【YouTube】ショスタコーヴィチ:チェロ・ソナタ(マイスキー & アルゲリッチ)

6月24日付の記事で言及した、ルガーノ・フェスティヴァル(プロジェクト・アルゲリッチ)2009におけるマイスキー (Vc)とアルゲリッチ (Pf)のショスタコーヴィチのチェロ・ソナタの演奏が、YouTubeに再アップされていたので、紹介しておく。

彼らはこの作品をまさに自家薬籠中の物として、自在な歌い回しにも貫禄を漂わせているが、二人の、特にアルゲリッチの個性が前面に押し出され、もはやショスタコーヴィチの影が薄くなっている箇所さえあるのには、評価が分かれるだろう。

第1楽章(1)第1楽章(2)
第2楽章第3楽章
第4楽章
ショスタコーヴィチ:チェロ・ソナタ
マイスキー (Vc)、アルゲリッチ (Pf)(2009年6月8日 ルガーノ)
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genre : 音楽

tag : 作曲家_Shostakovich,D.D.

【YouTube】ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番(S. ハチャトゥリャーン独奏)

YouTubeに、S. ハチャトゥリャーン独奏によるショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番の動画がアップされていた。同曲の動画は、本ブログで取り上げただけでもレーピンバティアシュヴィリに続いて3つ目であり、演奏頻度の高さが窺われる。

さて、S. ハチャトゥリャーンはマズア/フランス国立Oとこの曲をスタジオ録音しており(Naive V 5025)、それなりに聴き応えのある演奏を繰り広げていたが、この動画に聴かれる演奏はそれと異なる味わいを持っている。マズア盤では仄暗さを湛えた瞑想的な雰囲気が印象的だったが、ズヴェーデンとのライヴでは鋭い推進力が際立っている。どうやら、楽曲解釈については指揮者に依存している部分が少なくないようだ。事実、ズヴェーデン率いるオランダ放送POは、それほど技量の高い団体ではないようだが、かっちりと仕上げられたアンサンブルが実に見事で、独奏の揺れをフォローするだけでなく、音楽全体を支配しているような存在感がある。

もちろん、S. ハチャトゥリャーンの独奏も(無傷ではないが)達者である。ただ、これといった色を感じ取ることはできない。楽曲冒頭ではヴィブラートなどからひどく緊張している様子がわかるが、まだまだ初々しい若手ということなのだろう。これからの成長を楽しみにしたい。

第1楽章(1)第1楽章(2)~第2楽章(1)
第2楽章(2)~第3楽章(1)第3楽章(2)~第4楽章(1)
第4楽章(2)
ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番
S. ハチャトゥリャーン (Vn)、ズヴェーデン/オランダ放送PO

theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Shostakovich,D.D.

『カバレーフスキイ こどもに音楽を語る』


  • カバレーフスキイ, D.・小林久枝(訳):カバレーフスキイ こどもに音楽を語る, 全音楽譜出版社, 1994.
仕事の関係でAmazonにて書籍を購入したついでに、一度読んでみようと思いながらも縁のなかったカバレーフスキイの本も注文してみた。

カバレーフスキイが主として初習者を念頭において作曲したピアノ小品の数々は、平易ながらも単に素朴であるに留まらない味わいの魅力もさることながら、技術面の教育(訓練?)効果に対して非常に配慮されていることで有名である(僕はピアノを弾くことができないので、どれほどの配慮があるのかは実感できないが)。一方で、作曲を通じてだけではなく、直接子供達と触れあう(本書では「話し合い」という語が用いられている)形での教育活動にも熱心だったようで、本書はその活動についてカバレーフスキイ本人が書き記したものである。

子供か大人かを問わず、専門的な話を広く大衆に伝えることには大小の困難が伴うものだが、本書は特にその点について示唆的な記述に富んでいる。もちろん音楽についての話題もその切り口が面白かったりするのだが、全391ページに及ぶ分量を通して読むと、正直なところ、少し飽きる。それよりも、ごくわずかではあるが自作についての言及もあり、カバレーフスキイについての貴重な日本語の情報源としての価値が上回るだろう。

カバレーフスキイといえば、その人柄について同時代人の多くに罵られている印象しかないのだが、本書を読む限りでは十分に立派な教育者の風情が漂っている。しかし、次の一節を目にすると、あぁ…やっぱり……と思わざるを得ない。

(前略)作詞者の名をたずねると、(中略)誰ひとり、ドルマトーフスキイという姓が出てこないのです。私は助け舟を出してやろうと思い、詩人のファーストネームを小声でささやきました。エヴゲーニイ……。するとすぐさま大声で、第一列目の子どもの一人が自分の“博識ぶり”を披露しました。「オネーギン!」。会場は笑いに包まれました(誰よりも大声で笑ったのは“博識家”自身でした)。その時上級クラスの一人が「エフトゥシェンコ」と訂正しました。今度は誰もにこりともしませんでした。(pp. 84~85)



theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Kabalevsky,D.B.

