【演奏会のお知らせ】シュペーテ弦楽四重奏団 第1回公演

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私が参加している弦楽四重奏団が、下記の要領で第1回公演を行います。本番まで約一ヶ月となりましたので、宣伝させていただきます。

 
シュペーテ四重奏団 第1回公演
Das Späte Quartett
 
2011年9月19日(月・祝):開場13時30分・開演14時
  聖アグネス教会 (京都府京都市上京区烏丸下立売角)
  ※京都市営地下鉄烏丸線「丸太町」下車 徒歩3分
後援:京大音研同窓会
 
2011年9月24日(土):開場13時30分・開演14時
  カトリック夙川教会 地下ホール (兵庫県西宮市霞町5-40)
  ※阪急神戸線「夙川」下車 徒歩5分/JR神戸線「さくら夙川」下車 徒歩15分
後援:西宮市・西宮市文化振興財団・京大音研同窓会
 
森住 憲一(Ken 1. Morizumi):Violine & Viola
工藤 庸介(Yosuke Kudo):Violine & Viola
石金 知佳(Tomoyoshi Ishikane):Violine
金山 秀行(Hideyuki Kanayama):Violoncello
 
プログラム
 W. A. モーツァルト:弦楽四重奏曲第16番 変ホ長調 KV 428 (421b)
 A. v. ヴェーベルン:弦楽四重奏のための緩徐楽章(1905年)
 L. v. ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第12番 変ホ長調 作品127
 
入場無料

シュペーテ弦楽四重奏団は、学生時代からの付き合いをきっかけに集まった4人で、2009年8月に結成しました。シュペーテ(späte)とは、ドイツ語で「後期の、晩年の」といった意味の形容詞です。かつて学生時代にベートーヴェンの後期四重奏曲のことを、畏怖と憧れを込めて「シュペーテ」と呼んでいたことが由来の一つです。人生も半ばに至り、若い頃は手を出せずにいた大作曲家の後期の傑作群を一度は弾いてみたいという、蛮勇と紙一重の目標を立ててアンサンブルを愉しんでいます。弦楽四重奏団としては邪道でしょうが、チェロ以外の3人はパートを固定していません。

初の公開演奏にあたっては、ベートーヴェンの後期四重奏曲の幕開けを告げる第12番をメインに、ロマン派を強く予感させるモーツァルトの第16番、後期ロマン派の残滓であるヴェーベルンの習作を並べてみました。前半のモーツァルトとヴェーベルンは「工藤 (Vn 1)-石金 (Vn 2)-森住 (Va)-金山 (Vc)」、後半のベートーヴェンは「森住 (Vn 1)-石金 (Vn 2)-工藤 (Va)-金山 (Vc)」というパート割りで演奏します。

入場は無料で、整理券等はありません。両会場ともに100席程度の座席数です。

どちらの公演も連休中ではありますが、もしご都合がよろしければ、皆様お誘い合わせて足をお運びいただけましたら幸いでございます。
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theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 演奏活動_DasSpäteQuartett

【YouTube】Timofei Dokschitzer Trumpet Collection

気の赴くままにYouTubeをさまよっていると、ポーストニコヴァとロジデーストヴェンスキイの夫婦共演によるショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番の映像を見つけた。ただし、投稿者はあくまでも“ドクシーツェルの”演奏としてこの映像を投稿しているようだ。実は全く同じ顔ぶれによる録音も、ドクシーツェルをフィーチャーしたアルバム(Melodiya C10 28215 004 [LP])に収録されている(舞台上に数多くのマイクが林立していることを考えると、このライヴ録音と映像とは同一の演奏の可能性が高い)。

演奏はポーストニコワの個性が色濃く投影した、ロシア風の鈍重さが特徴的なもの。ドクシーツェルの華麗な名技が、そこに類稀なる輝かしさを与えている。ロジデーストヴェンスキイの手堅いサポートもあって、二つの異質な個性が合奏協奏曲の枠の中にうまく収まっている。

第1~2(1)楽章第2(2)~4楽章
ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1番
ポーストニコヴァ (Pf)、ドクシーツェル (Tp)、ロジデーストヴェンスキイ/パリO

このピアノ協奏曲の映像には、「Timofei Dokschitzer Trumpet Collection 9 & 10」というタイトルが付けられている。当然ながら1~8も投稿されているので、以下にまとめておく。
【No. 1】
ハチャトゥリャーン:「スパルターク」第3組曲より「エジプトの乙女の踊り」
メンデルスゾーン:無言歌第45番 Op. 102-3「タランテラ」
Сырба(不詳)
ハチャトゥリャーン:「スパルターク」第3組曲より「市場」
サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン
【No. 2】
ラフマニノフ:ヴォカリーズ
A. ルビンシテーイン:ヘ調のメロディ
サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン
【No. 3】
シチェドリーン:アルベニス風に
ショスタコーヴィチ:3つの幻想的な舞曲
クライスラー:愛の喜び
クライスラー:愛の悲しみ
クライスラー:美しきロスマリン
【No. 4】
ショパン:24の前奏曲より第4番
フィビフ:詩曲
ドクシーツェルの語り
ミャスコーフスキイ:「黄ばんだページ」より
リームスキイ=コールサコフ:歌劇「皇帝サルタンの物語」より「熊蜂の飛行」
【No. 5】
ドビュッシー:レントより遅く
ラヴェル:ハバネラ形式の小品
ドクシーツェルの語り
アルテュニャーン:トランペット協奏曲より第3楽章
V. ペトローフ:湖畔にて
【No. 6】
J. S. バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻より第8番前奏曲
J. S. バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻より第17番前奏曲
J. S. バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻より第22番前奏曲
J. S. バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻より第12番前奏曲
J. S. バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻より第20番前奏曲
J. S. バッハ:平均律クラヴィーア曲集第2巻より第9番前奏曲
【No. 7】
J. S. バッハ:コラール「いざ来たれ、異教徒の救い主よ」BWV659
J. S. バッハ:コラール「われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ」BWV639
J. S. バッハ:前奏曲とフーガ ニ短調 BWV539より前奏曲
ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番より第3楽章
【No. 8】
カッチーニ(ヴァヴィロフ):アヴェ・マリア

No. 1No. 2
No. 3No. 4
No. 5No. 6
No. 7No. 8

金管四重奏に始まり、ピアノ伴奏、オルガン伴奏、ヴァイオリン・アンサンブルとの共演、声楽とオルガンとの共演など、質量ともに充実の動画である。まずは、これほどの貴重なコレクション(の一部?)を惜し気もなく公開してくれたことを、投稿者に感謝したい。

