ロシア歌劇3題(ボルトニャーンスキイ/フォミーン/ダルゴムィーシスキイ)

  • ボルトニャーンスキイ:歌劇「息子は恋敵」 ユロフスキイ/モスクワPO他 (Melodiya C10 27433 004 [LP])
  • フォミーン:歌劇「オルフェーイ」 エシポフ/モスクワ放送SO他 (Melodiya 33C 1355-58 [LP])
  • ダルゴムィーシスキイ:歌劇「石の客」 ハーイキン/モスクワ放送SO他 (Melodiya 33C 0299-302 [LP])
9月15日の記事の続き。残る3組は、いずれも18世紀末~19世紀初頭のロシア歌劇である。

グリーンカ以前のロシア歌劇では、貴族社会で起こるたわいのない事件を題材としたものか、ギリシャ神話などに題材をとった古典的な題材のものが主流であった。ボルトニャーンスキイが1780年頃に続けて仕上げた「領主様の聖名祭」「息子は恋敵」「鷹」という3つの歌劇は、いずれも前者の題材による喜歌劇である(この内、「鷹」は8月22日の記事で紹介した)。3曲共に、当時の宮廷でフランス語が常用されていたことを踏まえ、台本および歌詞はフランス語で書かれた。以下に、音盤のライナーノーツ掲載のあらすじを概訳しておく:
【第1幕】
医師と従女サンチェッタは、医師の旧友である初老の貴族ドン・ペドロとサンチェッタの若き主人であるドニャ・レオノーラとの婚礼の準備に追われている。しかし、サンチェッタは悲しい気分である。彼女は、ドニャ・レオノーラが亡くなった父の遺志に従っているだけであるのを知っていた。ドニャ・レオノーラの心は、ドン・ペドロの息子ドン・カルロスに向いていた。

医師は、ドン・カルロスを彼の姪であるアルベルティナと結婚させたがっている。医師が立ち去った後、ドニャ・レオノーラとアルベルティナは庭に残る。彼女らは、医師とドン・ペドロから屋敷で一緒に夕食をとりたいと伝えられていた。サンチェッタは、毎晩庭にやってくるアルベルティナの恋人ドン・ラミーロを、アルベルティナの代わりに待っておくと約束する。アルベルティナはサンチェッタに感謝し、寒い夜に風邪をひかないよう、彼女に自分の肩掛けをプレゼントする。

足音が聞こえてくる。それは、父の婚約者に対する望みのない愛に苦悶するドン・カルロスのものであった。庭を眺めていた医師は、アルベルティナの肩掛けを羽織ったサンチェッタを自分の姪と勘違いし、アルベルティナがドン・カルロスとの逢い引きのために庭にやってきたと決めつけてしまう。彼は自分の夢見ていたことが実現すると思って喜ぶが、彼らの前に姿を現してしまい、若者達に文句を言われる。ドン・ラミーロも合流し、サンチェッタとドン・カルロスは医師の誤解を解こうと説明する。

ドン・ペドロとドニャ・レオノーラ、そしてアルベルティナが登場する。ドン・ペドロと医師は、ドン・カルロスを婚約者だとアルベルティナに紹介する。ドニャ・レオノーラは絶望するが、ドン・カルロスとサンチェッタは医師が誤解していること、ドン・ラミーロとアルベルティナは相思相愛であることを言う。皆は、若い二人を祝福する。
【第2幕】
ドン・カルロスは、父親の婚約者に対する愛情を罪深いことだと思い、非常に思い悩む。ドン・ペドロは、息子の悲しみの理由を知りたがる。彼は、ドン・カルロスがアルベルティナを愛しているのだと信じ込み、医師の助けを借りて彼女とドン・ラミーロとの婚約を破棄させようと持ちかける。しかし、ドン・カルロスは断固としてそれに抵抗する。ドニャ・レオノーラは、ドン・カルロスとドン・ペドロが言い争いつつ立ち去っていくのを見る。彼女は愛と義務感との狭間に涙を浮かべ、愛を犠牲にすることを決心する。

