スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ボリース・チャイコーフスキイの映画音楽集

  • B. チャイコーフスキイ:映画音楽「アイボリート-66」、映画音楽「バリザミーノフの結婚」 A. ハチャトゥリャーン/ソヴィエト国立映画省O他 (boheme CDBMR 907085)
家族で買い物をしている途中で、中古レコード市に遭遇。5分だけ時間をもらったが、掘り出し物を探し出す余裕は当然なく、目についたこの一枚だけを購入した。

演奏者としてオーケストラ名がクレジットされているが、両曲とも基本的に小編成のアンサンブルである。「アイボリート」というのは、ロシア版「ドリトル先生」のこと。ビッグバンド風の響きは、ウチョーソフのロシアン・ジャズそのもので、とにかく楽しい。屈託のない旋律は、ややクラシカルな「バリザミーノフの結婚」でも同様。この編成で指揮者の寄与が如何ほどのものかは分からないが、雰囲気たっぷりの演奏は素晴らしい。

この種の作品とシリアスな作品群を一緒くたにしてB. チャイコーフスキイの創作を語るわけにはいかないだろうが、ショスタコーヴィチの次の世代の音楽的な感覚を窺い知ることのできる、興味深いアルバムである。

HMVジャパン
スポンサーサイト

theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Tchaikovsky,B.A.

ショスタコーヴィチの「オランゴ」

  • ショスタコーヴィチ:歌劇「オランゴ」、交響曲第4番 サロネン/ロサンゼルスSO他 (DG 479 0249)
ショスタコーヴィチの未完のオペラ・ブッファ(作曲家自身が明確にこう命名している訳ではないが、出版譜にはこのように表記されている)「オランゴ」のDSCH社の出版譜を入手(2012年8月2日のエントリー)してから半年以上が経ってしまった。既に音盤はリリースされ(国内盤も出た)、ネット上でもこの作品に対する様々なコメントを少なからず読むことができるようになっているが、何せ、その存在が仄めかされたことすらなかった作品だけに、せめて巻頭の論文くらいはしっかり読んでから所感をまとめようと考えたのが悪かった。論文がそのものが大部(28ページ)であることに加え、ロシア語を読み下す語学力がないので、とりあえずは英訳を読むしかないのだが、DSCH社の出版物の英語は概して非常に読み辛い。結局は原語と行ったり来たりしながら、大意を掴むだけで非常に時間がかかってしまった。本blogにも拙訳をエントリーしたが、そもそもが重訳であることもあって、日本語として成立していない箇所も多々ある上に、誤訳も随所に潜んでいることと思われる。まぁ、その程度のものだと笑って読み流していただければ幸いである。

さて、現時点では、このディゴーンスカヤの論文が、楽曲の成立背景に関する唯一のまとまった資料と言ってよいだろう。ただ、この論文においても、確たる事実として挙げられていることは、それほど多くない。まず、企画の発端から頓挫までの経緯は、以下の通り:
  • 1932年の十月革命15周年記念行事の一環として、ボリショイ劇場は「台本:デミャーン・ベドニイ、音楽:ドミートリイ・ショスタコーヴィチ」の歌劇「鍵」の制作を企画した(詩人との契約は1932年1月31日、作曲家との契約は3月8日であった)。
  • 5月10日、ベドニイは執筆が頓挫したことを劇場に通告する。その背景には、同年4月末にロシア・プロレタリア作家協会が解散したことで、ベドニイの社会的地位に変化が生じたことがあると推察される
  • そのわずか2日後の5月12日に、アレクセーイ・トールストイ(とスタルチャコフ)が台本作家となることを引き受け、ショスタコーヴィチもそれを了解した。契約は5月17日になされた。
  • この時点では、「革命と社会主義建設の過程における人間の成長」という基本テーマだけが(劇場の要請で)決まっていた。
  • 「オランゴ」の上演予定は、そのタイトルと共に一般に告知されていたが、契約期限までに台本執筆が完了することはなく、そのまま契約は破棄され(10月15日)、十月革命15周年記念行事での初演が前提であったプロジェクトは完全に頓挫した。
A. トールストイが台本を引き受けた当初は、「オランゴ」ではない、別の物語を書いていた可能性が指摘されている。
  • A. トールストイ(とスタルチャコフ)が書いた、「パルチザンの息子」という題のオペラ台本(あらすじをまとめた程度のもの)が発見された。この文書には、音楽担当としてショスタコーヴィチの名が記されている。
  • 文書の日付は、ボリショイ劇場と結んだ契約の中で定められた、あらすじの提出期限に一致している。
  • 「パルチザンの息子」の筋は、ありきたりの平凡なものではあったが、「革命と社会主義建設の過程における人間の成長」という基本テーマによく沿ったものである。
しかし、ショスタコーヴィチが「パルチザンの息子」に着手した形跡は残っていない。どうやら、歌劇「オランゴ」は、もともとA. トールストイ(とスタルチャコフ)と作曲家ガヴリイル・ポポーフとの間で構想が練られていたようであるが、1932年6月初頭の時点でショスタコーヴィチが音楽を担当することとなり、十月革命15周年記念行事の企画自体も「オランゴ」へと変更になったものと考えられる。そもそも「革命と社会主義建設の過程における人間の成長」という基本テーマには(敢えてこじつけなければ)合致しない作品が、なぜ記念行事で上演されるものとして取り上げられたのか、またなぜポポーフからショスタコーヴィチに変更になったのか、この辺りの事情は判然としない。ともかく、ショスタコーヴィチは「オランゴ」に乗り気ではあったようだ。

