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佐渡祭り

  • 題名のない音楽会 出光創業100周年記念企画(1) 佐渡裕×ベルリン・フィル(1) (録画 [ABC (2011.6.5)])
  • 題名のない音楽会 出光創業100周年記念企画(2) 佐渡裕×ベルリン・フィル(2) (録画 [BS朝日 (2011.6.18)])
  • 夢のタクトを振る日~指揮者 佐渡裕 ベルリン・フィルへの道~ (録画 [MBS (2011.6.5)])
  • 佐渡裕指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会(武満徹:フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム、ショスタコーヴィチ:交響曲第5番)、ベルリン・フィル・イン・シンガポール(ラフマニノフ:交響的舞曲、マーラー:交響曲第1番「巨人」)、ベルリン・フィルの栄光と歴史 佐渡裕、ラトル(指揮) (2011.5.20、2010.11.24 録画 [NHK BSプレミアム(2011.6.11)])
  • N響アワー「ウィーン・フィル キュッヒルさん登場!」 (R. シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」) 尾高忠明/NHK交響楽団 (2011.5.7 録画 [NHK-ETV (2011.6.26)])
佐渡裕のベルリンPO定期出演から、一ヶ月以上が経った。そこが世界最高の舞台の一つであり、その出演が快挙であることに何ら異論はないが、クラシック音楽界の出来事にしては、一般メディアが随分と大きく取り上げたことに驚いた。もっとも、クラシックだから客が入らなくて当然だという姿勢は、屈折した選民意識の裏返しでもある。必要以上に大衆へおもねることはないが、他の様々なジャンルの音楽と同様、広く関心を集める努力は大切だろう。

6月上旬に集中して特番が組まれた“佐渡祭り”が、その良い機会であったことに疑う余地はない。終始上機嫌で、有り体に言えば浮かれていた佐渡氏の姿は、それが心の底からの喜びの現れであるだけに、少なくとも嫌悪感を持たれるような類のものではなく、メディア慣れした語り口は、クラシック音楽にさして興味のない視聴者にも訴えるところが小さくはなかっただろう。率直に言って「なぜこんな大騒ぎに?」という疑問はあったが、それでも放送された番組はいずれも(NHKのハイビジョン特集「情熱のタクト ~指揮者 佐渡裕 ベルリン・フィルへの挑戦~」は見逃してしまったが)十分に楽しんで視聴した。中でも、国分太一(TOKIO)がナビゲータ役を務めた「夢のタクトを振る日」は、程良く表面をなぞっていて、1時間という枠の中で上手にまとめられた、なかなかの内容であった。

さて、僕がこの演奏会に関心を寄せたのは、改めて言うまでもなく、ショスタコーヴィチの交響曲第5番が取り上げられていたからだ。もう10年以上も前の1998年、「見聞塾」(ベネッセコーポレーション)という大人の学習教材といった風情のシリーズの一つとして「オーケストラの鼓動」という書籍が発売された。そこには“補助教材”として佐渡氏が新星日本交響楽団を振った同曲のリハーサルと本番の映像を収録したVHSが同梱されていた。佐渡氏の解釈は、もちろん歳月と経験を重ねた末の進境があるにせよ、今回のベルリンPOとの演奏も基本的にはこのビデオに聴かれるものと変わっていない。

語弊を恐れずに言えば、極めて感情的な演奏である。それは、主としてスコアが紡ぎ出す響きに対する感覚的な反応とも言うべきもので、ソ連、スターリン……といった文脈とは無関係である。それ故にこうした解釈を“現代的”だとするのは短絡的に過ぎるとしても、ソ連の記憶が歴史の彼方へと去りつつある今日においては、自然なものと感じる聴き手もいるだろうことは否定し得ないところだ。少なくとも、ショスタコーヴィチのこの交響曲には、こういうアプローチを許容する懐の深さがある。

問題は、その感情が単純な激情一辺倒であったことにある。会場でベルリンPOの豪華な音響に身を浸していれば、際限のない強奏に、もしかしたら本能的に興奮したのかもしれない。しかし率直に言って、陰影がほとんど感じられない、単調な音楽の運びには物足りなさを感じた。実のところ、最もオーケストラの響きに溺れ、本能的に興奮していたのは佐渡氏自身であっただろうことは、その指揮姿からも窺えた。そのせいで妙に醒めた気分で視聴してしまったことも、また事実であるが。