アルベルティナは、ドン・ラミーロと結婚できそうな見込みに幸せを感じている。しかし医師は、ドン・ペドロがこの婚約を破棄してアルベルティナとドン・カルロスとを結婚させるように依頼してきたことを告げる。アルベルティナは怯える。しかし、医師が再び登場し、ドン・カルロスがアルベルティナと結婚して友人であるドン・ラミーロの幸せを奪うことを拒否したと言う。

残る登場人物全てと客人達が登場する。医師は、結婚式の証人として皆を屋敷に招待していた。ドン・カルロスが、突然倒れる。居合わせた者達は絶望するが、医師は、ドン・カルロスが一命をとりとめるだろうと告げる。
【第3幕】
ドン・カルロスはベッドに運ばれ、医師は客人達に子守歌を歌うように頼む。若者は意識を回復する。医師は、ドニャ・レオノーラが現れた時に彼の心臓が強く鼓動し始めたことに気づく。ついに、医師は全てを理解し、ドン・カルロスとドニャ・レオノーラがドン・ペドロに隠してきたことを明らかにする。それは、老いた貴族には非常な打撃であったが、彼は寛大にもドニャ・レオノーラを諦め、若い二人を祝福する。合唱は花嫁と花婿を祝う。
音盤には「Reduction: B. Dobrokhotov and G. Kirkor」と明記されており、初演当時に演奏されたそのままの形ではないことが示されている。歌唱もロシア語による。したがって、上記のあらすじが当初の台本をどこまで踏襲しているのかは定かでないのだが、三角関係を巡るドタバタ劇というのは、いかにもありがちである。小粒ながらも綺麗にまとまった音楽は、音楽史上にその名を刻むほどの独創性はないながらも、ボルトニャーンスキイの個性が十分に発揮されたもの。演奏に、さしたる不満はない。



ボルトニャーンスキイの10歳下のフォミーンも、18世紀後半に活躍したロシア音楽の“第1世代”の作曲家である。この時代の作曲家の多くと同じく、彼も歌劇の分野に主要な作品を残している。今回入手した「オルフェーイ」はその名の通り、竪琴弾きのオルフェウスが毒蛇に噛まれて死んだ妻エウリュデケを冥界から連れ戻そうとするものの、地上にたどり着く寸前に振り返って妻を見てしまったために彼女はまた冥界へと消えていったというギリシャ神話が題材であり、典型的な古典題材の歌劇である。この音盤にも「Reduction: B. Dobrokhotov」という表記があり、作曲当時の形を忠実に再現したものではないが、音楽自体を楽しむには特に不都合はない。短調の曲が多いせいか、古典派の枠組みを越えるほどではないものの、情感豊かで彫りの深い音楽が展開されており、どこか後のロシア音楽を予感させような抒情が漂っている。



「力強い一団」、いわゆる「五人組」の登場前夜、ロシア音楽のロシア的なるものの確立に大きく寄与したのがダルゴムィーシスキイである。彼の最晩年の歌劇「石の客」は、残念ながら第1幕第1場のみ未完成に終わっている。ただし、作曲の過程を親しい音楽家仲間には随時披露していたこともあり、彼の死後、彼の指示に基づいてキュイーとリームスキイ=コールサコフによって補筆完成された。補筆部分に、とりたてて違和感を覚えることはない。台本はプーシキンの原作をそのまま生かし、ムーソルグスキイの「結婚」、リームスキイ=コールサコフの「モーツァルトとサリエリ」、ショスタコーヴィチの「賭博師」などと同様に、プーシキンの書いた台詞の全てに音楽がつけられている。音盤に対訳がなくても、プーシキンによる原作の邦訳さえあれば十分なのだが、音盤のライナーノーツに掲載されているあらすじを以下に大まかながら訳出しておく(なお、訳にあたっては、郡伸哉氏の訳(群像社, 2002)を参考にし、特に台詞の抜粋については氏の訳をそのまま流用した):
【第1幕第1場】
王の命に背いたドン・ファンが、国外追放から戻ってくる。彼と従者レポレッロが、マドリードの入り口近くにある修道院の外に現れる。ドン・ファンは街に戻りたくて仕方なかった。彼は何も恐れはせず、ただ「国王その人と会いさえしなければ」とだけ言った。

