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ボルトニャーンスキイの室内楽曲/「禿山の一夜」(原典版)

  • ボルトニャーンスキイ:鍵盤のためのソナタ第2番、五重奏曲 ハ長調、協奏交響曲 変ロ長調 ゴルボフスカヤ、ディジュール (Pf) エルデリ (Hp) N. バルシャーイ (Vn) ドブロホトフ (gamba) V. ベルリーンスキイ (Vc) モスクワCO (Multisonic 31 0253-2)
  • ムーソルグスキイ:禿山の聖ヨハネ祭の夜、センナヘリブの陥落、歌劇「サラムボー」より「巫女たちの合唱」、歌劇「アテネのエディプス王」より合唱曲、(リームスキイ=コールサコフ編)イエス・ナヴィヌス(ヨシュア)、(ラヴェル編)組曲「展覧会の絵」 ザレンバ (MS) アバド/ベルリンPO、プラハ・フィルハーモニーcho (DG POCG-1778)
先日、御茶ノ水で仕事があり、その合間に界隈を散策することができた。それほどゆっくりはできなかったが、半年ぶりということもあり、街の空気を楽しむには十分。もっぱらウィンドウショッピングで、音盤はディスクユニオンお茶の水クラシック館で数点購入したのみ。ショスタコーヴィチ作品の掘り出し物がなかったのは残念だったが、ロシア音楽の古典とでも言うべき作品群の穴埋め的な買い物ができたのは思わぬ収穫といったところか。稀少盤に手を出した訳ではないが、CD5枚にLP3枚で5500円程度という成果には、十分にお得感がある。

手始めに、CD2枚から聴いた。

ロシア音楽史上、最初の大作曲家とされることも少なくないボルトニャーンスキイだが、その作品についてはほとんど聴いたことがなかったので、室内楽作品を集めたアルバムは、目に留まると躊躇することなくカゴの中へ。教会音楽以外は何が彼の代表作なのかよく知らないが、ここに収録された3曲はいずれも18世紀半ばの、比較的単純な書法で書かれた音楽である。とりたてて個性的な要素は感じられず、ロシア音楽を特徴づける要素の萌芽もない。後世への影響という点で考えると、ボルトニャーンスキイをロシア音楽の祖として位置付けるのは不適当なのだろう。ただ、綺麗で心地好い音楽であることは間違いなく、ピリオド奏法とは無縁の演奏共々、楽しむことができた。

HMVジャパン


ムーソルグスキイは、生涯に遺した作品の数が少ないこともあり、その大半は既に聴いているが、合唱作品は長らく未聴のままだった。ムーソルグスキイを偏愛しているらしいアバドによる合唱作品集を陳列棚の中に見つけたので、迷わず確保した。

本盤は、「禿山の一夜」の原典版を中心に構成されている。ここで、「禿山の一夜」の4つの版について、簡単にまとめておく:
  1. 歌劇「サラムボー」の中で、その素材が初めて使われる(1864年)
  2. 「禿山の聖ヨハネ祭の夜」という名で呼ばれる、いわゆる原典版(1867年)
  3. 歌劇「ソローチンツィの市」の第3幕第1場に使われた、合唱付きの版(1880年)
  4. ムーソルグスキイの死後、リームスキイ=コールサコフが補筆完成させた版(1886年)
本盤の最初に置かれているのは、第2稿である。第1稿は、独立した楽曲として存在している訳ではなく、「サランボー」自体も未完である。本盤に収録されている「巫女たちの合唱」には、この第1稿に相当するものという意図があるのだろう。第3稿は未聴なので、なるべく早く聴いてみたいところだ。

収録曲はいずれもムーソルグスキイ以外の何者でもない個性的で独創的な音楽であり、短いながらも鮮烈な印象を受けた。アバドの演奏は、いささか綺麗事に過ぎる気はするものの、非常に高い水準で仕上げられた見事なもの。ただし「展覧会の絵」だけは、破綻はないものの覇気が感じられない凡演。

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theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Bortniansky,D.S. 作曲家_Mussorgsky,M.P.

