兵庫芸術文化センター管弦楽団第43回定期演奏会

兵庫芸術文化センター管弦楽団第43回定期演奏会
  • ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番
  • ショスタコーヴィチ:交響曲第1番
  • ショスタコーヴィチ:交響曲第10番より第2楽章【アンコール】
2011年5月21日(土) B. ベルキン(Vn) 井上道義(指揮) 兵庫県立芸術文化センター大ホール

近所に住んでいるにもかかわらず、PACオーケストラを聴くのは、今回が初めて。今までにもショスタコーヴィチ作品が取り上げられていたことはチェックしていたのだが、何となく聴きそびれていた。正直なところ、今回の演奏会にもさしたる期待を抱いていたわけではなく、一番安い席を当日券で買えば十分だろうと、前日に21日(土)の公演を聴きに行くことを決め、開演15分前に当日券ブースへと到着。

西宮北口駅から兵庫県芸術文化センターへと向かう通路の人混みは、まさに想定外のもの。客席は少なく見積もっても7割以上は埋まっており、当日券はA席しか残っていなかった。ヴァイオリン独奏の見やすさを考えて、1階最後列上手側の席を選択。地道に活動を積み重ねることで、これほどの固定客を獲得してきたことに感心するとともに、自らの無関心さを少々反省した次第。ただ聴衆の質はあまり高くはなく、演奏中の咳は仕方ないにしても、痰をまき散らすかのような品性のない咳を辺り憚ることなく繰り返されたのには閉口した。曲の緊張度がいい感じで高まると決まって誰かが咳をしていたので、ある意味では感受性が高いと言えなくもないのだろうが、それにしても遠慮というものがあってしかるべきだろう。

さて肝心の演奏だが、ショスタコーヴィチの音楽を楽しむには不足しなかった、といったところ。ヴァイオリン協奏曲は、ベルキンの独奏の線の細さと技術的な不安定さに不満があったものの、独特の確信に満ちた解釈には相応の説得力があった。井上氏との息もよく合っており、両者共に納得の上での演奏だと思われた。ただ、随所に聴かれる自由な弾き崩しは、僕にはあまりに感覚的に過ぎるように感じられた。井上氏はポイントで芝居がかったアクションを見せるものの、基本的にはベルキンにピタリと合わせる堅実な指揮であった。もっとも、第2楽章や第4楽章におけるアンサンブルの難所で極めて明確にキューを出していたところを見ると、オーケストラのフォローに随分気を配っていたことも窺えた。第4楽章で危ない瞬間もなくはなかったが、まずは無難にまとめていたと言ってよいだろう。ショスタコーヴィチのテンポ指示は、その前後の処理について不親切なので、漸次的な加速/減速をして滑らかにテンポを変える解釈と、ギアを入れ替えるように一気にテンポを変えてしまう解釈とがあり得るが、この日の演奏は後者のパターン。ただ、その全てが成功していたとは言い難く、たとえば第2楽章のコーダではオーケストラがついていけずに元のテンポに戻ってしまったのは残念。第3楽章ではパッサカリア主題を執拗に強調していたが、クライマックスで主題を奏でる独奏ヴァイオリンを引き立たせるためにオーケストラの音量を絞ったのは、ベルキンの線の細さもあって、音楽の流れという点で共感しかねた。

メインの交響曲第1番は、意図するところを全身で表現する井上氏の指揮を楽しんだ。アンコール前に井上氏が客席に向かって語った言葉の中に、「いびつな19歳」という表現があったのだが、まさにその“いびつさ”をデフォルメし尽くそうという意欲が舞台上から溢れ出さんばかりの指揮姿であった。……のだが、笛吹けど踊らずとはこのことで、オーケストラがその意図を音にすることができておらず、聴こえてくる音楽は、ごくありきたりの滑らかに整ったもの。この指揮者とオーケストラとの間の齟齬は、井上氏が意図した“いびつさ”と全く異なることは言うまでもない。ロシアの伝統的な交響曲の系譜に連なる作品であることを思い起こさせるような演奏であったと、結果としては言えなくもないが、それがオーケストラの表現力の欠如に起因しているのであれば、是とするわけにはいかないだろう。唯一、手放しで賞賛したいのは、チェロのゲスト・トップ・プレイヤーとして出演していた林 裕氏のソロ。第3楽章と第4楽章のソロは、全てにおいて世界水準であった。

