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若きピヒラー

  • ヴォジーシェク:交響曲 ニ長調 アンチェル/チェコPO (Supraphon LPM 33 [10”mono])
  • フランク:チェロ・ソナタ、ショスタコーヴィチ:チェロ・ソナタ グラフ (Vc)  ゴーゲン (Pf) (FSM Aulos FSM 53554 AUL [LP])
  • シューマン:弦楽四重奏曲全集 タカーチQ (Hungaroton SLPX 12314-15 [LP])
  • ショーソン:ヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏のための協奏曲 ルボーツキイ (Vn) エドリーナ (Pf) ボロディーンQ (Melodiya 33CM 02335-36 [LP])
  • ヴィヴァルディ:ギター協奏曲、ヴィオラ・ダモーレとリュートのための協奏曲、ダウランド: 「ラクリメ、または7つの涙」より「デンマーク王のガリアード」「キャプテン・ディジェリー・パイパーのガリアード」、トレッリ:合奏協奏曲 Op.8-7、カルッリ:ギター協奏曲より第1楽章 ベッチャー/ウィーン・ゾリステン (amadeo AVRS 19 071 St [LP])
  • ホフマン:マンドリン、ヴァイオリン、ヴィオラとリュートのための四重奏曲 ヘ長調、ジュリアーニ:マンドリン、ヴァイオリン、ヴィオラとリュートのための四重奏曲 イ長調 ウィーン・ゾリステン (turnabout TV 34016S [LP])
Ars Antiqua / Mikrokosmos Mail Order Co.から6枚が届いた。今回はショスタコーヴィチ関係に目欲しい物がなかったので、徒然なるままにオーダー。

つい先日、アンチェルの評伝を読了した。その内容の素晴らしさに加えて巻末のディスコグラフィーに触発され、アンチェルの未聴盤を検索したところ、ヴォジーシェクの交響曲がヒットした。この曲は、かつてかぶとやま交響楽団の第40回定期演奏会にエキストラ出演して弾いたことがある。その時に多少は勉強したつもりだったが、スピーカーから聴こえてきたのは、私の脳内イメージを遥かに凌駕する、名曲の超名演であった。同世代のシューベルトに共通する初期ロマン派の薫りが全編に満ちているのは当然として、とりわけ緩徐楽章ではドヴォルザークを彷彿とさせる時代を先取りした民族的な情感に驚かされる。古典派風の格調の高さとロマン派風の情緒とが、振幅の大きな表現力をもって圧倒的に表出されているのは、紛れもなくアンチェルの手腕によるものだろう。1950年代のチェコ・フィルは技術的には決して一流ではないものの、音の魅力は比類なく、随所でこの美質が余すところなく発揮されているのもたまらない。おそらく、この演奏でなければこの曲の真価は分からないだろう。




今回唯一のショスタコーヴィチ作品は、チェロ・ソナタ。ごくオーソドックスで滑らかな演奏。チェロにもピアノにもこれといった特徴はないものの、ソツなくまとめられた水準の高いアンサンブルである。ただ、特にフランクにおいては、もう少し力強い高揚感を求めたいところ。


タカーチQといえば、私にとってはDeccaに録音したハイドンの作品77の2曲とドヴォルザークの第14番の颯爽とした、それでいてどこか垢抜けない魅力的な秀演で印象的な団体である。その後のメンバー交代を経て以降の音盤は聴いていない。このシューマンの全集は彼らのキャリア初期のもので、洗練されたアンサンブルの一方で、表現が直線的であるが故に彼らの歌い回しの野暮ったさがより前面に出ている。ただ、私はこういうローカル色の強い音が大好き。いかにも若々しい覇気に満ちた音楽はシューマンにしては健康的に過ぎるものの、一気呵成に聴かせるに十分な魅力を有している。


ドゥビーンスキイ時代のボロディーンQには、D. オーイストラフとオボーリンを独奏者に迎えてのショーソンのコンセールのライヴ録音がある。ピアノにドゥビーンスキイ夫人のエドリーナ、そして彼女とのデュオも多いルボーツキイをヴァイオリンに迎えたこのスタジオ録音は、ルボーツキイの音色がこの曲に合わないことが全て。それ以外は、オーイストラフ盤と同様の、フランス色よりはロシア色の濃厚なロマン情緒に覆われた音楽を堪能できる。第3楽章のどんよりとした、それでいて猛烈な高揚感に、ボロディーンQの魅力が余すところなく発揮されている。


さて、今回最も楽しみにしていたのが、ウィーン・ゾリステンのアルバム。この団体の音盤は、モーツァルトのミラノ四重奏曲から第2、3、6、7番の4曲を収録したLPを持っているのみ。この団体、ギュンター・ピヒラーらが中心となって設立された弦楽合奏団で、そこにはクラウス・メッツェルとハット・バイエルレも参加している。今回入手した音盤の時点ではメンバーにはなっていないが、創立時にはトーマス・カクシュカも参加していたらしい(その後、ウィーン・トーンキュンストラー管の首席奏者?コンサートマスター?に就任するなどしたためのようだ)。要するに、後のウィーン・アルバン・ベルクQの母体と言って差し支えないのが、この団体なのだ。

バロック期の合奏協奏曲を集めたアルバムは珍しい収録曲にも目を惹かれるが、ABQのファンとしては、独奏者としてクレジットされているピヒラーの名に心躍ってしまう。あくまでもアンサンブルの枠を逸脱しないながらも、時折聴こえてくる踏み込んだ歌に若きピヒラーの才能の片鱗を窺うことができる。