さて、その「オランゴ」とはどのような物語なのか。台本自体は未完であったものの、あらすじはほぼ完全な形で残っている。それについては、既にアップした当該箇所の訳文を参照していただくとして、この物語についての関連情報を以下にまとめてみる:
  • 「オランゴ」の元となったのは、共著者スタルチャコフの小説「アルテュール・クリスティの出世」である(小説そのものは現時点で発見されてされていない)。スタルチャコフは、1937年5月に「人民の敵」として銃殺刑に処された。
  • この小説は、生物学者イリヤー・イヴァーノヴィチ・イヴァーノフ(1870~1932)が1920年代後半に行った、雌の類人猿に人間の精子を人工授精させる実験を題材としている。
  • この実験は、少なくとも当時のソ連国内ではそれなりに有名な話であり(スターリンはこれを発展させて“半人半猿兵士”を養成するようなアイディアすら持っていた。たとえば、ここを参照されたい)、これを題材とした文学作品は、「アルテュール・クリスティの出世」の他にもいくつか作られている(ブルガーコフの「犬の心臓」やセルヴィンスキイの「パオ=パオ」など)。
  • ショスタコーヴィチも、イヴァーノフ博士の実験のことは知っていたようだ。1929年7月に黒海沿岸へ観光旅行をした際に、実験施設であるスフミのサル園を訪問している。
以上が、ディゴーンスカヤが提示している“事実”である。すなわち、「オランゴ」の成立(?)過程を要約すると次のようになるだろう:いかにもソ連らしい事情で、いかにもソ連らしいオペラの制作を依頼されたショスタコーヴィチは、紆余曲折の末にA. トールストイとスタルチャコフの2人とその仕事を引き受けた。当初着手した「パルチザンの息子」は彼らをあまり惹きつけなかったためか、依頼の内容に合致するとは思えない「オランゴ」を題材として取り上げ、仕切り直しをした。あらすじや全体の構成は、ひとまず完成し、プロローグの台本は書き上げられた。ショスタコーヴィチはそのヴォーカル・スコアを仕上げたものの、この段階で「オランゴ」の制作は頓挫した。以後、この作品について作曲家も作家も振り返ることはなかった。

「オランゴ」の音楽は、舞台作品を中心に活躍していたショスタコーヴィチ初期の典型的な作風を示している。現代の我々にとってみれば“半人半猿”という衝撃的な題材を扱った作品だが、既に「南京虫」で“冷凍人間”を取り上げていたショスタコーヴィチにすれば、さほど奇を衒った感覚はなかったものと思われる。同時期に没頭していた「ムツェンスク郡のマクベス夫人」に比べると、中期以降の作風を予感させる要素もほとんどなく、遺されたプロローグだけで判断するならば、少なくとも音楽面では意欲的な作品とまでは言うことができないだろう。

ただ、自作(バレエ「ボルト」や劇音楽「条件付きの死者」)の引用に加え、ブルジョア的頽廃をワルツで表現したり(たとえば、喜歌劇「モスクワよ、チェリョームシキよ」)、社会主義的めでたしめでたしのフレーズとして交響曲第3番のコーダを用いる(たとえば、映画音楽「黄金の山脈」やカンタータ「祖国の詩」など)など、ショスタコーヴィチの定型的な手法が見られるという点で、ショスタコーヴィチの仕事ぶりが窺われるのは興味深い。つまりショスタコーヴィチは、定型句を効率的に用いて、与えられた台本に適切な音楽を与えつつ、契約で定められた期限を遵守しようとしていた。要するに、いかに興味ある題材であったにせよ、歌劇「オランゴ」はショスタコーヴィチにとって“お仕事”であったのだ。

未完に終わったから、あるいは未発表だったからといって、その作品の価値が過大に評価されるべきではない。今後、「オランゴ」が完成に至らなかった背景に、新たな事実が発見されることはあるだろう。それが後年のショスタコーヴィチの創作態度に影響を及ぼしたとされることも、あるかもしれない。ただ、音楽作品としての評価は、せいぜい同時期の舞台作品と同程度が妥当なところだろう。

ショスタコーヴィチ自身はピアノ譜しか遺していないために、オーケストレイションは、いまやショスタコーヴィチの初期作品の編集等について権威となった感のあるG. マクバーニーが行っている。この編曲は決して悪くないが、少なくない歌手が必要であるにもかかわらず30分程度の曲ということもあり、この作品が実演で取り上げられる機会は僅少であろう。世界初演のライヴ録音であるサロネン盤は、仮に「オランゴ」唯一の音盤となったとしても、十分にリファレンスとして堪え得る水準の仕上がりである。安っぽい猥雑さを強調するロシア臭には不足するが、現代においても近未来風の雰囲気を持つ話の内容からすれば、この洗練された響きも悪くない。

演奏時間ではメインであるにもかかわらず「ボーナス・ディスク」扱いの交響曲第4番は、今ではちょっと古いタイプの“現代的な”演奏。和声や楽曲構造が終始明晰であることに加え、響きが整理されていることによるすっきりとした“無機質な”肌触りなど、サロネンの美質が存分に発揮されている。ただ、指揮者というよりは演奏者側の問題なのだろうが、近年の弦楽器奏者はもう少しアーティキュレイションを意識したボウイングをすることが多いので、それに比べると音楽が静的に過ぎるというか、少々平板に感じられる。

HMVジャパン

theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Shostakovich,D.D.

