追悼…トマス・カクシュカ氏

  • シューベルト:弦楽五重奏曲 ウィーン・アルバン・ベルクQ シフ (Vc) (EMI CC33-3465)
  • カーネギー・ホール・ライヴ!(シューマン:ピアノ五重奏曲、モーツァルト:弦楽四重奏曲第19番) ウィーン・アルバン・ベルクQ アントルモン (Pf) (EMI CC33-3686)
  • モーツァルト:弦楽五重奏曲第3&4番 アルバン・ベルクQ M. ヴォルフ (Va) (EMI CE33-5291)
  • ハイドン:弦楽四重奏曲第75、79、80番 アルバン・ベルクQ (EMI TOCE-55070)
  • ブラームス:クラリネット五重奏曲、弦楽五重奏曲第2番 アルバン・ベルクQ マイヤー (Cl) シュリヒティヒ (Va) (EMI TOCE-55037)
  • バルトーク:弦楽四重奏曲全集 ウィーン・アルバン・ベルクQ (EMI CE30-5009-11)
ちょっと恥ずかしいが、告白してしまおう。と言っても、僕と大学時代を一緒に過ごした音楽仲間なら何をいまさら…という話なのだが。アルバン・ベルクQは、僕のアイドルである。

高校生の頃だったろうか。わずかばかりの小遣いをやりくりして、LPをこつこつと買い始めた時、最初のテーマはブラームスだった。交響曲、協奏曲の名盤と言われているものを立ち読みで情報収集し、月に1、2枚のペースで買っていた。弟は僕と違う路線をとろうと思ったのだろうか、マーラーやブルックナーの他に室内楽のLPを何枚か買っていた。その中に、ウィーン・アルバン・ベルクQのベートーヴェンの後期四重奏曲があった。でも、僕にはどこか無縁の音楽のように感じていた。きっかけは、ブラームスの弦楽四重奏曲全集という2枚組LPを店頭で見かけたことである。演奏者はウィーン・アルバン・ベルクQだった。高校2年生の正月にお年玉で購入したその盤は、第1番はピンと来なかったものの、第2番の抒情の素晴らしさで一気に愛聴盤になった。高校3年生の秋、CDラジカセを買った時に最初に入手した2枚のCDは、フルトヴェングラー指揮のブラームスの交響曲第1番と、アルバン・ベルクQ&アマデウスQのブラームスの弦楽六重奏曲第2番だった。僕が室内楽にのめり込むきっかけとなったのは、この盤である。消費税の導入直後で、音盤のタスキに印刷してある価格の上に、物品税を引いた価格と消費税込みの価格が併記されたシールが貼ってあるアルバン・ベルクQのアルバムを、小遣いが入る度に買いに行き(玉光堂すすきの店でした)買ってきたらすぐに部屋にこもって繰り返し聴いたものだ。浪人時代、当時発売されていた彼らのアルバム全てを蒐集し、それを聴きながら「大学に入ったら弦楽四重奏をするぞ」というのが僕の心の支えだった。

主としてピヒラーの音楽的キャラクターが色濃く反映された彼らの演奏スタイルには、賛否両論がある。弦楽四重奏を愛好する人達の間では、むしろ否定的な感想が多いことも知っているし、彼らが何を否定しているのかも理解するに難くはない。だがそれでもなお、アルバン・ベルクQは、僕のアイドルである。

1991年の来日公演。ザ・シンフォニーホールと京都府立文化芸術会館の2公演を聴きに行った。彼らの実演に初めて接した印象は、やはり圧倒的であった。モーツァルトの15番とベルクの抒情組曲に加え、大阪ではブラームスの1番、京都ではブラームスの2番というプログラム。大阪公演では、確か5曲か6曲くらいアンコールをしてくれたのではなかったろうか。モーツァルトの19番の3楽章、ベートーヴェンの13番の5楽章、ドビュッシーの3楽章、バルトークの4番の4楽章…あと、何だったっけ… 京都では、聴衆がさっさと諦めて拍手をやめてしまったのでアンコールは1曲だけ。ピヒラーが弾き足りなくて舞台袖で何か弾いていたのがとても印象に残っている。続く1993年の公演では絶不調のピヒラーに驚いて以降、1994年、1996年と技術面での衰えに寂しい思いをしていたが、1998年のオール・ベートーヴェン・プログラム(12&8番)の名演に接して以来、彼らの演奏会からは足が遠のいていた。

彼らがいたからこそ、室内楽とりわけ弦楽四重奏曲の魅力に開眼し、それがきっかけでフィッツウィリアムQのショスタコーヴィチ全集に出会い、ショスタコーヴィチの世界に足を踏み入れることができた。数々のソ連人の名演奏家も、改めて言うまでもなく僕のアイドルである。でも、僕にとってアルバン・ベルクQは別格の存在である。

アルバン・ベルクQのヴィオラ奏者、トマス・カクシュカ氏が64歳という若さで7月4日に逝去された。とてつもない喪失感がある。四重奏団が解散するかどうかはわからないし、新ヴィオラ奏者を迎えて再出発したら相変わらず彼らのCDは買い続けるに違いないが、何か一つの時代が終わったような、大げさに言えば、親を亡くしたような気分である。1991年の京都の演奏会後、楽屋で抒情組曲のスコアにサインをもらい「Danke schön」と話しかけたら、オーバーな身振りで「Bitte schön」と応えてくれたカクシュカ氏の姿を思い出しながら、思いつくままにCDを聴く。

前任者のバイエルレと違い、どこか裏方に徹するような、全体に溶け込みすぎて物足りなさすら感じるようなカクシュカの演奏は、それでいて愉悦に満ちている。彼らの絶頂期はシューベルトの「死と乙女」&「ロザムンデ」のアルバムやドビュッシー&ラヴェルのアルバムを録音した1985年頃だと思うが、その頃の録音は誰が何と言おうとやはり圧倒的な完成度と存在感を持っている。そして僕にとっては、10代の自分を思い出す、青春の音楽でもある。

1990年代以降は、独特のアーティキュレーションや過剰な表現意欲と技術とのアンバランスが気になるものの、この水準の音楽的境地に達した四重奏団はごくわずかしかない。カクシュカには音量的な衰えが顕著だったが、音楽的なキャラクターは人柄そのままに80年代のスタイルを維持していた。彼がいたからこそ、ピヒラーはあの独自のスタイルを展開していくことができたのだと思う。

充実し切ったバルトークの6曲を聴きながら、柄にもなく感傷的になってみたりする。合掌。
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theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 演奏家_AlbanBergQuartet

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Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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