比較するのは酷であろうが、ラトルが振ったシンガポール公演を観て、オーケストラを掌握している度合いに雲泥の差があることに、指揮者の困難さと同時に凄さや重みを強く感じた。ベルリンPOの歴史を辿ったドキュメンタリーを観つつ、その存在だけで聴き手だけでなく奏者をも魔法にかけてしまうような指揮者は、もはや現代には存在し得ないのかもしれないとも感じた。佐渡氏のように溢れ出す感情を感覚的にまとめていくような指揮者にとっては、居心地の悪い時代なのかもしれない。

ベルリンPOと同様にウィーンPOというブランドも、聴衆と演奏家の双方にとって大きな意味がある。ウィーンPOのキュッヒルをゲスト・コンサートマスターに迎えての「英雄の生涯」は、尾高氏の手堅い棒さばきもあって、近年のN響にしては随分まとまりの良い好演であった。

「英雄の生涯」といえば、僕がまだ高校生の頃、学校に配布された無料招待券を昼休みにジャンケンで勝ち取って聴きに行った札幌交響楽団の第279回定期演奏会(1987年3月19日)を懐かしく思い出す。当時の札響は、ファゴットの戸沢宗雄、トランペットの杉木峯夫、フルートの細川順三といった名奏者達が退団し、団員の入れ替えが行われつつあった時期であった。1986年4月には、音楽監督の岩城宏之がメルボルン交響楽団から連れてきたマイケル・キシンがコンサートマスターに就任し、今考えると、当時の地方オケとしては出色の水準を誇っていたのではないかと思う。前半に演奏された一柳慧の作品(インタースペース・フォー・ストリング・オーケストラ)やモーツァルトのフルートとハープのための協奏曲(Fl:細川順三、Hp:吉野直子)の記憶は全く残っておらず、「英雄の生涯」も全体がどのような演奏であったのかは覚えていない。ただ、コンマスのキシンと、ホルンの窪田各告己(克己)の素晴らしさだけは、今でも鮮烈な記憶として、強く印象に残っている。気がつけば、四半世紀も昔の話である。
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theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Shostakovich,D.D.

ミャスコーフスキイ:交響曲第23番/ヴァーインベルグ:ピアノ五重奏曲

  • ミャスコーフスキイ:交響曲第23番、シチェドリーン:交響曲第1番 コヴァリョーフ/モスクワ放送SO アノーソフ/モスクワPO (EMI ASD 2927 [LP])
  • ヴァーインベルグ:ピアノ五重奏曲 ヴァーインベルグ (Pf) ボロディーンQ (Melodiya C 0667-668 [LP])
Ars Antiqua / Mikrokosmos Mail Order Co.から届いた後、一ヶ月以上も未聴のまま放置してしまった。

ミャスコーフスキイの交響曲を知ろうとするならば素直にスヴェトラーノフの全集を買えばいいのだが、一度に27曲を聴き通す気力もなく、当面は単品を見かけた折りに買い求めていくというスタンスを変えるつもりはない。そもそもスヴェトラーノフ以外で全27曲が揃うのかどうかは知らないのだが、とりあえず今回は第23番を手に入れた。

基本的には平明な曲調でありながらも、暗く淀んだ陰影を持つ和声が、いかにもミャスコーフスキイといったところ。とりたてて印象に残るような箇所はないので、実演で聴くよりも、部屋でリラックスしながら雰囲気に浸るような聴き方の方が向いているように思われる。マスタテープに撚れでもあるのか、途中で大きく乱れる録音は残念だが、雰囲気豊かな演奏は悪くない。

カップリングのシチェドリーンは、2010年11月15日の記事で紹介したものと同一音源。


ヴァーインベルグのピアノ五重奏曲は、2009年12月17日の記事で紹介したコーペリマンQの映像で初めて聴き、気に入っていた作品である。作曲家とドゥビーンスキイ時代のボロディーンQによる録音がリストに挙がっていたので、迷わずオーダー。

この顔ぶれに誰もが期待するであろう通り、非の打ち所のない名演である。何かに取り憑かれたようなテンションの高さを真正面から受け止め、芝居がかっているとすら感じられるほどの大きな身振りで劇的に仕上げられた音楽は、まさしくこの作品の理想的な姿であろう。

theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Myaskovsky,N.Y. 作曲家_Weinberg,M.

