【YouTube】73年のキンテートの映像

ピアソラの演奏活動を、60年代の第一次キンテート(五重奏団)、そして80年代の第二次キンテートを抜きにして語ることは不可能である。実験的な活動を含め、キンテート以外の様々な編成も意欲的に試し続けたピアソラであるが、キンテートのメンバーは常にその中核であり続けた。

第一次キンテートが解散し、九重奏団も短期間で活動停止してしまった後の1973年に、1年に満たない活動期間ではあったが、キンテートが再結成された。現在、残されている音源は「天使の死」(milan)というアルバム1枚のみ。アグリ、キチョ、マルビチーノといったおなじみのメンバーに加えて、九重奏団でも圧倒的な存在感を放ったタランティーノがピアノを務めていることが目を引き、また実際にタランティーノのキャラクターがキンテートの音楽を決定づけているという点で、ピアソラ・ファンならばこのキンテートを聴き過ごす訳にはいかない。

その“73年のキンテート”の映像が、YouTubeにアップされていた。テレビ番組のようだが、親密でリラックスした雰囲気のスタジオで繰り広げられる演奏の質は、非常に高い。重厚なタンゴのリズム感を持ちつつも、軽やかにスウィングするタランティーノのスタイルが、いつものピアソラと一味違った趣きを持っている。「アディオス・ノニーノ」のピアノ・ソロや、「ブエノスアイレスの秋」のインプロヴィゼーションは上述したアルバムとは大きく異なっており、このアンサンブルが特筆すべき自由度を持っていたことも窺える。

「トード・ブエノスアイレス」や「アルフレド・ゴビの肖像」など、他に映像のない曲が含まれていることも嬉しい。ただ、画質や音質は劣悪で、商品化に耐えるものでは全くないことが残念。インターネットのおかげで観ることのできた映像だろう。投稿者に感謝!

ブエノスアイレスの夏ブエノスアイレス午前零時
ルンファルドトード・ブエノスアイレス
フラカナパアルフレド・ゴビの肖像
アディオス・ノニーノブエノスアイレスの秋
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theme : ワールド・ミュージック
genre : 音楽

tag : Tango_Piazzolla,A.

チョン・キョンファ ヴァイオリン・リサイタル


チョン・キョンファ (Vn) ケヴィン・ケナー (Pf)
  • モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第35番 G-dur KV379
  • プロコーフィエフ:ヴァイオリン・ソナタ第1番 f-moll Op.80
  • バッハ:無伴奏パルティータ第2番 d-moll BWV1004 より「シャコンヌ」
  • フランク:ヴァイオリン・ソナタ A-dur
  • シューベルト:ソナチネ第1番 D-dur Op.137-1 (D.384) より第2楽章【アンコール】
  • シューベルト:ソナチネ第1番 D-dur Op.137-1 (D.384) より第3楽章【アンコール】
2013年6月5日(水) 兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール
ヴァイオリン独奏曲にはそれほど強い関心がないこともあって、ヴァイオリン・リサイタルの類に足を運ぶことはめったにない。最後に聴いたのがいつのことだったか、そして誰だったのか、思い出せないくらいだ。だから、今回このリサイタルのチケットを手にした時点では、チョン・キョンファがここ数年、事実上の引退状態にあったこと、そして最近になって復活を果たしたことなど全く知る由もなく、近年は華やかな演奏活動の情報を目にすることは確かになかったが、大御所として悠々自適の日々を過ごしているのだろうという程度の認識しかなかった。

僕がヴァイオリンのレッスンに通っていた1970~80年代、新進気鋭の若手ヴァイオリニストと言えばパールマン、ズッカーマン、クレーメルといった辺りで、アジア人であることや女性であることなどもあってか、チョン・キョンファは同世代の中でもひときわ異彩を放っていたように記憶している。好き嫌いは別にして、全ての音が正確かつ明瞭に響き渡る彼らの技術的な水準は、明らかに上の世代を凌駕しており、20世紀末のヴァイオリン演奏の標準であったことに疑う余地はないだろう。