レポレッロは、今その前に立っている修道院が、思い出の場所であることを主人に思い出させる。ドン・ファンは、今は亡きイネスと過ごした甘美な日々を思い起こす。レポレッロは、イネスの後に付き合った女性達のことに触れ、「生きていれば、またほかの女に出会えるわけです」と言う。ドン・ファンは、生き生きとした調子でラウラに会いに行きたいと応ずる。

一人の修道僧が、彼らの会話を妨げる。修道僧は、ドン・ファンにドニャ・アナについて話す。彼女は騎士長の未亡人で、亡くなった主人の墓参りに、間もなく修道院に来ようとしていた。ドン・ファンは、彼女が美人かどうかを尋ねる。修道僧は女性の美に惑わされてはならないと答えるが、一方で嘘をつくのもまた罪で、神に身を捧げた者でも彼女のみごとな美しさを認めぬわけにはいかない、と言う。

ドニャ・アナが登場する。彼女は喪服を身に纏い、修道僧に導かれて修道院の中に入っていく。ドン・ファンは、この魅力的な未亡人と知り合いになることを決心する。彼は、夜の闇が街を覆っている間にマドリードへ入ろうと急ぐ。この“いまいましい生活”を呪いながら、レポレッロは彼の主人についていく。
【第1幕第2場】
ラウラの部屋では、客人達が彼女に歌を歌ってくれと乞うているその中には、陰気なドン・カルロスもいる。自らギターを弾きながら、彼女は「グラナダは霧に包まれ」を歌う。客人達はラウラに礼を言うが、この歌の詞を書いたのが自分の兄弟を殺害したドン・ファンであることを知ったドン・カルロスは怒り狂い、ドン・ファンとラウラに罵詈雑言を浴びせかける。ラウラはこの不躾さに激怒し、「あなた、気が狂ったの?家来たちに斬るように命じるわよ。」と叫ぶ。客人達は彼女をなだめ、ドン・カルロスは彼女に許しを乞う。ラウラはもう1曲「俺はここだ、イネジーリヤ」を歌う。「あなたが気に入ったわ」と、ラウラはドン・カルロスに言う。「わたしを罵って歯ぎしりするあなたを見てて、ドン・ファンを思いだしたわ。」

ドン・カルロスは、今でもドン・ファンを愛しているのかとラウラに尋ねる。彼女は、今はドン・カルロスを愛していると答える。ラウラは、夜空の美しさを称揚する。「なんて静かな空でしょう。空気は暖かくて、そよとも動かないわ。レモンとローレルの匂いのする夜よ。深い青味を帯びた夜空には、月が明るく輝いて……遠い北のパリでは、ひょっとすると黒い雲が空をおおって、冷たい雨が降って、風が吹いているかもしれない。」

陰気なドン・カルロスを、ラウラは何とか笑わせようとする。突如、ドアを叩く音が聞こえる。ドン・ファンが登場し、ラウラは大喜びでドン・ファンの腕の中に飛び込む。嫉妬に狂ったドン・カルロスはドン・ファンと決闘し、刺し殺される。ラウラは「いたずらばかりやる」と、ドン・ファンを非難する。
【第2幕】
修道僧の格好をしたドン・ファンは、騎士長の墓碑の陰へドニャ・アナに会いに日参している。彼は静かに彼女を遠くから崇めているだけであった。今日は、彼女と言葉を交わそうと、彼は決心する。彼は待ちかまえている間、決闘のことを思い出しながら騎士長の石像を眺めている。

