音源(未確認)。曲良し、演奏良し、録音う~ん……といった感じ。思わぬ拾い物が、フンメルの夜想曲(変奏曲形式)をグリーンカがオーケストレイションした「友情の追憶」という曲。なぜ、こういう曲名なのかは分からないが、聴き覚えのある主題といい、慎ましくも多彩な変奏の数々がとても楽しい。ヴァイオリン独奏は妙に危なっかしいが、演奏そのものは端正で好感が持てる。「愛国の歌」は、1991~2000年の間、ロシア連邦の国歌だった曲。グリーンカが発表したのは旋律と低音のみだったらしく、ここで演奏されているのはガーウクがオーケストレイションしたもの。

【CD 5】ミャスコーフスキイの交響曲は、おそらくMelodiyaのスタジオ録音と同一音源だろう(未確認だが、演奏時間は酷似している)。復刻状態は良好。ミャスコーフスキイ中期の抒情的な傑作を初演者ガーウク自身が演奏しているというだけでも十分に価値はあるが、演奏そのものも申し分のない名演。隅々までしっかりと歌い込まれていながらも全体の造形が崩れることなく、スケールの大きい感動的な音楽に仕上がっている。ミャスコーフスキイが苦手な聴き手でも、この第2楽章には心を動かされるに違いない。ミャスコーフスキイ入門としてもお薦めの一枚である。プロコーフィエフの2曲は、率直に言って作品の印象が薄い。序曲では彼らしい響きも聴かれるが、カンタータは霊感に乏しい凡庸な出来と言って差し障りはないだろう。ガーウクの演奏は、手堅い。イヴァーノフ=ラドケヴィチという名は初耳で、どうやらここに収録されている「ロシア序曲」のみで知られている作曲家のようだが、なかなか楽しい作品。生気に満ちたガーウクの演奏も良い。

【CD 6】編曲物を中心とした、小品集といった風情の一枚。編曲者が明記されていない作品は、おそらくガーウク自身の手によるものだと推測されるが、確証はない。いずれもごく自然なオーケストレイションで、作品の持つ雰囲気が十分に活かされている。肩の力が抜けたようなガーウクの指揮も愉悦に満ちていて、非常に心地の好い一枚である。

【CD 7】チャイコーフスキイの、わりとマイナーな2曲。さほど魅力的とも思えない作品ではあるが、丁寧に歌い込むことで自然に雰囲気を立ち昇らせているところに、ガーウクの手腕を見ることができる。中でも、「運命」の壮麗なクライマックスは、なかなかのもの。

【CD 8】ニュアンスに満ちた、雰囲気のある素敵な演奏。チャイコーフスキイの「雪娘」というのは初めて聴いた曲だが、個々の楽曲はともかく、まとめて聴くのはいささか退屈する。

【CD 9】ガーウクのレパートリーの広さを窺わせる一枚だが、単に色んな曲を手掛けていたという次元に留まるものではなく、非常に優れた演奏であることに、率直に言って驚いた。特に感心したのはリスト。情感たっぷりの歌が展開されつつも全体の造形は揺るがず、この冗長な作品を飽きさせることなく、魅力的な音楽に仕上げている。オーケストラからは、ロシア流儀の音色ではあるが、とても格調の高い響きが引き出されている。デュカスも、悪くない。スケールの大きな愉悦に満ちた演奏で、アクの強い節回しが、悉くツボに嵌まっている。おそらくは色彩感に富んだ演奏だと思われるが、それを堪能できるほどの音質でないのが残念。

【CD 10】9枚目と同様に、多彩な曲目が並んでいる。こちらはより国際色が豊かで、通常のアルバムではあまり考えられないプログラムなのが面白い。だからといって、ただのアンコール集と侮るなかれ。このディスク、いずれ劣らぬ名演揃い。このBOXの白眉と言ってもよいだろう。最初のベートーヴェンとメンデルスゾーンもロシア色の強い歌い回しが印象的だが、凄いのはビゼー以降。大柄でありながらも時に繊細で抒情的な表情の多彩さ、熱い共感に満ちたテンションの高さ、生理的な快感すら感じさせる自在なテンポ変化、スケールの大きな造形…… こうしたガーウクの美点が最良の形で結実した演奏と言ってよいだろう。オーケストラの状態も良い。ガーウクにはどこか田舎臭く野暮ったい、鈍重なイメージしかなかったのだが、そうした先入観を一掃してしまうほどのインパクトのある一枚である。

theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 演奏家_Gauk,A.V. 作曲家_Shostakovich,D.D.

プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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