クラシック倶楽部3題

  • ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番より第1、4楽章 チャイコーフスキイ:弦楽四重奏曲第1番 アルティQ (2011.10.29 録画 [NHK BSプレミアム(2013.1.31)])
  • チャイコーフスキイ:ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出に」 クレーメル (Vn) ディルヴァナウスカイテ (Vc) ブニアティシヴィリ (Pf) (2012.11.4 録画 [NHK BSプレミアム(2013.2.7)])
  • シリヴェーストロフ:「器楽の技法~グレン・グールドへのオマージュ」より ヴァーインベルグ:交響曲第10番 クレメラータ・バルティカ (2012.11.3 録画 [NHK BSプレミアム(2013.2.8)])
久し振りに気になる映像が立て続けに放映されたので、NHK BSプレミアムクラシック倶楽部を3本録画視聴してみた。

わが国を代表する実力派の弦楽器奏者4人が集まるアルティQは、常設の団体とは言えないものの、そもそも経験豊かな4人が結成から(この録画時点で)13年を経ているだけに、十分に完成されたアンサンブルに不満は全くと言ってよいほどない。第1Vnはベートーヴェンが矢部氏、チャイコーフスキイが豊嶋氏。技術的には両者ともにそれぞれのパートを見事にこなしていたが、全体のサウンドは、豊嶋氏が第1Vnの方がより収まりが良いように感じられた。

チャイコーフスキイのピアノ三重奏曲は、クレーメルと彼のお気に入りの若手女流奏者とによるアンサンブル。全盛期の極度に研ぎ澄まされた音楽に比べると、良くも悪くも緩やかな演奏ではあるが、それでもクレーメルの多彩な表現力は余人の追随を許さない。残る2人も技術的には十分に洗練されているのだが、音楽的にクレーメルと拮抗するような場面はなく、クレーメル主導のアンサンブルとして捉えるならばよくまとまっていたとは言えるものの、ピアノトリオならではの愉しみが感じられなかったのは残念。

ヴァーインベルグの交響曲第10番は、クレーメルが昨秋に行った来日公演の中でも白眉の1曲と言ってよいだろう。同曲にはバルシャーイ/モスクワCOによる猛烈で圧倒的な、まさしく決定盤たる録音があるが、クレメラータ・バルティカの演奏はひたすらに美しく、敢えて言うならばチャイコーフスキイの弦楽セレナードにも通じるロマンティックな感情の揺らぎが印象的であった。もちろん、ヴァーインベルグらしい際限のない高揚感や、各パートの首席奏者達に要求される過酷な名技も見事に処理されており、既に熟成されつつあるこの団体のポテンシャルが最良の形で発揮された好演。

theme : クラシック
genre : 音楽

フヴォロストーフスキイの「さまようロシア」


  • ラフマニノフ:「ここはすばらしい」「すべては過ぎゆく」「女たちは答えた」「ああ、私の畑よ」「友よ私の言葉を信じるな」「私はあなたを待っている」「夜」「夜は悲しい」「私はふたたびただひとり」、スヴィリードフ:さまようロシア フヴォロストーフスキイ (Br) アルカーディエフ (Pf) (Philips 446 666-2)
ここのところ立て続け(1月20日2月6日のエントリー)にYouTubeでスヴィリードフの歌曲を視聴したせいで、通勤時のBGMをはじめ、すっかりスヴィリードフ漬け。勢いに任せて、長らく入手しそびれていた音盤も注文してしまった。

フヴォロストーフスキイ初期の録音(1994年)だが、Philipsというメジャー・レーベルからリリースされたにもかかわらず、国内盤がなかったこともあるのか、ごく一部を除いてほとんど話題にならなかったアルバムである。日本のAmazonには商品ページすら存在せず、米Amazonに数点が出品されている。運良く新品があったので、それをオーダー。送料を合わせても800円ちょっとだったので、円安の影響もそれほどではなく、お得に入手できた方だろう。

当時、まだ32歳のフヴォロストーフスキイに後年の表現力を求めるのは酷というものだろうが、輝かしい声の魅力に、それだけで押し切ってしまえるほどの勢いが感じられるのも、若さゆえと言ったところだろうか。彼の気取った歌い方は、ラフマニノフの甘美な旋律とよくマッチし、洗練されたロシア歌曲の世界を楽しませてくれる。一方、目当てのスヴィリードフでは、素朴でありながらも深い楽曲の世界に迫りきっているとは言えず、表面的な旋律美をなぞっているだけの箇所が少なくないのが惜しい。ただ、アルカーディエフのピアノは素晴らしく、そう複雑ではない動きの中で、和声の多彩な響きを見事に引き出している。

演奏内容とは関係ないが、「さまようロシア」の歌詞(露、英、独、仏)がついているのも、とにかくスヴィリードフに関する情報は少ないだけに、嬉しいところである。

theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Sviridov,G.V.