トランペットの技術的なことは分からないが、まさにこれぞロシアのトランペットという桁外れに力強くも甘美極まりない響きには、圧倒的な存在感と説得力がある。

ピアノ伴奏の小品集(他楽器用の作品の編曲物)も悪くはないのだが、No. 6以降に収められたバッハの前奏曲集やヘンデルが、トランペットという楽器の本来的な魅力を放っているように思われる。現代の基準からするとロマンチックに過ぎる演奏には様式上の問題があるものの、たとえばヘンデルに聴かれる濃厚なロマンには、多くの聴き手が本能的に惹きつけられるに違いない。路線は多少違うが、No. 5に収められているV. ペトローフの「湖畔にて」も印象的だ。どういう由来の曲なのかは知らないが、題名通り、湖の畔に立ってトランペットを吹くドクシーツェルの姿が、曲の安っぽい昼メロのような雰囲気を助長していてたまらない。

こうしたドクシーツェルの特質は、バロックを“騙った”「カッチーニのアヴェ・マリア」に凝集されている。単なるオブリガートの枠をはみ出してアルヒーポヴァと対等に渡り合うドクシーツェルのトランペットは、この楽器の最良の規範と言って構わないだろう。

ドクシーツェルについては「風のクラシック」というブログが詳しい。当然ながら、これらの映像についてもエントリーがある。

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tag : 演奏家_Dokschitzer,T.A.

【YouTube】ショスタコーヴィチ:カンタータ「祖国の詩」

Part 1Part 2

YouTube等の動画共有サービスに投稿されている動画をこのブログで取り上げる場合は、映像がある物だけを対象とし、入手がさほど困難ではない商品化された映像や、TVで放送されてからあまり年月が経っていないものは除外するようにしてきた。

今回、その原則を破って紹介するのが、カンタータ「祖国の詩」の音源である。

録音が存在するショスタコーヴィチ作品の中で、実演も含めて一度も聴いたことがない唯一の作品がこの「祖国の詩」であった。ヒュームのカタログやフェイの評伝には存在が明確に記されていることから、少なくとも発売する段階まで準備が進んだことは確かだろう。しかし、市場でこの音盤の情報が出ていることを目にしたことはなく、所有している人がいるという話も聞いたことがないので、実際に発売されたのかどうかすら確認できない、まさに“幻の音盤”である。

1947年の革命30周年を記念して作曲されたという「祖国の詩」は、おそらく音盤用に録音されたものがラジオで放送されたという記録は残っているものの、ホールで“初演”されたという記録も残っておらず、直後にジダーノフ批判が起こり、そこでこの曲もフレーンニコフに糾弾されてしまったため、完全にお蔵入りしてしまった“幻の作品”でもある。

それだけに、この音源をYouTubeで見つけた時には、驚きよりも疑念の方が強かったほど。革命後の30年間を代表する大衆歌曲(「憎しみのるつぼ」「パルチザンの歌(野越え山越え)」「呼応計画の歌」「聖なる戦い」「スターリンの意志が我らを導いた」「祖国の歌」)のメドレーであるという情報に照らし合わせると、おそらくはこの音源が「祖国の詩」であることに間違いはないだろう。また、説明文にある演奏者(レーメシェフ (T)、マクサコヴァ (MS)、A. イヴァーノフ、ガムレケリ (Br)、ミハイロフ (B)、K. イヴァーノフ/ボリショイ劇場O & Cho.)はヒュームのカタログにある音盤情報と一致することから、おそらくは同一の音源なのだろうと推測される(現段階では確認できないが)。スクラッチノイズがほとんど感じられないので、SPからの盤起こしの可能性は低く、どこかに埋もれていたマスターテープを誰かが発掘したということになるのだろうか。どのような経緯でYouTubeに投稿されるに至ったのか興味はあるが、あまり深く詮索せず、素直に投稿者の厚意に感謝しておくことにしよう。

さて、音源と作品の背景はこのくらいにして、とりあえず聴いてみた感想などを。基本的には流行歌のメドレーなので、ショスタコーヴィチの個性が存分に発揮されているとは言い難い。ただ、フルートとピッコロ、トランペット、ヴァイオリンといった楽器の独特の組み合わせが織りなす、ショスタコーヴィチの体制翼賛作品に特有のヒステリックな響きは、心許ない録音の向こう側からはっきりと聴こえてくる。やる気の感じられない空虚な轟音が鳴り響く「聖なる戦い」は、その典型であろう。

個々の歌の繋ぎの部分にもそれなりに凝った響きがあったりするが、興味深いのはコーダに交響曲第3番のコーダが流用されていることだ。交響曲第3番も相互に関連のないメロディが次々とつながっていくメドレー的な構成であり、こうした音楽の締めくくり、いわば「めでたしめでたし」的なフレーズとして、このフレーズが使われているのかもしれない。

いずれにせよ、音源が存在することは明らかになったので、いずれ近い内にCD化されることを切に望みたい。

ちなみに、モスクワ放送のISを彷彿とさせる「祖国の歌」の導入には、思わず「こちらはモスクワ放送局です」と続けてしまいたくなるのだが、今となってはこの種のネタが通じる人も少なくなったのだろう。あぁ、昭和は遠くなりにけり。

theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Shostakovich,D.D.

ショスタコーヴィチ、ティーシチェンコ、シチェドリーン、シェバリーン

  • ショスタコーヴィチ:交響曲第10番 ヴォディチコ/ワルシャワPO (Eterna 8 20 127 [LP])
  • ファーリク:ヴァイオリン協奏曲、ティーシチェンコ:ヴァイオリン協奏曲第1番(第2版) リーベルマン (Vn) セローフ/レニングラードCO、フェドートフ/レニングラードPO (Melodiya C10-08787-88 [LP])
  • シチェドリーン:オラトリオ「人民の心の中のレーニン」、パラシオ:カンタータ「レーニン」、エシパーイ:カンタータ「レーニンと私たち」、ホールミノフ:カンタータ「レーニンは生きている」 エイゼン (B) ムンチャン、タルナフスカヤ (Pf) ロジデーストヴェンスキイ/モスクワ放送SO & cho、ユルローフ/ロシア共和国cho.、グスマン/モスクワ放送SO & cho. 他 (Melodiya CM 02499-500 [LP])
  • シェバリーン:喜歌劇「じゃじゃ馬馴らし」 ヴィシネーフスカヤ (S) エイゼン (B) ハラバラ/ボリショイ劇場O & cho.他 (Melodiya D 04510/15 [LP])
Ars Antiqua / Mikrokosmos Mail Order Co.からの、7月到着分。今回は、いずれも聴き応えのあるアルバムばかりであった。

