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【楽曲解説】シベリウス:交響曲第5番

Jean Sibelius
ジャン・シベリウス(1865~1957)


Symphonie Nr. 5 Es-dur Op. 82
交響曲第5番 変ホ長調 作品82



 ジャン・シベリウスは、国土の8割が森と湖の国フィンランドを代表する作曲家である。この国は長らくスウェーデンの支配下にあり、その後18世紀の北方戦争を経て1809年にはロシアに併合された。この頃から、ヨーロッパの周辺地域における国民主義の高まりとともにフィンランドでも民族意識が強まってくる。そのような時代の空気の中で、シベリウスは生まれた。1830年代、世界最大の民族抒事詩のひとつといわれる「カレワラ」がリョンロットによって編纂されると、それは国内的にも大きな影響力を持つようになった。シベリウス自身も青年時代に「カレワラ」に熱中し、そこにうたわれている様々な民族感情や、素朴な英雄主義やヒューマニズムに大きな影響を受けた。「クレルヴォ交響曲」、交響詩「エン・サーガ」、「カレリア」組曲、「レミンカイネン」組曲のような民族的な主題を扱った初期の作品にその影響を見てとることができる。フィンランド国民による自治政府の終結をロシア皇帝ニコライ2世が宣言した1899年には、シベリウスの代表作であり、フィンランド第2の国歌ともいわれる交響詩「フィンランディア」が作曲され、フィンランド国民の独立への願いを反映した作品として圧倒的な支持を得ることになる。このような社会状勢と愛国的な創作態度のゆえに、「国民主義音楽」の巨匠としてシベリウスは政府から終身年金を受けるまでに上りつめる。

 神とか博愛主義といった「普遍的」なものを指向したそれまでの音楽に対して、個人の感情や何らかの標題といった「主観的」なものを指向したのがロマン主義音楽だとすると、そのロマンの対象が主として個人ではなく、国民や民族に向けられたものを国民主義音楽ということができる。それらの多くが民俗音楽と密接に結びつくことで郷土色や民族性を追求しているのに対し、シベリウスの音楽は民族意識や北欧的な自然感情を、あくまで厳格な交響的構成の追求によって表現しようとしている点にその独自性が認められる。

 国際的な評判を呼んだ第2交響曲を作曲した後、シベリウスは1904年にヘルシンキの北30キロにあるヤルヴェンパーへと引っ越す。恋敵と決闘しそうになるほどの大恋愛の末に結ばれた妻アイノの名にちなんで「アイノラ荘」と呼ばれた家で、彼は死ぬまで過ごすことになる。そこでの創作はそれまでの愛国的・民族的な指向から離れ、第4交響曲に顕著なように個人の内側へと向かっていく傾向を見せる。簡潔化を目指し、短い動機を有機的に展開することで息の長いフレーズを作り出す、透明で独特の静寂に満ちたシベリウスの作風は、彼が1930年を最後に作曲の筆を断つまでの間、磨ぎ澄まされ続けていくのである。

 さて本日演奏される第5交響曲は、1915年12月8日、シベリウスの生誕50年を記念した国家規模の祝賀演奏会において新作として発表された。作曲は第1次世界大戦開戦の年1914年から始められ、交響詩「大洋の女神」などを携えた生涯ただ一度のアメリカ旅行やスカンディナヴィア各地への楽旅など身辺は多忙を極めたものの、第3交響曲のように予定の期日に間に合わないということもなく、無事予定通りに祝賀演奏会での初演が行なわれた。作曲者自身の指揮による初演は圧倒的な好評であったにもかかわらず、翌1916年12月の再演にあたって改訂版が作られた。しかしそれでもまだ満足が行かなかったのか、さらに1919年にも再び手を加えている。現在一般に演奏されるのはこの第3版である。このように執念深く改訂を重ねることはシベリウスとしては珍しく、この曲に対する彼の思い入れの深さを窺わせる。現在初稿版もレコードで聴くことができ、構成の簡潔化と無駄な響きの削除という改訂の意図を耳で確かめることができる。初稿版と現行版とを比較すると、冒頭のホルンはないわ、主題の調は違うわ、オーケストレイションが全く違うわ、各楽章の終り方は不自然だわ、変てこな不協和音があちこちで鳴り響くわ、コーダではダサい弦楽器のトレモロが聴こえてくるわ…、といったあまりの違いに驚かされる。この2度にわたる改訂の結果、第4交響曲とは対象的な明るさと安らぎに満ちた作品となり、自身の誕生祝賀演奏会のための作品であるという祝祭的な性格がより一層鮮明にされることとなった。ヨーロッパ中が戦争に巻き込まれていく不穏な社会状勢の中、あえて大自然から受ける大いなる感動を歌い上げたこの曲は、シベリウスの全交響曲の中でも第2交響曲と並ぶ人気作となっている。

第1楽章 Tempo molto moderato 12/8拍子-Allegro moderato 3/4拍子-Presto

 初稿版の第1楽章と第2楽章とをつなげて1つの楽章としたものであるが、ソナタ形式による前半とスケルツォ風の後半とが極めて密接かつ自然に結合されているところに、シベリウスの創意と熟練とを見ることができる。ホルンの音色はただちに聴き手を霧の中へと誘い、弦楽器のトレモロはあたかも明滅する鬼火のようである。様々な表情を見せながら音楽は進んでいくが、じきに霧は濃くなり、骨の髄まで凍るようなファゴットのうめき声が鮮烈な印象を残した後、金管楽器の響きとともに霧は晴れ、田園舞曲風の旋律とともに音楽は明るさを取り戻す。そして斧の一撃で終結させられるまで、もつれ合うような楽器が生命の讃歌を高らかに歌う。

第2楽章 Andante mosso, quasi allegretto 3/2拍子

 ヴィオラとチェロのピッツィカートで提示される素朴な主題に基づいた、自由な変奏曲。雄大に自然を歌い上げる両端楽章の間にあって、のどかでありながらもどこか哀愁を漂わせる、実に美しいインテルメッツォである。

第3楽章 Allegro molto 2/4拍子-Un Pochettino largamente 3/2拍子-Largamente assai

 弦楽器による活動的なトレモロが次第に濃い生地を形成すると、ホルンによる鐘を打ち鳴らすような印象的な音形に乗って、木管とチェロが主題を提示する。これらの主題と動機に基づいて、オーケストラは大自然の中を旅し続ける。やがてテンポの広がりとともに、トランペットが朗々と厳かに奏する揺れる主題を弦楽器のシンコペーションが支えると、ダウンズが「日の出のように荒涼として雄大だ」と評した壮麗なクライマックスが築かれ、曲は6つの分断された断固たる和音で終わる。

 シベリウスは1915年4月21日の日記に、次のように記している:

「今日、11時10分前に16羽の白鳥を見た。大いなる感動! 神よ、何という美しさだろう! 白鳥は長い間私の頭上を舞っていた。輝く銀のリボンのように、太陽のもやの中へ消えていった。声はツルと同じく吹奏楽器のタイプだが、トレモロがない。白鳥の声はもっとトランペットに近い…小さな子供の泣き声を思わせる低い繰り返し。自然の神秘と人生の苦悩…長い間、真の感動から遠ざかっていた私にこそ、これは起こるべきことであった。私は今日、聖なる殿堂にいたのだ。」

かぶとやま交響楽団 第18回定期演奏会(1997年11月2日)

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theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Sibelius,J. 演奏活動_かぶとやま交響楽団

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Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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