今回のリサイタルで彼女は、まさにその“標準”を、しかも上質の形で聴かせてくれた。それは僕にとって一種の懐かしさを感じさせるものであり、僕と時代を共有する多くの聴衆にとっても同様だったに違いないと推察する。

チョン・キョンファの実演を聴くのは初めてなので、彼女の全盛期と比較することはできないが、音程などの単純な技術的側面について言えば、確かに精度に甘さを感じる瞬間が皆無だったとまでは言えないものの(プロコーフィエフなど)、ブランクを感じさせるような類の瑕はなく、十分以上に高水準であった。

名曲かつ大曲ばかり4つも並べた重量級のプログラムは、いずれも彼女の得意とするレパートリーなのだろう。息をするのも憚られるような弱音と憑りつかれたようにかき鳴らす強奏とのコントラストが織り成す緊張感は、彼女の幾多の録音でも馴染み深い彼女のスタイルであり、確かに他の追随を許さぬ至芸だと感服。慎みの欠片もない客席の咳払いには僕も辟易したとはいえ、その度に客席を睨みつける彼女のステージマナーは正直なところ気分の良いものではなかったが、しかしそうまですることではじめて生み出される、あのホール全体を支配する鬼神のようなオーラは、実演でなければ味わうことのできないもの。

卓越した技術で全ての音符を軽々と弾きこなし、デュナーミクを大げさに弾き分けることで緊張と緩和の対比をつけつつ、柄の大きな音楽を仕立てあげるやり方は、近年のアーティキュレイションや和声に対する繊細で周到な取扱いを重視するやり方に比べるといかにも一世代前の流儀ではあるが、僕は流儀の新しさ/古さよりは完成度の高さを重視する立場をとる。モーツァルトでは、さりげなく現代的な処理を聴かせるピアノのケナーに対して、チョン・キョンファは古楽の洗礼を受ける以前のモーツァルト像を依然として、ただし確信をもって提示する。バッハのシャコンヌに至っては、フィンガリングもボウイングもアルペッジョの処理も、ガラミアン校訂の楽譜(IMC)とほぼ同じだったように思う。こうした姿勢は、現役の職業演奏家にとって容認し難いものかもしれない。手垢のついた解釈を、いくら深みが増しているとはいえ、飽きもせずに繰り返しているのだから。

しかしながらフランクでは、そうした批判を超越するに足るだけの完成度が獲得されていたと言ってよいだろう。他の3曲では、全ての表現が同じパターンであることに物足りなさを感じることも少なくなかったが、緊張と緩和の構造が微視的にも巨視的にも隙無く構成され、即興的な感情の発露も随所に聴かれた演奏は、彼女の偉大さを真に伝えるものであった。さらに、アンコールのシューベルト(特に第2楽章)は、作品との相性もあってか、フランクをさらに上回る素晴らしい名演だった。

語弊を恐れずに言えば、今日の聴衆にとって彼女の演奏スタイルは“平凡”なものだったかもしれないが、平凡な(しかし完成された)スタイルで表現された音楽は紛れもなく非凡なもの。ここをどう評価するかは、人それぞれだろう。僕は、十分に愉しんだ側だ。

ケナーのピアノは、アンサンブルに対する気遣い、音色の多彩さ、アーティキュレイションへの繊細な配慮など、あらゆる面で傑出していた。特にプロコーフィエフの第3楽章の妖気漂う美しさが印象に残った。

theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 演奏家_Chung,K.