ドン・ファンを修道僧と勘違いしているドニャ・アナは、瞑想の邪魔をしたと彼に詫びる。彼女は、亡き夫への祈りを一緒にしてくれるよう、この詐欺師に頼む。ドン・ファンは、自分が彼女と一緒に祈るには値せず、また、未亡人の神聖な祈りの言葉をその罪な口で繰り返すことはできないと言う。「わたしは、あなたが青白い大理石に黒髪を垂らすのを、遠くから、うやうやしく拝見するだけです。」

ドニャ・アナは驚いた。詐欺師の熱烈な感情の迸りは、彼女を混乱させた。彼女は、ドン・ファンに離れてくれと言う。ドン・ファンは、自分の話を聞いてくれるように懇願する。ドニャ・アナは、ドン・ファンに何を望んでいるのかを尋ねる。「死です」と、彼は声をあげる。彼の情熱の力に圧倒されて、ドニャ・アナはついに彼を明日の晩遅くに自宅へ来るようにと招待する。彼女が名を尋ねると、彼はディエゴ・デ・カルバドと答える。

彼らは別れた。ドン・ファンはレポレッロを呼び出し、ドニャ・アナと逢い引きすることになったと、有頂天になって告げる。レポレッロは驚く。「騎士長はなんて言うでしょう?」と彼は問いかける。

ドン・ファンは、石像をドニャ・アナの家に招待するよう、召使いに命ずる。身震いしながらも、レポレッロは従う。石像は承諾のしるしにうなずく。レポレッロは怯えて泣き叫ぶ。従者を追い払い、ドン・ファンは繰り返し招待する。石像は再び、うなずく。
【第3幕】
ドン・ファンは、約束した時間にドニャ・アナの部屋を訪れる。「ドン・ディエゴ、あなたをお通ししましたわ」と、彼女は言った。「けれど、わたしの悲しいおしゃべりが、あなたを退屈させるのではないかと心配です。夫を亡くしたあわれな女は、自分の不幸のことばかり思っていますの。4月の天気みたいに、涙が出たり、ほほえんだり。」彼女はドン・ファンに、なぜ黙りこくっているのかを尋ねる。「もしわたしが、先にあなたを知っていたら」と彼は言う、「やさしいまなざしを向けてもらう、ただそのためだけにでも、身分だろうと、財産だろうと、何でも喜んで差しだしたでしょう」。ドニャ・アナは、「夫を亡くした女は、お墓に忠実でなければなりません」と言って、彼を拒絶する。彼女は殺害された夫のことを思い起こし、「ドン・アルバールなら、妻を亡くしても、自分に恋する女を家に呼んだりはしなかったでしょう。夫婦の愛に忠実だったでしょう」と訴える。

ドン・ファンは、彼の「おそろしい秘密」をドニャ・アナに告げる。彼は、自分が彼女の夫を殺害したこと、そしてその行為に後悔していないことを告白する。ドニャ・アナは、卒倒する。意識を取り戻すと、彼女は自分の敵、罪深い放蕩者を目の前にしていることを信じようとはしなかった。「いままで、誰も愛していなかった」と、彼は情熱的にまくし立てる。

ドニャ・アナは、自分の感情を抑えようとする。「どうやってここへ来ることができたの?」と彼女は尋ねる。「見破られたかもしれないのに。そうなってたら、命はなかったでしょうに」。彼女の両手にキスしながら、ドン・ファンは「あなたは、あわれなドン・ファンの命を心配してくれるのか!君の清らかな心には憎しみというものがないんだね、ドニャ・アナ?」と言う。「ああ、あなたを憎むことができたなら!」と彼女は告白する。

別れの時が来る。ドン・ファンは、翌日の逢い引きの約束を乞う。騎士長の石像のモチーフが、その登場を予感させるように聴こえてくる。ドン・ファンは、許してくれる印に「つめたい仲直りのキス」を求める。ドニャ・アナは、彼の額に唇を当てる。