ロジデーストヴェンスキイの10枚組BOX(Brilliant)

  • ロジデーストヴェンスキイ・エディション 第1集 (Brilliant 9019)
5月28日6月4日および5日の記事の続き。

気がつけば、HMV ONLINEで買い物をする度に、BrilliantのBOXセットを注文している。廉価でたくさんの音楽を聴くことができるという貧乏根性の故でもあるが、何よりも演奏者や収録曲が僕にとって魅力的なセットが次々にリリースされているからであろう。

このロジデーストヴェンスキイのセットは、何と言っても収録曲がすこぶる面白い。内容の一覧を下に記す:
【CD 1】
ハイドン:カンタータ「合唱長の選挙」(ソヴィエト国立文化省SO他 1983.4.5)
モーツァルト:6つの前奏曲とフーガより(ソヴィエト国立文化省SO 1982.10.11)
グルック:歌劇「エコーとナルシス」序曲(モスクワ音楽院SO 1977.2.10)
アダン:喜歌劇「ダニロヴァ」序曲(ソヴィエト国立SO 1980.2.10)
ケルビーニ/ボワエルデュー:歌劇「女囚人」序曲(ソヴィエト国立SO 1980.2.10)
【CD 2】
ドヴォルザーク:交響曲第2番(ソヴィエト国立文化省SO 1985.2.26)
フォルクマン:序曲「リチャード三世」(モスクワ音楽院SO 1977.2.10)
シュポア:歌劇「ファウスト」序曲(モスクワ音楽院SO 1977.2.10)
【CD 3】
フレーイシマン(ショスタコーヴィチ補作):歌劇「ロスチャイルドのヴァイオリン」(ソヴィエト国立文化省SO他 1982.9.24)
J.シュトラウス2世(ショスタコーヴィチ編):ポルカ「観光列車」(ソヴィエト国立文化省SO 1982.4.10)
ショスタコーヴィチ:8つのイギリスとアメリカの民謡(ソヴィエト国立文化省SO他 1989.1.4)
【CD 4】
ショスタコーヴィチ:交響曲第1番(ソヴィエト国立SO 1976.11.20)
ショスタコーヴィチ:祝典序曲(モスクワ放送SO 1972.4.11)
ショスタコーヴィチ:交響的哀悼前奏曲(モスクワ放送SO 1967.9.7)
ショスタコーヴィチ:歌劇「カテリーナ・イズマーイロヴァ」の5つの間奏曲(ソヴィエト国立文化省SO 1985.8.10)
ショスタコーヴィチ:E.ドレッセルの歌劇「コロンブス」のための2つの小品より「序曲」(モスクワ音楽院SO他 1977.2.10)
【CD 5】
ショスタコーヴィチ:交響曲第4番(ソヴィエト国立文化省SO 1987.5.24)
【CD 6】
ショスタコーヴィチ:交響曲第7番(モスクワ放送SO 1968.1.8)
【CD 7】
ショスタコーヴィチ:交響曲第9番(ソヴィエト国立文化省SO 1982.12.21)
ショスタコーヴィチ:ミケランジェロの詩による組曲(ネステレーンコ (B)、モスクワ放送SO 1976.4.20)
【CD 8】
ショスタコーヴィチ:交響曲第10番(ソヴィエト国立文化省SO 1982.4.10)
ショスタコーヴィチ:組曲「ボルト」(ソヴィエト国立文化省SO 1982.4.10)
【CD 9】
シェバリーン:交響曲第3番(ソヴィエト国立文化省SO 1984.12.6)
シャポーリン:民族楽器とオーケストラのための組曲「蚤」(ソヴィエト国立SO 1982.2.12)
ラーコフ:弦楽合奏のためのシンフォニエッタ(モスクワ放送SO 1968.4.5)
ラーコフ:弦楽合奏のための交響曲第3番(モスクワ放送SO 1964.7.28)
【CD 10】
アガジコフ:ヴァイオリンと管弦楽のための「コンチェルト・ポエム」(スプテル (Vn)、モスクワ放送SO 1985.11.5)
ヴォルコーンスキイ:ピアノと管弦楽のための「不動」(リュビーモフ (Pf)、ソヴィエト国立文化省SO 1988.12.28)
ベリモフ:水と死、生について(リマス (Ob)、ソヴィエト国立文化省SO 1988.12.28)
ポロヴィーンキン:テレスコープII(ソヴィエト国立SO 録音:1982.2.12)
モソローフ:鉄工場(ソヴィエト国立SO 録音:1982.2.12)