『ピアソラ その生涯と音楽』


  • アッシ, M. S.・コリアー, S.・松浦直樹(訳)・斎藤充正(協力):ピアソラ その生涯と音楽, アルファベータ, 2006.
何となく読みそびれていたピアソラの評伝を、ようやく読了した。

ピアソラについての日本語文献といえば、まずは斎藤充正氏の『アストル・ピアソラ 闘うタンゴ』(青土社, 1998)が基本文献として挙げられよう。ここではピアソラの生涯を子細に辿りつつも、ピアソラの演奏活動、特に遺されたアルバムに記述の大部分が割かれている。ピアソラがどういう人間であったのかという点については、ゴリンの『ピアソラ 自身を語る』(河出書房新社, 2006)で補うことができる。しかし、どちらも一般的な意味での“伝記”ではなく、本書は日本語で読むことのできる唯一の伝記といえるだろう。346ページ(巻末資料や索引は35ページ)の大著で、近親者を含む多くの関係者からの証言を集めた労作である。

ただ、たとえば『闘うタンゴ』では知ることのできなかった情報といえば、専らピアソラの女性関係ばかりで、この評伝によってピアソラの音楽を深く知る上での新たな知見が得られる訳ではない。この辺りは人によって興味の分かれるところだろうが、芸術家の人柄はその芸術作品と必ずしも等価ではないというのが僕の考え。ピアソラの女性関係は、作曲活動の不調や音楽仲間との関係には少なからず影響しているものの、ピアソラの楽曲、あるいは演奏(アルバム)の内容には驚くほど影響していないように感じられる。斎藤氏がこの部分についてほとんど触れていないのは、あくまでも音楽本位の考えからなのだろうと思う。そして、その見識には全面的に賛同するものである。



本書の終わり、すなわちピアソラの晩年を読みながら、そこで簡単に触れられていた演奏を無性に聴きたくなった。


  • Finally Together Vol. 1 (LUCHO 7704-2)
1989年にプグリエーセと共演した「アディオス・ノニーノ」である。ピアソラのセステートとプグリエーセのオルケスタとが揃って“あの”旋律を奏で出す瞬間の、何と感動的なこと!自分も父親を亡くしたせいだろうか、以前にも増して心に沁みる。

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genre : 音楽

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エルサレムQのショスタコーヴィチ


  • ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン・ソナタ、ヴィオラ・ソナタ アンバルツミャン (Vn & Va) シェルジャコフ (Pf) (Phoenix PHCD 155)
  • ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第3番、シニートケ:ピアノ五重奏曲 グラフマン (Pf) モスクワQ (Fine Arts Classical FAC 9804-2)
  • ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第1、4、9番 エルサレムQ (harmonia mundi HMC 901865)
  • ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第6、8、11番 エルサレムQ (harmonia mundi HMC 901953)
6月7日12日23日7月2日の続き。Berkshire Record Outletから届いた音盤の内、残っていた4枚(全て室内楽作品)をまとめて聴く。

アンバルツミャンとシェルジャコフという、いかにも舌を噛みそうな名前の二人によるショスタコーヴィチのソナタは、ごく平凡な内容。特に、ピアノの表現意欲の希薄さが気になる。ヴァイオリン(ヴィオラ)の方は、左手の技術についての不満は特にない。楽器の質の問題なのかもしれないが、低音の力強さはあるものの全体に肌理の粗い音色で、特に高音の艶に不足するのは残念。こういう「それ誰?」というような音盤が“隠れた名盤”だと非常に嬉しいものだが、なかなかそうはいかないものだ。

モスクワQのショスタコーヴィチは、雰囲気のある音色と堅実な音楽の運びが立派だが、妙な間を入れる節回しの違和感が強く、素直に楽しむことができなかった。全体としては水準以上の仕上がりだけに、残念。一方、この団体が得意としているシニートケのピアノ五重奏曲は、繊細な美しさが際立つ好演である。もちろん、力感にも不足していない。