年末の中古レコード・セールにて

  • モーツァルト:弦楽四重奏曲第19番、シューマン:弦楽四重奏曲第3番 東京Q (TDK TDK-OC019)
  • ガーシュウィン(ハイフェッツ編):歌劇「ポーギーとベス」より「サマー・タイム」「あの人は逝ってしまった」「ベスよ、お前はおれのもの」「そんなことはどうでもいいさ」、ショスタコーヴィチ(ツィガノーフ編):4つの前奏曲、サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ、チャイコーフスキイ:メロディ、サラサーテ:バスク奇想曲、ショーソン:詩曲、ドビュッシー(カレンバ編):「ベルガマスク組曲」より「月の光」 川久保賜紀 (Vn) ゴラン (Pf) (RCA BVCC-31109)
  • ショスタコーヴィチ:交響曲第14番 カーヒル (S) フィッシャー=ディースカウ (B) ベルティーニ/ケルン放送SO (Altus ALT162)
  • ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第2番、チェロ・ソナタ ガベッタ (Vc) ウルズレアサ (Pf) M. アルブレヒト/ミュンヘンPO (RCA BVCC-31109)
年末恒例の「中古&廃盤レコード・CDカウントダウンセール」を覗きに、阪神百貨店へ。その後に用事があったためにゆっくりすることができず、今回はLP漁りを最初から断念。漫然とCDのみを見て回り、チェックはしていたが買いそびれていた物ばかり5点購入。それから一ヶ月以上も未聴のまま放置してしまったが、ようやく聴くことができた。

TDKオリジナルコンサートのCDシリーズからは、原田幸一郎時代の東京Qのライヴが2枚リリースされている。1979年のヤナーチェクの1番とベートーヴェンのラズモフスキー第2番他を収録したアルバムを、知人の家で聴かせてもらい、端正な佇まいの中に熱気を孕んだ硬派な音楽にいたく感心し、自分でも2枚とも入手しようと思っていたところ、時期を逸してしまい、既に販売終了の模様。今回見つけたのは「不協和音」とシューマンを収録した1973年に行われた二度目の“来日”公演ライヴ。初代メンバーによる最初期の録音は、確かに柔軟な自在さという点では後年の演奏に及ばぬ点が少なからずあるが、いかにも細部まで徹底し尽くしたと思われるアンサンブルの完成度は、新進気鋭の時期でしか実現し得ない類のものだろう。DGからのデビュー盤(ハイドンの作品76-1&ブラームスの第2番)とよく似た組み合わせで、その音楽の傾向もよく似ているが、ライヴならではの白熱した音楽の奔流は、若さゆえの魅力に満ち溢れている。曖昧さが一切排除された、それでいてしなやかな推進力が漲る「不協和音」は、まさに最良の意味での模範演奏である。シューマンでの感情表現は幾分ストレートに過ぎるようにも思えるが、それがシューマンの晦渋さを払拭して、表情の陰影に見通しの良さが加わった清々しい佳演に仕上がっている。録音状態には不満がなくもないが、音楽的な内容には全く不満はない。

HMVジャパン


2002年の第12回チャイコーフスキイ国際コンクールで最高位を受賞した川久保賜紀の小品集は、彼女にとって2枚目のアルバム。有名どころを微妙にはずした色彩感豊かな選曲だが、演奏そのものはやや単調。もちろん左手の技術は水準が高く、端正な仕上がりになっているものの、伴奏のゴランの多彩さには及ばないのが残念。

HMVジャパン


ベルティーニが亡くなってからもう10年近く経っていたとは思わなかった。専らマーラー指揮者として認識していたが、1988年の時点でショスタコーヴィチ、それも第14番を取り上げていたことを知らなかった不明を恥じるのみ。フィッシャー=ディースカウも既に鬼籍に入っており、まさに「死者の歌」といった感じでもある。ロシア語ではない「原語」での歌唱で、言葉の響きに大きな違和感があることは否めないが、一方で、どこか柔らかく漂うような歌の響きは、ふくよかで官能的なオーケストラの響きと渾然一体となって、陶然とした印象を生み出しているのが面白い。男声がバスではなくバリトンであることも影響しているのかもしれない。個性的な解釈の部類に入るだろうが、これがこの作品の一つの側面であることもまた事実。特に第9楽章以降は、たまらなく美しい。

HMVジャパン


若手女流チェロ奏者のショスタコーヴィチ・アルバムは、協奏曲第2番のライヴ録音という意欲的な内容。伸びやかで落ち着いた美感を持つチェロの音色は、いかにも最近の若手奏者らしい。音楽作りも素直で、いたずらに晦渋さを演出しないところに好感が持てる。ただ、表面的には地味な作品だけに、とりわけオーケストラにはもう少し多彩さを求めたいところ。彼女の美質は、ソナタでより発揮されている。ピアノ共々表現意欲に溢れた溌剌とした音楽は、清々しい。この奏者は、協奏曲第1番も既にリリースしている。そちらも聴いてみたいところ。

HMVジャパン


残る1点はBOXセットなので、また後日(いつになるか、分かりませんが…)。

theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Shostakovich,D.D. 演奏家_東京Quartet

