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『ロストロポーヴィチ伝』


  • ウィルソン, E.・木村博江訳:ロストロポーヴィチ伝 ―巨匠が語る音楽の教え、演奏家の魂, 音楽之友社, 2009.
夏頃には書店に並んでいたものの、決して安くない価格のために買いそびれていた本を読了。

著者のE. ウィルソンはチェロ奏者だが、ショスタコーヴィチに関心のある人達には演奏家としてよりも、『SHOSTAKOVICH A Life Remembered』(1994年初版)の著者としてその名が知られていることだろう。著者はモスクワ音楽院でロストロポーヴィチに師事しており、ロストロポーヴィチの“亡命”にも少なからず関わっている。本書の前半は、普通の伝記と同様にロストロポーヴィチの幼少期から音楽家としての名声を確立するまでの過程をほぼ編年体で追っているが、それは、たとえばヘーントヴァの評伝などの内容と重複するところが多く、正直言ってそれほど面白くはない。

本書の最大の魅力は、主にレッスンを通して著者自身が見聞きしたロストロポーヴィチの言葉の数々だ。いずれの言葉も、音楽を音楽以外の事象と結び付けて捉えるロシアの楽曲解釈の伝統を最良の形で示すだけでなく、人の生き方に対するロストロポーヴィチの信念が込められた含蓄のあるものばかり。音楽に関する記述の内容を即座に理解できるようなコアなファンでなくても、十分に面白く読むことができるだろう。もちろん、本文中に出てくる楽曲を全て知り、そのロストロポーヴィチ自身の演奏も知っているならば、本書の記述はより一層活き活きと読者に訴えかけてくることは言うまでもなく、また本書を読めばそれらを聴きたくなるに違いないのだが。

それにしても、ロストロポーヴィチが授業で要求した内容の非常にハイレベルなことには、改めて驚かされた。自分と同等以上の才能を相手にも求め、またそういう相手としか親交を結ぼうとしないエゴイズムに賛否は分かれるかもしれないが、常識的な人格者にあのような押し出しの強い圧倒的な演奏ができるとも思えない。ロストロポーヴィチと言うと、ともすれば精力的に国際的な社会活動を展開した反体制の闘士としての側面ばかりが強調されがちだが、あくまでも第一義的には20世紀最大のチェロ奏者にして音楽家である。本書は、そのことを改めて再認識させてくれる。

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tag : 演奏家_Rostropovich,M.L.

カプソン兄弟と児玉 桃のピアノ三重奏

  • ルノー&ゴーティエ・カプソン with 児玉 桃 室内楽演奏会(フォーレ:ピアノ三重奏曲、ショーソン:ピアノ三重奏曲) R. カプソン (Vn) G. カプソン (Vc) 児玉 桃 (Pf) (2008.12.11 録画 [NHK BS-hi (2009.9.28)])
  • ルノー&ゴーティエ・カプソン、児玉 桃 室内楽演奏会(ラヴェル:ピアノ三重奏曲) R. カプソン (Vn) G. カプソン (Vc) 児玉 桃 (Pf) (2008.12.11 録画 [NHK BS-hi (2009.10.16)])
  • ジャン・ギアン・ケラス、エマニュエル・パユ、マリー・ピエール・ラングラメ 室内楽演奏会(ジョリヴェ:クリスマス・パストラル、カーター:エンチャンテッド・プレリュード) ケラス (Vc) パユ (Fl) ラングラメ (Pf) (2008.11.24 録画 [NHK BS-hi (2009.10.16)])
  • ハイビジョン特集 ロシア芸術 自由への道標 ~アシュケナージ“独裁者と芸術家たち”から (録画 [NHK BS-hi (2009.10.9)])
9月は、随分と好みに合う演奏会がテレビで放送されていたのだが、10月に入ってからの放送予定には、とりたてて興味を惹かれるものがほとんど見当たらないのが少し寂しい。

9月末に録画したカプソン兄弟を中心とするピアノ三重奏では2曲が放送されたが、10月に入ってから同日の演奏で残る1曲(アンコールは除く)が放送された。当日はフォーレ→ラヴェル→ショーソンの順で演奏され、アンコールにはショーソンの第2楽章が演奏されたとのこと。このメンバーでの演奏活動も活発に行われているらしく、単なる商業的な顔合わせではないようだ。ただ、少なくとも今回の3曲を聴く限り、カプソン兄弟の大柄で勢いのある音楽と、児玉の端正な音楽との間には微妙な乖離があるように感じた。アンサンブルの完成度ではラヴェルが立派だったが、面白かったのはショーソン。いかにも後期ロマン派といった風情の収拾のつかない音楽だが、カプソン兄弟の時に奔放なまでの演奏は有無を言わさぬ説得力に満ちている。逆に、フォーレは単に弾き飛ばしたようにすら感じられるほどあっさりした演奏で、僕は気に入らなかった。