エルサレムQは、ジャケット写真を見る限りでは若者4人による団体のように見えるが、1993年結成ということなので“若手”と呼ぶのは失礼なのかもしれない。彼らのショスタコーヴィチは2000年録音の第3番以来となるが、少なくとも悪い印象はなかったので、カタログに既発売の2枚が並んでいたのを迷わずオーダーしたもの。ゆっくりとしたペースで発売されているので、いかにも全集になりそうな雰囲気ではあるものの、全集として完成するかどうかはよくわからない。出来は2枚目(第6、8、11番)の方が良かったが、以下に各曲の感想をまとめておく:
第1番:
作品の持つ寛いだ雰囲気よりも、颯爽とした鋭い意欲が押し出された演奏である。第4楽章などは楽しいが、第1楽章や第2楽章では少々やり過ぎに感じられるのが惜しい。
第4番:
表現意欲が空回りし、残念ながら徒に騒がしい音楽になっている。第4楽章をユダヤ情緒たっぷりに粘っこく演奏するのは面白いが、先立つ3つの楽章を同じようなアプローチで歌うことには賛同できない。
第9番:
1枚目のアルバムで最も素晴らしい出来である。丁寧に磨きあげられたアンサンブルと大柄な推進力が、作品の魅力を十二分に引き出している。
第6番:
軽やかな語り口が、とても心地よい好演。コクのある音色がその軽やかさに上品な深みを与えている。
第8番:
深刻な悲痛さよりも、情熱的な精神の力強さを感じさせる演奏に仕上がっている。荒々しい切迫感を持った音楽の勢いは、決して上滑りしていない。
第11番:
抒情的で透き通った音楽と響きの美しさが傑出した演奏である。滑らかに流れつつも、清冽な陰影のつけられた繊細な音楽の表情は、この団体の力量を示すに十分なものである。

theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Shostakovich,D.D.

【ニコニコ動画】ヴェルビエ音楽祭2008より(その2)

5月8日付の記事で触れたヴェルビエ音楽祭2008の映像が、その後もニコニコ動画に引き続きアップされている。まずは、2008年7月29日のラクリン (Vn)、M. マイスキー(父)(Vc)、L. マイスキー(娘)(Pf)というメンバーによる、ショスタコーヴィチのピアノ三重奏曲第1番。

作品に込められた若々しい情熱が、そのまま音化されたような演奏である。これ見よがしな歌い込みは、幾分下品さを感じさせるものの、全体的には余裕のある熱演といった感じで悪くはない。



同日の演奏会で演奏されたシチェドリーンの新作「ロシアの旋法によるベルカント」(2007)は、作曲家自身のピアノとチェロのマイスキーとの共演。この曲は、素晴らしい。とても哀しく、それでいて不健康に艶っぽく、そして何より、とても美しい。こういう音楽は僕の大好物。続けざまに繰り返して聴いてしまった。ショスタコーヴィチの最晩年と同じ境地が聴こえてくる。ただ、画面で見るシチェドリーンは、まだ最晩年と呼ぶには若々しい。このような名作を、これからもしばらくは創り続けてくれるものと期待したい。