ロストロポーヴィチ・ソヴィエト・レコーディングス

  • Rostropovich The Russian Years 1950-1974 (EMI 7243 5 72016 2 9)
2月9日のエントリーの続き。購入してから半年が過ぎてしまったが、最後の1点は、「ロストロポーヴィチ・ソヴィエト・レコーディングス」(13枚組)。ショスタコーヴィチ作品が収録されたCD4とCD10、およびピアソラ作品が収録されたCD13は既に架蔵済みだが、聴いたことのない作品も数多く収録されていることもあり、せっかく見かけたのだから…と、この機会にBOXを購入。各巻の内容は以下の通り:
【CD1:小品集】
ストラヴィーンスキイ:歌劇「マヴラ」より「ロシアの歌」(デデューヒン (Pf) 1960年12月11日)
ストラヴィーンスキイ(ロストロポーヴィチ編):バレエ「妖精の口づけ」より「パ・ド・ドゥ」(デデューヒン (Pf) 1960年12月11日)
スクリャービン(ピアティゴルスキイ編):練習曲 作品8-11(ヤンポーリスキイ (Pf))
ミヨー(ロストロポーヴィチ編):「ブラジルの思い出」より第8曲「ティジュカ」(デデューヒン (Pf) 1960年12月11日)
ファリャ(ピアティゴルスキイ編):バレエ「恋は魔術師」より「火祭りの踊り」(デデューヒン (Pf) 1960年12月11日)
ドヴォルザーク:「森の静けさ」(ヤンポーリスキイ (Pf))
R. シュトラウス:「4つの情緒のある風景」より第2曲「寂しい泉のほとり」(ヤンポーリスキイ (Pf))
シンディング:組曲第1番イ短調「古い様式で」より「プレスト」
フォーレ(カザルス編):夢のあとに(デデューヒン (Pf))
ドビュッシー(ローレンス編):ベルガマスク組曲より第3曲「月の光」(デデューヒン (Pf))
ドビュッシー:夜想曲とスケルツォ(デデューヒン (Pf) 1968年11月11日)
シャポーリン(クバツキイ編):ロマンス「君を見る」(ヤンポーリスキイ (Pf))
ポッパー:「妖精の踊り」(デデューヒン (Pf))
シューベルト(ハイフェッツ/ロストロポーヴィチ編):即興曲 D.899(デデューヒン (Pf))
プロコーフィエフ:バレエ「シンデレラ」より「アダージョ」「ワルツ~コーダ」(デデューヒン/ジブツェフ (Pf))
プロコーフィエフ:歌劇「3つのオレンジへの恋」より「行進曲」(ジブツェフ (Pf))
ヘンデル:ソナタ ニ長調より「ラルゲット」(デデューヒン (Pf))
シャポーリン:エレジー(ヤンポーリスキイ (Pf))
シャポーリン:スケルツォ 作品25-5(アミンタェヴァ (Pf))
【CD2:ベンジャミン・ブリテンの作品】
無伴奏チェロ組曲第1番(1966年2月15日)
無伴奏チェロ組曲第2番
チェロ交響曲(ブリテン/モスクワPO 1964年3月12日)
【CD3:セルゲーイ・プロコーフィエフの作品】
チェロ・ソナタ(リヒテル (Pf) 1950年3月1日)
交響的協奏曲(グスマン/ソヴィエト国立SO 1972年12月27日;ロジデーストヴェンスキイ/ソヴィエト国立SO 1964年2月25日)
チェロと管弦楽のためのコンチェルティーノ(ロジデーストヴェンスキイ/モスクワ放送SO 1964年5月13日)
【CD4:ドミートリイ・ショスタコーヴィチの作品】
チェロ協奏曲第1番(ロジデーストヴェンスキイ/モスクワPO 1961年2月10日)
チェロ協奏曲第2番(スヴェトラーノフ/ソヴィエト国立SO 1967年9月25日)
