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許 光俊・鈴木淳史・梅田浩一(編著)『クラシック反入門』

  • 許 光俊・鈴木淳史・梅田浩一(編著):クラシック反入門, 青弓社, 2009.
ここのところ書店に入ることもめったになかったのだが、先日、帰りの電車の乗り換えで少し時間があったので、久しぶりに梅田の紀伊國屋書店を散策。残念ながら触手の伸びる本はなかったのだが、ざっと立ち読みしたらショスタコーヴィチ作品がいくつか取り上げられていたので、標記の本を購入。

許氏や鈴木氏の書籍は、そのすべてを持っているわけではないが、それでも何だかんだ言って、単行本は結構購入しているような気がする。彼らの本は、単著であれ共著であれ、文章そのものもさることながら、本の切り口やコンセプトにこだわりが感じられる。この本の表題も、いかにも彼らの本といった感じ。そして中身も、いかにも彼らの本といった感じ。だから、著者らの熱心な読者にとって特別新しい発見はないだろう。

僕自身は、ここに収録されているそれぞれの評論の内容だけではなく、それらを貫く彼ら独自の姿勢にも共感するところは多いし、その全てを好きではないが、でもその多くを面白いと思う。とはいえ、こういうスタイルは、そろそろ限界に来ているように思えたのも事実。一見したところ暴論のようでありながら、実はその背景には一貫した論理があって、たとえその論理自体に共感できないとしても、その論理に従うならば別の楽曲あるいは別の演奏に対しても新たな聴き方ができる、ということがこの種の評論では大切である。本書は共著ということもあってか、肝心の論理が一貫していないし、そもそも論理として成立していない項も少なくなかった。つまりは、テーマの立て方が成功していないのだろう。

ショスタコーヴィチ作品は、交響曲第7番、弦楽四重奏曲第15番、歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の3作品が取り上げられている。それぞれ異なる筆者なのだが、いずれも論の始めはなるほどと思うものの、結論は牽強付会の感が否めない。細かい部分にも思うところはあるのだが、ショスタコーヴィチを偏愛している者が、数多ある作曲家あるいは楽曲の一つとしてショスタコーヴィチを取り上げた論述に対して事細かにチェックを入れることはフェアではないし、そもそも大した意味はないだろう。



閑話休題

4月26日(日)、大阪のザ・シンフォニーホールでファビオ・ルイジ指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団の演奏会があった。プログラムは、以下の3曲:
  • R. シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
  • R. シュトラウス:交響詩「ティル・オイゲンシュピーゲルの愉快ないたずら」
  • R. シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」
ちょっとした縁があってリハーサルを聴かせてもらい、その後団員の一人と本番前の昼食を一緒にとる機会があった。リハーサルの内容や、演奏そのものについてはさておき、月並みながらこのオーケストラの響きに深い感銘を受けた。個々の団員がさらっているのを聴いていても、そんなに特別な名手揃いとは思えないのだが、最初の一音から紛れもない彼らの響きがホールを埋め尽くす。とりわけ、金管の華やかな音色が素晴らしかった。テクニックうんぬんではなく、音に対するイメージの違いなのだろう。ティンパニも同様。本番とは異なる、どこかリラックスした鷹揚な音楽は、これはこれで特別な贅沢。とても素敵な時間であった。

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theme : クラシック
genre : 音楽

【録画】NHK交響楽団 第1642回定期公演

  • ベートーヴェン:序曲「献堂式」、ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1番、フランク:交響曲 下野竜也(指揮) S. オズボーン (Pf) 関山幸弘 (Tp) (2009.2.18 録画 [NHK BS-hi(2009.3.18)])
気がつけば花見の盛りも過ぎ、すっかり春。何とはなしに気忙しい毎日で、優雅に音楽鑑賞……という気分にはならないのが寂しい。テレビも、深夜に酒を飲みながらバラエティを漫然と見てるだけ。4月からは「涼宮ハルヒの憂鬱」というアニメ(再放送?)も見始めたが、これは舞台の高校が我が家のすぐそばだから。色んな伏線やパロディが散りばめられているらしいが、周辺知識が皆無に等しいのでその辺りの面白さは端から諦め、専ら近所の風景が出てくるのを見て楽しんでいるだけ。色々と検索してみたら、BGMにショスタコーヴィチの交響曲第7番が使われている回もあるらしい。

といった感じで、録画したまま放置していたN響演奏会の映像を、一ヶ月近く経ってようやく観た。一言でまとめるなら、とても気持ちの良い演奏ということになるだろうか。隅々まで端正に整えられた、それでいて高揚感を伴う自然な音楽の流れは、決して華やかではないものの聴き手の心をしっかりと掴むに十分なもの。整然とした手応えのある響きはN響の底力なのだろうが、こうした音楽の特徴は下野氏の手腕によるものだろう。ベートーヴェンも立派だったが、やはりメインのフランクが素晴らしかった。この曲を最後まで退屈せずに聴き通すことはそう滅多にないのだが、とりたてて特別なことをしなくても丁寧に作り込めばこれだけの音楽になるという好例だろう。作品とオーケストラの相性も、悪くない。

もっとも、これを録画したのはショスタコーヴィチ作品が目当てだったのだが、そちらは今一つ。あまりに独善的な物言いで恐縮だが、要するに、オズボーンの解釈が好みではない。こういうのをお洒落だと感じる聴き手がいるだろうことはわかるし、それを否定するつもりもないが、少なくとも僕にとってはスピード感(物理的なテンポの速さだけではない)が決定的に欠如している。確かに第2楽章は美しく、ここだけを取り出すならば傑出した演奏だとも言えるのだが、それはあくまでも両端楽章の疾走感があってこそ。ちなみに、この作品は元来、合奏協奏曲の形態を念頭に置いて作曲されたといわれている。解釈に対する好みを別にすればピアノは十分に及第点以上の水準だし、弦楽合奏にもあえて文句を言いたくなるような部分は皆無。だが、もう一つの独奏パートが、その重要性にも関わらず演奏全体に対して負の効果しかなかったことには大いに不満が残る。

theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Shostakovich,D.D.

プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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