ヴォディチコは第二次世界大戦後のポーランドを代表する指揮者とのことだが、その名に恥じぬ、雰囲気のある演奏を聴かせてくれる。ショスタコーヴィチの第10交響曲には、東欧の演奏者の魂を揺り動かす何かがあるのかもしれない。オーケストラがその技術的な限界で格闘することでもたらされる凄みは、シルヴェストリ盤やカラヤン/ドレスデン・シュターツカペレのライヴ盤などに共通するものがある。この二者に比べると、古典的な佇まいを保とうとする節度が、ヴォディチコ盤の特徴ということになるだろう。それでも洗練には程遠いのだが、一聴の価値はある佳演と言ってよいだろう。


ティーシチェンコのヴァイオリン協奏曲は、師ショスタコーヴィチよりもプロコーフィエフの影響を感じさせる、独特の美感をもった響きと旋律線が印象的である。ただ、全曲を覆う内省的な抒情は単調さと紙一重でもあり、聴き手によって好き嫌いは分かれるだろう。その点で、カップリングされているファーリクの協奏曲は各楽章の性格が多彩で面白い。レニングラードPOの名コンサート・マスター、リーベルマンの独奏は、非の打ち所がない見事なもの。


レーニン賛美のカンタータ集は、シチェドリーンの「人民の心の中のレーニン」を聴くことが目的。いかにもな強奏で始まるのだが、シチェドリーン独特の硬質で透明感のある響きのせいで、常に醒めた風情がつきまとい、時に哀しさすら感じさせる個性的な作品と思った。合唱をはじめとする声楽の扱いが非凡で、前衛的な体制賛美という相反する要求に対して、独創的かつ立派に応えている。その題材ゆえに埋もれさせておくには惜しい、優れた音楽作品であろう。ソ連崩壊から20年が経ち、“あの時代”の残滓も辺境の国、日本で断末魔の醜態をさらすばかり(日本人にとっては迷惑このうえない話ではあるが)となった今なら、この作品を蘇演することも可能ではないだろうか。他の収録曲も面白いが、シチェドリーンに比べると常識的な範疇にとどまっている。


シェバリーンの代表作「じゃじゃ馬馴らし」の全曲盤も、入手することができた。シェイクスピアの原作は未読なので、付属の解説書に掲載されていたあらすじを記しておく:
【第1幕】
パドヴァの豪商バプティスタには、2人の娘がいる。長女がカタリーナで、次女がビアンカである。カタリーナは怒りっぽく口やかましい性格であり、一方のビアンカは柔和で無邪気であった。

ビアンカには、多くの求婚者がいたが、誰も彼女を手に入れることができないでいた。彼女の父バプティスタには、長女が結婚するまでは次女を結婚させないと誓う。しかし、カタリーナと結婚したいと望む者がいなかったので、ビアンカは独身のまま死んでしまうのではないかと怯える。彼女の求婚者達、元気なルーセンシオと素朴なホルテンシオが、突然ペトルーキオのところに駆け込んでくる。ペトルーキオは、儲け話を探しにパドヴァにやってきた貧しい貴族である。カタリーナの怒りっぽい気性は、剛胆なペトルーキオにとって恐れるに足らなかった。そこで彼は、一ヶ月の間にカタリーナを飼い馴らすという賭をする。

ペトルーキオはバプティスタを訪ねる。ホルテンシオとルーセンシオも一緒である。彼らは音楽教師と偽る。それが、愛しいビアンカに会うための唯一の方法だった。ペトルーキオはカタリーナに紹介さるものの彼女は彼のことを嘲笑する。しかし彼はひるむことなく、驚いているバプティスタに父親として祝福してくれるように頼む。カタリーナは結婚を誓い、翌日には式を挙げる運びとなる。
【第2幕】
奇妙な結婚式の参列者達が、バプティスタの家へと急いでいる。全てが喧噪に包まれていた。新郎のペトルーキオは現れず、カタリーナは面目を失い、ビアンカは失望する。ビアンカの結婚は、延期されることになるだろう。

ペトルーキオはぼろぼろのスーツに壊れた帽子を纏い、困惑してさまよっていた。カタリーナはこの衣装を受け入れないだけでなく、彼の祖母のみすぼらしい形見であるウェディングドレスを着ることもしないに違いない。式の後でペトルーキオは招待客を席に座らせ、直ちにここを出発し、カタリーナの反抗を馴らすために強制力を発揮するつもりだと語る。

新婚の2人がペトルーキオの家に到着した時、外は嵐が吹き荒れていた。カタリーナはへとへとになるが、ペトルーキオは彼女に休息を与えない。彼の気まぐれには終わりがなかった。しかし、ペトルーキオの従者グレミオがカタリーナを嘲笑しようとすると、彼女は我慢がならず、嵐の寒い夜であるにもかかわらず、怒りにまかせて飛び出してしまう。

ペトルーキオは心の底から心配して、すぐに彼女を追いかける。彼は彼女を腕に抱えて家に戻る。しかし、彼女が意識を戻すとすぐに彼は素っ気ない振りをして、彼の若妻に背中を向けてしまう。
【第3幕】
一ヶ月が経った。カタリーナとペトルーキオは互いに愛し合っていたが、どちらも先に折れるつもりはなかった。

しかし、ペトルーキオは自分の悪ふざけを続けることはできなかった。彼はカタリーナに対する自分の愛を告白し、彼女の勇気、誇り、そして強さを賞賛する。彼女がまさに答えようとした時、突然の客がやって来る。

客は、バプティスタとビアンカ、そして彼女の夫となったルーセンシオであった。彼らは、ペトルーキオが自ら決めた期間の内に、自分の妻を手懐けることができたかどうかを確かめるために押しかけたのだ。ルーセンシオはペトルーキオに賭けをもちかける。自分の妻を呼びつけ、最初にやってきた方がより従順なのだから、その夫を賭けの勝者としようと提案した。

おとなしいビアンカが夫の呼び出しに応じず、気性の荒いカタリーナがすぐにやって来たのを見て、客人達はとても驚いた。これが、ペトルーキオの告白に対する彼女の答えであった。彼女は彼を愛しているのだ!

近代フランス音楽のような響きと民族音楽風の素朴なロシア情緒とがバランスよく両立した、シェバリーンの個性が存分に発揮された作品である。シェバリーンの代表作とされるのも当然だろう。

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tag : 作曲家_Shostakovich,D.D. 作曲家_Tishchenko,B.I. 作曲家_Shchedrin,R.K. 作曲家_Shebalin,V.Y.

