A. ルビンシテーイン:歌劇「デーモン」他

  • シューベルト:弦楽四重奏曲第15番 タネーエフQ (Melodiya 33C 04491-92 [LP])
  • A. ルビンシテーイン:歌劇「デーモン」 メーリク=パシャーエフ/ボリショイ劇場O他 (Le Chant du Monde LDX 78023 [LP])
  • ショスタコーヴィチ:交響曲第10番 ヴォディチコ/ワルシャワPO (Eterna 8 20 127 [LP])
Ars Antiqua / Mikrokosmos Mail Order Coからの6月入荷分。

来年4月に予定しているシュペーテQの第6回公演のメインは、シューベルトの第15番。リストを見ていたらタネーエフQのLPが目に付いたので、オーダーしてみた。硬質でありながらも幾ばくかの野趣が感じられる彼らの音色はウィーン情緒とは異質ながらも、旋律美一辺倒ではないこの曲の場合は違和感なく受け入れられるのだが、かなり早めのテンポによる歌い回しが妙に落ち着かなく、残念ながら楽曲を愉しむには至らない。この種のテンポ設定には、他にハンガリーQのライヴ録音(Orfeo C 604 031 B)などもあるが、そこに聴かれる鬼気迫る熱気のようなものも、この演奏にはない。


ロシア音楽史においてA. ルビンシテーインの果たした役割は決して小さくはないが、その楽曲を耳にする機会は、そう多くない。一般に西欧派に分類される作曲家であろうが、魅力的な旋律にはロシア情緒が色濃く投影されている辺り、後のチャイコーフスキイに繋がるロシア音楽の原形と言ってよいのだろう。レールモントフの原作による歌劇「デーモン」は、彼の創作の中でもとりわけ民族主義的な要素が強い作品として、代表作の一つに挙げられることが多く、また現在も上演されることのある人気作である。第3幕は、チャイコーフスキイの歌劇「エヴゲーニイ・オネーギン」のオネーギンとタチヤーナの最後の場面に大きな影響を及ぼしているとされ、専らその観点から言及されることの多い作品でもある。

レールモントフの原作は岩波文庫から出版されていたが、現在は絶版。現時点で未読なので、歌劇のあらすじは知っているものの、音楽とストーリーとの対応がとれていない状態ではあるが(ライナーには、歌詞の仏語訳のみ掲載)、音楽だけでも愉しむに十分な美しくも劇的な楽曲が満載で、聴き応えのある充実したオペラである。録音はさすがに古めかしいが、メーリク=パシャーエフのツボを押さえた演奏は、全曲を通して歌心に満ちており、本作品の魅力を詳らかに伝えてくれる今なお色褪せぬ名演と言ってよいだろう。


なお、Youtubeでいくつかの舞台映像等を観ることができる。日本語字幕などはもちろんないが、単に音を聴くのよりは、はるかに歌劇の内容を理解することができるだろう。

音楽映画(1960)
ラトビア国立歌劇場(2003)
フヴォロストーフスキイ他(2015)


ヴォディチコの雰囲気豊かな熱演は、いかにも時代を感じさせるものの、一聴の価値がある録音である。既に架蔵していたのだが(2011年8月8日のエントリー)、うっかりダブり買いしてしまった。円安の今、こういう無駄遣いは痛い。

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theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Rubinstein,A.G.

『ピアニストが語る! 音符ではなく、音楽を! 現代の世界的ピアニストたちとの対話 第二巻』(アルファベータブックス, 2015)

2014年6月29日のエントリーで紹介した、『ピアニストが語る!』シリーズの2冊目。前巻と同様に14人のピアニストが取り上げられているが、ロシア・東欧系の演奏家が多かった前巻とは異なり、第2巻ではフランスのピアニストが半数を占めるため、ネームバリューという点では本巻の方が“大物揃い”と言えるかもしれない。原著をそのまま邦訳しているのではなく、演奏家が主たる音楽教育を受けた国、あるいは楽派ごとに配列し直しているので、著者の関心や意図をより明確に読み取ることができるように配慮されているのは、第1巻と同様である。