O. ディゴーンスカヤ:D. D. ショスタコーヴィチの未完の歌劇「オランゴ」, DSCH社―(6)

6. 協力関係の解消/失敗。2つの「出世」


客観的な状況の変化、すなわち、台本の全文が揃わなかったこととボリショイ劇場が「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の上演に関する契約を持ちかけたことで、ショスタコーヴィチの計画は変わり、歌劇「オランゴ」が完成することはなかった。スタルチャコフとトルストーイ自身が、自ら着想しショスタコーヴィチを惹きつけた突拍子もないアイディアを無に帰してしまったように思われる。世界は、オペラの傑作を奪われることになった。実を言えば、「20年後」にショスタコーヴィチ自身がトルストーイに、彼の書いたブラティノ(ピノキオ)と黄金の鍵の話に舞台化の魅力的な可能性を見出した後で、一緒に仕事をしないかと打診することになる。1943年1月12日、クーイブィシェフで腸チフスにかかっていたがまだ自覚症状が現れていなかった時、彼は作家に手紙を書くことになる。60歳の誕生日と「権威ある賞」を受賞したことに対して相応の祝意を表した後で、彼は直接的に要件を述べた:「このような理由で、あなたに手紙を書いております。ボリショイ劇場のバレエ監督R. V. ザハーロフと私は、あなたの書いた『黄金の鍵』に基づくバレエを作曲することを考えています。たぶん、そこから何かが生まれるでしょう。もしお時間を作ってくださるならば、あなたとお話しできれば嬉しく思いますし、もし可能なら、台本作りを手伝っていただければ、あるいは少なくともこの作品をお認めいただければ幸甚に存じます。R. V. ザハーロフは、私の意見ですが、素晴らしいシナリオを書いたと申し上げるべきでしょう…」ショスタコーヴィチは追伸に、自分の住所に加えて、クーイブィシェフの電話番号も記している。彼は明らかに、トルストーイと個人的に電話で話をしたいと考えていた101。だが、これは実現したのだろうか?文字通りその翌日、作曲家は腸チフスで寝込むことになり一ヶ月後まで回復しなかった。療養中、彼はピアノ・ソナタ第2番 作品61の構想を練り、短期間で書き上げた102。また、第8交響曲の作曲に向けて集中する必要があった。バレエ「黄金の鍵」の音楽は、着想以上に発展することはなかった103

しかし、トルストーイとスタルチャコフはなぜ、1932年に「オランゴ」の台本を完成させなかったのだろうか?それに対する単純な答えは、存在しない。1928年末頃に国内で始まり、とりわけ(家族と宗教に関する)「伝統的なブルジョア的価値観」の転換で特徴づけられる「文化革命」は、芸術的な手段による正当化に加えて、「未来人を創る」というスローガンによるよりも前に、イデオロギー的に受けの良い生物学的実験を惹起した。この意味で、1920年代末に書かれたスタルチャコフの物語「アルベール・デュランの勝利」は、「ブルジョア新聞の批判」を通して(問題に対する深い考察をすることのない)俗世界の物の見方の「狭小さ」を嘲笑し、無力な科学者の画期的な実験が帝国主義に直面して邪魔されたという内容であっただけに、極めて時宜を得たものだった。

1930年までに、ソ連社会の生活において新たな方向への転換が示され、新たなタブーが出現した。たとえば、「その一つは『生物学研究』、あるいは生物学の法則を社会現象に『当てはめる』ことの禁止である。そこでは…より一般的な現象が発現した:『技術主義』に対するスターリン主導の恐れと、可能な限り専門家と熟練者の職業能力に枷をはめようとする努力である。これは、とりわけこのことが世界観や社会的疑問に関する時に顕著であった。したがって、もしダーウィンの人類発生論が攻撃されたのならば、イヴァーノフの実験が狙い撃ちされても何ら驚きはない。それで、長い中断と新たな名称で1932年に『人類学ジャーナル』(旧『ロシア人類学ジャーナル』)が復刊された時、編集委員は巻頭言で、過去のソ連の人類学者はあまりにも人類発生論の生物学的要因に夢中になり過ぎ、社会的側面を無視し、フリードリヒ・エンゲルスの…『理論』を忘れていたということ、そしてそれは今後、ダーウィンの理論を補っていくだろうことを特に強調した。…生物学と社会とを『過度に』関連付けることに対する批判…が、過去のものとなりつつあり、『文化革命』および文化、教育、科学における実験がすぐに絶えてしまうという事実の最初の表れの一つとなりつつあることは、明らかである。…同様の政治的かつ文化的な転換のもう一つの表れは…1930年代に『上から』促された、『伝統的な』家族観へのゆるやかな回帰である」104

スタルチャコフは、その活動的な性格と、彼が占めていた役職が国の文化的および政治的生活の中心にあったことで、新しい潮流における非常に微かな流れに気付かずにはいられなかった。大胆ではあるが多少流行遅れになった「類人猿」の話題は、見事に処理されて、異なった意味合いが与えられた。このようにして、「交雑」および広い意味での「生物学化」に対する1932年のスタルチャコフ=トルストーイの諷刺攻撃は、変化した国家イデオロギーの観点から一度は完全に正当化された。「失われた環」に関する研究(怪物のような雑種オランゴにおいて明らかになると思われた)のことでチャールズ・ダーウィンを慎重に攻撃することは、理解力のある同時代人には容易に推測されただろうが、新たな科学的概念に完全に一致した。