O. ドンブロフスカヤ:ヨハン・シュトラウスのポルカ「観光列車」のドミートリイ・ショスタコーヴィチ編曲版の刊行について, DSCH社―(2)

一方、ショスタコーヴィチにポルカのオーケストレイションを依頼した時、恐らくハーイキンは、この作品の公演中における役割と、イサーエヴァが演じる「新聞売りの踊り」が既に「(良い)形になっている」ことについては、少なくとも簡単に伝えていたと思われる。ショスタコーヴィチは、マールイ・オペラ劇場のバレエ一座が持つ創造力に非常に良い印象を持っていた。この劇場では1935年6月4日に「明るい小川」の初演が行われ、全11回の公演は、1936年2月6日の「バレエの偽善」による災難が巻き起こるまで、大成功を収めた。ショスタコーヴィチは、才能あるバレリーナのガリーナ・イサーエヴァを、一度ならず舞台で観ていた(初日から、彼女は女学生ガーリャの役を演じていた)。そして、フョードル・ロプーホフが書いているような彼女の芸術的な能力を知っていた:「彼女は、ずるくて単純で、熱情に取りつかれた思春期の少年少女の役を演じるための他に類を見ない能力を持っていた。古典バレエの『青いダンサー』は時折、幾分の傲慢さをもってイサーエヴァを青年劇場の俳優に例えた。彼らは、彼女をうまく評することができなかった。そのような役において、彼女の才能は無比のものだった20。」

ショスタコーヴィチは、ポルカのオーケストレイションに取り組んでいた際、シュトラウスの作品「観光列車」が持っている休暇の鉄道旅行の香りを伝える内容よりも、演出家が「新聞売りの踊り」を挿入した意図や踊り手の滑稽な踊りの能力といった事を念頭に置いていたのではないだろうか。

「いくつかの曲の踊り易さはたまらなく魅力的である。シュトラウスからグラズノーフに至るクラシックの舞曲の最良の伝統を吸収している21」、「D. ショスタコーヴィチの音楽は感情的で、踊りに向いている、そして、バレエの名匠達にとても興味深い材料を提供している22」などの批評が「明るい小川」の初演後になされた。シュトラウスのポルカのオーケストレイションに関しては、バレエ音楽とは対極の方向で作曲されたように思われる:作曲家は踊るための音楽を提供したのではなく、逆に、バレエの管弦楽に対する自身の名人芸を披露するための素晴らしい音楽を提供されたのである。ショスタコーヴィチは何の制約もなく、この作品をオーケストレイションした。というのも、編成や演奏技術に限界のない第一級のオーケストラを意のままにできたからだ。このことは、ほんの数小節のためだけにいくつかの音色を導入したり、技術的に最高の難度で楽器を用いることを可能にした。

結果として、小規模の交響的作品において、ショスタコーヴィチのオーケストレイションが「あまりに力強いものだったので、ヨハン・シュトラウスの輝かしさが霞んでしまった…ショスタコーヴィチが他人の楽曲をオーケストレイションする時、つまり、楽曲の内容に彼が関与していない時には、オーケストレイションに関する彼の様式や、驚くばかりに独創的で、ただ仰天するばかりの技術が、楽曲を通して明らかに輝きを放つのだ23。」

ショスタコーヴィチのために作成されたコピーの元となったピアノ・スコアのコピーは見つからないが(ショスタコーヴィチ用のコピーも同様である)、シュトラウスのポルカのオリジナルの総譜とピアノ・スコア24との比較は、それでもショスタコーヴィチの管弦楽法の特徴を明らかにしてくれる。

舞曲において伝統的な三部形式を保つことによって、ショスタコーヴィチは楽曲の形式を変え、若干のカットをした。まず第一に、コーダがカットされたことは、すぐにわかる。もちろん、このコーダは不適当であった:この作品はもはや独立した楽曲ではなく、公演の一部となっていた。そして、単独の楽曲として完結した形をとることは、全体の流れるような性格に反した。

ショスタコーヴィチは、すべての「機械的な」(繰り返し記号で書かれた)繰り返しを省略した。そして、ショスタコーヴィチは三部形式における主部の繰り返しをシュトラウスのようなDa capo、序奏、第1主題といった形ではなく、第2主題の要素(ショスタコーヴィチ版の95小節を参照)で始めた。

このようにして、ポルカの長さはほぼ半分(219小節から122小節に)に短縮された、しかし、ショスタコーヴィチが各々のフレーズに新たなオーケストレイションを施したことによって、シュトラウスの妙なる旋律に光彩を与えたように思われたので、音楽は仰天するほどの力で輝き出した:練習番号3と11、練習番号4と12、練習番号5と13を比較していただきたい。

ショスタコーヴィチは、義務的なDa capoと規則通りの3つの部分を持ったシュトラウスの図式的な作品を、より統一感のある構成とダイナミックな展開を持つ、連続的に流れる形式に、気づかれないように変更したのだった。主部の繰り返しは「最初から」始まらず、序奏もない。そして最も重要なのは、トリオの調性であるイ長調で始まることだ(95小節)。このことにより、主部の繰り返しの開始ではなく、中間部の延長として構成されることとなった。ここで断片を移調することによって、107小節で主調のホ長調への移行を果たすために、ショスタコーヴィチは原曲の旋律線も変更した(103~105小節のトランペットをAーA♯ーBという半音進行にした。シュトラウスは、同じA音を繰り返している)。伝統的な繰り返し記号と共に、「トリオ」という表記自体も削除された。伝統的な三部形式から、より自由で非対称な構成に修正されたので、この表記にも意味がなくなったからである。

作曲家は純粋な意味でのオーケストレイション(作品にオーケストラの装いを纏わせる)としてこの仕事に挑んだのではなく、むしろ自分の流儀でポルカを再構成し管弦楽配置をしたのだった。このちょっとした短時間の仕事でさえも、ショスタコーヴィチの交響的な展開(形式の内的な活性化と、その連続的な広がり)の大いなる発露であることは、驚くに値する。これらの特質は、既にこの時点で交響曲第4番、第5番、第6番といった大作の中で発現している。そしてオーケストレイション自体は、シュトラウスを振り返ることなく、ショスタコーヴィチの管弦楽世界でなされた。そしてまた、彼の卓越した管弦楽法のいくつかが(目に見えないレベルで)織り込まれた。

ショスタコーヴィチが原曲を、その性格や雰囲気も含めて自由に取り扱ったことは、ショスタコーヴィチがバレエ音楽の作曲を意図していたという、前述の仮説を追認するものである。彼の編曲は音楽の踊り易さを高め、それをほとんど目に見えるような柔軟性を持った形にした。彼はバレエ音楽をオーケストレイションし、3つのバレエの経験をそこにつぎ込んだ。そして、シュトラウスの原曲には文字通り全くない、数多くの音符を使ったアウフタクトを、滑稽な活気と管弦楽の陽気な爆発という形でショスタコーヴィチは「ねじ込んだ」。シュトラウスのピアノ・スコアと比較してほしい(譜例略):これらの箇所は、ショスタコーヴィチ版の15~16小節と50~52小節に相当する。