パユ他の演奏会は、カプソン兄弟のラヴェルと同時に放送されたもの。楽器編成も作品自体にもあまり関心はなかったのだが、たまには守備範囲外の響きも心地好いものだ。名手達の演奏は、これらの作品の美しさを伝えるに十分なもの。

閑話休題。少し前のことになるが、知人とメール交換している中で、5年前に放送されたドキュメンタリー番組が再放送されることを教えてもらった。もちろん、VHSで録画はしてあったのだが、一応DVD-Rにもしておこうかと録画したついでに、久し振りに視聴してみた。5年も経つと僕自身の興味や知識にも若干の広がりがあったとみえて、前に観た時にはほとんど印象に残っていなかったシチェドリーンの作品の美しさにはっとしたり、音楽以外の部分を面白く観たりなど、それなりに楽しんだ。アシケナージの書斎(?)にずらっと並んだ全42巻の旧選集を羨ましく眺めたのは、5年前と同じだったが。こういうドキュメンタリーや新譜が次々と出たショスタコーヴィチ没後30年&生誕100年というのは、ささやかながらも一大イベントだったのだと、今さらながらに改めて思う。

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genre : 音楽

tag : 作曲家_Chausson,E. 作曲家_Ravel,M. 作曲家_Fauré,G.

『ショスタコーヴィチ評盤記 II』


  • 中川右介・安田 寛:ショスタコーヴィチ評盤記 II, アルファベータ, 2009.
『ショスタコーヴィチ評盤記』(2007年)の続編を、今さらではあるが読了した。

著者(?)の2名が2007~8年にリリースされたショスタコーヴィチ作品の新譜を片っ端から聴き、忌憚のない感想や意見を言い合う対談形式の内容で、『クラシックジャーナル』誌に連載された記事に若干の加筆・修正を施したもの。前著と合わせても4年間という限られた期間ではあるが、その間の音盤データが網羅的に(もちろん、それが完璧でないことは著者らも認めていることだが)記録されているという点で、コレクターにとって有用な資料であることは言うまでもないだろう。アラ探し的に読めば、記述の中にはごく些細な間違い(たとえば、ディズニー映画の「ファンタジア2000」で使われているのがピアノ協奏曲第2番の第2楽章と記されている(P.45)が、正しくは第1楽章)もあるが、その程度のことは自分で補完できるような層が主たる読者なのだろうから、本書の価値を損なうようなものだとは思わない。

それにしても、ここまで論ずる対象を絞り込んだ企画が、同人誌ではなく、一般の出版社から発刊され、一般の書店に並ぶということが何より面白い。実際、前著以上に“楽屋オチ”風な二人の世界が濃密に展開されているので、この独特の雰囲気を許容あるいは受け流すことのできない読者は本書を敬遠しても仕方のないところだろう。ただ、そのハードルさえ越えてしまえば、なるほどこういう聴き方もあるのかと、新たな視点(もちろん、それに対する賛否は人によってまちまちだろうが)を少なからず提供してくれる書物だと言える。僕自身は、本書に出ている新譜の多くが未聴ながらも、十分に楽しんで読み通した。

ちょっとだけ気になったのは、本書のpp.102~103(2007年7月分)にある次の記述について:
中川
(前略)この曲(ヴァイオリン協奏曲第1番)の若い女性による演奏は、去年何種類も聴いて、開放型と内向型とに分類できたけど、これは、どっちでもないというか、要するに、オイストラフを目指しているみたいなんだよね。だから、ショスタコーヴィチにおけるピリオド奏法という、新たな傾向。
安田
ピリオド奏法?
中川
そう。ソ連時代の奏法が、ショスタコーヴィチにおいてはピリオド奏法となる。誰かがブログにそう書いていた。
安田
なるほど。ソ連時代のロシアならではの特色ある演奏とはどういうものか、まだコンセンサスはありませんが、話としては面白いと思います。(後略)
この「だれかのブログ」が僕のこのブログだなどという自意識過剰なことを言いたいのではないが(そもそも、その当時はブログの形をとっていなかった)、僕自身も似たようなことを書いたことがある。それは、ベートーヴェンQによる弦楽四重奏曲第7~9番の世界初演ライヴ(meldac MECC-26019)について「ショスタコーヴィチにおいては、これがまさにピリオド楽器によるピリオド解釈ということになるのだから。」と述べた2003年8月18日の記事である。