大きなノックの音がする。「隠れて、ドン・ファン」と、ドニャ・アナは怯えて叫ぶ。

ドン・ファンは、騎士長の石像と対面する。「招きにこたえて、やってきた」と大きな声が言う。「彼女は放っておけ。これですべてがおしまいだ。震えているな、ドン・ファン」。「わたしが?」と、ドン・ファンは答える。「いや、わたしは君を呼んだんだ。会えてうれしい」と、彼は毅然と述べる。石像は、彼の手を握る。「おお、重たい、石の右手で握られると!」と、ドン・ファンが言う。「放してくれ、おしまいだ」。「ああ、ドニャ・アナ!」と叫びながら、ドン・ファンと石像はあの世の炎の中へと消えていく。




ロシア語の響きを生かした朗唱様式にこだわった実験的な作品という評価をされることが多いが、いわゆる“ロシア音楽らしい”響きが随所に聴かれることにも注目したいところ。よく聴くと、オーケストラの書法は密度が薄く、お世辞にも充実しているとは言い難い。にもかかわらず、オーケストラのちょっとした動きにロシアの香りが漂うことこそが、ダルゴムィーシスキイの個性であり、グリーンカと五人組とを繋ぐ“ロシア的なるもの”の発露なのだろう。このハーイキン盤は、今となっては録音も演奏も古めかしさを禁じ得ないが、さりげないロシア臭の表出という点においては文句がない。

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tag : 作曲家_Bortniansky,D.S. 作曲家_Fomin,E.I. 作曲家_Dargomyzhsky,A.S.

【録画】沼尻竜典/群馬交響楽団/エマーソン四重奏団

  • チャイコーフスキイ:ピアノ協奏曲第1番より第2、3楽章、ショスタコーヴィチ:交響曲第12番 グロー (Pf) 沼尻竜典/群馬SO (2010.5.22 録画 [NHK ETV(2010.8.29)])
  • ヤナーチェク:弦楽四重奏曲第2番より第1、2楽章、ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第13番 エマーソンQ (2010.6.9 録画 [NHK BS-hi(2010.9.6)])
音楽番組の録画は久し振りだったが、録画したまま視聴せずに時間が経ってしまうのは相変わらずである。

群馬交響楽団高関氏が音楽監督を務めていた時代から、ショスタコーヴィチ作品をわりと積極的に取り上げていた印象がある。沼尻氏が、首席指揮者・芸術アドヴァイザー就任披露の公演でショスタコーヴィチを演奏することにしたのも、恐らくはそうした背景を意識してのことだろう。隅々までよく整えられた音程とアンサンブルは、単なる一地方オーケストラと片付ける訳にはいかない見事な水準のもの。個々の技量は傑出しているとまでは言い難いにもかかわらず、全体として上質の響きを奏でていることは賞賛に値するだろう。沼尻氏の棒は、少々神経質に過ぎるようにも感じられたが、スターリン云々という浅薄な仰々しさとは無縁の、丹念に楽曲の形を整えていく生真面目で誠実な解釈であった。その当然の帰結として、この交響曲の弱い部分も包み隠さず露わになっていたが、そのことも含めてこの端正な音楽には清々しい好感を持った。

ドヴォルザークの弦楽四重奏曲第13番は、アルバン・ベルクQの初代メンバーによる録音で夢中になった作品である。やや込み入ったアンサンブルだけではなく、純粋に各パートの技術的な難易度の高い作品だけに、映像で視聴することは勉強になるだろうと録画したもの。だが実のところ、僕はエマーソンQという団体を全くと言ってよいほど評価していない。よく耳にする彼らの宣伝文句は、メカニックに優れているというものだが、そのメカニックの水準が他の団体に比べて、むしろ劣っているとさえ思えるからだ。今回視聴したドヴォルザークでも、その印象が覆ることはなかった。まず、個々の音程がそれほど良くない。とりわけ第1Vnのセッツァーにそれが顕著である。そして何より問題なのは、音の出だしは揃っているものの、弾き方、すなわち響きのイメージは「個性の尊重」とでも言わんばかりに不徹底なことである。その結果、彼らの奏でる音楽は、少なくとも僕にとっては散漫で方向性の見えない、当たり障りのない音の羅列でしかなかった。この演奏では、ドヴォルザーク晩年の傑作の真価を知ることはできない。