シュトラウスが用いた4つの普通の和声の代わりに、ショスタコーヴィチは金管楽器と弦楽器の合いの手を伴う、身体をひねって点呼をとるような木管楽器の装飾音とモルデントを創作した。フレーズの繰り返しでは、異なる管弦楽法が使われている(25~26小節、29~30小節、95~96小節、99~100小節を参照のこと)。

練習番号6と8の間で3回、ショスタコーヴィチが新たに作った16分音符の下降音型が聴こえる。その滑稽な効果、特に4つのホルンが奏でる3回目(66~67小節)は、スカルラッティ=ショスタコーヴィチの「カプリッチョ」にあるトロンボーンのグリッサンドのようである:それは単なるオーケストレイションではなく、オーケストラと作曲家の陽気な悪ふざけであり、作曲家はそれをとても愛した。初めは初演者達が喜び(ハーイキンは次のように書いている:「団員達の顔には、微笑が浮かんだ。彼らは、数年前に「鼻」と「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の初演で弾いた奏者達であった25。)、その後、他のあらゆる音楽家と聴衆が喜んだ。

喜歌劇の上演のためにオーケストレイションと編曲がなされ、「ジプシー男爵」の著名な楽曲の一つとなったポルカ「観光列車」は、ショスタコーヴィチの創作活動中、単に喜歌劇の分野で重要な位置を占めるだけにとどまらない。それは当然のことながら、ユーマンスの「タヒチ・トロット」やスカルラッティのソナタといった彼の他の管弦楽編曲と並び立つものである。

喜歌劇のために作曲されたポルカ「観光列車」の編曲は、ショスタコーヴィチのバレエ音楽に対する短いながらも卓越した、もう一つの貢献であることが明らかになった。この総譜の出版は、再びこの小さな管弦楽曲を舞台にかけようとする機運をバレエ関係者の間で高める契機となるだろう。

オーリガ・ドンブロフスカヤ





  1. 以下の文献からの引用:A. Degen, I. Stupnikov, Leningrad Ballet. 1917-1987: Dictionary-Reference, Leningrad, 1988, p. 253 (in Russian).

  2. G. Polyanovsky, “Shostakovich's New Ballet”, Pravda, 6 June 1935.

  3. R. Zakharov, “The Victory of Soviet Ballet”, Vechernyaya Krasnaya gazeta, 8 June 1935.

  4. B. Khaikin, 前掲書, p. 91.

  5. 筆者は、サンクト・ペテルブルグでの文献調査でかけがえのない援助をしてくれたガリーナ・ヴィクトローヴナ・コピトヴァと、L. V. ブレジネヴァ(モスクワ音楽院)、L. A. ライチェンコ(ロシア国立図書館)、O. N. ツァレヴァ (モスクワ放送交響楽団)、M. A. ヤクーボフ(DSCH出版社)の各位に感謝の意を表する。

  6. B. Khaikin, 前掲書.

theme : クラシック
genre : 音楽

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O. ドンブロフスカヤ:ヨハン・シュトラウスのポルカ「観光列車」のドミートリイ・ショスタコーヴィチ編曲版の刊行について, DSCH社―(1)

ショスタコーヴィチが1941年にオーケストレイションしたシュトラウスのポルカの演奏会形式の初演は、レニングラード・フィルハーモニー大ホールで1978年9月18日に行われた。演奏は、ゲンナーディイ・ロジデーストヴェンスキイ指揮のレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団であった。ポルカは演奏会の最後に演奏された。この演奏会の前半では、ショスタコーヴィチの未完成の歌劇「賭博師」が初演され、後半ではヨハン・シュトラウスの作品にスポットが当てられた:「アフリカの女」によるカドリーユ、ワルツ「コヴェント・ガーデンの思い出」、そして3曲のポルカ「狩りの合図」、「百発百中」、ショスタコーヴィチによる“音楽的に独創的で見事にオーケストレイションされた皮肉なミニチュア”「新聞売りの踊り」(S. スロニームスキイの批評1において「観光列車」がこう呼ばれている)が取り上げられた。シュトラウス=ショスタコーヴィチのポルカは、およそ35年もの間書架の中で埃まみれになっていたものが再び日の目を見ることになった。1979年に録音され、ショスタコーヴィチの未出版作品や忘れられた作品を数多く復活させたシリーズである「From Manuscripts of Different Years」の中に収録2されて1980年にリリースされた。1981年8月14日には、ロンドンのアルバート・ホールにおけるプロムナード・コンサートで国外初演された(ゲンナーディイ・ロジデーストヴェンスキイ/BBC交響楽団)3

ドミートリイ・ショスタコーヴィチの文書保管所とDSCH出版社は、ショスタコーヴィチがオーケストレイションしたヨハン・シュトラウスのポルカ「観光列車」を初出版する。これは、イリーナ・ショスタコーヴィチが1993年末にロンドンのサザビー・オークションで手に入れ、モスクワのドミートリイ・ショスタコーヴィチの文書保管所で架蔵してきた自筆譜(rec. gr. 1, section 1 (“Shostakovich's Music Author's Manuscripts”), f. 316)に基づいている。
「ポルカ」の著者の原稿は、18段の総譜用五線紙8枚(全部で10枚あるが、最後の2枚は白紙である)に書き込まれている:五線紙は二つ折りで、しっかりとした糸で綴じられて冊子状にされている。作曲者によって1~16のページ番号が振られている。五線紙のサイズは、34.5×25.8cmである。自筆譜は痛んでおり、紙は黄ばんでページの角が折れ、横の折り目に沿って裂けている。最初のページは特に経年劣化しており、冊子になっている他のページから完全にはがれている(当然、最後の白紙のページもはがれている)。

ショスタコーヴィチは、上のマージンの中央に「ポルカ」、右側に「ヨハン・シュトラウス」と書き込んだ。楽譜の左上方には、何者かの手によって「D. D. ショスタコーヴィチによるオーケストレイション」と記されている。作曲家は、総譜の最後の段(16ページ)に、「DShostakovich / 4 II 1941」という署名と日付「DShostakovich/4 II1941」を書いた。

楽譜は、とても濃い青のインクで書かれている:練習番号、ボウイングや強弱の指示、最終ページの署名と日付は、薄い青のインクで書かれている。小節線は、いつものように定規を使って鉛筆で引かれている。12ページで、ショスタコーヴィチはピッコロのために手書きで最上段にもう1段を追加している。五線は定規を使った鉛筆書きで、小節線も同様である。