シュポア:九重奏曲他(チェコ九重奏団)/君が代のすべて

  • シュポア:九重奏曲、ベールヴァルド:大七重奏曲 チェコ九重奏団 (Supraphon COCO-78797)
  • 君が代のすべて (KING KICG 3074)
ちょっとした時間潰しに、BOOKOFF西宮北口店に入った。特に何かを探そうという意思は全くなく、漫然と漫画やらDVDやらを眺め、子供用のCDを何枚か物色した後、申し訳程度にクラシックの棚もチェックしてみた。

そこで見つけたのが、チェコ九重奏団によるシュポアとベールヴァルドの室内楽である。両曲とも音盤は架蔵していないし、ベールヴァルドは聴いたこともない作品だったので、購入してみた。

幾分古風ですらあるチェコ流儀の響きは、ファンにはたまらないだろう。手堅くも伸びやかなアンサンブルは、いかにも室内楽といった趣。ただ、楽曲そのものの魅力がやや弱い。BGM的な聴き方をしている分には心地よいのだが、肩肘張った“鑑賞”にはそぐわない。こういう音楽はスピーカーに向かって聴くより、実際に演奏して愉しむべきものなのかもしれない。



さて、この時に物色した子供用のCDを捕獲しに、後日また店へ足を運んだ。毎度のことながら何の期待も抱かずに横目でクラシック付近の棚に目をやると、「君が代のすべて」というアルバムが目に入った。これはグラズノーフの「連合国国歌によるパラフレーズ」が収録されていることで以前からチェックしていた音盤だったが、価格が高いので買いそびれていたもの。またとない機会なので、喜び勇んでレジへと持って行った。

このアルバムは、現行の「君が代」が作曲されて120年を記念し、2000年にリリースされた企画盤。タイトル通り、徹頭徹尾「君が代」に特化した内容は、1999年8月13日に「国旗及び国歌に関する法律」が公布・即日施行されて間もなかったこともあり、当時はそれなりに話題になったようだ。

収録内容は、以下の通り:
  1. 君が代(前場コウ)
  2. 君が代(野中図洋和/陸上自衛隊中央音楽隊)
  3. 君が代(初代)(青木凱征/海上自衛隊東京音楽隊)
  4. 君が代(和歌披講/古謡)(芝祐靖、石川高、八木千暁、田渕勝彦)
  5. 君が代(雅楽版)(宮内庁楽部)
  6. サザレイシ(保育唱歌)(小林綾子、芝祐靖)
  7. 君が代(小学唱歌)(小林綾子、角聖子)
  8. 君が代(藤山一郎、青山繁子)
  9. 君が代(吾妻婦人音楽連中)
  10. 君が代~君が代(ラッパ譜)(陸軍戸山学校軍楽隊)
  11. 君が代(納所文子、納所辧次郎、村田操、澤田孝一)
  12. 君が代(本郷小学校生徒)
  13. 君が代(木下保、内田栄一、斉藤静子、黒沢貞子、辻順治/陸軍戸山学校軍楽隊)
  14. 君が代(雅楽版)(宮内省楽部)
  15. 君が代(ラッパ譜)~君が代(内藤清五/海軍軍楽隊)
  16. 君が代(近衛秀麿/伯林フィルハーモニック管絃楽団)
  17. 宮城道雄:君が代変奏曲(宮城道雄、時田初枝、牧瀬喜代子)
  18. エッケルト:大日本帝国国歌行進(春日楽長/陸軍戸山学校軍楽隊)
  19. 吉本光蔵:君が代行進曲(青木凱征/海上自衛隊東京音楽隊)
  20. ビュッセール:日本のメロディーによる即興曲(早川りさこ)
  21. 成田為三:君が代変奏曲より(角聖子)
  22. グラズノーフ:連合国国歌によるパラフレーズ作品96より(西本智実/日本フィルハーモニー交響楽団)
  23. プッチーニ:歌劇「蝶々夫人」第1幕より(福森湘/東京フィルハーモニー交響楽団、佐藤ひさら、福井敬、折江忠道、松浦健)
  24. ガイヤール:歌劇「戦争」第3幕より(内藤裕史/アンサンブル・ヴェルソー、清水良枝)
  25. 山田耕筰:御大典奉祝前奏曲ー「君が代」を主題とせる(山田一雄/東京都交響楽団、東京混声合唱団)
  26. さとわの夢(ウォン・ウィンツァン)
目当てのグラズノーフの作品は、残念ながら、「君が代」部分だけの抜粋であった。

「君が代」の成立に至る過程を、実際の音として聴くことができるだけでも十分に貴重だが、本盤の素晴らしさは、片山杜秀や所功をはじめとする豪華執筆陣による54ページにも及ぶ充実した解説にもある。「君が代」に関する第一級の資料と言ってよいだろう。「日の丸・君が代」法制化に対する賛否は別にして、日本に生まれ、日本人として日本に生きていく以上、避けて通ることのできない問題を考える上で、是非とも手元に置いておきたい一枚である。

