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実家の10インチ盤

  • チャイコーフスキイ:ヴァイオリン協奏曲 シェリング (Vn) ミュンシュ/ボストンSO (Victor HP-102 [10"])
  • シューベルト:交響曲第7番「未完成」 ライナー/シカゴSO (Victor SHP-127 [10"])
  • ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」 フリッチャイ/ベルリンRIAS SO (DG LG-1017 [10"])
  • ベートーヴェン:交響曲第5番 オーマンディ/フィラデルフィアO (Columbia ZL-26 [10"mono])
  • ベートーヴェン:交響曲第3番 マルケヴィチ/シンフォニー・オブ・ジ・エア (DG LG-1052 [10"mono])
  • ロッシーニ:歌劇「ウィリアム・テル」序曲、歌劇「セビリャの理髪師」序曲、歌劇「絹のはしご」序曲 ベンツィ/コンセール・ラムルーO (Philips SFL-6508 [10"])
2017年1月19日のエントリーで、実家から持ち帰ったLPレコードの話題を取り上げたことがあったが、今年のGWは帰省がてら実家の片づけをしてきたので、ついでに残っていた音盤全てを引き上げてきた。大した枚数ではないので、PCに取り込んでデジタル・データ化するついでに聴き直してみた。まずは、10インチ盤をまとめて。いずれも父が独身時代に買ったと思われる1950年代後半から60年代前半にかけての録音である。

まずは、シェリングとミュンシュの顔合わせによるチャイコーフスキイの協奏曲。この1959年の録音では、端正な佇まいを保ちつつも時に激情の迸りを感じさせる奔放さを見せる若きシェリングが素晴らしい。この俺様な独奏に見事に寄り添うミュンシュの職人技も、素晴らしい。独奏と伴奏の役割分担がはっきりとした演奏は、いかにも前時代的ではあるが、これはその様式の極致の一つであろう。ロシアの香りはほとんどなく、徹底してシェリングの体臭が前面に押し出されているのもまた、この時代ならでは。


当時のRCAレーベルを代表するアーティストであったライナー&シカゴ響による、泰西名曲である「未完成」の廉価盤。音盤の選択肢が多彩な現代に生きる私なら、事前の情報がない限りはスルーしてしまいそうな一枚だが、これはかなり優れた演奏で、控えめに言っても一聴の価値は十二分にある。現代の耳からすれば精度の甘さは否めないながらも、強靭でザッハリヒな切れ味と濃厚でロマンティックな味わいは、少なくとも私にとって懐かしく、生理的なレベルで落ち着く音楽である。


フリッチャイの「新世界」には2種類があるが、家にあったのは1953年の旧盤。ベルリン・フィルとの新盤は未聴なので比較はできないが、表現の振幅は極めて大きく、かなり速いテンポによる物凄く切れ味のよい、そして猛烈なテンションの爆演である。まさに“快刀乱麻を断つ”という言葉が相応しい。それでいて、ドヴォルザークらしい田舎臭い懐かしさが損なわれていないことが、この演奏の非凡なところであろう。


今回聴いた中で最も心を奪われたのが、オーマンディの「運命」(1955年)。オーケストラの華やかな音色と余裕を感じさせるアンサンブルは当然ながら、全曲を通じて一瞬たりとも弛むことも尽きることもなく持続的に高揚し続ける造形の見事さが傑出した名演である。これはモノラル録音ということもあってか、後年の全集録音(1965年)の陰に隠れているが、もっと広く知られるべき圧倒的な内容を持った演奏であることを強調しておきたい。


マルケヴィチの「英雄」も、引き締まった筋肉質の演奏という点で、今回聴いた他の演奏と共通する。それが、1950年代後半頃の流行の演奏様式だったのだろう。スピード感だけでなく、熱気を孕んだ端正な形式感は立派だが、全体を通して色彩感に乏しいのが残念。辛口というよりは、薄味な印象である。


天才少年指揮者として名を馳せたロベルト・ベンツィによるロッシーニの序曲集は、彼がまだ20代の頃の録音。廉価盤として幾度も再発されたようだが、それに十分値する演奏である。オーケストラの統率という点においては今回聴いた他の演奏に劣るが、歌劇の“序曲”が持つワクワク感の表出に優れ、収録曲の魅力が存分に引き出されている。


いずれも子供の頃、勝手に棚から引っ張り出して聴いていたものばかりなので、盤面の状態は劣悪だろうと思っていたのだが、意外にも針飛びするほどの瑕はなく、スクラッチノイズさえ気にしなければ何の問題もなく鑑賞できたのは嬉しい誤算であった。
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genre : 音楽

ショスタコーヴィチ4題

  • ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第8番、ショスタコーヴィチ(アウエルバッハ編):ツヴェターエヴァの詩による6つの歌曲、アウエルバッハ:弦楽四重奏のためのソネット(弦楽四重奏曲第3番) ペーターゼンQ クシュプラー (MS) (Capriccio 71 104 [SACD])
  • ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガより第3、6、7、2、18、4番、ショパン:練習曲より第1、2、3、4、10、11、12、17、18、19、20、23、24番、ポロネーズ第7番「幻想」 リヒテル (Pf) (Supraphon SU 3796-2)
  • ムーソルグスキイ:展覧会の絵(ラヴェル編)、歌劇「ホヴァーンシチナ」より「モスクワ河の夜明け」(ショスタコーヴィチ編)、交響詩「禿山の一夜」(リームスキイ=コールサコフ編)、歌劇「ソローチンツィの定期市」より「ゴパーク」(リャードフ編) ゲールギエフ/ウィーンPO (Decca 468 526-2)
  • ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番、ブリテン:シンフォニエッタ、ショスタコーヴィチ:交響曲第1番 イッサーリス (Vc) クルレンツィス/マーラーCO (EuroArts 2059814 [Blu-ray])
HMV ONLINEから、入荷遅れの商品を含む音盤が届いた。