第1巻で取り上げられたピアニストのほとんどが、自身のバックボーンにある“楽派”に対する深い見識を披露していたのに対し、第2巻ではほとんどが「楽派という考え方にはあまり意味がない」という立場をとっているのが、大変に興味深い。これは、それぞれの冒頭に置かれたポゴレリッチ(第1巻)、ツィメルマン(第2巻)の立ち位置にも象徴されており、日本語版の編集の妙でもあろう。

全体を通して第1巻ほどのインパクトはないが、どのピアニストについても読み飛ばすことができない真摯で含蓄のある内容にまとめられている点では前巻と同様であり、ピアノ音楽に限らず、広く音楽に関心を持つ読者に訴えかける一冊であることもまた、前巻と同様である。

印象に残った言葉は数多くあるが、とりわけ私個人の関心に合致したのは、次の3箇所。どういう文脈で、何を言おうとしているのかは、是非本書を読んでみて欲しい:
  • 「バルトークは≪交響曲第七番「レニングラード」≫を聴いて、ナチス滅亡への想いに呼応して、あの旋律を≪管弦楽のための協奏曲≫の中で使ったのです――それが、バルトークの真意だったのです!」(ジェルジ・シャーンドル, p.83)
  • 「ショスタコーヴィチはピアノ演奏があまり得意ではなかったのです。」(ウラディーミル・アシュケナージ, p.157)
  • (フォーレの作品について)「演奏者が表現できるのは作品の半分だけで、あとの半分は聴衆が発見しなければならないのです。演奏者は聴衆に招待状を送ることができるだけで、聴衆は自分で彼の世界に入って行かなければなりません。」(ジャン=フィリップ・コラール, p.372)

第3巻の企画も進んでいるようだが、本巻にもまして、地味なピアニストが中心になるようである。しかしながら、むしろそのことが本著の真価を知らしめる内容になるのではないかと、今から期待が募る。そして、予定通り原著の全訳=全4巻の出版が叶うよう、祈念したい。

theme : クラシック
genre : 音楽

ベルリン・フィルのヨーロッパ・コンサート2004

  • ブラームス:ピアノ協奏曲第1番、ピアノ四重奏曲第1番(シェーンベルク編) バレンボイム (Pf) ラトル/ベルリンPO (EuroArts 2020108 [DVD])
アリアCDで安売りしていたDVDの中に気になる物があったのだが、その際についでにオーダーしたDVDだけが届いた(残念ながら、目当てのDVDは抽選にはずれて入手できず……)。別にベルリンPOの次期首席指揮者が決まったからでも、ギリシャの金融危機にちなんだ訳でもない。

アバド時代の1991年からベルリンPOの創立記念日である5月1日に行われている、恒例の「ヨーロッパ・コンサート」。本DVDは、アテネのイロド・アティコス音楽堂にて行われた2004年の映像である。NHK(たぶんBS-hi)でも何度か放映されており、その内のどれかを観た記憶はあるのだが、2000年に私自身が弾いたシェーンベルク編曲のピアノ四重奏曲第1番が収録されていることもあり、せっかく目に付いたのでこの機会に架蔵しておくことにした。

まずは、野外での収録にも関わらず、音質がクリアなことに驚かされる。何らかの加工が施されているのだろうが、ライヴの雰囲気は損なわれておらず、しかもラトルならではの精緻な表現も十分に味わうことができる。一方で、野外ならではの雰囲気を存分に活かした映像も美しくて楽しい。オーケストラに対するカメラワークも満足のいくもの。つまり、映像作品として非常に水準の高い仕上がりである。

とはいえ、こうした好印象も演奏の素晴らしさがあってこそ。バレンボイムのぬっとりと濃口のピアノはブラームスの第1番にぴったりで、洗練された佇まいのラトル/ベルリン・フィルも、いささか泥臭くも濃密なバレンボイムの音世界に懐深く呼応しているのが素晴らしい。バレンボイムの独奏にはミスが少なくないが、そもそもが野外コンサートのライヴ録音にスタジオ録音の精度を求めるつもりもなく、うるさいことさえ言わなければそれほど気にはならない。