僕のこの記述は、実のところ、渡辺和彦氏が何かの記事で書いていたことの受け売りである(出典を探してみたが、すぐには見つからなかった。単行本ではなく、雑誌記事だったのかもしれない)。この“ピリオド楽器によるピリオド解釈”という表現には、楽器(弦楽器ならば弦の種類など)および奏法(弦楽器ならば主にボウイングの流儀)の時代様式と、楽曲の捉え方(=解釈)の時代的な特徴という2つの要素が含まれる。本書の著者らは、後者の要素についてのみを取り上げて“ピリオド…”と言っているようだ。それは、p.145(2007年11月分)の記述などからも明らかである:
安田
(前略)昔の演奏をそのまま聴くような、内的な充実感がある演奏でした。世界が二つあった時代、大きな物語があった時代のショスタコーヴィチのオーラが感じられる演奏でした。(中略)
中川
それを、ピリオド奏法というんだよ、ショスタコーヴィチにおける。

ネイガウスやロストロポーヴィチの伝説的なレッスンの様子を聞き知っている人ならば、広範な文化的知識を背景に楽曲の構成や意味、気分を捉える、ロシア独特の楽曲解釈の伝統を知っていることだろう。それが現在でも主流なのか、あるいはより即物的な解釈法にとって代わられているのかは、僕ははっきりと知らない。ただ、解釈の流儀そのものが変化していなかったとしても、その文化的・社会的背景が時代と共に変化する限り、ショスタコーヴィチが作品を生み出した当時の楽曲解釈(=ピリオド解釈)が本質的に再現されることはあり得ない。それゆえに僕は、当時の録音(それを、ショスタコーヴィチが認めていたにせよ、いなかったにせよ)をショスタコーヴィチ作品を知る上で貴重な記録として重視することが多い。しかし、そのことと演奏の良し悪し(あるいは好き嫌い)とは直接的にリンクしないのは当然のこと。“絶対-相対”という表現に違和感はあるが、pp.232~233(2008年9月分)で述べられているのは、おそらくこのことなのだろう:
安田
(前略)我々のような古くからのショスタコーヴィチ聴きは、チェロ協奏曲の演奏というと、どうしてもロストロポーヴィチの呪縛からは逃れられないと思います。(中略)ロストロポーヴィチの演奏の価値が、〈絶対的〉なものという認識はなかなか崩れませんでした。今のオタク用語でいえば〈神〉ということになるんでしょうが。
中川
ヴァイオリン協奏曲においてはオイストラフがそうだったね。
安田
まさにそうで、その〈絶対的〉な演奏というのは、以前のビューローで中川さんがオイストラフの演奏を〈ピリオド・アプローチ〉と表現したのと同じ概念だと思います。〈絶対的〉ということは、結果的にそれが成功であったとしても失敗であったとしても、多くのチェリストがロストロポーヴィチの演奏を規範としようとしたことにもよく表れていると思います。(中略)九〇年代に入ると、ロストロポーヴィチのような〈絶対主義的〉な演奏から離れた、いわば〈相対主義的〉なアプローチもぼちぼち出はじめ、成功するものも多くなっていきます。(後略)

ただ、ピリオド奏法あるいはピリオド・アプローチというからには、それが再現可能なものであるはずだ。単に「強い思い入れが伝わる」演奏が、ロストロポーヴィチやオーイストラフの演奏を彷彿とさせるからといって、それをピリオド解釈と称することはできないだろう。僕が“ピリオド奏法”と言う場合には、主として楽器の奏法のことを念頭に置いている。たとえばヴァイオリンであれば、オーイストラフ時代のロシア流儀のボウイングというのは、一昔前のジュリアード音楽院の流派のボウイング、あるいはクレーメルの圧倒的な影響下にある(少々乱暴な括り方だが)点描的な音の出し方、さらにはブロン門下生の粘着質な音づくりなどとは明らかに異なる。独自の魅力を持ちつつも、今となってはある種の古めかしさも感じさせるこのボウイングを再現することこそが、「ショスタコーヴィチにおけるピリオド奏法」なのだと思う。