まさに、ロジデーストヴェンスキイならではの内容である。もちろん、全10枚中6枚がショスタコーヴィチ作品で、かつ初出音源が少なくないことだけでも、僕にとっては驚喜に値する。以下、ディスク順に。

【CD1】セットの1枚目にハイドンやモーツァルトなどの古典派を持ってくるのはよくあるパターンだが、本人の作品かどうかその真贋がはっきりしない曲を並べているところが、大変面白い。ハイドンのカンタータは宗教的なものではなく、「クラシック音楽作品名辞典」(三省堂)には“カンタータ・ブッファ”と記されている。たとえハイドンの手によるものではないとしても十分に魅力的な楽曲であり、ごく自然に愉悦感を醸し出すロジデーストヴェンスキイの手腕も確かなもの。一方のモーツァルトのKV404aは、音楽の流れにどこか硬直した雰囲気があり、それほど印象には残らなかった。本来の編成は弦楽三重奏だが、ロジデーストヴェンスキイが弦楽合奏用に編曲している。グルックの序曲は、2004年7月28日の記事で紹介した序曲集と同一の音源。アダンとケルビーニ/ボワエルデューの序曲は初めて聴いたが、独創性は感じられないものの、それなりに洒落た音楽である。ただ、この時代の音楽にしては、オーケストラの音にロシアの刻印が強過ぎる。

【CD2】ドヴォルザークの交響曲も、最初期の作品である第2番をわざわざ選んでいるのが面白い。作品としては全体に冗長さは否めないものの、随所に顔を出す伸びやかな歌心を素直に生かした気持ちの好い演奏である。ただ、録音のせいか、管楽器の音色にちんどん屋臭がするのは、少し気になる。フォルクマンとシュポアの序曲は、上述した序曲集と同一の音源。

【CD3】既出のスタジオ録音音源に客席ノイズを被せて初出のライヴ音源と偽るのは、何もBrilliantに限った話ではない。このディスクに収録された3曲は、いずれもロジデーストヴェンスキイによる有名な録音があるので、全て手持ちの音源と同一だと思って聴き始めたら、さにあらず。全て別テイクであった。「ロスチャイルドのヴァイオリン」は、同時期のスタジオ録音と同様の音楽作りであるのは当然ながら、引き締まった熱気と高揚感が圧倒的で、同曲の録音中で文句無しのベストである。「観光列車」の勢いも凄まじい。これは、完全にショスタコーヴィチの音楽である。これも、同曲の録音中でベストの演奏。まさか、「8つのイギリスとアメリカの民謡」にライヴ録音が存在しようとは考えもしなかったが、同時期のスタジオ録音とは別人のようなイヴァーノヴァの表情豊かな歌唱には、楽曲の軽さとは裏腹の迫真性すら感じられる。ショスタコーヴィチ・ファンには聴き逃せない一枚であろう。

【CD4】交響曲第1番は、同じソヴィエト国立SOとのライヴ録音がYedangからリリースされていたが、そちらは第3楽章と第4楽章の間のスネアのロールがなかったので、それとは異なる演奏であることが分かる。ただし、演奏の印象はそう大きく異なるものではない。覇気に満ちた音楽の流れが心地よく、若干の荒さを感じさせる濃い目の表情が豊かな雰囲気を醸し出している。このディスクの注目は、何と言っても「交響的哀悼前奏曲」だろう。7~8年前に発売されたChandos社のDVD/CD-ROMに収録されていた音源と同一だが、ジャケットに表記されている録音データが正しいとすれば、スターリングラード戦の英雄達を追悼する記念碑の除幕式で用いられた音源そのものということになる。そうした歴史的価値を別にしても、テンポも音色もまさにこうでなければならないという理想が完璧に達成されている。この曲には唯一アシケナージの録音があるのみだったが、本盤さえあれば十分であろう。「祝典序曲」は、1948年録音(?!)と表記されていたRevelation盤と、「5つの間奏曲」はRevelation盤(本盤もRevelation盤も1985年録音と表記されているが、ヒュームのカタログには1965年と記されている)と、そして「あわれなコロンブス」は上述の序曲集と、それぞれ同一の演奏である。