後半のシェーンベルク編曲は、この曲を得意とするラトルの凝った内声の処理に唸らされると同時に、シェーンベルクの緻密なスコアを、いともやすやすとブラームスの土俵で音にしてしまうベルリンPOの卓越した機能性にも圧倒される。このコンビがお互いの美質を最大限に発揮し合った、間もなく過ぎ去ろうとしている時代を代表する極めて優れた記録と言えるだろう。

また、ボーナストラックとして収録されているヨーロッパ・コンサートの歴史に関するドキュメンタリー(当然ながら2004年までの内容)も、簡潔ながらも音楽ファンの関心に十二分に応える秀逸もので、必見。

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theme : クラシック
genre : 音楽

ショスタコーヴィチの自作自演(初出音源)と未完のヴァイオリン・ソナタ

  • ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1&2番、チェロ・ソナタ、3つの幻想的舞曲、24の前奏曲とフーガより第1、4、5、6、13、14、18、23、24番 D.ショスタコーヴィチ (Pf) クリュイタンス/フランス国立放送O ロストロポーヴィチ (Vc) (Warner Classics 0825646155019)
  • ハルトマン:葬送協奏曲、ヴァーインベルグ:コンチェルティーノ、モルダビア狂詩曲、ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン・ソナタ(未完) ロス (Vn) ガザリアン/ハイルブロン・ヴュルテンベルクCO ガヤルド (Pf) (Challenge Classics CC72680)
HMV ONLINEからタイムセールの案内メールが届いたので何気なく見たところ、長らく買いそびれていた大物が破格の値段で出ていたので、即買い。目当ての1点だけでは物足りなく、ついでに何枚か付け加えて注文してしまうのは悪い癖。大物は聴き通すのに時間がかかりそうなので、とりあえず一緒に届いた2点について。久し振りの新譜である。

1958年、ショスタコーヴィチはいくつかの名誉職に絡んで西ヨーロッパへの旅行をした。この旅には、2番目の妻マルガリータが同伴した。目的地の一つであったフランスでは「フランス芸術文学勲章爵士」を授与されるとともに、クリュイタンスとの共演でコンサートとレコーディングとを行った。この時に録音された2曲のピアノ協奏曲と24の前奏曲とフーガからの抜粋(第1、4、5、23、24番)は、ショスタコーヴィチの自作自演の中でも録音状態が良好なために、権威ある名盤として今なお聴き継がれている。

本アルバムは、上述の録音に有名なチェロ・ソナタの自演録音をカップリングし、新たに音質改善を施したものである。したがって、録音の音質にこだわらない向きにとっては、単なる再発盤……と言いたいところなのだが、何と、同時に録音されたものの一度もリリースされることなくお蔵入りになった24の前奏曲とフーガからの4曲(第6、13、14、18番)が収録されているとなれば、話は別だ。チェロ・ソナタに至ってはこれが(同じ演奏の)8枚目となるが、躊躇している場合ではない。

ショスタコーヴィチがピアノの名手であっただろうことを否定するつもりはないが、残された録音の中には、率直に言って技術的に崩壊している箇所も少なくはない。24の前奏曲とフーガについては、作曲家同盟での試演におけるショスタコーヴィチの演奏が酷かったことも作品の評価に影響を及ぼしたと伝えられている(ファーイ:『ショスタコーヴィチ ある生涯』, p.225)。加えて、既に右手の不調の初期症状が出ていたショスタコーヴィチにとって、この録音セッションは心身をかなり消耗するものであっただろう。にもかかわらず、この1958年の録音は技術面の問題があまりなく、音楽に深く没頭しているかのような雰囲気が傑出している。なぜこの4曲だけがお蔵入りになったのか、その事情についてはライナーやMoshevich著の『Dmitri Shostakovich, Pianist』を見ても明らかでない。たとえば第4番や第24番に聴かれる理知的ながらも深い情感を感じさせる、虚飾のない音楽は、初出の4曲にも共通している。この清明な陰鬱さとでも言える雰囲気は、ショスタコーヴィチのロシア的特質(作品と演奏の両面において)を端的に表したものとして、時代を超える価値を持つ録音だと言える。ただし残念ながら、第6番だけは技術的な崩壊の度合いが大きい。