全122小節の総譜中、修正は3箇所だけである:練習番号2の2小節前のトランペットでスラーが斜線で取り消されている。練習番号3の2小節前の第1ヴァイオリンにおいて、3つの音符が部分的に消されている。練習番号6の2小節目のピッコロが消されて、小節全体に斜線が引かれている。

ショスタコーヴィチの手稿には、太い青鉛筆で指揮者への指示が書き込まれている:練習番号7の数小節前のヴァイオリンとヴィオラに、アクセント(>)が付けられている。練習番号10では、管打楽器の6段にcresc.が書かれている。最初のページの最上部には、同じ青鉛筆で「No.16 1/2」と書かれている。これは明らかに、演奏順に関する指示である。

筆跡からは、草稿が非常に速く、恐らく一気に書かれたと考えられる。速記で書かれているので一見気がつかないが、にも関わらず注目に値するこの速さからは、ポルカが一気にオーケストレイションされたことが明らかになる。この速さは、筆圧がどんどん弱くなり、終わりに近づくにしたがって徐々に薄くなっているという事実から、明白である。


音楽家達が語るこの編曲の由来は、ショスタコーヴィチが素早く書き上げたことを確かなものとする。また、手稿の最後に書かれている日付は、この作品が演奏された公演の正確なリスト作りを可能にする。

この作品は、「ジプシー男爵」がどのように制作され、それにショスタコーヴィチがどう参画したのかについて、今まで知られていなかった事実を提起する。この問題は、N. A. ブラジンスカヤによって初めて指摘された4

1940年秋5、レニングラード・マールイオペラ・バレエ劇場(Малегот、旧ミハーイロフスキイ劇場)はヨハン・シュトラウスの喜歌劇「ジプシー男爵」を上演した。「面白い公演となることが期待された」と、劇場の芸術監督で公演の指揮を務めたボリース・ハーイキンは回想した。「それは、喜歌劇の範疇を超えたものだった。大編成で第一級のオーケストラに大人数の合唱、最高の職人達によって見事にデザインされた壮麗なセットと衣装が準備された。第3幕では、プロデューサーのA. N. フェオナ6がバレエ用の小曲、すなわちポルカ(「新聞売りの踊り」)を追加することに決めた。この曲は、パロディーの才能に長けた踊り手、ガリーナ・イサーエヴァ7が踊ることを想定していた。私はレニングラード・フィルハーモニーの図書室へ行き、J. シュトラウスのポルカを探した。そこの司書は、次のように答えた:『ここには約200曲が揃っていますので、お好きなものをお選びください』。有名でよく知られている曲を除外して私は非常に魅力的なポルカを見つけ、司書にコピーをとってもらった。この曲を使うことで、とても良い踊りとなるように思われた…

オーケストラと共に、このポルカを演奏する時が来た。私は、今度はオーケストラの演奏譜のために、再びフィルハーモニーへと行った。すると、このポルカのパート譜がないことが判明した。規則通りのDa capo以外に何も指示のない、2ページのピアノ・スコアしかなかったのだ。私は、何をするべきだろうか?私はショスタコーヴィチに電話し、私の窮状を話した。すると、彼はすぐにやって来た。私は、彼にポルカを見せた… 彼は何も言わずにピアノ・スコアを手に取り、去り際に言った:『明日、また帰ます』。翌日、彼は総譜を持ってやって来た8。」

ハーイキンの回想は自筆譜の末尾にある日付と一致するので、この出来事が極めて短い時間で展開したことが分かる。すなわち、オーケストレイションは、1941年2月の2日間で仕上げられた:2月3日にハーイキンはシュトラウスのポルカのオーケストレイションをショスタコーヴィチに依頼し、2月4日にショスタコーヴィチは完成した総譜を指揮者に持ってきた。たとえ回想録の作者の記憶が10年後の時点で正確でなく、この出来事がそれほど速く展開しなかったと仮定したとしても、それでも非常に速く起こったと言わざるを得ない。なぜならば、2月22日に行われた初演9はわずか2週間ほど後のことだったからだ。したがって、シュトラウスのポルカが1日(2月4日)で、一気にオーケストレイションされたと考えるに足る正当な理由がある10


大成功を収めた「ジプシー男爵」の公演で、「ポルカは、巨大な人気を博した」と、ハーイキンは書いている。「オーケストラは、その曲をいつも繰り返し演奏した。その後オーケストラは、シュトラウス自身がオーケストレイションした別のポルカをアンコールとして演奏することに決めた。しかし、それはたった2度演奏されただけだった。人気が出なかったのだ。シュトラウスの鮮やかなオーケストレイションでさえ、ショスタコーヴィチの後では退屈に聴こえた11。」

ショスタコーヴィチのオーケストレイションは、Малеготで行われた「ジプシー男爵」の初演の批評の一つで言及された:「…ポルカはドミートリイ・ショスタコーヴィチの卓越した技術と味わいをもってオーケストレイションされている。その音楽に合わせて、ガリーナ・イサーエヴァは鋭敏な感受性と滑稽な優美さをもって踊るのだ12。」

ショスタコーヴィチ自身は、マールイ劇場で「ジプシー男爵」を観に行った1946年1月29日13まで、自分のオーケストレイションを聴くことはなかった:「彼が自分の素晴らしいオーケストレイションでシュトラウスのポルカを(初めて)聴いた時、彼はとても喜んだ」と、回想録の作者は述べている14

またハーイキンは、シュトラウスのポルカと関連した別の出来事についても書いている:「…1975年、ショスタコービッチはこのポルカのことを思い出した。彼はその総譜を持っていなかったので、総譜を作成し直して欲しいと頼まれた。私は何とかしようと、Малеготに走った。35年が過ぎており、公演に参加した者は誰もいなかった。それでも、図書館は総譜のコピーを作成してくれ、私はショスタコーヴィチにそれを渡すことができた。手稿譜は、劇場にある… もしうまいこと保管されるのであれば、極めて少数の者しか知らないこの手稿譜を、ショスタコーヴィチの他の自筆譜に添付しておけばよいだろう15。」ハーイキンが言及したこのコピーがその後どうなったかは、知られていない。しかし幸運にも、自筆譜はショスタコーヴィチの他の自筆譜に添付されて、1993年以降、文書保管所にある16
「Поезд удовольствий」は、ショスタコーヴィチが1941年にオーケストレイションしたシュトラウスのポルカ・シュネル「Vergnügungszug」のタイトルの正確なロシア語訳である。英語(「The Pleasure Train」)、フランス語(「Train de Plaisir」)、イタリア語(「Treno di Piacere」)の訳は、出版社のカタログに見出すことができる 17