【CD5】全集録音と演奏時間が似ているが、初出の別録音である。いずれにせよ、ロジデーストヴェンスキイによる第4番の演奏には、はずれがない。スケールの大きな音楽の振幅やあざといまでの表情付けはいかにもロジデーストヴェンスキイらしく、この作品の本質を鋭く抉り出している。長大な全曲を通して持続する緊張感も素晴らしい。技術的には怪しい箇所もあるが、それもまたこのコンビらしい。

【CD6】Revelation盤と同一の演奏。ただし、音質は聴きやすくなっているように感じる。いわゆる爆演であるが、ホールで体験するならともかく録音で繰返し聴くには、瑕が多過ぎる。演奏のテンションに身を委ねることができれば楽しめるだろうが、冷静に聴くと眉を顰めてしまうかもしれない。

【CD7】2曲共に初出音源。ただ、ミケランジェロ組曲についてはChandos社のDVD/CD-ROMに第8曲だけが収録されていたものと同一かもしれない(未確認)。さて、この第9番は素晴らしい。全曲を貫く猛烈なテンションと、溢れんばかりの表現意欲が凄絶ですらあり、細部まで血の通った彫りの深い音楽となっている。奇数楽章に聴かれる狂乱の躁状態と、偶数楽章の深遠な慟哭との対照が実に見事である。このコンビならではの荒っぽさはあるが、それすらも作品の本質であるかのように聴こえてしまうほどの、大変魅力的な名演である。ミケランジェロ組曲も立派な演奏。ネステレーンコは鬼気迫るというよりはむしろ、余裕を感じさせる貫禄の歌唱。ロジデーストヴェンスキイも意欲的な表現で楽曲を彫琢しているのだが、それだけに、冴えない録音で音に迫真性が感じられないのが何とも残念。

【CD8】ロジデーストヴェンスキイ指揮の交響曲第10番には、全集収録のデジタル録音とは別に、1982年のアナログ録音が存在する(未CD化)。本盤の録音も1982年とあるので、てっきりこの音源かと思ったら、そうではなかった。たとえば本盤では第2楽章開始早々にスネア・ドラムが落ちており、こういう大きなミスがあるお陰で確認がしやすい。演奏は、スタジオ録音の2種と比較しても、格段に素晴らしい。アクの強い節回しや強烈な色彩感を持った響きが、輝かしく強靭な推進力を持った音楽の奔流の中で一瞬たりとも浮くことなく、極めて大きな魅力を放っている。録音マイクの能力を超えた、なりふり構わぬ熱狂も、たまらなく素敵だ。同日の録音である「ボルト」も、大変良い。ロジデーストヴェンスキイによる同曲の録音には、なぜか手兵とのものがなかっただけに、“あの音”でこの作品を聴くことができるだけでも嬉しい。下品さと紙一重のチューバやトロンボーン、遠慮という言葉を知らない打楽器、いずれもこのコンビならではの音楽であり、この作品の最良の演奏の一つである。ただ、他の録音と同様、本盤でも組曲の抜粋しか演奏されていないのが残念。

【CD9】続くCD10と共に、ロジデーストヴェンスキイの面目躍如といった感のある選曲になっている。シェバリーンの作品は、そのほとんどが入手困難である中、交響曲をこれだけの水準の演奏で聴くことができるだけでも有難い。ショスタコーヴィチに献呈された作品だが、ショスタコーヴィチの作風を直截的に反映しているわけではなく、ロシアの土臭さが漂うシェバリーンの個性が存分に発揮された力作である。共感に満ちた熱い演奏が心に響く。シャポーリンの作品も歌曲以外はほとんど聴いたことがないのだが、民族楽器を使ったこの作品は、実に楽しい。こういう“安っぽい”音楽をやらせたら、ロジデーストヴェンスキイの右に出る者はいない。ラーコフはショスタコーヴィチと同世代の作曲家だが、ここに収録されている2曲を聴く限りは保守的な作風のようだ。モスクワ音楽院では楽器法を指導していたようだが、その生徒にデニーソフやB. チャイコーフスキイ、シニートケらの名が並んでいるのが面白い。自身が優れたヴァイオリン奏者だったこともあってか、弦楽の響きが美しい魅力的な作品である。

【CD10】同じ現代ソヴィエトの作品でも、こちらはCD9とは異なって前衛的な作風の作品が収録されている。中では、アガジコフの作品が聴きやすい。ただ、ヴァイオリン独奏の線が細いのが惜しい。ソ連における前衛音楽の祖ともいえるヴォルコーンスキイの作品は、ヴェーベルン風の点描的な音楽ながら、暴力的なまでのクライマックスに圧倒される。ベリモフの作品は、より一層現代音楽らしい仕上がりであるが、どこか歌謡的な音の流れがあるのがロシア的と言うべきか。ポロヴィーンキンの作品にも、もちろん個性は違うものの、似たような印象を持った。「鉄工場」は、こうあって欲しいという聴き手の願望を存分に満たしてくれる快演。

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tag : 演奏家_Rozhdestvensky,G.N. 作曲家_Shostakovich,D.D.