theme : クラシック
genre : 音楽

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歌曲集3題


  • ヴェルディ:歌劇「ナブッコ」よりアビガイッレのアリア(第2幕)「かつては私の心も喜びに満ちていた」、プッチーニ:歌劇「トスカ」よりトスカのアリア(第2幕)「歌に生き,恋に生き」、ベッリーニ:歌劇「清教徒」よりエルヴィラのアリア(第2幕)「あなたの優しい声が」、ヴェルディ:歌劇「仮面舞踏会」よりアメリアのアリア(第3幕)「最後の願いを」、モーツァルト:歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」よりフィオルディリージのアリア(第1幕)「岩のように、不動の岩のように」、チレア:歌劇 「アドリアーナ・ルクヴルール」よりアドリアーナのアリア「私は創造の神の卑しい僕」、ドニゼッティ:歌劇「ルクレツィア・ボルジア」よりルクレツィアのアリア(第2幕)「彼は私の息子でした」、グリーンカ:「血には憧れが燃えさかり」「忘れない、あの美しいひととき」、ダルゴムィーシスキイ:「わが友よ、神は君を守ってくれる」「ギリシャの乙女」「果樹園」、バラーキレフ:「グルジアの歌」、グレチャニーノフ:「囚人」、リームスキイ=コールサコフ:「あなたにとって私は何でしょう」「グルジアの丘で」「遠い祖国の岸へ」「私は信ずる、愛されていると」、ショスタコーヴィチ:「プーシキンの詩による4つの歌曲」より第2曲、「プーシキンの詩による4つのモノローグ」より第3&4曲、ムーソルグスキイ:「おしゃべりかささぎ」、ラフマニノフ:「乙女よ、私のために歌わないで」、メートネル:「望みの日々も流れ去り」「イネジリヤよ、私はここに」「冬の夜」 H. ローレンス (MS) ステープルトン/ナショナルPO ロルトン (Pf) (Beulah 1-2RF5)
  • ショスタコーヴィチ:スペインの歌、ドルマトーフスキイの詩による5つの歌曲、ラフマニノフ:「息がつげるでしょう」(Op. 26-3)、「夜」、「キリストは立ち上がりぬ」(Op. 26-6)、「指輪」(Op. 26-14)、「私はあなたを待っている」(Op. 14-1)、「思い」(Op. 8-3)、「いや、お願い、行かないで」(Op. 4-1)、「おお、悲しまないで」(Op. 14-8)、「すべては過ぎ去り」(Op. 26-15)、「何という苦さ」(Op. 21-12)、「私の胸のうちに」(Op. 14-10)、「朝」(Op. 4-2)、「夢」(Op. 8-5)、「夜の静けさに」(Op. 4-3) オヤ (MS) ヴィニョールズ (Pf) (harmonia mundi HMC 907449)
  • ドヴォルザーク:「モラヴィア二重唱曲集」より「青くなれ」「慰め」「野ばら」、ミヨー:黒人女の歌、ブラームス:3つの二重唱曲、チャイコーフスキイ:「フランスの詩人による6つの歌曲」より「涙」、ストラヴィーンスキイ:「子供のための3つのお話」より「チーリン・ボン」、「4つのロシアの歌」より「異教徒の歌」、ショスタコーヴィチ:「ユダヤの民族詩より」より第1&2曲、流行歌:「Oh, pajarillo que cantas」、ガンディーニ:「プリンストンの思い出」、ラヴェル:「5つのギリシャ民謡」より「ピスタチオを摘む女たちの歌」「さあ、愉快に!」、フォーレ:「黄金の涙」「この地上ではどんな魂も」、B. ツィマーマン:「Why ever?」、ロペス=ブチャルド:「民謡のスタイルによる6つのアルゼンチンの歌」より「ビダーラ」 モク (S) モンカージョ (MS) ペレス (Pf) (Emergo EC 3922-2)
6月7日12日23日の続き。まとめ買いすると、どうしても未聴のまま積んでしまう。自分に鞭を入れるようにして、声楽作品のアルバム3枚を聴いた。

H. ローレンスという歌手の名は初めて聴くが、地道にキャリアを重ねてきた音楽家のようだ。この2枚組アルバムの1枚目は彼女がオペラ歌手としてその絶頂期にあった頃の録音(未発売)、2枚目はプーシキンの詩によるロシア歌曲を集めた最近(1999年)の録音である。1枚目は、僕がこの種の音楽にあまり興味がないこともあってか、それほど面白くはなかった。そもそも、ソプラノでありながら、彼女の声にはあまり華がない。一方、20年以上の時を経て、声域もメゾに変わってからのロシア歌曲の方は、それなりに味わい深くて楽しむことができた。“ロマンス”という語がしっくりくる感傷的な旋律が印象に残る歌が中心なので、いわゆるロシア色は薄いが、全体に漂う寛いだ渋みは悪くない。

イリス・オヤは、エストニア・フィルハーモニック室内合唱団(ヒリヤーが常任指揮者兼芸術監督)の中心メンバーとのこと。ラフマニノフとショスタコーヴィチという取り合わせは珍しいが、ショスタコーヴィチの2曲はいずれも後期様式への過渡期(ちょうど、2番目の妻マルガリータと知り合う前後)のものでラフマニノフと並べても特に違和感はない。やや暗めの澄んだ声質が心地よく、一つ一つの言葉に丁寧に色をつけていくような歌い方がとても魅力的である。「スペインの歌」では彼女の声質が少しばかり暗過ぎるようにも思え、歌唱にも若干の堅苦しさが感じられるが、「ドルマトーフスキイの詩による5つの歌曲」は文句なしに素晴らしい。仄かに香るロシア情緒と、繊細で伸びやかな歌声とが、このめったに取り上げられることのない作品の魅力を余すところなく伝えてくれる名演である。

