『ピアニストが語る! 現代の世界的ピアニストたちとの対話』(アルファベータ, 2014)

最近読んだ音楽書の中では、抜群に刺激的で面白い一冊であった。少しでも関心を持たれたならば、迷わず手に取って読まれることをお勧めする。冒頭のポゴレリッチの章がとりわけ凄まじいこともあり、間違いなく最後まで一気に読破されてしまうに違いない。

訳者のブログには何度かアクセスしたこともあり、特にクライネフのインタビュー(本書にも収録されている)の中でショスタコーヴィチ作品に対する言及があることは知っていたので、他にもショスタコーヴィチ絡みの情報を期待して読み始めたのだが、その点では期待外れだったものの、それを補って余りある素晴らしい内容である。

amazonなどの宣伝文によると、本書は「14人の世界的なピアニストへの 長時間にわたる、徹底したインタビュー」である。14人の全てがピアノ演奏史に名を遺すであろう傑出した奏者であることに疑いはないが、必ずしも“有名”ピアニストではないのが興味深い。それが著者の嗜好によるものなのか、著者の出身地である台湾での知名度によるものなのかは判然としないが、インタビューの構成が基本的に一貫していることで、まるで著者の関心事が14人の証言者によって論じられているかのようにも感じられる。それでいて、各人の性格のみならず音楽的な個性までがありありと描き出されているのも見事だ。演奏家のインタビュー集としては、最高峰と言ってよい。

著者の関心事とは、まずはそれぞれの演奏家の背景にあるピアノ楽派の特徴であり、そこからどのように各人の音楽が形成され、現在、ピアノあるいは音楽とどのように向き合っているか、ということだ。もちろん技術面の深い話題もあるので、ピアノを一定の水準以上で弾く読者にとって本書から得られる物は計りしれないに違いないが、幅広い教養を基に音楽文化について熱く語る音楽家達の言葉は、楽器の種類や弾く弾かないを問わず、音楽を愛好し音楽に強く関心を寄せる者にとって天啓のようですらある。

原書では55人のピアニストが取り上げられているとのことで、その中から“わずか”14人を抽出したこともあって、本書ではロシア系の演奏家が中心で、現代に至るロシア・ピアノ楽派については深く掘り下げられているが、それ以外の奏者に関してはそれぞれの流儀に対する多角的な言及がやや希薄なのが、本書で唯一不満なところだろうか。もっとも、本書の売り上げ次第で残る41+α人のインタビューも出版される可能性があるということで、そうなればこの不満は即座に解消されるはずだ。是非とも本書が目覚ましい売り上げを達成することを期待したい。

それにしても、どの演奏家もピアノ音楽の範疇に留まらない深く広範な見識を有していることに圧倒される。真の一流とは勤勉かつ猛烈な勉強家なのだと、改めて思い知らされた。

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theme : クラシック
genre : 音楽

《時を得たメシアン Meantime Messiaen》第1回公演


大井浩明リサイタル・シリーズ《時を得たメシアン Meantime Messiaen》第1回公演
  • メシアン:幼な子イエスに注ぐ20のまなざし(第1~10曲)
  • 喜多敏博:クエリー・レスポンス~ピアノとライヴエレクトロニクスのための
  • メシアン:幼な子イエスに注ぐ20のまなざし(第11~20曲)
  • メシアン:音価と強度のモード【アンコール】
  • 宮尾幹成:Pièce pour le Tombeau d'Olivier Messiaen【アンコール】
2014年6月15日(日) 大井浩明 (Pf) 山村雅治 (朗読) 喜多敏博 (エレクトロニクス) 山村サロン

元来ピアノ音楽にはあまり熱心でない上に、メシアンの音楽も私の嗜好からは遠いところにある。ただ、苦手なものについてはなぜ苦手なのかを理論武装したい性質なので、メシアン初期の大作をまとめて体験できる(しかも家の近所で!)千載一遇の機会を逃してはならないと、芦屋の山村サロンへ。

メシアンという作曲家については、ずいぶん昔、かぶとやま交響楽団の第20回定期演奏会(1998)で「キリストの昇天」を演奏したことはあるものの、創作活動について俯瞰的な知識はもとより、伝記的なエピソードすら、恥ずかしながら全く知らない。プログラムノートは、簡潔ながら要点が精緻に論じられていて、演奏会に臨む取っ掛かりとしては十分過ぎる充実の内容(大井氏のブログでその全文を読むことができる)。

さて、メシアン初期の大作として名高い(私でも、題名くらいは耳にしたことがある)「まなざし」だが、本来はラジオ・ドラマとして構想されたという最近の知見に基づき、その台本として想定されていたテクストを各曲の前に朗読(日本語)してから演奏するというのが、今回の公演の目玉であった。朗読があろうとなかろうと、ピアノ演奏そのものに違いはないはずなのだが、朗読を通して提示される宗教的観点を心に留めながら聴くことで、響きの多彩な陰影のそれぞれに意味が付加されていくように感じられた。率直に言って2時間半を超える全曲を全く退屈せずに聴いたとまでは言えず、ときに「まなざし」ならぬ「まどろみ」になる瞬間はありつつも、その意味を沈思黙考しながらメシアンの響きに浸った時間は、とても贅沢で刺激的なものであった。