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ヴァーインベルグのヴァイオリンとピアノのための作品全集という偉業(Challenge Classics)を成し遂げたリナス・ロスによる「Wartime Consolations」というタイトルのアルバムは、3人の作曲家の作品が収録されているものの、やはりメインはヴァーインベルグの2曲になるのだろう。クレズメル風のユダヤ的色彩の強い節回しとリズム、それにヴァーインベルグらしいテンションの高い音楽の運びは、この2曲にも色濃く刻印されており、ロスはその特質を的確に把握した見事な演奏を聴かせてくれる。ちなみに、「モルダビア狂詩曲」はE. ノヴィツカが再オーケストレイションした版の世界初録音とのこと。なぜオリジナルの楽譜を用いなかったのかは、明らかにされていない。ハルトマンの代表作である「葬送協奏曲」も訴求力の強い立派な演奏だが、「フス派のコラールに基づく。ナチスへの抵抗作品」という副題(?)の“コラール”という要素よりも綿々とした旋律美が前面に出ているので、とても聴きやすい一方で、少々軟派な印象がなくもない。

さて、これらの管弦楽伴奏作品の“余白”に収録されているのが、世界初録音となるショスタコーヴィチが1945年に書きかけた未完のヴァイオリン・ソナタである。私にとってはもちろん、この5分半弱の断片が本アルバムの“メイン”である。本作品の楽譜はDSCH社から出版済だが、私は未入手(現在、入荷待ち)なので、作品についての詳しい背景はまた後日にまとめることとして、ここでは、ごく簡単な基本情報のみを記しておく。

1945年初め、大祖国戦争の勝利が濃厚になったことを受けて、ショスタコーヴィチは“英雄的な勝利の”交響曲に着手する。現在ではこの交響曲の第1楽章の断片とされるものが「交響的断章」として知られている。しかしながらこの作品は完成に至ることなく、その年の夏に、英雄的でもなく、勝利を祝う荘厳な雰囲気にも欠ける交響曲第9番が作曲された。この2曲の間に存在するのが、6月の終わりに書かれたこの未完のヴァイオリン・ソナタである。ピアノ三重奏曲第2番や弦楽四重奏曲第2番を作曲して間もない時期だけに、新たな室内楽曲を手掛けたこと自体はごく自然に思われるが、注目すべきは、その内容である。ヘーントヴァ著の『Шостакович: Жизнь и Творчество, Том 2』(1986)の208ページに示されているこのソナタの冒頭部分の旋律/第一主題(一か所だけ本録音と音が異なっているが、これは楽譜を入手したらまた改めて検討したい)を見ると、スターリンの死後である1953年に作曲された交響曲第10番の冒頭と瓜二つであることが明白である。それだけでなく、この録音を聴くと第二主題も交響曲第10番のそれとそっくりであることが分かる。となれば、これらの主題が着想されたのは戦後間もない頃であり、当時は交響曲としてまとめることができなかった、あるいは交響曲には敢えてしなかった、その時点での作曲家の“本音”や“気分”がそこに反映されている可能性が十分に考えられる。したがって、スターリン死後の“雪解け”が描かれたと解釈されることの多かった交響曲第10番に、「戦争三部作」(第7~9番)と呼ばれることもある(私自身は、あまりこの括り方に賛同しないが)作品群の続編としての意味合いを付加する根拠となり得るのが、この未完のヴァイオリン・ソナタということになる。

一方、未完のソナタの第1主題と第2主題の雰囲気や気分は、晩年のヴァイオリン・ソナタ 作品134ともよく似ていることも、指摘しておきたい。もっとも、ショスタコーヴィチが引用などの形であるフレーズに意味を持たせる場合は、当該フレーズにほとんど手を加えずに“そのまま”使うことがほとんどなので、単に雰囲気に通ずるものがあるというだけで何かを主張するつもりはない。

提示部(の途中?)だけが書かれた状態の、文字通り“断片”なので、今後も実演はもちろんのこと、ごく限られたコンセプトのアルバムにしか収録されないだろう。ヴァーインベルグ風の歌謡的な弾き方のせいで、交響曲第10番の影があまり感じられないのは残念だが、この録音が資料的に貴重な価値を有するであろうことは言うまでもない。

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theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Shostakovich,D.D.

プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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