ペーターゼンQのアルバムは、何と言ってもツヴェターエヴァの歌曲の弦楽四重奏編曲が注目に値する。ショスタコーヴィチ自身の管弦楽版に比べるとさすがに色彩感には劣るが、ピアノ伴奏を基準に考えるならば原曲の雰囲気を一層豊かに広げるような、見事な編曲である。問題は演奏で、弦楽四重奏のみならず歌手までもが一本調子なために、作品が湛える不健康な艶かしさが全く表現されていない。こういう曲こそ現代的な四重奏の演奏様式が相応しいと思えるだけに、是非とも他の団体による演奏を期待したいところ。第8番も同様の印象だが、スケール感のある迫力が漲った剛毅に突き進む音楽は、同じ一本調子でもそれなりに聴かせる。アウエルバッハの作品は、もう少し静謐な美しさを味わいたいところではあるが、作品を知るという点において不足はない。


リヒテルのSupraphon録音のショスタコーヴィチは、未CD化だった第4番(dell'Arte盤)も含めて架蔵済みだったが、安価だったこともあって何となくオーダー。いずれも静謐な抒情が際立つ、「24の前奏曲とフーガ」の理想的な演奏である。技術的な完成度も極めて高い。

ただ、このアルバムの聴きどころは、プラハでのライヴ録音のショパンだろう。作品10-1の最初の一音から息つく暇もなく一気に聴かされてしまう。生命力に溢れ、感傷的ではないにもかかわらず聴き手に深い感傷を抱かせる濃口の音楽は、全盛期のリヒテルの魅力を余すところなく伝えている。Pragaレーベルで一部は既発とのことだが、収録曲の多さや音質の点からも、迷わずこのSupraphon盤を採るべきである。


ゲールギエフによるムーソルグスキイ作品のライヴ盤は、彼が楽壇を席捲していた当時の話題盤。ムーソルグスキイの2つの歌劇の編曲にまつわる事情をあまり勉強していないので(そもそもフルスコアを揃えてすらいない)、音盤に編曲者が明記されていなければ、ざっと聴くだけでは確信を持って判別できなかったこともあって、ショスタコーヴィチの編曲も(作品番号が振られているにもかかわらず)積極的に集めていなかった。このゲールギエフ盤に収録された「モスクワ河の夜明け」は「ショスタコーヴィチ編曲」と明記されていることもあってリリース時からチェックしていたものの、いまさらながらようやく入手した次第。

ゲールギエフの演奏は、技術的な水準の差こそあれ、あまりオーケストラを選ばないというか、オーケストラの個性以上にゲールギエフの個性を強く感じさせるという印象があるのだが、少なくともこの音盤においては、ウィーン・フィルの美質が見事に発揮されている。「モスクワ河の夜明け」のショスタコーヴィチ版はリームスキイ=コールサコフ版に比べると音色の扱いがより繊細だが、この編曲にはウィーン・フィルの美音が実に相応しいと思わせるに足る仕上がり。しかもほの暗く濃い抒情はロシア以外の何物でもなく、流麗ながらもアクの利いたゲールギエフらしい音楽となっている。

メインの「展覧会の絵」も表現の振幅が大きな、壮麗な演奏。さらに、「禿山の一夜」の豪快で尽きることのない勢いを感じさせる音楽のインパクトも凄まじい。



ショスタコーヴィチの交響曲第14番の名盤で一躍名を馳せたクルレンツィスのBDも入手。遅ればせながら、ようやく彼の指揮姿を見ることができた。ベルギーのクララ国際音楽祭における2013年のライヴ映像である。収録順が前後するが、指揮者無しで演奏されるブリテンで、マーラー・チェンバー・オーケストラの高い技術と音楽性に圧倒される。作品1にして既にブリテンの個性的な音色が確立されている「シンフォニエッタ」だが、この多彩な音楽を明晰に処理しつつ、生き生きとした魅力的な音楽を表出する高度なアンサンブルは素晴らしい。

このオーケストラの機能を存分に引き出すクルレンツィスの手腕が、驚異的である。ショスタコーヴィチの2曲では、共に全てのフレーズに細やかで多彩な表情が付けられている。棒を持たない指揮ではあるが、指揮そのものが他を圧する表現力を有している訳では必ずしもないにもかかわらず、これだけの豊かな表情を実現している背景に、どのようなリハーサルがあるのか、あるいは指揮の秘密があるのかは全くわからない。とにかく、これほどまでに隅々が生き生きと躍動するような音楽は、そうそう聴くことができない。しかも、マニエリスティックな細部の誇張に陥ることなく、大局的な形式感や勢いのある流れも見事に構築されている。

それに対して、チェロ協奏曲第1番におけるイッサーリスの独奏は、熱気に走り過ぎて単調なのが残念。ライヴで聴いていればその気迫に圧倒もされるのだろうが、映像で視聴すると、クルレンツィスの細やかな処理との乖離が気になってしまう。

とはいえ、指揮者とオーケストラの本領が存分に発揮された、傑出した映像である。

theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Shostakovich,D.D.

プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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