女声二重唱のアルバムは、そのジャケットからしてキワモノ感が全開。ライナーノーツを開けると、歌手の一人は古谷実の漫画に出てきそうな強烈な風貌で、不安感が一層煽られる。ところが演奏内容は、音盤を手に取った時の第一印象とは異なり、ごく真面目なもの。伸びやかさには欠けるが、丁寧な歌唱には好感が持てる。メゾのモンカージョとペレスがアルゼンチン出身ということもあってか、南の香り漂う選曲も面白い。中では、ミヨーの「黒人女の歌」が楽しく、そして美しい仕上がりで気に入った。アルゼンチンの作曲家は2人取り上げられているが、ガンディーニはピアソラ晩年の六重奏団のピアノ奏者ということで知っていたが、ロペス=ブチャルドは全くの初耳であった。軽くインターネットで検索してみたところ、中南米ピアノ音楽研究所というサイトの中で、紹介されていた(Carlos Lopez Buchardo)。ちなみに、ボブ・ツィマーマンという作曲家も知らなかったので検索したところ、オランダの声楽グループThe Gentsが2005年に来日した際、アンコールで歌った矢代亜紀の「舟歌」の編曲者として名前がヒットした。なんじゃそりゃ。

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N響アワー「ショスタコーヴィチ 明暗2つの顔」

  • N響アワー「ショスタコーヴィチ 明暗2つの顔」 オズボーン (Pf) ディンド (Vc) 下野竜也、ノセダ/NHK交響楽団 (録画 [NHK-ETV(2009.6.21)])
4月から司会者が交代したN響アワー。西村 朗氏というと僕にとっては、中高校生時代に読んでいた『音楽現代』誌で「現代作曲家が書いたクラシック音楽論 滅びゆくものは美しく」という連載や新譜批評などに健筆を揮っていた頃の印象が強い。今となっては大作曲家なのだが、それでも語り口には当時を思い起こさせる雰囲気があり、勝手に郷愁を抱いてしまったりもする。そういう贔屓目を抜きにしても、変に初心者に媚びたりせずに、それでいて親しみやすく分かりやすい解説はとても面白い。

既に1週間以上経ってしまったが、6月21日放送分はショスタコーヴィチの特集で、怖いもの知らずだった若きショスタコーヴィチと、度重なる批判を経て眉間に深い皺が刻みこまれたショスタコーヴィチを対比しようとする企画であった。番組中で流れた演奏は、次の2つ:
  • ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1番 オズボーン (Pf)、下野竜也指揮(2009年2月18日)
  • ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番 ディンド (Vc)、ノセダ指揮(2008年10月17日)

ピアノ協奏曲の方は、2009年4月16日付の記事で触れた演奏と同一のもの。先の記事ではオズボーンの解釈にあまり納得しなかったと書いたのだが、今回聴き直してみて、少し印象が変わった。第1楽章の出だしを聴くと、推進力も疾走感もそれほど不足しているわけではない。それが、トランペット独奏が入った途端にギアが逆に入る。要するに、ピアノがそれに合わせただけなのだろう。そう思って聴くと、オズボーンのピアノは至極真っ当な演奏で、下野氏の棒も的確な状況判断の下にオーケストラを統率していたと言える。「ピアノ協奏曲」とはいえ、合奏協奏曲的な作りになっている以上は、ピアノとトランペットが協同して音楽を作るのは当然だろうが、吹き損じはともかく、テンポまで自分の都合で左右してしまうようではちょっと………

さて、一方のチェロ協奏曲第1番は、初めて視聴する演奏。ディンドというチェロ奏者は名前すら聞いたことがなかったのだが、やや線の細さを感じさせるものの、男性的な歌心と音色がとても好ましい。技術水準も高い。全体に上品にまとまり過ぎていたようにも思えたが、総じて秀逸な演奏だったと言える。ノセダ率いるオーケストラも、精力的なリズム感が際立つ、立派な演奏であった。

ショスタコーヴィチの二面性を協奏曲で例示する番組の構成には、とても納得がいった。欲を言えば、どちらも冷笑的な雰囲気を持つ楽曲であるにもかかわらず、明暗の印象が分かれる訳について、作曲語法の違いなどの面からもう少し突っ込んだ解説があってもよかったように思う。

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プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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