【CD5:ボリース・チャイコーフスキイの作品】
無伴奏チェロ組曲(1961年11月5日)
チェロ、ピアノ、ハープシコード、エレクトリックギターと打楽器のためのパルティータ(デデューヒン (Pf) B. チャイコーフスキイ (Cemb)他 1967年1月10日)
チェロ協奏曲(コンドラーシン/モスクワPO 1966年9月4日)
【CD6:ロシア以外の作品】
ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ第1番より第2曲「プレリュード」(1962年2月6日)
レスピーギ:アダージョと変奏(コンドラーシン/モスクワPO)
オネゲル:チェロ協奏曲(ドゥブロヴスキイ/ソヴィエト国立SO 1964年2月14日)
R.シュトラウス:交響詩「ドン・キホーテ」(コンドラーシン/モスクワPO 1964年3月12日)
【CD7:世界初演集】
ロペス=グラーサ:室内協奏曲(コンドラーシン/モスクワPO 1967年)
クニッペル:コンチェルト・モノローグ(ロジデーストヴェンスキイ/ソヴィエト国立SO 1964年2月25日)
ヴァーインベルグ:チェロ協奏曲(ロジデーストヴェンスキイ/ソヴィエト国立SO 1964年2月25日)
【CD8:19世紀の古典派とロマン派の作品】
ベートーヴェン:三重協奏曲(D. オーイストラフ (Vn) リヒテル (Pf) コンドラーシン/モスクワPO 1970年1月5日)
シューマン:チェロ協奏曲(ロジデーストヴェンスキイ/ソヴィエト国立SO 1960年11月30日)
チャイコーフスキイ:ロココの主題による変奏曲(ロジデーストヴェンスキイ/ソヴィエト国立SO 1960年11月30日)
【CD9:ロシアの作品】
タネーェフ:カンツォーナ(デデューヒン (Pf))
ミャスコーフスキイ:チェロ協奏曲(スヴェトラーノフ/ソヴィエト国立SO 1964年1月14日)
グラズノーフ:コンチェルト=バラード(スヴェトラーノフ/ソヴィエト国立SO 1964年1月14日)
【CD10:作曲家の自画像】
ショスタコーヴィチ:チェロ・ソナタ(D. ショスタコーヴィチ (Pf))
カバレーフスキイ:チェロ・ソナタ(初版)(カバレーフスキイ (Pf) 1962年2月6日)
K. ハチャトゥリャーン:チェロ・ソナタ(K. ハチャトゥリャーン (Pf) 1967年1月10日)
【CD11:協奏曲集】
ティーシチェンコ:チェロと17の管楽器、打楽器とハルモニウムのための協奏曲(ブラジコフ指揮 1966年2月6日)
ハチャトゥリャーン:チェロのためのコンチェルト・ラプソディー(アミンタェヴァ (Pf) 1964年4月4日)
外山雄三:チェロ協奏曲(外山雄三/モスクワ放送SO 1967年1月13日)
【CD12:デデューヒンとのリサイタル】
ショパン:チェロ・ソナタ(デデューヒン (Pf))
ショパン:華麗なるポロネーズ(デデューヒン (Pf))
ミャスコーフスキイ:チェロ・ソナタ第2番(デデューヒン (Pf) 1967年1月10日)
シャポーリン:5つの小品(デデューヒン (Pf))
【CD13:1996年―献呈された作品】
ピアソラ:ル・グラン・タンゴ(ウリアシュ (Pf) 1966年11月22日)
ウストヴォーリスカヤ:チェロとピアノのための大二重奏曲(リュビモフ (Pf))
シニートケ:チェロ・ソナタ第2番(ウリアシュ (Pf) 1966年11月21~22日)
シニートケ:バレエ「ペール・ギュント」のエピローグ(ウリアシュ (Pf) 1966年9月17日)
以下、各ディスクの感想を簡単に。