大井氏の演奏は、極めて見通しの良い、微細なニュアンスに至るまで考え抜かれた論理的なもの。一方で響きの変化や間の息遣いなどは自然でよくこなれたもの。

「まなざし」の前半10曲と後半10曲の間には、委嘱初演作品が演奏された。電子音楽についても知見を全く持ち合わせていないので、楽曲そのものや演奏(あるいはパフォーマンス)について言うべき言葉はないが、電子音とピアノの織り成す響きは、その前後のメシアン作品と不思議なほど溶け合っていたのが面白かった。

アンコールの「音価と強度のモード」は、「まなざし」とは異なるメシアンの音響世界を示唆するような演奏で興味深かったのだが、既にこの時点で3時間を超えていたにもかかわらず、舞台袖に下がらずに拍手を制して「そろそろ時間も迫っているのですが、今日はどうしても演奏しなくてはならない委嘱新作のアンコールがあります」と言って披露されたのが「メシアンへのオマージュ」という作品。「今日(6/15)は三位一体の主日といいまして、キリスト教ではとても大切な日とのことです。ただ、日本では日曜日に教会に行くような人は決して多数ではなく、ほとんどのお父さんは新喜劇を観たり、のど自慢を観たりとかしているわけで…」と、おもむろに演奏開始。まさか、のど自慢の鐘がメシアン風に響くとは。抱腹絶倒の作品と演奏で会場は大盛り上がりだったが、よく考えてみると、この演奏会を体験する前の私なら、その鐘の音がメシアン風だということを理解できなかったわけで、単なるイロモノではなく、一夜の、それも長丁場の演奏会を特別なものとして記憶に留めるに相応しい、素晴らしいアンコールであった。

結局、メシアンに夢中になったわけではないが、苦手な理由がわかり、苦手だと確信を深めたわけでもない。もう少し知りたい、というのが今の気持ち。幸い、このシリーズは後2回予定されている。

theme : クラシック
genre : 音楽

プフィッツナーの室内楽曲/ボロディーンの弦楽五重奏曲

  • プフィッツナー:室内楽作品集(弦楽四重奏曲第1~3番、弦楽四重奏曲 ニ短調、ピアノ三重奏曲 ヘ長調、ピアノ三重奏曲 変ロ長調、ヴァイオリン・ソナタ、5つのピアノ曲、6つの練習曲) フランツ・シューベルトQ ロベルト・シューマン三重奏団 ヴァリーン (Vn) ペンティネン (Pf) (999 996-2)
  • ボロディーン:弦楽五重奏曲 タネーエフQ ゲラー (Vc) (Melodiya 33D 16579-80 [10"mono])
もともと最新情報の提供などという大したことを目指していない上に、最近は月一度の更新すらままならないこともあって、本ブログの閲覧数はごく微々たるもの。そんな中で比較的アクセス数の高いエントリーが、プフィッツナーの交響曲 作品46についての曲目解説である。確かに、プフィッツナーについて日本語で読める情報となると、ウェブで検索する限りではそれほど多くないので、通り一遍のことしか書いていない私の記事でも参照してもらう機会に恵まれるのだろう。

私は、プフィッツナーの音楽が好きだ。網羅的に知りたいと思うほどの作曲家ではないけれども、無視するには忍びない。学生時代にクラリネットを吹く先輩から、プフィッツナーの六重奏曲を教えてもらったのがきっかけである。当時は音盤の数も極めて少なく、演奏どうこう以前に曲を知ることすら一苦労だったのだが、浦川宜也の弾いたヴァイオリン・ソナタの録音がとりわけ気に入り、楽譜も取り寄せて自分で弾いたこともある。

大学時代に取り寄せた六重奏曲の楽譜(Johannes Oertel)には、弦楽四重奏曲第3番の楽譜の広告が載っていた。名著『クヮルテットのたのしみ』で、プフィッツナーについて好意的な評価がなされていることもあり、録音が見つからないのなら自分で弾いてみようと大阪の某有名楽譜屋に注文したところ、届いたのは未発表のニ短調の四重奏曲の楽譜…ということもあった。プフィッツナーの知らない曲には違いないし、クレームをつけるのも面倒だったので、その楽譜は今でも我が家の楽譜棚にある。結局、今に至るまで弾いたことはないのだが。

徒然にamazonを検索していたら、プフィッツナーの弦楽四重奏曲全集を含む4枚組を見つけた。cpoレーベルがプフィッツナーの作品を体系的にリリースしていることは知っていたが、長らく買いそびれていた(同じレーベルでは、ヒンデミットの弦楽四重奏曲全集も1枚買ったきりになっている)。マーケットプレイスに安価な中古品が出品されていたので、早速オーダー。