【YouTube】ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1番他

『ショスタコーヴィチ大研究』(春秋社, 1994)という本が手元にある。巻末にはショスタコーヴィチ作品を収録したCDのディスコグラフィのようなものが掲載されている。その本を片手に、鉛筆でチェックを書き込みながら、そこに挙げられていた音盤を片っ端から買い漁ったことも、今となっては懐かしい思い出だ。もちろん、今に至るまで入手できずにいる音盤も少なくはないわけだが。

ピアノ協奏曲第1番の項に挙がっていたFINLANDIAレーベルの音盤も、入手に苦労したものの一つだった。現在、僕の棚に収まっているのは、リストに掲載されていた盤ではなく、後年になってWarner傘下で再発されたものである。

独奏の2人も指揮者も、どちらの名も僕は聴いたことがなく、“無名”の演奏者による取るに足りない音盤だと、気にはしながらも、それほどの注意を払わないでいた。ある時、何のきっかけだったかはわからないが、北欧音楽に通暁されている方(心当たりのある数名の中のどなただったのか、すっかり失念してしまった…)から、この音盤でトランペットを吹いているヨウコ・ハルヤンネは、極めて傑出した奏者であるとご教示頂いた。それから間もなく上述した再発盤を入手することができ、その抜群の巧さに舌を巻いたものだった。もっとも、トランペット以外は特筆すべき点のない、いわゆる凡演であったが。

いつものようにYouTubeで“Shostakovich”を検索していると、ハルヤンネが吹いた同曲の映像がアップされていた。サカリ・オラモがヘルシンキ放送SOを指揮しているので、おそらくは1990年代半ばの映像なのだろう。かつて行く先々の音盤屋で探し回った演奏家の姿をPCで簡単に眺められるとは、良い時代になったものだ。もちろん、鮮やかで安定した演奏は、とても素晴らしい。ピアノは、作品の佇まいに対して少し大仰な表情が気にはなるが、ノリの良い快演である。

第1楽章第2楽章
第3~4楽章
ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1番
レスヤン (Pf) ハルヤンネ (Tp) オラモ/ヘルシンキ放送SO


2009年のノーベル賞授賞式で演奏された「祝典序曲」の映像も、見つけた。テミルカーノフの淡々とした指揮に対して、ロイヤル・ストッックホルムPOは輝かしい音色で勢いのある演奏を繰り広げている。通常の演奏会ではないので、細かい瑕をあげつらうつもりはないのだが、残念ながらコーダの乱れは相当なもの。

ショスタコーヴィチ:祝典序曲
テミルカーノフ/ロイヤル・ストックホルムPO(2009年)

theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Shostakovich,D.D.