【CD1】は小品集だが、いわゆる名曲集ではない選曲が面白い。ロシア=ソ連の作品が目につくものの、ミヨーやフォーレ、ドビュッシーなどもあり、ありとあらゆる曲を弾き尽くそうとするかのようなロストロポーヴィチらしさが反映されている。録音年が記されていないものも少なくないが、録音状態などから判断しても、ほとんどが1960年前後のものと思われる。やや荒っぽいもののロストロポーヴィチの達者な技術を堪能できるが、彼特有の柄の大きな音楽は、こうした小品に必ずしも相応しいと思えないのも事実。このBOXの露払い的位置付けの一枚なのだろう。残る12枚は全て、ロストロポーヴィチの独壇場。

【CD2】は、親交の深かったブリテンがロストロポーヴィチに献呈した3曲が収録されている。全てライヴ録音(組曲第2番の終演後の拍手は、どうも後付けくさく感じられるが)だが、中でもチェロ交響曲は世界初演ライヴという点で貴重。ロストロポーヴィチの圧倒的な表現力で奏でられるブリテン独特の闇の世界は、今なお格別である。

【CD3】も、友人として…ではなかったにせよ、親交のあったプロコーフィエフに献呈された3曲が収録されている。ソナタは、作曲家立会いの下での初演ライヴ(聴衆の中にはショスタコーヴィチもいた)。第2楽章終了後に拍手があるなど、その場の高揚した雰囲気がよく捉えられている。交響的協奏曲は、演奏ではなく収録音源のデータに問題がある。なぜ第1楽章と第2~3楽章とが別演奏なのか、その理由が分からない上に、クレジットされている演奏者名にも混乱がある。この点についてはHayesさんの「ロストロポーヴィチのBrilliant箱を検証する」という記事が詳しいので、参照されたい。録音はいかにも古めかしいが、演奏は文句無しに素晴らしいもの。

ショスタコーヴィチの2曲の協奏曲を収録した【CD4】は、第2番の初演ライヴもさることながら、第1番も常軌を逸した力感に溢れた名演。いまだに録音が多いとは言えないボリース・チャイコーフスキイの作品が3曲も収録されている

【CD5】は、このBOXセットの目玉の一つと言ってよいだろう。3曲全てがロストロポーヴィチに献呈されており、全てがその世界初演時の録音である。迸る表現意欲はもの凄く、勢い余って…という箇所もないわけではないが、単なる綺麗事に収まらない振幅の大きな表情は、いささか地味なボリース・チャイコーフスキイの音楽を広範な聴衆に説得力をもって伝えることに貢献している。ただ、パルティータについてはチェロが突出し過ぎの感が否めず、もう少しバランスに配慮して独特の色彩感を表出してもらいたかったところ。

【CD6】には、ロストロポーヴィチのレパートリーの広さを窺わせる作品群が収録されている。「ドン・キホーテ」は有名曲だが、それ以外は演奏頻度も知名度も低い作品ばかり(ブラジル風バッハ第1番は有名曲に入れてもよいと思うが、人口に膾炙しているのは第1曲だろう)。いずれもロストロポーヴィチ風のロマンティシズムに染められてはいるが、知らずに済ますには惜しいと思わせるだけの魅力を放っている。

手当たり次第にチェロのための新作を依頼しては、片っ端から初演していったという片鱗を窺わせる【CD7】は、作品自体の素晴らしさもあって、ヴァーインベルグの協奏曲が聴きものである。他の作品も演奏自体は立派なものだが、後世に渡って繰り返し演奏されるほどの訴求力がないのも確か。

多様な作曲家の作品を聴くことができるのもロストロポーヴィチのBOXならではと思いつつも、【CD8】のオーソドックスなクラシカル作品を聴くとほっとするのも確か。オーケストラのロシア臭に対する賛否はあるだろうが、卓越した技巧に支えられた荒っぽいほどの表現の振幅の大きさは、徹頭徹尾ロストロポーヴィチである。

【CD9】に収録されている作品はいずれも有名曲ではないが、まさに“お国物”と称するに相応しい、隅々まで堂に入った隙のない演奏が圧倒的で、隠れた名曲であるミャスコーフスキイやグラズノーフの大作の真価が余すところなく表出されている。