本書では興味を惹かれる考え方が少なからず披露されているのだが、この“ピリオド奏法”の例のように、言わんとしていることの意味は雰囲気で想像がつくものの、十分に吟味されているとまでは言いきれないものもある。対談の記録なのだから、それで当然なのかもしれないが、ちょっと惜しい気もする。

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オネゲル作品集(フルネ指揮)


  • オネゲル:交響的楽章第2番「ラグビー」、交響的楽章第1番「パシフィック231」、コンチェルト・ダ・カメラ、夏の牧歌、交響曲第3番「典礼風」 フルネ/オランダ放送PO (DENON COCO 70425)
毎度のことながら、宝塚市交響楽団の第46回定期演奏会に、エキストラ出演させてもらえることになった。今回のプログラムは次の3曲:
  1. オネゲル:交響的楽章第1番「パシフィック231」
  2. ラヴェル:組曲「クープランの墓」
  3. シベリウス:交響曲第5番
ラヴェルは降り番(以前、かぶとやま交響楽団が同曲を第35回定期演奏会でやった時は、所用で演奏会に参加することができず。どうも、この曲には縁がなさそうだ…)なので、準備が必要なのは2曲。シベリウスの第5番は、20世紀末に2回弾いたことがあるので、身体はともかく、頭は曲を覚えている。

ということで、まずはオネゲルに集中しようとAmazonでスコアを買い、CD棚を物色して何とか1枚(メッツマッハー/ハンブルグ州立PO 「誰が20世紀音楽を恐れるか?」第2巻)を見つけ出して、ざっと聴いてみる。有名な作品なので、もちろん名前は知っていたし、たとえば黛敏郎時代の「題名のない音楽会」などで聴いたこともあるような気もするのだが、全く印象に残っていない。明らかに具体的な情景(?)を描写しているのだが、キワモノ臭は全くせず、リズムが生みだす動的な力感がとても魅力的な作品だ。

そもそもフランス音楽にあまり関心がないので、オネゲルの作品にはほとんど馴染みがない。すぐに思いつくところで、ムラヴィーンスキイ指揮の交響曲第3番と、小澤指揮の「火刑台上のジャンヌ・ダルク」くらいしか聴いた記憶がない(他に、BOXセットやLPのフィルアップで数曲を架蔵しているようだが、どんな曲だったか、全く思い出せない程度にしか聴いていない)。そこで、いわゆる“定盤”も聴いておきたいと考えて、Tower Records難波店へ。

そこで選んだのが、フルネ/オランダ放送POの1枚。有名どころが一通り入っていて、しかも安い(店頭では“15% OFF”のシールが貼ってあったので、さらに安かった)。そして何より、実に見事な演奏である。しっかりとした造形の上で、これ見よがしではない色彩感に富んだ響きが繰り広げられている。パシフィック231などは、僕にとってはこの1枚あれば十分といった感じ。ゆったりとしたテンポが凄味すら感じさせる交響曲も素晴らしく、今まで感じることのなかった作品の魅力に気付かされた。

家の楽譜棚には、オネゲルの無伴奏ヴァイオリン・ソナタの楽譜もあるのだが、フェラスの録音は廃盤になって久しいようで、Amazonのマーケットプレイスでも結構な値段がついている。再発されないかなぁ…



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tag : 作曲家_Honegger,A. 演奏活動_宝塚市交響楽団

ショスタコーヴィチの世界初録音集


  • ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第3、7、8番 セント・ローレンスQ (EMI 0946 3 59956 2 6)
  • ショスタコーヴィチ:映画音楽「女友達」、劇音楽「支配せよ、ブリタリア!」、劇音楽「スペインに敬礼」、交響的断章(未完) フィッツ=ジェラルド/ポーランド国立放送SO (Naxos 8.572138)
9月30日の記事の続き。時間に余裕もあったので、久しぶりに店内を色々と物色してみた。

まずは、ワゴンセールで1点。ショスタコーヴィチ生誕100年の時にリリースされたセント・ローレンスQのアルバムである。母国カナダでは随分と人気のある団体のようだが、僕が聴いたのは今回が初めて。溌剌とした生気に満ちた演奏で、技術水準も高く、人気があるのもよく理解できる。