にもかかわらず、表面的には好意的な条件が整っていたものの、「オランゴ」の作業は次第に進まなくなり、ついには完全に頓挫した。イリヤー・イヴァーノフ教授の悲劇的な死が、スタルチャコフとトルストーイの想像力の冷笑的な迸りを、後で反省させる役割を演じたのだろうか?結局、作者らは彼を、エルネスト・グーロー(アルマン・フルーリ)の高潔な役割だけでなく、海外での名声を夢見(「私は、海外でもこのことについて話そうとしました…」)、西側の科学的な対抗勢力にあしらわれた(「…しかし、すんでのところでやめました」)あわれな動物学者の誇張された形象の中にも位置づけたのだと思われる!あるいは、オペラの計画が「特許119号」と呼ばれる共同制作の演劇の契約によって中断させられ、「オランゴ」のための時間を奪ってしまったのだろうか105?それとも、告知の中にスタルチャコフの物語に対する十分な言及がなかったので、作家達は、作品につきまとう盗作疑惑を払拭することができず(また、「不愉快な混乱」を解決することができず)、弁明することを強いられて実りが期待された構想を破棄することを余儀なくされたのだろうか?はたまた、1930年代初頭に漂っていた、コンスタンティン・スタニスラーフスキイが述べた(「今日のロシアは、グロテスクさには不釣り合いに真面目過ぎる国だ106」)ような名状し難く嵐の前触れのような予感に対して、彼らが時節に適った感覚を持っていたからなのだろうか?我々はただ、破棄を免れた未知の文書が何らかの点においてこれらの答えのない疑問に光を与えてくれることを願うばかりである。それらの一つが、スタルチャコフ=トルストーイの着想(「アルテュール・クリスティの出世」)がベルトルト・ブレヒトの「アルトロ・ウィの抑え得た興隆」(1935~1941)に影響を及ぼした可能性についての疑問である。両者の類似性は、これら2つの題名が驚くほど似ていることに限らない107。ブレヒトの戯曲の内容もまた、「オランゴ」を思い起こさせる-抑えることのできない権力への愛、憎しみ、根底にある欲望、そして途方もない政治的野心が犯罪と結びついた、悪党の経歴である108。ジャンルの類似性もまた、明白である:どちらの戯曲も、政治的諷刺、寓話、悲劇的笑劇に分類される109。2つの戯曲の筋書きとジャンル=様式上の数多くの類似は、ベルトルト・ブレヒトが「オランゴ」の物語(それはショスタコーヴィチのオペラとして、あるいはスタルチャコフの物語として結実することはなかった)を知っていたのではないか、そしてこの物語がアルトロ・ウィについての戯曲を執筆した際に元ネタの一つとなっていたのではないかという推測を導き出す110

我々は、藁にすがるしかない:1920~1930年代の日常生活の不条理さは、たくさんの「世間一般の」話題の元となった。いずれにせよ、戯曲「アルトロ・ウィの抑え得た興隆」が「ロシア起源」であることの証拠はない。ブレヒトもトルストーイもショスタコーヴィチも(特に、1937年に銃殺されたスタルチャコフも)、この話題についてお互いに語ってはいない。ただ、ショスタコーヴィチがブレヒトのアルトロ・ウィについての戯曲を知っていて、恐らくはその舞台を見ただろうことがわかっている111。1954年に、映画「団結」(「偉大な川の歌」, DEFA)の制作のために作曲家がブレヒトと会った時にも、「オランゴ」のことがぼんやりと思い出されただろう。1967年に監督のM. G. シャピーロがブレヒトの別の戯曲「ガリレオの生涯」を台本の形でショスタコーヴィチに提示した時、作曲家が「気まぐれなどではなく、直ちに同意した112」だけでなく、タガンカ劇場でユーリイ・リュビーモフの演出で上演されていた同名の有名な劇(劇中では、偶然にも交響曲第13番の音楽が使われていた)を数日の内に見に行き、その感想を友人に宛てた手紙に書き記した(「劇そのものにも芝居にも、がっかりするような何かがありました113」)ことは、注目に値する。

このよく分からない「何か」のせいなのか、それとも他の理由のせいなのか、いずれにせよショスタコーヴィチは歌劇「ガリレオの生涯」を書くことはなかったという事実が残されている114。しかし、オランゴの諷刺熱で微かに光が灯され、「ガリレオ」で完全に明らかにされたものは、科学者の礼儀正しさ、両親、知識、道徳、研究上の独断、自分の発見に対する責任の程度といった倫理的な問題だったのであろう。そしてそれは、それまで順調だったオペラでの経歴を踏み外すことになった1932年のボリショイ劇場との失敗に終わった共同作業を、悔恨の念をもって作曲家に思い出させることとなったのだろう。