アンコールは、小じんまりとまとまった演奏。金管楽器の音色は、悪い意味でのブラバン的な無色透明さで、実際に聴こえてくる音量にもかかわらず、スコアが持つ威圧的な響きが表出されていないのは大いに不満。ただ、音がはずれないという次元での精確さは確保されていた。もっとも、メインの交響曲ではトランペットが残念な出来ではあったが。

以上、こうして書き出せば不満ばかりのようにも思えるが、それでも生で聴くショスタコーヴィチは格別だ。第46回(10月)は第15番、第50回(3月)は第14番が演奏予定である。是非、また会場に足を運びたいと思っている。
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genre : 音楽

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シェバリーン、カバレーフスキイ、スヴィリードフ

  • シェバリーン:ヴァイオリン協奏曲、ホルンと管弦楽のためのコンチェルティーノ ジューク (Vn) アファナーシエフ (Hr) アラノーヴィチ、アノーソフ/モスクワ放送SO (Melodiya D 015389-15390(a) [LP])
  • カバレーフスキイ:ピアノ協奏曲第2&3番 フェーリツマン (Pf) カバレーフスキイ/ソヴィエト国立SO マンスーロフ/モスクワPO (Melodiya 33 C 10-08015-16(a) [LP])
  • スヴィリードフ:R. バーンズの詩による歌、シェイクスピア組曲より第4、1曲 ヴェデールニコフ (B) ナウーモヴァ (Pf) (Melodiya 33CM 02251-52 [LP])
久し振りにArs Antiqua / Mikrokosmos Mail Order Co.で買い物をした。ここのところ、ショスタコーヴィチ関連の音盤にめぼしい出物を見つけることができず、カタログも雑に斜め読みする程度だったのだが、今回は不思議と目に留まる音盤が何枚かあり、しかもその全てを入手することができた。

まずは、シェバリーンの協奏曲集。どこか近代フランス音楽のような響きながらも、嫌味を感じさせない民族臭が漂う音楽は、なかなか魅力的である。大作ヴァイオリン協奏曲は、地味ながらも技巧的な聴かせどころに不足せず、奏者にとっては相当の難曲と思われる。ただ、幾分の冗長さは否めず、初演者ジュークの快演をもってしても途中で退屈する瞬間があるのは残念。その点で、簡潔にまとめられたホルン協奏曲には不満がない。アファナーシエフによる典型的なロシア流儀の吹奏も、哀愁を帯びた曲調に相応しい。


フェーリツマンによるカバレーフスキイのピアノ協奏曲集は、第3番はCDで架蔵済みだが、第2番が曲自体初めて聴くもの。これぞ社会主義リアリズムといった、わかりやすく歌謡的なメロディーラインが民族的な明るさを湛えたリズムにのって、華麗で技巧的なパッセージに彩られながら展開していく構成には、ある種の潔さすら感じる。こういう音楽は、余計なことを考えずに音の奔流を愉しむに限る。


ヴェデールニコフで聴くスヴィリードフには、これぞソヴィエト歌曲の真髄と呼ぶに相応しい貫禄がある。ネステレーンコのどこか気取った格好よさとは異なる、田舎臭い鈍重さがたまらなく魅力的。このアルバムに収録された歌曲はいずれも初期の明朗な曲調の作品だが、簡潔に並べられた音と音との間の雄弁さは、いかにもスヴィリードフらしい。


あと3枚届いているのだが、それはまた後日。

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genre : 音楽

tag : 作曲家_Shebalin,V.Y. 作曲家_Kabalevsky,D.B. 作曲家_Sviridov,G.V.

プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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