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【楽曲解説】ディーリアス:日の出前の歌

Frederick Delius
フレデリック・ディーリアス(1862~1934)


A Song before Sunrise
日の出前の歌



 フリッツ・セオドア・アルバート・ディーリアス(1903年9月にイェルカ・ローゼンと結婚した際、フリッツをフレデリックと改名した)は、1862年1月29日にブラッドフォードのクレアモントで生まれた。ドイツから移住してイギリスに帰化したドイツ人である両親は、羊毛貿易業を営んでいた。すなわち、イギリス人の血は一滴も流れていない。また、生前(少なくとも第一次大戦前まで)はイギリスよりもドイツの方で有名だったらしく、ディーリアスより有名なのはリヒャルト・シュトラウスだけだったともいわれているので、むしろイギリス“生まれ”の作曲家というべきなのかもしれない。ちなみに、ミュージカル・リーグ誌が1910年にディーリアスをイギリス音楽界のニュー・リーダーとして挙げた時、ディーリアスはすでにパリ郊外に隠遁していた。

 ディーリアスは7歳の頃からハレ管弦楽団の楽員からヴァイオリンのレッスンを受けたり、ピアノをいじってはちょっとした小品を作ったりはしていたようだが、別に大したことはなかったらしい。しかし、家庭で弦楽四重奏を演奏したり、ヨアヒムやピアッティが演奏旅行でやって来ると父親は自宅に招いて歓待したり一緒に演奏したりするなど、音楽的環境はよかったようだ。家業を継ぐのをきらったディーリアスは、若い頃からアメリカ、ライプツィヒ、パリ、さらには北欧を放浪して回った。ライプツィヒ音楽院では、当時キャリアの絶頂にあったグリーグやシンディングらと出会い、オペラ・ハウスで指揮をしていたニキシュやマーラーによってヴァーグナー音楽の洗礼も受けた。ここで出会ったグリーグがディーリアスの父親を説得し、26歳にしてようやく彼は音楽家として独立することができる。

 27 歳の時にパリに惹かれ、住居を構えて世紀末の芸術家達と交流を持った。、このパリ時代に始まった交友関係には、ストリンドベルイ、ゴーギャン、ムンクなどが含まれていた。特にムンクとは生涯にわたって文通を続けた。他に、画家のスレヴェンスキ、ミュシャ、詩人のルクレルク、音楽家ではメサジェ、ララ、フローラン・シュミットなどとも交友があったようである。タヒチへわたったゴーギャンとも一時期はたいへん親しくつき合っていた。音楽家よりも画家、作家とつき合っていた。またこの時期に、傾倒していたニーチェを通じてディーリアスは、生涯の伴侶となる若い画家イェルカ・ローゼンと知り合う。彼女は旧シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州出身、著名な外交官を数多く輩出した家系の出である。彼女と結婚したディーリアスは、パリ郊外のグレ=シュール=ロアンという美しい村に隠遁し、その広い交友関係の中で培った経験をもとに充実した創作活動を繰り広げた。

 晩年は、放蕩のパリ時代に罹患したジフィリスのため1922年に両手の自由を失い、1927年には四肢が麻痺した上に視力までも失ってしまった。失意のディーリアスを支えたのはイェルカ夫人と、ディーリアスの音楽に心酔していたエリック・フェンビー(1906~1997)というヨークシャー生まれの青年だった。フェンビーはディーリアスが語り、歌い、喋り、唸り、呟き、囁き、喚き、怒鳴るのを、献身的に口述筆記することで、「ヴァイオリン・ソナタ第3番」、「夏の歌」、「告別の歌」、「カプリースとエレジー」、「幻想舞曲」、「イルメリン前奏曲」、「田園詩曲」といった数々の名作を完成させた。この辺りのことについては、ケン・ラッセル監督の『夏の歌』(1969)というテレビ映画に詳しい。そして1934年6月10日、ディーリアスは日曜日の朝早く永眠した。翌年亡くなったイェルカ夫人と並んで、サリー州のリンプスフィールドにひっそりと埋葬されている。

 彼の音楽についてフェンビーは、その著書の中で「ディーリアスの音楽にある興味深い特徴の一つは、ある公式に基づく旋律形への増進的執着である」と述べ、次のように記している:「一音の上昇には、上方への跳躍が後続する。一音の下降には、下方への下降が後続され、さらに一音の下降が続く」。自然を愛し、季節のうつりかわりに敏感だったディーリアスは、口癖のように「人間は無だが、自然のみは永劫に巡ってくる」と言っていたというが、彼は自然と季節の交流する美しい瞬間をとらえたばかりでなく、人間の営みも謳った。

 「日の出前の歌」も、こうしたディーリアスの特質がよく現れた作品の一つである。この曲は、ディーリアスを深く敬愛し、ディーリアスそっくりの作品を作り続けた後輩の作曲家ピーター・ウォーロック(本名:フィリップ・ヘスルタイン;1894~1930)のために書かれた。Carley 書簡集によれば, 1918年6月末には完成していたらしい。イギリスの詩人スウィンバーンの詩から霊感を得て作曲したといわれ、日の出前のイギリスの田園風景を描いた、3部形式による小管弦楽のための小品である。分割された弦パートが醸し出す複雑な和声の織り成す甘美で暖かな曲調は、非常に魅力的である。

かぶとやま交響楽団 第22回定期演奏会(1999年12月4日)

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theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Delius,F. 演奏活動_かぶとやま交響楽団

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Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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