ヴォルフの歌曲

  • ヴォルフ・エディション~生誕150年記念ボックス (EMI 50999 6 88608 2 0)
5月28日および6月4日の記事の続き。

最近、準定期的に弦楽四重奏をする機会に恵まれているのだが、そこでヴォルフの「イタリアン・セレナード」を練習しようという話になっている。

ヴォルフという名は、高校時代に『音楽現代』誌で西村朗氏が連載していた文章で初めて知り、それが妙に印象に残って以来、常に頭の隅にはあった。
 ヴォルフは生来の天才ではない。1888年2月5日、すなわちヴォルフ28歳の誕生日の5週間前までは、凡人であった。翌日の2月6日から突如としてヴォルフは天才になったのだ。そんなことがありえるのか。
 ありえたのだ。2月6日に有名な〈メーリケ歌曲集〉の1曲「鼓手」を作曲。それを皮切りに4月半ばまでの2ヶ月半ほどの間に、なんと43曲の、歌曲を作ってしまった。
 43曲という数は、たとえばモーツァルトのような歌曲であれば、そう驚くに価しないかも知れない。しかしヴォルフの歌曲は、ドイツ後期ロマン派の爛熟期の頂点をきわめるような濃密な内容と、表現性をもったものばかりである。詩と音との関係が異常なほど有機的で、感情の深さとデリケートさは、歌曲のジャンルで望みうるほとんど究極の域に達している。詩の一句ごとに起こるひんぱんな転調、半音階的な和声、独自の朗唱法、雄弁かつ絶妙のピアノ・パート等、まったく独創的でかつ完成度の高いものであり、並の天才なら、相当の熟考期間を要するものばかりである。
…(中略)…ヴォルフのこのような異常な天才の現われ方は、いったい何ゆえだったのだろうか。
 実は、ヴォルフは19世紀に猛威をふるった、梅毒におかされていたのだ。ヴォルフが発狂したのは、梅毒による進行麻痺のせいだ。そして、37歳で発病する前の9年間、潜伏中の梅毒は、凡人であったヴォルフの脳をしばしば刺激したのだ。…(中略)…
 ヴォルフの天才は病気が生んだものということになるだろう。だから、生来の天才ゆえの狂気ではなく、ヴォルフの場合は、狂気のきざしゆえの天才であったのだ。
(『音楽現代』, 17(3), pp.105~107, 1987)
もともと歌曲は苦手だったこともあり、何かのついでに聴くということもなかったので、大学に入ってすぐの頃に教養主義的な動機からシュヴァルツコップのヴォルフ歌曲集を1枚買った記憶がある(もしかしたら複数の歌手による編集盤だったかもしれない)。しかし、繰り返し聴こうという気には結局ならず、不要なCDを処分して生活費の足しにした時に、一緒に売り払ってしまった。この時に何を処分したかはよく覚えていないのだが、明石家さんまがナレーションをした「ピーターと狼」や、東芝EMIの同じシリーズの「青少年のための管弦楽入門」などは、今となってはネタとして持っていてもよかったなぁと思ったりする。

話が逸れてしまった。遊びとはいえ、弾こうとする以上はそれなりに勉強してみたのだが、「イタリアン・セレナード」という曲は、正直なところよくわからない、というか感覚的にどうもしっくりとこない。そこでヴォルフの音楽世界に馴染むために、今まで敬遠してきたリートにも取り組んでみようと、思い切って8枚組のBOXセットに手を出してみた。今年はヴォルフの生誕150年にあたり、それを記念したセットである。収録曲と歌手の概要は以下の通り:
【CD 1】
イタリアの歌の本(アップショウ (S)、ベーア (Br)、ドイチュ (Pf) 1995)
【CD 2】
スペインの歌の本(フォン・オッター (MS)、ベーア (Br)、パーソンズ (Pf) 1992~4)
【CD 3】
スペインの歌の本(続き)(フォン・オッター (MS)、ベーア (Br)、パーソンズ (Pf) 1992~4)
ゲーテ歌曲集より(アレン (Br)、パーソンズ (Pf) 1991)
【CD 4】
アイヒェンドルフ歌曲集より(ボストリッジ (T)、パッパーノ (Pf) 2005)
ゲーテ歌曲集より(ボストリッジ (T)、パッパーノ (Pf) 2005)
【CD 5】
ゲーテ歌曲集より(シュヴァルツコップ (S)、ムーア (Pf) 1956~62)
女声のための6つの歌(シュヴァルツコップ (S)、ムーア (Pf) 1956~62)
古き調べ:ゴットフリート・ケラーの6つの詩(シュヴァルツコップ (S)、ムーア (Pf) 1961~2)
アイヒェンドルフ歌曲集より(シュヴァルツコップ (S)、ムーア (Pf))
ハイネ、シェイクスピア、バイロンの4つの詩による歌曲集より(シュヴァルツコップ (S)、ムーア (Pf) 1961~2)
【CD 6】
アイヒェンドルフ歌曲集より(フィッシャー=ディースカウ (Br)、ムーア (Pf) 1960)
シェッフェル、メーリケ、ゲーテ、ケルナーの詩による6つの歌曲より(フィッシャー=ディースカウ (Br)、ムーア (Pf) 1959)
ライニックの3つの詩による歌曲集より(フィッシャー=ディースカウ (Br)、ムーア (Pf) 1959)
ハイネ、シェイクスピア、バイロンの4つの詩による歌曲集より(フィッシャー=ディースカウ (Br)、ムーア (Pf) 1959)
「一晩中」「追悼の辞」「見知らぬ土地にてI」(フィッシャー=ディースカウ (Br)、ムーア (Pf) 1959)
ミケランジェロの3つの詩による歌曲集より(フィッシャー=ディースカウ (Br)、ムーア (Pf) 1959)
【CD 7】
メーリケ歌曲集より(ベーア (Br)、パーソンズ (Pf) 1986)
メーリケ歌曲集より(アレン (Br)、パーソンズ (Pf) 1991)
メーリケ歌曲集より(フィッシャー=ディースカウ (Br)、ムーア (Pf) 1957~9)
【CD 8】
ゲーテ歌曲集より(フィッシャー=ディースカウ (Br)、ムーア (Pf) 1960)
シェッフェル、メーリケ、ゲーテ、ケルナーの詩による6つの歌曲より(フィッシャー=ディースカウ (Br)、ムーア (Pf) 1959)
メーリケ歌曲集より(H. ドーナト (S)、K. ドーナト (Pf) 1976)
メーリケ歌曲集より(ファスベンダー (MS)、ヴェルバ (Pf) 1979)
メーリケ歌曲集より(フリマー (MS)、クラーン (Pf) 1992)