ヨハン・シュトラウスは1863~4年の冬にポルカ「観光列車」を作曲し、産業協会に献呈した。当時は、コンスタンチノープルやカイロ、さらに東方の遠くへ行くのと同様に、オーストリアやヨーロッパの町への電車や蒸気船を使った旅行が、オーストリアでとても人気があった。1864年の1月中旬、「パリの夕べ、ウィーンの夕べ」と称された3日間に渡る壮大な祭りが挙行された。そこでは、パリからウィーンへの電車旅行が予定されていた。シュトラウス兄弟は、この企画に主催者として関わった。1864年1月19日、ヨハン・シュトラウスと彼のオーケストラは、ホーフブルク王宮のホールで行われた舞踏会にて、ポルカ「観光列車」を初演した18


しかし、オーケストレイションを行ったショスタコーヴィチは、そうした事情は知らなかったのかもしれない。ポルカを選ぶ時、ハーイキンはその表題や作曲の経緯にほとんど興味がなかった(「私はポルカを探した」「私は非常に魅力的なポルカを見つけた」)。ポルカの作者の名前が、作曲家自身の意思で2ページのピアノ・スコアに記されていなかったことはあり得るだろう。そしてまた、ショスタコーヴィチも自分の総譜にそれを書き込まなかった。またポルカの原題は、このオーケストレイションに関する1940年代あるいはそれ以降のいかなる記述においても、全く触れられなかった。ポルカの演奏用のコピーを図書館がどのようにして作成したのかについてのハーイキンの回想録中の記述が、注目される。ショスタコーヴィチもこのコピーを用いてオーケストレイションをし、そこには表題が書かれていなかった、というのが最もありそうなことである。そもそも、このコピーは特定の目的のために作成された:第一に踊りの公演準備をするため、そしてショスタコーヴィチにオーケストレイションを依頼するためである。しかしながら、彼はシュトラウスの標題作品のオーケストレイションではなく、既に上演されていた特定のテーマによるバレエ音楽、すなわち「新聞売りの踊り」のオーケストレイションを依頼されたのだ。

シュトラウスの総譜を見なかったので、ショスタコーヴィチは鉄道ベル(シュトラウスの総譜では、グロッケンシュピールになっている)や車掌の警笛(シュトラウスの総譜では、「車掌の角笛」と指定されている)のような要素を、当然ながら無視した。そもそも、これらはピアノ・スコアには反映されていない。公演の演出では列車が描かれた19が、ショスタコーヴィチがオーケストレイションの際に「鉄道の」標題に影響されたとは考え難い。第2幕(第3幕ではない)で電車が通り過ぎたところで、ポルカが挿入された。この状況自体が、ショスタコーヴィチが直面した締め切りと同様に、作曲家が公演について前もって知らされていたと信じるに足る根拠となり得ない。



  1. S. Slonimsky, “Premiere of The Gamblers by D. Shostakovich”, Sovetskaya muzyka, No. 1, 1979, p. 75.

  2. Melodiya, 1980, C 10-14415-16.

  3. D.C. Hulme, Dmitri Shostakovich: A Catalogue, Bibliography, and Discography, 3rd ed., Scarecrow Press, 2002, p.187. を参照のこと。ヒュームのカタログには、シュトラウスのポルカ「観光列車」について、いくつか誤った情報がある:ポルカのドイツ名の英訳に間違いがある(正しくは「The Pleasure Train」);楽器編成に間違いがある(正しくはホルン4、シロフォン、シンバル);オーケストレイションがなされた年が間違っている(正しくは1941年)。また、ソ連で最初のレコードの番号も間違っている(正しくはMelodiya, 1980, C 10-14415-16)。

  4. N.D. Braginskaya, “D.D. Shostakovich in the World of Classical Operetta”, in: Dmitri Shostakovich. Studies and Documents, Issue 2, Edited and compiled by O. Digonskaya and L. Kovnatskaya, DSCH, Moscow, 2007 (in Russian).

  5. 同上, pp. 60-61.

  6. アレクセーイ・ニコラーェヴィチ・フェオナ(1879~1949):オペレッタ俳優および演出家。

  7. ガリーナ・イヴァーノヴナ・イサーエヴァ(1915~):バレエ舞踊家。1931年以来、マールイ・オペラ劇場のソロ・バレリーナを努める。1954~1960年、Малеготのバレエ監督。ショスタコーヴィチのバレエ「明るい小川」(1935~1936)では、女学生ガーリャの役を演じた。

  8. B. Khaikin, “Unfinished Book”, in: Conversations about Conductor Skills. Articles, Moscow, 1984, pp. 90-91 (in Russian).

  9. N. ブラジンスカヤが、初日の日付を確定した(N. Braginskaya, 前掲書, p. 68)。

  10. I. グリークマンは、彼の出版された日記「友への手紙」の注釈の中で、特に歳月を経た記憶というものが、いかに信頼できないかについて述べている。これは、1941年の出来事について、グリークマンが1990年代になって書いたものである:「J. シュトラウスの見事な熟練の技を考え、ドミートリイ・ドミートリェヴィチは初め、この話を断った。しかし、最後には指揮者のねばり強い要請に譲歩したのだった」(Letters to a Friend. Dmitri Shostakovich to Isaac Glikman, Moscow, St. Petersburg, 1993, p. 307, in Russian)。

  11. B. ハーイキンがS. M. ヘーントヴァに宛てた1976年12月12日の手紙(S. Khentova, Shostakovich. His Life and Creative Work, Vol. 1, Sovietsky kompositor Publishers, Leningrad, 1985, p. 518 からの引用)。
    この手紙からは、ショスタコーヴィチの「ギャラ」がいくらだったのかも知ることができる:「私は、オーケストレイションにいくら払うことができるかを調べるために、劇場の会計主任に電話をした。会計主任は答えた:『100ルーブルまでです』。」

  12. I. Glikman, “The Gypsy Baron (premiere at the Maly Opera Theatre)”, Leningradskaya pravda, No. 61 (7854), 14 March 1941, p. 3. ここの引用は、N. ブラジンスカヤの本(P. 85)ではなく、元の新聞から行った。ブラジンスカヤの記述では、軽微な変更が加えられている。

  13. 彼が公演を観に行ったとしてN. ブラジンスカヤが示した日付(N. Braginskaya, 前掲書, p. 85 を参照のこと)は、D. D. ショスタコーヴィチの1946年1月29日の日記で確認される:「19時30分。Малеготでジプシー男爵」(ドミートリイ・ショスタコーヴィチの文書保管所, rec. gr. 4, section 1, f. 2, sheet 16)。

  14. I. Glikman, Journal I, 1946年2月1日の記事, ドミートリイ・ショスタコーヴィチの文書保管所, rec. gr. 4, section 2, f. 1, sheet 7 (rev.). O. ディゴーンスカヤは、現在I. D. グリークマンの日記の出版準備をしている。