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カバレーフスキイ:弦楽四重奏曲第2番/古いロマンス(ユーリエヴァ、ユローフスカヤ)

  • カバレーフスキイ:弦楽四重奏曲第2番 ナウマンQ (Urania URLP 7083 [LP])
  • Old Romances and Songs ユーリエヴァ (Vo) (Melodiya 33D-032035-36 [LP])
  • Old Romances ユローフスカヤ (Vo) (Melodiya 33 M 60-39863-64 [LP])
Ars Antiqua / Mikrokosmos Mail Order Co.からの8月到着分から。ショスタコーヴィチ関係で欲しい音盤もあったのだが、残念ながら誰かに先を越されたようで、結果的に19世紀以前のロシア音楽ばかりとなってしまった。今回は、その中から3枚を紹介する。

まずは、唯一の20世紀音楽であるカバレーフスキイの弦楽四重奏曲から。騒々しさと紙一重の陽気な音楽と甘美な旋律とが散漫に並列された、典型的な社会主義リアリズムの音楽である。ハイテンションな音の奔流にしろ歌謡曲のような旋律にしろ、悪くはないのだが、かといって強く惹かれるほどでもないのが、いかにもカバレーフスキイらしい。ただ、このような音楽を志向するのであれば、そもそも弦楽四重奏という編成を選択することが間違いであるように思えてならない。ナウマンQはソツのない演奏をしているものの、ロシア風の力強さだけではなく、基本的な技術の冴えにも欠けるのが残念。作品に対する印象が薄いのは、演奏によるところも少なくないだろう。



「古いロマンス」と題されたアルバムを、2種類入手することができた。共に18世紀後半以降のロシア歌謡そしてロシア・ロマンスといった、いわゆるロシア大衆歌曲の古典が収録されている。2枚に共通する曲はアリャービエフの「女乞食」だけだが、19世紀の歌を中心とした構成はよく似通っている。ユーリエヴァもユローフスカヤも20世紀初頭に活躍した歌手のようで、アンソロジーのようなCDも何枚かずつリリースされている。タンゴ風のアレンジがセピア色をした独特の雰囲気を醸し出すユーリエヴァ盤の方が、どちらかと言えば僕の好み。ただ、19世紀のサロンの面影は、ユローフスカヤ盤の方により色濃く投影されているように感じられる。

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【YouTube】ショスタコーヴィチ:ミケランジェロの詩による組曲(フヴォロストーフスキイ)

YouTubeに、ショスタコーヴィチ作品の新たなレパートリーがアップされていた。この作品の全曲映像は、商品はもちろんのこと、テレビ番組等を含めても初めてではないだろうか。

各曲の合間にフヴォロストーフスキイとスピヴァコーフのインタビューが挿入されており、英語等の字幕もないことから、ロシア国内のテレビ番組ではないかと推測される。ロシア語を聞き取ることのできない者にとっては、音楽の流れが無意味に分断されるのが歯がゆいものの、ショスタコーヴィチ最晩年の名作を一流の音楽家による演奏で視聴できることは、それだけで十分に価値がある。

この作品が要求しているバスの響きに対し、フヴォロストーフスキイの声質は少々軽過ぎるように感じられる箇所も少なくはないが、張りのある美しい響きは、作品に内包されている格調高くも不健康さが漂う色気を見事に表出している。オーケストラは、技術面での物足りなさはあるものの、いわゆるロシアン・サウンドの魅力は存分に味わうことができる。両者共に鋭く切り込むような表現はあまりなく、むしろ淡々と楽譜をなぞっていくような風情ではあるが、それだけに作品の荘厳さが一層際立っているようにも思える。