このリストから明らかなように、このセットは歌曲“全集”ではない。有名な歌曲集以外の単品はフィッシャー=ディースカウが歌った3曲しかない上に、メーリケ歌曲集やアイヒェンドルフ歌曲集、ゲーテ歌曲集もそれぞれ数曲が収録されていない。とはいえ、僕にヴォルフ作品のコンプリートを目指す意思は(少なくとも現時点で)全くないので、このことは問題でない。むしろ、2,000円弱という格安価格でこれだけの内容を知ることができるのだから、嬉しい限りである。

ヴォルフの作品群を知ることが目的だったので、CDの順番に聴き進めるのではなく、iTunesに取り込んで歌曲集の収録順に楽曲を並べ直して、梅ヶ丘歌曲会館「詩と音楽」で歌詞をさらい、楽譜を眺めながら歌曲集毎に聴いてみた。さすがに延々とリートだけを聴き続けるには辛抱が必要だったが、その努力はそれなりに報われたと言うべきか。

西村氏の言う「詩と音との関係」や「独自の朗唱法」というのは、このジャンルに明るくないこともあって未だよく分からないが、後期ロマン派ならではの濃厚な音楽の運びに、思わず恍惚としてしまう瞬間が多々あった。とりわけ、やや陰りのあるゆったりとしたテンポの曲が、僕の好みであった。「ゲーテ歌曲集」では少し重過ぎ、「イタリア歌曲集」では清澄に過ぎ、「メーリケ歌曲集」や「アイヒェンドルフ歌曲集」の一部では、歌とピアノの絡みが複雑に過ぎ……といった感じで、歌曲集として気に入ったのは、「スペイン歌曲集(特に世俗歌曲)」や「古き調べ」といった辺り。ただ、「メーリケ歌曲集」のこれぞ後期ロマン派といった世界には、よく分からないながらも強く惹かれるものを感じる。もっとも、歌曲集毎に括ることが必ずしも適切だとも思えないが。

どの歌手も素晴らしいと感じたが、比較対象が事実上ないので、誰のどこがどう良いと言えるには至っていない。それでも、シュヴァルツコップやフィッシャー=ディースカウの卓越した表現力は明白であり、伴奏者、とりわけムーアの歌心に満ちた音楽性の素晴らしさにも、今さらながら改めて感心した次第。

たまには、こういう“お勉強”も良いものだ。

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theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Wolf,H.