オーリガ・ディゴーンスカヤ


  1. 世界文学研究所手稿部, rec. gr. 43, inv. 4, f. 1278. sheet 2. 自筆譜. 手紙は葉書に黒のインクで書かれており、「軍検閲済/クーイブィシェフ51」と読み取れる消印が押されている。ショスタコーヴィチの「公式な」手紙には珍しい取り消し線と修正があり、おそらくは彼が病気であった事実を示していると思われる。
  2. 詳しくは、以下を参照のこと:O. G. Digonskaya, “The Story of One Confusion: On the Second Piano Sonata (on the problem of attributing D. D. Shostakovich's author's manuscripts)”. in: Dmitri Shostakovich: Research and Documents, Edited and compiled by 0. Digonskaya and L. Kovnatskaya, Issue 2, Moscow, 2007, pp. 136-171 (in Russian).
  3. 1954年、ミエチスラフ・ヴァーインベルグはバレエ「黄金の鍵」を作曲した。1954年10月27日にN. V. ショスタコーヴィチに宛てた手紙の中でショスタコーヴィチは、バレエは完成したが「受領されなかった」と書いている(作曲家から妻ニーナ・ヴァシーリェヴナへの193通の手紙のリスト(概要付), イリーナ・アントノーヴナ・ショスタコーヴィチ(編), D. D. Shostakovich's Archive, 番号無. を参照のこと)。
  4. K. O. Rossiyanov, op. cit., p. 41.
  5. アレクセーイ・トルストーイは、1932年7月31日(「台本の修正」の件で妻に手紙を出した1週間後)に戯曲「特許119号」の契約書に署名をした。そして、契約条項に従って、完成した台本を8月23日までに、すなわち、非常に短期間で提出することになっていた(以下を参照のこと:世界文学研究所手稿部, rec. gr. 43, inv. 1, f. 1203, sheet 1.)。
  6. 1964年9月12日にヴラディーミル・オグニョフに宛てたイリヤー・セルヴィンスキイの手紙より。手紙の中でセルヴィンスキイは、1931年にМХАТе(チェーホフ記念モスクワ芸術劇場)で「パオ=パオ」をコンスタンティン・スタニスラーフスキイに読み聞かせた時のことを語っている。スタニスラーフスキイはこの戯曲を全体的に高く評価したが、フィナーレは再構成するように意見した。そのフィナーレでは、雑種のパオ=パオがソ連にやって来ることになっていた: 「フィナーレが良くない」とスタニスラーフスキイは言った。「今日のロシアは、グロテスクさには不釣り合いに真面目過ぎる国だ。何か別の形を考えてもらいたいところだ」(以下からの引用:V. Ognev, “Amnesty of Talent: Sparks of Memory”, Znamya, No. 8, 2000, available at [http://magazines.russ.ru/znamia/2000/8/ognev-pr.html])。
  7. ブレヒトの戯曲の原題「Der aufhaltsame Aufstieg des Arturo Ui」には、「出世」という単語は含まれていない。ドイツ語を逐語訳すると「アルトロ・ウィの抑え得た興隆」となるが、それは「出世」と同義である。
  8. 同時代的な観点では、厚手の外套を着た、背が低く、額が狭く、腕が長く、残酷で不満げなオランゴのイメージは、「出世」という点で、期せずしてスターリンの肖像(アルトロ・ウィ=ヒトラーにも似ている)となっている。しかし、「作家達」やショスタコーヴィチが、1930年代の時点でこのことに気付いていたかどうかはわからない。
  9. ブレヒトは、彼の意見では「遠慮なしに衆目に晒され、何よりも嘲笑の対象とされるべき(斜体は筆者による-O. D.)」「大犯罪者」を芸術的に描写したりや告発したりするために、笑劇の必要性を公言していた。「結局のところ、彼らは重大な政治犯などでは全くないのだ。重大な政治的犯罪が彼らを利用してなされたというだけのことであり、これは同じことではない」(B. Brecht, Theatre: Plays, Articles, Statements, in 5 vols, Vol. 3, Moscow, 1964, p. 439, in Russian.からの引用)。
  10. ドイツ共産党の構成員であり、ロシアの共産党員の作家の集まりと日常的に交流のあったベルトルト・ブレヒトとマルガレーテ・シュテフィン(長年の愛人であり、秘書、評論家、共著者(「アルトロ・ウィの抑え得た興隆」を含む)でもあった)の、ソヴィエト文化へのよく知られた数多くの接触は、この仮説を強く裏付ける。「オランゴ」の筋書きは、作家の知識階級の知的環境の中で議論されたのだろう。そしてそれはマルガレーテ・シュテフィンを通して、ブレヒトの耳にも届いたのだろう。また、トルストーイとスタルチャコフは、それをドイツの共著者に意図的に「与える」こともできた。
  11. イリーナ・ショスタコーヴィチが、個人的な会話の中でこのことを証言した。
  12. I. D. Glikman, Journal V, entry of 13 February 1967(D. D. Shostakovich's Archive, rec. gr. 4, section 2, f. 5.)。
  13. 同上 (entry of 21 February 1967)(以下も参照のこと:Letters to a Friend: Dmitri Shostakovich to Isaak Glikman, St. Petersburg, 1993, p. 227, in Russian)。イリーナ・ショスタコーヴィチの思い出話によれば、「ガリレオの生涯」の公演は作曲家に極めて強い印象を残したとのことだ。
  14. ショスタコーヴィチが歌劇「ガリレオの生涯」を書かなかった理由の一つは、明らかに、リュビーモフの上演で交響曲第13番が驚くほど調和していたことにある。このことは、多くの同時代人が記している。1966年8月1日に、アレクサーンドル・ソルジェニーツィンがショスタコーヴィチに宛てた手紙の中に、このことについての言及がある:「リュビーモフの『ガッリレオ』(ママ)を観る機会がありました。音楽は、全てあなたのものでした。私は、それが何ゆえかを推測することも、尋ねる必要もありませんでした。しかし、劇と非常によく合っており、それ以上に相応しい音楽はありませんでした。とても印象的でした!」(D. D. Shostakovich's Archive, rec. gr. 3, section 2, f. 775)。もし、音楽と劇の融合が作曲家自身にも芸術的に説得力があるように思われ、彼が「それ以上に相応しい音楽はありませんでした」という意見に内心で賛同したとするならば、ガリレオの物語に別の音楽を作曲しようとすることを断念したとしても、驚くに値しない。

theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Shostakovich,D.D.