既に架蔵していた【CD10】は、作曲家自身のピアノで演奏した作品集。ショスタコーヴィチのソナタについては語り尽くされた感があるものの、カバレーフスキイの清澄な音楽も一聴の価値がある。K.ハチャトゥリャーンのソナタは、正直なところ、あまりピンと来ない。

【CD11】のティーシチェンコは、有名な録音と同一かどうかは比較検討していないので分からないが、少なくとも演奏の出来は同様に素晴らしい。ハチャトゥリャーンのコンチェルト・ラプソディーは複数の録音や映像で視聴したことがあるが、ピアノ伴奏版はこれが初めて。華麗な民族色が印象的な管弦楽伴奏ももちろん良いが、ピアノ伴奏の和声の煌めきも捨て難い。外山雄三の協奏曲は、時折日本風の調子が聴こえてくるものの、ロストロポーヴィチの演奏がそれを強調するようなものでないこともあってか、これといった特徴に乏しい凡庸な作品に聴こえた。

どんな作品(作曲家、時代、様式…)であれ、唯一無二のロストロポーヴィチ色に染めてしまうのが、良くも悪くもロストロポーヴィチの強烈な個性なのだろうが、【CD12】に収録された演奏にはそうした嫌味がほとんど感じられない。ここで聴かれるのは、大オーケストラをバックに、曲も共演者も聴衆もねじ伏せようとする強引さではなく、互いに心から信頼し合っている相手と寛いだ気分で音楽に没頭している心安らかさである。地味なミャスコーフスキイのソナタがとりわけ素晴らしいのは、当然の帰結であろう。

新作を精力的かつ貪欲に委嘱・初演してきたロストロポーヴィチらしく、【CD13】は(当時の)最新作を集めた最新録音ということで、「ボーナス・ディスク」と表記されている。いずれも後世に残る名曲揃いだが、シニートケの「ペール・ギュント」の「エピローグ」は、この巨大なBOXセットを締めくくるに相応しく、ひときわ美しい傑作である。

theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 演奏家_Rostropovich,M.L.

E. ブッシュのアイスラー歌曲集

  • ショスタコーヴィチ:ユダヤの民族詩より、A.ブロークの詩による7つの歌曲 チャポ (S) エガース (A) ビンゲ (T) マイレ (Vn) フォレスト (Vc) ゲーベル (Pf) (Thorofon Capella MTH 267 [LP])
  • ショスタコーヴィチ:映画音楽「エルベ河での出会い」より「平和の歌」、アイスラー:労働者の歌、イタリアの労働歌:赤い旗、パラシオ:鋼の円柱、アイスラー:警告の行進曲、ノーヴィコフ:道、アイスラー:自由な若者達、アイスラー:ブルジョアジーの慈善事業、アイスラー:カールスプラッツのポプラ、アイスラー:自然への回帰、シュネーエルソン:建設工事の歌、ルーコフスキイ:未来についての歌、ブラッヒャー:難事業のための石炭、アイスラー:子孫達へ、アイスラー:赤子へのメッセージ、アイスラー:統一戦線の歌 E. ブッシュ (Vo) (Melodiya C60-13187-88 [LP])
Ars Antiqua / Mikrokosmos Mail Order Co.からの4月到着分。今回は、ショスタコーヴィチ作品が収録されている2枚のみ。

ショスタコーヴィチの有名歌曲をAB両面に収録したアルバムは、ドイツ語歌唱によるもの。「ユダヤの民族詩より」は、歌手の声質に土俗的な力強さが不足し、綺麗ではあるが物足りなさが残る。一方の「ブロークの詩による7つの歌曲」は、チャポの線の細い声質が手堅い器楽合奏とよく溶け合い、静謐な美しさを醸し出している。ただ、音楽のスケールはいかにも小さいのが残念。