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マンドリン、ヴァイオリン、ヴィオラ、リュートという珍しい編成のアルバムには、ウィーン・ゾリステン名義ではないのだが、ピヒラーとバイエルレが参加している。マンドリンとの音量のバランスをとるためか両者とも非常に大人しいが、ジュリアーニの作品ではヴァイオリンとヴィオラの2人で演奏する箇所もあり、後の表現意欲が溢れ出しまくる演奏スタイルではないものの、隅々まで活き活きと清潔に弾き切る様に、この数年後には弦楽四重奏団を結成するに至る2人の出会いや経緯を想像して、微笑ましい気持ちになる。

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tag : 演奏家_AlbanBergQuartet 演奏家_DieWienerSolisten

亀山先生のショスタコ本

  • ヴォールコフ, S.・亀山郁夫・梅津紀雄・前田和泉・古川 哲(訳):ショスタコーヴィチとスターリン, 慶應義塾大学出版会, 2018.
  • 亀山郁夫:ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光, 岩波書店, 2018.
発刊から既に1年以上が経ってしまったが、長らく積読していたショスタコーヴィチ関連文献2冊を読了。

まずは、2008年2月25日のエントリーで紹介したヴォールコフの『証言』に続くショスタコーヴィチ論の邦訳。ロシア文学らしいやたらと持って回った文体であるため、英語でも大意は把握できるものの、日本語で読めることは非常にありがたい。実際、先に読み飛ばしていた部分にも興味深い記述が少なからずあった。

ロシア=ソ連における体制と芸術、具体的には文学と音楽との関係を、ニコラーイ1世の時代とスターリンの時代とを比較対照しながら一種の文化史的な論述が繰り広げられている。その文脈の中で、ショスタコーヴィチには「聖愚者」「僭称者」「年代記作家」という3つの“仮面”があるとし、プラウダ批判前後とジダーノフ批判前後を中心にスターリンとの関わりの中で、その各側面について論考している。

『証言』の序文(日本語訳には含まれない)で提起された「ショスタコーヴィチ=聖愚者論」については、ロシアの文化に通暁している著者だけに、広範な背景の下に論理が展開されていて面白い。さりげなく文中で『証言』の意義や正当性を主張しているのには苦笑してしまうが、『証言』とは異なる第三者的な視点で事実関係が整理されているので、ショスタコーヴィチが描いた時代がどのようなものであったのかについても、大いに得るところがある。

ただ私には、「僭称者」の意味するところが腑に落ちない、というかよくわからない。作曲家と(同時代の)大衆との関わりを論じる鍵のようにも思えるが、いたずらに論を広げているだけのようにしか感じられず、また折を見て再読してみたい。



さて、発刊時から読むのを楽しみにしていたのだが、それ故についつい後回しになってしまっていた亀山先生によるショスタコーヴィチの評伝も、ようやく読了。

本書は、亀山先生によるショスタコーヴィチ論の集大成である。これまでは特定のトピックに集中して論を展開されてきた著者が、満を持してショスタコーヴィチの全生涯を網羅した評伝の形で存分に思いの丈を語っている。

ショスタコーヴィチは、20世紀の間は「ソ連の御用作曲家」「反体制の作曲家」という社会的側面から専ら論じられてきたが、生誕100年辺りを境に、女性関係なども含めた私的側面からの楽曲解釈などが盛んになり、体制との絡みを過度に強調するのはいささか時代遅れのようにも思われる。それを十分に承知の上で、『歴史的な文脈を抜きにショスタコーヴィチの音楽を語ることが可能か、という問いそのものが成立しない……』(P.13)というスタンスを徹底しているのが、何より潔くて心地よい。

また、最新のロシア語文献が引用されているだけでなく、関連する詩などの抄訳が随所に散りばめられているのは、著者がロシア文学者なればこそ。たとえばエフトゥシェーンコの『エラブガの釘』など、一部とはいえ、これまでそのタイトルしか知らなかった詩が日本語で記されていることの意義は少なくない。

著者の専門からして、ロシア・アヴァンギャルドに対する広範な知見が光るショスタコーヴィチ初期の論述が面白いのは当然。一方、中期のスターリンとの絡みは、熱のこもった緻密な筆致ながらも、亀山先生の著作をこれまで追ってきた読者にとっては目新しさはない。

共産党入党やサハロフ非難署名などの「よくわからない」エピソードに果敢に取り組んだ後期~晩年の記述は、どの評伝でもそう深く扱われていないトピックだけに、著者の意欲が窺われる。また、この部分は著者にとっても「これから」のテーマなのかもしれない。ただ、社会との関わりでこの時期のショスタコーヴィチを論ずることには、私は否定的だ。他者との関わりを断ち、ただひたすら自分自身との対話のみに閉じこもっていった作曲家の音楽を、他者や社会への「贖罪」とするのには賛成できない。例えば交響曲第14番の解釈などは、私の見解とは全く異なる。

個々の説や楽曲解釈については、読者の数だけ異論もあろう。ここではそれについて取り上げない。また、「何でもかんでも体制との軋轢ですか?」といった抵抗を感じる読者もいるだろう。こうした点について敢えてバランスを取ることをせずに、著者独自のショスタコーヴィチ愛で最後まで突っ走っているところが、本書の最大の魅力であろう。読み応えのある労作である。

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プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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