スヴェトラーノフ/ソヴィエト国立SOの1978年来日公演(DVD)

  • チャイコーフスキイ:交響曲第6番「悲愴」、ショスタコーヴィチ:森の歌、 マースレンニコフ (T) ヴェデールニコフ (B) スヴェトラーノフ/ソビエト国立SO、モスクワ放送cho、東京荒川少年少女合唱隊 (NHK NSDS-9489 [DVD])
5月28日の記事で紹介した買い物の続き。

最近の買い物のほとんどは、“何を今さら”といった感じのものばかりだが、ショスタコーヴィチ作品の全録音を収集することがたとえ現実的には困難だとしても、話題になった、あるいは注目すべき顔ぶれの音盤を無視する訳にはいかない。スヴェトラーノフ/ソヴィエト国立SOの日本公演のDVDも、その一つ。リリースから1年を経て、ようやく購入した。

もちろん、目当ては「森の歌」。バス歌手が「ヴェジョールニコフ」とクレジットされていたので、初めて聴く歌手かと楽しみに観始めたのだが、何のことはない、「ヴェデールニコフ」のNHK独自表記だっただけ。

同年の有名な録音(映像もある)に比べると、ややゆったりとしたテンポで、作品の抒情性がより強調されているように感じられる。この印象は、録音の特性による部分も少なくはないだろう。合唱が遠く、全体に大人しい音作りがされているようだ。

それでも、スヴェトラーノフ独特の巨大さは圧倒的に伝わってくる。終楽章のコーダなどは、居ても立ってもいられなくなるような凄まじい迫力と興奮で視聴者を強く捕らえる。こんな音楽をされたら、バンダの日本人達が最後の最後で息が足りなくなるのも仕方ないだろう。前述した有名なライヴ録音には第2楽章の合唱の入りが乱れるなどの瑕もあるので、この映像には単なる記録以上の価値があることに疑う余地はない。

「悲愴」も、どこかくつろいだような雰囲気があるが、聴かせどころをしっかりと押さえた音楽作りはさすが。映像の入手や商品化には少なくない苦労があったようだが、それは十分以上に報われている。音質はともかく、画質は褒められたものではないが、一度観始めたら、もはやそんなことは気にならない。とても素晴らしいDVDである。

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theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Shostakovich,D.D. 演奏家_Svetlanov,E.F.

『新しい音を恐れるな』

  • メッツマッハー, I.・小山田 豊(訳):新しい音を恐れるな 現代音楽、複数の肖像, 春秋社, 2010.
メッツマッハーという指揮者の名は、「Who is Afraid of 20th Century Music?」と銘打ったハンブルク州立POとの一連のジルベスター・コンサートの録音で知り、またそれでしか知らない。その音盤を手に入れた時に、アンサンブル・モデルンのピアニストを務めていたことや、現代音楽を得意としていることを知ったが、いわゆる現代音楽には積極的に手を出していないこともあり、それ以上の興味を彼に抱くことはなかった。

「Who is Afraid of 20th Century Music?」とは、ディズニーの「三匹の子ぶた」の主題歌「Who's Afraid of the Big Bad Wolf?(狼なんか怖くない)」のパロディーらしいのだが、当時は音盤屋の店頭などで「誰が20世紀音楽を恐れるか?」という訳で紹介されていた記憶がある。帰宅途中に寄り道した書店でこの本を見かけた時に、書名中の“恐れる”という語で手持ちの音盤のことを思い出したこともあって、すぐに購入してみた。もっとも、CDと本のどちらもメッツマッハーの意図を汲まない直訳をしている点では、あまり感心できた話ではない。

率直に言って、メッツマッハーが本書で取り上げている作曲家のほとんどに対して、僕はそれほどの関心を持っていない。しかし、それでも本書は、すこぶる面白かった。特に、シュトックハウゼンとヘンツェについて触れた2つの章は、語弊を恐れずに言えば、実際の楽曲を聴く以上に胸躍る気持ちで読むことができる。他の誰でもないメッツマッハー自身が、これらの音楽を心の底から楽しんでいる様子が、行間から溢れ出ているのだ。とりわけ、シュトックハウゼンの「コンタクテ」という作品(僕は聴いたことがない)に取り組んだエピソードは、本書の白眉であろう。

大学時代、3学年上に大井浩明さんがいたこともあって、現代音楽の現場に居合わせる機会が何度かあった。今思い起こせばデタラメばかりの演奏ではあったが、ブーレーズやらヴェーベルンやら武満やらナンカロウやら、面白がって未知の音楽に体当たりする現場には、独特の熱気と興奮があった。

メッツマッハーのエピソードを僕の思い出と同列に語るつもりはさらさらないが、本書には現代音楽が生み出される現場の香りが全編に満ちている。最上の意味での入門書である。

theme : 読んだ本。
genre : 本・雑誌

プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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