  15. B. Khaikin, 前掲書, p. 92.

  16. ヒュームは、彼のカタログの187ページで、総譜のもう一つのコピーを謄写版印刷された総譜と誤って記載している。それは、N. P. ロジデーストヴェンスカヤによって作成された手書きのコピーである。その表紙には、献呈文が書き込まれている:「親愛なるゲネーチカの誕生日4/V-69に。」その筆写の元となった出典は分からないが、このコピーはショスタコーヴィチの総譜と完全に対応する。この自筆譜について熟考する機会を与えてくれたことについて、G. N. ロジデーストヴェンスキイに感謝の意を表する。

  17. オーストリア産業協会の援助を受けて出版されたピアノ・スコアのオーストリア初版の表紙には、絵の中に次のように記されている:Vergnügungszug. Polka (schnell) für das Pianoforte, Op. 281, C.A.Spina, Wien, s.a.;「The Pleasure Train」は、オーストリア版総譜(Doblinger, Wien, 1998)の序文の中に記されている;Train de Plaisir, Polka, Op. 281, A. Buttner, St. Petersburg, s.a.;Treno di Piacere, Galop, Op. 281, R.Stabilimento Ricordi, Milano [Napoli-Roma-Firenze-Londra], s.a.

  18. オーストリア版スコアのNorbert Rubeyによる序文:Doblinger, Wien, 1998.

  19. このことは、ハーイキンがD. ショスタコーヴィチに宛てた1975年2月16日の手紙の中で書いたものである:「第2幕の初めに、列車はどこか遠くの土手を通り過ぎました。この幕の終わりには、列車は反対方向に去っていきました」(N. Braginskaya, 前掲書, p. 87 からの引用)。

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ショスタコーヴィチ編:ポルカ「観光列車」

  • ROSTROPOVICH RETURN TO RUSSIA(チャイコーフスキイ:交響曲第6番、J. シュトラウスⅡ(ショスタコーヴィチ編):ポルカ「観光列車」、グリーグ:「ペール=ギュント」第1組曲より「オーゼの死」、パガニーニ(マクリス編):無窮動、プロコーフィエフ:「ロメオとジュリエット」第1組曲より「タイボルトの死」、ガーシュイン(コステラネッツ編):映画音楽「踊らん哉」より「ウォーキング・ザ・ドッグ」、スーザ:星条旗よ永遠なれ ロストロポーヴィチ/ナショナルSO (Sony SK 45836)
  • ショスタコーヴィチ:J. シュトラウス「観光列車」の編曲, DSCH, 2009.
  • ショスタコーヴィチ:組曲「ムツェンスク郡のマクベス夫人」/歌劇「カテリーナ・イズマーイロヴァ」の5つの間奏曲/歌劇「カテリーナ・イズマーイロヴァ」の間奏曲(演奏会版), 新全集第69巻, DSCH, 2009.
  • ショスタコーヴィチ(ボリソーフスキイ編):4つの小品(映画音楽「馬あぶ」より), DSCH, 2009.
2ヶ月ほど前のことだが、DSCH-L(ショスタコーヴィチに関連する話題のメーリングリスト)にショスタコーヴィチによるJ. シュトラウスのポルカ「観光列車」の編曲が話題に上ったことがあった。たまたま流し読みしていた記事の中に、1990年にロストロポーヴィチがソ連に一時帰国して行った凱旋公演の録音に、この曲が収録されているとの情報を見つけ、虚を突かれた思いがした。マイナーな音盤でもないのに、なぜ今に至るまでその存在自体を知る機会すらなかったのだろう。いかにもメジャーどころのチェック漏れは恥ずかしい限りだ。早速Amazonのマーケットプレイスで注文。

ロストロポーヴィチの演奏は、率直なところ、この作品の録音としては重要度が低いと言わざるを得ない。ショスタコーヴィチのオーケストレイションは特に強調されず、ごく普通のシュトラウスのポルカとして演奏されている。優雅な雰囲気はあまり感じられないが、いかにもアンコールといった風情の楽しげな音楽は悪くない。しかしながら、敢えてショスタコーヴィチ版を採用した必然性は感じられない。

メインの「悲愴」や他のアンコール曲も、ロストロポーヴィチの熱烈なファン以外には、収録されている聴衆の熱狂にもかかわらず、印象は薄いだろう。



さて、せっかくの機会だったので、この編曲のスコアも入手してみた。楽曲の由来に関する詳しい解説(後日、ラフな和訳をエントリーする)は、DSCH社の出版譜に共通する豊富な情報量を持ったもの。この編曲をバレエ作品として位置づける考え方には、全面的に賛同する訳ではないが、十分に納得することはできる。

ついでに、もう2冊注文した。

DSCH社の新全集から、今回は「マクベス夫人」の間奏曲集を入手。「ムツェンスク郡のマクベス夫人」作品29と「カテリーナ・イズマーイロヴァ」作品114との細かな差異については、未だに総譜できちんと確認したことがない。間奏曲だけでもその一端が分かるかもしれないと注文してみたもの。てっきり作品114aとして知られる「5つの間奏曲」だけかと思っていたら、作品29a(と便宜的に番号がつけられた)の「組曲」と、マクシームの依頼でアレンジされた第6場と第7場の間奏曲(作品114bとされている)も収録されていた。

作品114aは、次のような構成である:
  1. 第1場と第2場の間奏曲
  2. 第2場と第3場の間奏曲
  3. 第4場と第5場の間奏曲
  4. 第6場と第7場の間奏曲
  5. 第7場と第8場の間奏曲
この番号を使うと、作品29aは2.→5.→4.という構成になっている。ここで興味深いのは、作品114aは当初「“4つの”間奏曲」で、曲順は1.→2.→5.→4.となっていたこと。ロジデーストヴェンスキイが1962年9月4日のエジンバラ音楽祭でこの曲を初演した際には、この4曲版であった(BBC Ledends BBCL 4220-2)。要するに、作品114aは作品29aの改訂版といった位置づけになるのだろう。オーケストレイションの変更も、2.のシロフォンが削除されるなどの大きなものも含めて、楽曲の印象が大幅に変わるような類のものではない。これらのことは、「マクベス夫人」の改訂が政治的な圧力というよりはむしろ、純粋に芸術的見地からの修正であるとする、近年の説を裏打ちするようにも思われる。

「馬あぶ」からの4曲を、ベートーヴェンQのヴィオラ奏者ボリソーフスキイが編曲したものは、かつて音盤で聴いて(2006年2月1日の記事)、一度弾いてみたいと思っていた。技術的な難易度も、自宅で遊ぶ分にはちょうど良い。何よりも、珍しく“分かりやすい”曲を弾いていると、周囲が勝手に騙されてくれるのがありがたい。

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プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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