上述したニ短調の習作に加えてアルマ・マーラーに献呈されたという第1番も初めて聴いた。ピアノ三重奏曲は2曲とも初めて。いかにも後期ロマン派風の濃密なテンションで奏でられる仄暗く重厚な響きと、まるで古典派に回帰したかのような軽やかに澄み切った響きの魅力的な対比は、本セットに収録されたどの作品でも存分に味わうことができる。いずれも素敵な音楽なのだが、惜しむらくは尻切れトンボ風の終止パターン。途中がいくら良くても「え?これで終わり?」だと、実演ではなかなか取り上げられ難いだろう。中では、ピアノ三重奏曲が聴き映えのする作品で、これはもう少し演奏機会に恵まれてもよさそうな気がする。

演奏は、必ずしも楽譜に忠実とまでは言えないが、雰囲気のある演奏で、曲を知るという意味では十分以上の水準である。もっと暗くドロドロに…と思うところもあるが、それは現代の団体に望むべきではないのかも。

HMVジャパン

Ars Antiqua / Mikrokosmos Mail Order Co.は、最近めっきり出物が減ってしまった印象だが、たまたま目についた一枚をオーダー(実は二枚届いているのだが、もう一枚はまたもやダブり買い)。古めかしい録音から聴こえてくるのは、何とも懐かしさの漂うメロディー。ボロディーンらしい旋律美を期待して聴き進んだが、いかにも若書きの習作といった感じで、同じような旋律が延々と繰り返されるだけで単調。美しい箇所も少なくないのだが、残念ながら実演に供するには躊躇してしまう。少し思うところがあって、チェロ2本の五重奏曲を開拓したいところなのだが、結局シューベルトしかないのか。


theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Pfitzner,H.

マキシム・ヴェンゲーロフ with ポーランド室内管弦楽団


マキシム・ヴェンゲーロフ with ポーランド室内管弦楽団
  • J. S. バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲(2nd Vn: 田中晶子)
  • モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番
  • マスネ:歌劇「タイス」より瞑想曲
  • チャイコーフスキイ:憂鬱なセレナード
  • チャイコーフスキイ:「なつかしい土地の思い出」よりスケルツォ
  • チャイコーフスキイ:「なつかしい土地の思い出」よりメロディ
  • チャイコーフスキイ:ワルツ=スケルツォ
  • サン=サーンス:ハバネラ
  • サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ
  • サラサーテ:ナヴァーラ(2nd Vn: 田中晶子)
  • ブラームス:ハンガリー舞曲第1番【アンコール】
  • ブラームス:ハンガリー舞曲第5番【アンコール】
2014年5月27日(木) フェスティバルホール
「ヴェンゲーロフ・フェスティバル2014」の大阪公演へ。ヴァイオリンを習ったことのある人なら誰でも知っているはずの有名曲ばかりが並んだプログラムを当代随一の人気ヴァイオリニストが演奏する、となれば、元来が出不精で天邪鬼の私にとっては関心外のコンサートだったのだが、ひょんなことで知人に誘っていただき、先月に引き続いてフェスティバルホールへと足を運んだ。

さて、何から書こう。

あんな音楽を聴かされた後では、巧いとか音が綺麗だとか、どの曲のどの部分が良かったとか、改めて記すのが馬鹿らしい。テンポ設定などの基本的な解釈は、どの曲もごくオーソドックスなもの。前半のバッハやモーツァルトでは、時代様式を踏まえた現代的な弾き方であったが、一昔前に流行ったこれ見よがしのピリオド奏法もどきとはもちろん異なる、完全に咀嚼されて確立された“模範的”な演奏。だから、解釈そのものが際立って独創的だったわけではない。凄かったのは、フレーズの動きや響きの移ろいに対するイマジネーションの多彩さだ。図々しい話ではあるのだが、この種の演奏会に行くと「いやぁ巧かったなぁ。あんなに弾けるのなら、俺だったらあそこはもっとあんな風に弾くんだけどなぁ」などと思ったりすることがある。だが、この夜のヴェンゲーロフの音楽は別次元。ヴェンゲーロフと同程度の技術を獲得するのは努力次第で可能かもしれないと妄想くらいはできるが、彼の音楽は天才のみに与えられた全く特別なもの。凡人には思いつくことすら想像もつかない。

バッハやモーツァルトのとりわけ緩徐楽章や「タイスの瞑想曲」での時間が止まったかのような恍惚とした美しさ、チャイコーフスキイの抑制されているのに濃厚で深い情感の味わい、サン=サーンスの上品な華麗さ、アンコールでの客席を昂奮させずにはいない扇情的な躍動感。それぞれの曲に優劣などつけようもない。全て素晴らしかった。

多彩なアーティキュレイションに加えて、大胆なアゴーギクを多用しているだけに、伴奏の苦労は少なくなかっただろう。指揮者なしのポーランド室内管弦楽団(モーツァルトのみホルンとオーボエが参加、それ以外は弦楽合奏)は、十分にその役割を果たしていたのみならず、全体としてはやや地味ながらも、要所でしっかりと存在感を示していた。ただ、弦楽合奏だけだと少々イージーリスニング風の響きになってしまうのが、私の好みではない。特にサン=サーンスなどは、やはり管楽器も欲しかったところ。もちろん、それはこの夜に奏でられた音楽の素晴らしさを貶めるものではない。

超一流の天才の凄さを思い知らされた二時間半でした。

theme : クラシック
genre : 音楽

プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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