第1曲第2~3曲
第4~6曲第7~8曲
第9~10曲第11曲
ショスタコーヴィチ:ミケランジェロの詩による組曲
フヴォロストーフスキイ (Br)、スピヴァコーフ/ロシア・ナショナルPO(2007年10月3日)

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懐かしのレーザーディスク

  • モーツァルト:弦楽四重奏曲第16番、バーバー:弦楽四重奏曲第1番 東京Q (東芝EMI TOLW-3705 [LD])
  • シューベルト:弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」、ベルク:弦楽四重奏曲 アルバン・ベルクQ (東芝EMI WV060-3505 [LD])
僕が大学生だった1990年代前半、映像ソフトの主力メディアはレーザーディスクだった。レーザーディスクといえば、中学2年生の時に赴任してきた音楽のY先生のことを思い出す。Y先生はとにかく創意に溢れた人で、確か生徒会の顧問か何かで接する機会があり、何かと影響を受けたものだ。僕の中学時代といえば1980年代半ばである。その当時にY先生は、授業でレーザーディスクのソフトをいくつも観せてくれた。自身も声楽を学んでこられたこともあって、パヴァロッティのコンサート映像を流しながら熱く語っていた様子などは、今でもはっきりと思い起こすことができる。「サウンド・オブ・ミュージック」や「メリーポピンズ」を何回かの授業に分けて観せてくれたこともあった。

そんなこともあってか、音盤屋のレーザーディスクが置いてある一角には、一種独特の憧れが入り交じったような気分で足を運んだものだ。もっとも、1枚の値段が決して安くはなかったので、どうしてもCD複数枚とLD1枚を天秤にかけることになり、LDがDVDにとってかわられるまでの10年足らずの間に購入したLDソフトは、結局のところ、わずか50枚足らずであった。

7月の下旬だったか、知人のお宅で四重奏をして遊んだ後、酒を飲んでいると、ふと「ウンジャン時代の東京Qの映像があるなら観てみたい」という話題になった。LDを1枚持っていた記憶はあったのだが、収録曲がはっきりと思い出せぬまま帰宅し、さっそく棚を漁ってみると、モーツァルトの16番とバーバーの1番というカップリングのアルバムを発見。モーツァルトの16番は偶然にも練習中の曲だったので、酒の肴も兼ねた参考資料としてDVDにおとしてみた。



LDからDVDへの変換はMacを使って行ったのだが、エンコード等の処理に時間はかかるものの、DVD作成そのものはとても簡単であることを知り、機材をつないだついでに、めぼしいソフトを一気にDVD化することにした。C. クライバーのコンサート映像などは、今ではDVDで、それも比較的廉価で入手できるので今回はDVD化しなかったのだが、それでも予定したソフトの全てをDVD化するのに8月いっぱいかかってしまった。

ずっしりと重い光る円盤を手にすると、学生時代、部屋に仲間を集めて朝まで酒を飲みながら何度も繰り返し観た記憶が蘇ってくる。中でも、壮年期のアルバン・ベルクQの映像は、それこそ10年振り位に観たのだが、自分でも驚くほど隅々まで覚えていた。1984年の収録なので、最年長のピヒラーとカクシュカが44歳、エルベンは今の僕と同じ39歳で、最年少のシュルツは何と33歳(!)である。この頃にリリースされた「死と乙女」&「ロザムンデ」、ドビュッシー&ラヴェル、カーネギー・ホールでのライヴ、モーツァルトの弦楽五重奏曲第3&4番といった辺りがアルバン・ベルクQの技術的な頂点だったというのが、僕の持論である。確かに後年の録音や映像では音楽面のさらなる深化を聴くことができるものの、この若々しくも完成した映像の魅力と凄みが色あせることはない。



映像を観ている内に、それこそ使っている弦の種類まで真似するほど夢中になって観ていた当時の熱い想いが、ふつふつと沸き上がってきた。はやる心に身体がついていかない、運動会のお父さん状態なのが切ないが。

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tag : 演奏家_東京Quartet 演奏家_AlbanBergQuartet

プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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