弦楽四重奏三昧(往年の団体ばかりですが)
- ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第7、8番、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第7番 ヴァレンティン・ベルリーンスキイQ (Avie AV2253)
- マルティヌー:ピアノ五重奏曲第2番、3つのマドリガル スメタナQ パーレニーチェク (Pf) (Supraphon COCO-78620)
- モーツァルト:フルート四重奏曲第1~4番、オーボエ四重奏曲、ホルン五重奏曲、クラリネット五重奏曲 アマデウスQ ブラウ (Fl) コッホ (Ob) ザイフェルト (Hr) ドゥ・ペイエ (Cl) (DG 437 137-2)
- ベートーヴェン:弦楽四重奏曲全集 ウィーン・ムジークフェラインQ (Tower Records DB1031~1038)
- ベートーヴェン:後期弦楽四重奏曲全集 ヴェーグQ (Tower Records TGR-1004~6)
まずはショスタコーヴィチ。ボロディーンQの創設メンバーであったベルリーンスキイの名を冠した若手四重奏団によるショスタコーヴィチとベートーヴェンとのカップリング。ボロディーンQの十八番だった第8番と第7番と、チェロが活躍するラズモフスキーの第1番という選曲は、この団体名に相応しい。近年の若手団体らしく、個々の技量とアンサンブルの精度は非常に高く、弱奏部に傾倒した音作りがなされている。ショスタコーヴィチでは非常にオーソドックスな解釈がとられており、力感も十分にある水準の高い演奏である。一方のベートーヴェンでは、アーティキュレイションに細かな工夫がなされていて、いかにも現代風の演奏様式である。強奏部で線の細いざらついた音がするのは、少し惜しい。
学生時代、京都の四条寺町の電気屋で見かけたものの、手持ちの予算の関係で見送って以来、ついぞ出会うことのなかった、スメタナQによるマルティヌーを発見。圧倒されるほどのハイテンションで濃厚なロマンが奏でられるピアノ五重奏曲も素晴らしいが、何といっても「3つのマドリガル」が聴き物である。どこかささくれ立ったリズムと響きの中から郷愁に満ちた旋律が朧げに浮き上がる様を、甘美なノヴァークのヴァイオリンと武骨なシュカンパのヴィオラとの二重奏が見事に描き出している。
アマデウスQと(当時の)ベルリン・フィルの首席奏者らとの共演によるモーツァルトの管楽器と弦楽器のための室内楽曲集は、アマデウスQよりも管楽器の妙技を味わうべき内容。フルート四重奏曲では、ブラウの清冽なフルートに対し、ブレイニンのヴァイオリンがどうにも収まりが悪い。オーボエ四重奏曲は、コッホの音色がとにかく素晴らしく、フルートとオーボエの音域の違いのせいか、全体の響きもよりまとまっている。ホルン五重奏曲もザイフェルトの輝かしくもまろやかな音色の前に、弦楽器は存在感が薄い。
しかしながら、クラリネット五重奏曲だけは全く別物のように、アマデウスQの魅力が存分に発揮されている。要するに、2nd Vnのニッセルの存在こそがブレイニンの強烈な個性を四重奏団の魅力に転化するための鍵ということなのだろう。クラリネットのドゥ・ペイエとは、この曲を実演でも取り上げていたようで(BBC Legendsにライヴ録音がある)、五重奏として十分に練り上げていたということもあるのかもしれない。
キュッヒル率いるウィーン・ムジークフェラインQのベートーヴェン全集は、ちょうど私がCD蒐集に本腰を入れ始めた頃の新譜であった。当時の国内盤フル・プライスは学生の財布には厳しく、結局1枚も購入することはなかった。アルバン・ベルクQをはじめ、東京Q、メロスQなど、1970年前後に結成した団体が絶頂期にあった頃の演奏様式で、とりわけ強弱の明晰な弾き分けにこの団体の個性が窺える。中でも初期の6曲においてこの解釈が成功しており、きびきびとした造形が非常に立派である。さすがに後期の一部では技術的に舌足らずな箇所もないわけではないが、推進力のある理知的な音楽作りは全集を通して一貫している。
今回の最大の収穫は、ヴェーグQによるベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲集。今でこそこの全集を廉価で入手するのは容易だが、「タワーレコード オリジナル企画」としてバルトークの弦楽四重奏曲全曲と同時に初CD化された時は、初期・中期・後期の分売で、それぞれ、そこそこの値段がしていた。2018年1月2日のエントリーで取り上げたバルトークと同様に後期のセットだけ買い漏らしていたのを、ようやく見つけた。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集を2~3セット買えそうな値付けではあったが、この機会を逃すわけにはいかない。しばらく緊縮財政を強いられるが、仕方ない。
演奏様式自体はかなり古風なもので、おそらくは使用楽譜の誤植によるのであろう音の間違いも少なくないが、おっとりとした余裕を漂わせつつも、繊細な表情の変化に卓越したアンサンブルの技が発揮されている。外見的にはそれほどの多彩さは感じられないのだが、各曲の各楽章の個性が見事に描き分けられた、弦楽四重奏の極意とでも形容したくなるような内容である。
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