第3番は、この団体の個性と相性の良い作品のように感じられたが、幾分攻撃的に過ぎて聴いていて疲れる。響きの調子が陽性一辺倒であるのも少し気になる。とはいえ、この曲に関しては、聴き手の好み次第で評価も分かれるものと思われる。しかし、第7番も同じような方向性で演奏されていることには、疑問が残る。終楽章のフーガなどは聴き手に対して派手にアピールするだろうが、ショスタコーヴィチ独特の静けさが損なわれている。第8番は作品の完成度が高いだけに、こうした解釈でも十分に訴求力を持つが、どこまでも陽気な響きの特性には違和感を拭いきることができない。

もう一点は、全曲が世界初録音の注目のアルバム。Naxosのように安定供給してくれるレーベルの場合、ついつい油断して買いそびれてしまいがちになるので、こうして思いついた時に入手しておかないと。

まずは、映画音楽「女友達」。この作品には組曲版がなく、室内楽編成で演奏された3曲だけが「3つの前奏曲」という題で録音されていただけである(Melodiya C10 26307 004 [LP])。映画そのものはVHSで所有しているので、当然音楽も聴いたことはあるのだが、画質だけではなく音質も随分と優れないものなので、最新録音で聴けることが何より嬉しい。「女ひとり」などと同様に、映画の音声トラック全て(自筆譜が紛失している楽曲も含む)をフィッツ=ジェラルドが復元し、そのスコアを自身で指揮して録音したものである。ただし、DSCH社のリストを見る限り、なぜかこの曲は新全集に含まれていないようなので、スコアがどのように出版されるのか、はっきりしたことはわからない。弦楽四重奏曲第1番の第2楽章とほぼ同じ(正確に聴き比べたりしたわけではない)第1曲をはじめ、ほとんどが室内楽編成であり、ショスタコーヴィチらしさに貫かれながらも、抒情的で穏やかな美しい音楽が多い。また、サイレント時代の伴奏音楽を彷彿とさせる響きも面白い。演奏にも不満はない。テルミンによる「インターナショナル」なども、ネタとしては最高だろう。

一方、劇音楽「支配せよ、ブリタリア!」の方は、合唱付きのフル・オーケストラ編成による6曲から成る。これもまたフィッツ=ジェラルドがスコアを復元したもので、DSCH社の新全集第116巻に収録される予定だ。どこまでがショスタコーヴィチ自身の手によるものかよく分からないが、同時期の舞台用音楽と似た作風である。演奏も、適度な華やかさを持った楽しいもの。

劇音楽「スペインに敬礼」は、新全集第121巻でピアノ・スコアのみが出版される予定になっているが、ヒュームのカタログには実際に使われたパート譜からスコアが復元されていると記されているので、この辺りが新全集でどう取り扱われているのか、よくわからない。本盤では、フィッツ=ジェラルドが“Original Sources”からオーケストレイションしたものが演奏されているとのことだが、この“Original Sources”というのが少しややこしい。詳しくはCDの解説書に記載されているのだが、後年、他の映画音楽等に流用した楽曲が少なくないようで、それをここで演奏しているようなのだ。一体、何が“オリジナル”なのかは、とりあえず新全集第121巻の校訂報告を読んでみないことには分からないようだ。このような問題はあるものの、ショスタコーヴィチ初期の前衛色が影を潜め、中期に顕著な分かりやすく穏やかな音調の楽曲が中心に構成されているのは、なかなか興味深い。

さて、僕が一番楽しみにしていたのは、最後に収録されている交響曲の断章(未完)だ。第4番として書き始められ、第1楽章の冒頭(主部に入ったところまで)が仕上げられたものの、結局未完のまま破棄された断章には既に複数の録音が発表されているが、本盤に収録されている断章は、交響曲第9番として書き始められたものとされる作品であり、これが世界初録音となる(世界初演は2006年にロジデーストヴェンスキイ指揮でおこなわれている)。実際に発表された作品70と同じ変ホ長調であること、フェイの『ショスタコーヴィチ ある生涯』の中にある「溌剌としたテンポで長調の、力強い勝利の曲」(P. 187)という記述にもよく合致することなどから、第9番の初稿という推察にも一定の説得力はありそうだ。この辺りについては、DSCH社から出版されているスコアを見てから、また改めて考えをまとめてみたい。作品自体は、第4番の世界を第8番の響きで表出したような、少なくとも“戦勝”とは関係のなさそうな音楽である。実際、ライナーには「1945年1月」という表記があり、戦勝ムードは高まっていたのかもしれないが、依然として戦争の真っ只中で書かれたものである。いわゆる「第九」ということで、自身の記念碑的な作品を構想していたのかもしれない。とにかく、暴力的なまでの推進力が印象的である。テンションの高い演奏は、若干の乱れがないわけではないものの、この作品が未完に終わったことを聴き手に惜しませるに十分なもの。