旧東ドイツの歌手/俳優エルンスト・ブッシュのアルバムは、ショスタコーヴィチの「平和の歌」目当てにオーダーしたのだが、このアルバム自体はアイスラーの闘争歌を楽しむべきもの。各曲のいかにもなタイトル(ただし、ジャケットにはロシア語表記しか載っていないので、原題と同じかどうかは分からない)も面白いが、血沸き肉躍るような勇ましさと野暮ったい歌謡性との共存という(旧)共産圏に共通する特徴が典型的なドイツ風の響き(言語に由来する部分も大なのだろうが)で展開されているところに興味を持った。アイスラーの創作活動を俯瞰するような見識は持ち合わせていないが、少なくともこのジャンルにおける存在感は群を抜いているように感じた。

ブッシュの歌唱はクラシカルな流儀とは無縁だが、いかにも大衆歌らしい雰囲気を湛えた説得力に満ちたもの。明瞭な発音と、有無を言わせずに鼓舞するような訴求力とで、聴き手を旧東ドイツへと誘う。

theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Eisler,H.

いまさらながらサヴァリッシュの追悼番組を観て

  • 追悼 ヴォルフガング・サヴァリッシュ(マエストロの肖像「ヴォルフガング・サヴァリッシュ 音楽に愛された男」) (録画 [NHK BSプレミアム(2013.3.5)])
  • N響指揮者サヴァリッシュをしのんで (録画 [NHK ETV(2013.3.10)])
訃報に接してから、3ヶ月が経ってしまったが、録画したまま放置していたNHKの追悼番組2つを、ようやく視聴。

BSプレミアムで放映されたドキュメンタリーの方は、2003年1月28日に放送されたものの再放送である。R. シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」とワーグナーの楽劇「神々の黄昏」のライヴ映像と、サヴァリッシュのインタビューを中心に、フィラデルフィアOの音楽監督として晩年を迎えるに至るまでの音楽家生活を辿る内容である。バイエルン国立歌劇場の退任間際には不愉快な状況もあったようだが、基本的には順風満帆な人生を、ひたすら生真面目に生きてきたサヴァリッシュの姿が、語弊を恐れずに言えば“さして面白くもなく”描かれる。良くも悪くも、多くの日本人が抱いてきたであろうサヴァリッシュ像を覆すようなものではないが、ヨーロッパでの絶頂期の様子を改めて並べられると、「N響の指揮者」として知らず知らずの内に過小評価していたことを反省させられる。まとまった形の演奏シーンはほとんどないが、断片であるにしろ、聴こえてくる演奏はいずれも立派で格調高いものばかり。

もう一つは、「追悼番組」として新規に構成されたもの。一部は先のドキュメントの際に収録されたと思われるインタビュー映像が使われているが、N響に関する応答を集中的にピックアップし、そこにN響団員のインタビューを織り交ぜている。ベタな構成だとは思うが、多くの日本人(もちろん僕も含む)にとってサヴァリッシュを追悼するに相応しい内容である。番組後半は、サヴァリッシュとN響との最後の公演(2004年11月13日)からベートーヴェンの交響曲第7番の全曲。この演奏会はサヴァリッシュの初来日のプログラムを再現したもので、これが最後の顔合わせになることを両者が理解していたという点で、演奏者達にとっても特別な演奏会であったことは明らか。率直に言えば、壮年期の颯爽とした演奏を聴いて偲びたい気もしたが、指揮者の肉体的な衰えを献身的にフォローしているオーケストラの姿は実に感動的で、これはこれで胸に迫るものがあった。

オペラをほとんど聴かない僕にとって、サヴァリッシュの名演といえばドレスデン・シュターツカペレとのシューマンの交響曲全集である。四十九日もとうに過ぎ、いささか時機を逸した感はあるが、毎週土曜日夜のN響アワーで当たり前に映っていた姿を思い起こして感傷的な気分に浸りつつ、今から第2番でも聴いてみようかな。

theme : クラシック
genre : 音楽

プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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