アルバムの後半は、「君が代」を主題として用いた楽曲が、多数収録されている。「君が代」の持つ音楽的な可能性の全てを提示するかのような、多種多様な楽曲群に圧倒される。ガイヤールの歌劇「戦争」からの抜粋などは、当時の日本人がどのように見られていたかを端的に示す、興味深い音楽資料である。

HMVジャパン

theme : クラシック
genre : 音楽

DSCH社の新全集第149巻


  • ショスタコーヴィチ:8つのイギリスとアメリカの民謡、スコットランド民謡「アニーローリー」の編曲, 新全集第149巻, DSCH, 2009.
  • ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第14番 作品142, スコア, DSCH, 2001.
  • ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第14番 作品142, パート譜, DSCH, 2001.
いつも利用している楽譜の通販サイトから、送料無料セールの案内が届いた。せっかくなので、DSCH社の新全集の1冊を購入。

「8つのイギリスとアメリカの民謡」は、大祖国戦争中、連合国間の絆を誇示する必要から行われた音楽イベントのために準備された作品。8曲中、アメリカ民謡は最後の1曲のみ。
  1. 南風よ吹け
  2. ジョン・アンダーソン、マイ・ジョー
  3. ビリー・ボーイ
  4. 樫とトネリコ
  5. アーサー王の召使いたち
  6. ライ麦畑で出逢ったら
  7. 若者出て来い
  8. ジョニーが凱旋するとき
全連邦海外文化交流協会(ВОКС)の代表であったグリゴーリイ・ミハイーロヴィチ・シネエルソーンの要請でオーケストレイションがなされたが、当初はイギリス民謡のみの7曲だった。その後、シネエルソーンから重ねて依頼されて、アメリカ民謡も1曲追加された。初演は最初の7曲と「ジョニーが凱旋するとき」とは別に行われた。全曲揃っての初演は、1960年5月26日のことである。初演時は第2、3、5曲がマーク・レーイゼン (B)、第1、4、6、7曲がラリーサ・エルチャニノヴァ (MS)、第8曲はパンテレイモン・ノルツォフ (Br)が独唱を務め、1960年の全曲初演時にはヴラディーミル・マツーソフが8曲全てを歌った。ロジデーストヴェンスキイの2種の録音は、第1~7曲が女声、第8曲が男声となっており、この総譜に括弧書きで記されている指示と一致しているが、実際には声域さえ合っていれば良いということなのかもしれない。譜面そのものも勿論だが、こうした成立背景などが詳述された解説と丁寧な校訂報告は、新全集の価値をより一層高めている。なお、付録のピアノ伴奏用編曲はショスタコーヴィチの手によるものではなく、この楽譜の校訂作業を担当したヴィクトール・エヒモフスキイによる編曲である。

この第149巻の目玉は、「アニーローリー」の編曲が収録されていることだろう。この編曲は、今のところ(おそらく)録音されていない。そもそも僕は、この編曲の存在すら知らなかった。作曲時期や編成を比較するだけでも、この編曲が「8つのイギリスとアメリカの民謡」と同一のルーツを持つ作品であることがわかる。初演の際には、「南風よ吹け」が一緒に演奏されたとのこと。元ネタと推測されるピアノ伴奏譜も付録として収録されているが、オーケストレイションは基本的にそれをなぞっただけと言ってよいだろう。ショスタコーヴィチの職人的な仕事ぶりが窺える。

普及版の楽譜も買いそびれている内に、地道にではあるが新刊が次々と出版されている。未購入リストがいたずらに増えるのも気分が良くないので、今回は弦楽四重奏曲の楽譜を購入。第14番は、近い内に演奏したいという密かな野望を抱いている曲。版による音の違いなどはなく、旧選集にあったベートーヴェンQの書き込み(?)が一部削除されている程度。Sikorski版パート譜にはなかった細やかなガイドは、奏者によってはありがたくもあり、鬱陶しくもあり、といったところか。

theme : クラシック
genre : 音楽

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支離滅裂な読書録

相変わらず、個人的な三国志ブームが続いている。大分前の話になるが、今年の1月にテレビ朝日系の日曜洋画劇場で、ジョン・ウー監督の「レッドクリフ Part I」(2008年)と「レッドクリフ Part II ―未来への最終決戦―」(2009年)を観た。この映画の一般的な評価がどのようなものかは知らないのだが、戦闘シーンの壮麗さはともかく、登場人物間の駆け引きの描写には物足りなさが残った。とはいえ、他人の脚本に文句ばかり言っていても仕方がない。どうせならこの機会に「正史」に取り組んでみようと、魏書から読み始めてみた。