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芸術劇場:国立モスクワ合唱団演奏会、他

  • ムーソルグスキイ:歌劇「ホヴァーンシチナ」より銃兵隊の合唱、スヴィリードフ:合唱のための協奏曲「プーシキンの花束」より「起床ラッパが鳴る」「白い腹のおしゃべり鳥」、ロシア民謡(ノーヴィコフ編):ヴォルガの舟歌、ロシア民謡(レヴァショーフ編):ステーンカ・ラージン、ブラーンテル(アナーシキン編)カチューシャ、ロシア民謡(アナーシキン編):黒い瞳、ボロディーン:歌劇「イーゴリ公」よりダッタン人の踊りと合唱、ラフマニノフ:聖ヨハンネス・クリソストモスの典礼(抜粋) ミーニン/国立モスクワcho (2009.6.2 録画 [NHK BS-hi (2009.10.2)])
  • ブロドスキー・カルテット 小松亮太 コンサート(ラビスタ:夜の影、アルバレス:メトロ・チャバカーノ、ピアソラ:「ファイブ・タンゴ・センセーションズ」より「恐怖」、ヴィラ・ロボス(小松亮太編):ブラジル風バッハ第5番より第1楽章、小松亮太:オマール・バレンテにささぐ、ラバジェン:眠れぬ夜、ピアソラ(小松亮太編):ブエノスアイレスの冬、リベルタンゴ) 小松亮太 (バンドネオン) ブロドスキーQ (2009.1.28 録画 [NHK BS-hi (2009.9.30)])
  • 川久保賜紀  スタジオ・リサイタル(チャイコーフスキイ:「なつかしい土地の思い出」より「メロディー」、ガーシュウィン(ハイフェッツ編):歌劇「ポーギーとベス」より「サマータイム」「女はきまぐれなもの」「マイ・マンズ・ゴーン・ナウ」「ベスよ、お前はおれのもの」、ショーソン:詩曲、ショスタコーヴィチ(ツィガーノフ編):4つの前奏曲、サラサーテ:バスク奇想曲、ドビュッシー(カンバレット編):月の光) 川久保賜紀 (Vn) 江崎昌子 (Pf) (2007.2.20 録画 [NHK BS-hi (2009.10.5)])
8月17日の記事でも紹介したミーニン率いる国立モスクワ合唱団の演奏会の録画が、地上波でも放送された。ハイビジョン クラシック倶楽部では、放送時間の関係でカットされていた曲もあったので、ほとんどが重複していたものの、特にスヴィリードフの2曲目当てで再度録画視聴した。演奏については、先に記した通り。何度聴いても、本当に見事なもの。なぜか今回は、客席で猛烈に居眠りをしているご老人の姿が気になったが、演奏には何の関係もない。10分少々の短い時間ではあったが、「ロシア合唱の魅力」と題してミーニンのインタビューがあったのも嬉しい。

ブロドスキーQと小松亮太の演奏会は、演奏された曲目に興味があっての録画。最初の2曲(ラビスタとアルバレス)は弦楽四重奏のみ、ラバジェンはバンドネオンとチェロの二重奏で、それ以外はバンドネオンと弦楽四重奏という編成である。ブロドスキーQは、20年近く前のショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲全集と、8年前のピアノ五重奏曲くらいしか聴いていないが、第1ヴァイオリンの奏者はそのどちらとも異なる。アンサンブルに関しては、さすがにキャリアを感じさせる手慣れたものであったが、どうもリズムの扱いがぞんざいで、どれもタンゴには聴こえなかったのが残念。特にヴィオラは、タンゴのリズムを理解できていないようにすら思えた。小松亮太は、少し堅苦しそうではあったが、安定した好演。アレンジが出色の仕上がりであったことは、特筆しておきたい。なお、仕方のないことではあるのだが、画面にずっと津波情報が表示されていた(サモア諸島沖の地震の発生当日)のは残念。

2002年の第12回チャイコーフスキイ国際コンクールで最高位(第1位なしの第2位)を獲得した川久保賜紀のリサイタルは、ショスタコーヴィチ作品が演奏されていたので録画。レッスンに対する模範解答のような音楽で、楽譜の行間から何の感興も立ち上ってこなかった…、というのが率直な感想。今後の飛躍に期待したい。

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プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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