【YouTube】オブラスツォーヴァのスヴィリードフ歌曲リサイタル

1月20日のエントリーに続き、YouTubeで見つけたスヴィリードフの歌曲を。スヴィリードフ自身のピアノ伴奏でオブラスツォーヴァが歌うという、非常に貴重な動画である。テレビ番組なのだろうが、冒頭は俳優のスモクトゥノフスキイが話をしている。余談ではあるが、彼はショスタコーヴィチが音楽を担当した映画「ハムレット」の主役である。

初期の歌曲が中心のプログラムだが、オブラスツォーヴァは、気高い冷ややかさを感じさせる鋭い声の魅力を巧みに発揮しつつ、各曲を見事に歌いこなしている。スヴィリードフのピアノは、既に高齢であることもあって、率直に言ってそれほど達者ではないものの、武骨ながらも和声の多彩な響きが印象的な“味のある”伴奏である。

スヴィリードフの歌曲の魅力がぎっしりと詰まった、とても素晴らしい映像である。

  1. [03:34]「森は紅の装いを捨て」(А. プーシキン詩)
  2. [07:30]「冬の道」(А. プーシキン詩)
  3. [10:25]「予感」(А. プーシキン詩)
  4. [14:30]「イジョールィに来りて」(А. プーシキン詩)
  5. [16:57]「ニジニ・ノヴゴロドにて」(Б. コルニロフ詩)
  6. [20:40]「涙」
  7. [23:30]「Как прощались, страстно клялись」(А. ブローク詩)
  8. [27:15]「風見」(А. ブローク詩)
  9. [29:45]「幾山河のむこうに」(А. ブローク詩)
  10. [32:54]「モスクワの朝」(А. ブローク詩)
  11. [35:40]「ロシアの歌」
  12. [39:45]「秋に」(М. イサコーフスキイ詩)
  13. [44:40]「Не мани меня ты, воля」(А. ブローク詩)
  14. [49:30]「花嫁」(А. ブローク詩)
  15. [54:13]「手風琴の歌」(С. エセーニン詩)
  16. [56:10]「白樺」(С. エセーニン詩)
  17. [60:07]「心のうちにロシアは輝く」(С. エセーニン詩)
  18. [64:00]「流刑者」(А. イサーキアン詩・А. ブローク訳)
  19. [67:38]「ロシアの百姓娘」(А. プロコーフィエヴァ詩)
  20. [70:28]「ロシアの歌」


オブラスツォーヴァ (MS) スヴィリードフ (Pf)(1977年)

theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Sviridov,G.V.

『未完成 大作曲家たちの「謎」を読み解く』(角川SSC新書, 2013)

シューベルト、ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチ、プッチーニ、モーツァルトの有名な未完成作品を題材に、それぞれの成立や初演等にまつわる「謎」に迫ろうという内容。帯には「芸術作品における完成とはなにか?」「音楽史ミステリ」とあるが、著者の書き振りはむしろ淡々としており、煽り文句から想像されるトンデモな自説の開陳の類とは無縁である。

取り上げられた6曲は、ショスタコーヴィチの「オランゴ」を除き、敢えて言えば何のひねりもない王道の未完成作品である。それらにまつわる「伝説」を整理した上で、それを単純に否定するのではなく、事実を丹念に積み重ねることで未完成となったことの必然性が明らかにされている。作曲家の死が未完の大きな原因であることは当然だが、本書では若きショスタコーヴィチの(最近発見された)作品が収録されていることで、死と未完成とを無批判に結びつけるようなセンチメンタリズムが巧妙に排され、未完成の類型に多様さがもたらされているのも興味深い。

音盤の解説程度の知識しかない「初心者」にとっては、必ずしも劇的とは言えない事実の数々が目から鱗だろう。一方、相当量の薀蓄を持つ「マニア」にしてみれば、書いてある事実の一つ一つはさして目新しいものではないかもしれない。しかし、その積み重ねが呈する作品あるいは作曲家の姿は、読者に新鮮な印象を与えるに違いない。

なお「オランゴ」については、日本語で読めるほぼ唯一のまとまった文章である(他には、国内盤CDの解説くらい)。そもそもの情報源が限られているので、現時点で明らかになっていることは、ほとんど本書で網羅されている。ショスタコーヴィチ・ファンにとっては、この点だけでも一読の価値があるだろう(著者の本意ではないかもしれないが)。

theme : クラシック
genre : 音楽

プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

カレンダー
01 | 2013/02 | 03
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 - -
最新記事
カテゴリ
タグツリー
★ トップ(最新記事)
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
人気記事ランキング
RSSリンクの表示
リンク
音盤検索
HMV検索
検索する

音楽関係のブログ(リンク・更新状況)
PopUp WikipediaⅡ
記事中の気になるキーワードをマウスで選択してください。Wikipediaからの検索結果がポップアップ表示されます。
Wikipedia
developed by 遊ぶブログ
Translation(自動翻訳)
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。