正直なところ、簡潔で淡々とした記述に面白さを見出すには至らないのだが、だからこそ、それらの事実を繋ぐ虚実入り交じった“物語”が「三国志」の肝なのだと感じた次第。

それにしても、列伝に取り上げられている人数の膨大なこと。しかも、皆がそれなりの仕事をし、それなりの言葉を遺している。後世の美化や脚色もなくはないのだろうが、皆それぞれに乱世を生き抜き、名を残すに足るだけの何かを成し遂げたには違いない。



何もしていないばかりか、自分が何もできないことを自覚すらできず、それでいて名を残すことばかり考える人間の何と醜悪なことか。「今はそれどころではないから仕方ない」という思考停止は、「自民党じゃだめだから能力がなくても仕方ない」という思考停止と全く同種のもの。美辞麗句で彩られた空虚な理想もどきと現実的な職務遂行能力とを、狂った天秤に掛けた結果が、現在のこの有様だ。さすがに天変地異の予測まではできないが、愚者に権力を持たせて調子に乗らせたらどうなるかなど、頭を使って考えるまでもなく分かったはずだ。今さら反省するにはこのたった2年で失った物は大き過ぎるが、少なくともまともな理性を取り戻しておかなければ、我々は祖国を失いかねないことを理解すべきだ。自民党や官僚、あるいは東電などがいかに底知れぬ問題を抱えているのだとしても、それは現政権を1%たりとも支持する理由にはなり得ない。

口角泡を飛ばして、擁護にすらならない感情的な強弁を狂人さながらに喚き散らす“知識人”と、その言説を表面的になぞっただけに過ぎぬ“一般人”の街角インタビューの類をテレビなどで見てしまうと、心底、気が滅入る。

だからこそ、人類の知性の力をいつも以上に信じたくなる。『ホーキング、宇宙を語る』は、大学に入って間もない頃に夢中になって読んだ、思い出の本である。近年の成果を盛り込んだホーキングの最新刊は、やや哲学的な思索が前面に出ているようにも感じたが、それゆえに理系/文系を問わず、そこそこの論理的思考ができる人には抜群に面白い一冊であろう。



閑話休題。

最近は随分と少なくなったが、TVアニメが放映されてからしばらく、我が家の近所では“聖地巡礼”に訪れる人が目に付いた。いわゆるオタクの気質には理解がある、というよりも、対象がアニメでないというだけで、自分がかなりのオタクであることは十分に自覚しているので、そうした賑わい(?)を鬱陶しく思うより、むしろその世界をのぞいてみたい気持ちがあったりもした。

先日、レンタル・ショップでふと思い立ち、2010年に公開された『涼宮ハルヒの消失』という映画を借りてみた。これが思いの外に面白く、映画としても秀逸な内容だったことに感心し、原作を一気に読んでみることにした。作者の事情で長らく執筆が止まっていたようだが、4年ぶりの最新刊が出版された、またとないタイミングであったのはラッキーだったと言って良いのだろう。ライトノベルと呼ばれるジャンルの書籍を手に取ったのは、人生で初めてのこと。いい歳をして、あの表紙をレジに持っていく勇気がなく、結局Amazonで揃えた次第。小心者である。

通勤の一往復でほぼ一冊読み終えられるような気軽さながらも、程良く意表を突くストーリー構成や登場人物達のキャラ設定の面白さに、なるほど大ヒットした訳だと納得した。

作品の核となっている時間や空間の概念に、ホーキングの本で読んだ現代物理学が示している事柄が反映していて……みたいな牽強付会をするつもりは毛頭ない。何かと憂鬱な気分になることが多いだけに、こういう後味のすっきりとした読書は、実に手軽な娯楽である。少なくとも、ワイドショーの類を見ているよりは、よほど有意義な時間の使い方であることは間違いない。難点は、可愛らしい女の子達の挿絵。今さら萌えるような歳でもなく、むしろそれを見ているのを誰かに見られてないかと、周囲を気にしながらそそくさとページをめくってしまう始末。小心さゆえに挙動不審になってしまうとは、オタクを名乗るにはまだ修行不足といったところか。

theme : 読んだ本。
genre : 本・雑誌

プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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