『ムラヴィンスキー 高貴なる指揮者』


  • タシー, G.・天羽健三訳:ムラヴィンスキー 高貴なる指揮者, アルファベータ, 2009.
昨年の春に刊行されて以来、ずっと読んでみたいと思っていたものの、わりと高価(本体3,800円)であるが故に買いそびれていた一冊。それでも2ヶ月ほど前に購入はしていたのだが、これだけの大著(本文339ページ)を読了するにはさらに時間がかかってしまった。

結論から言うと、これだけのコスト(価格だけでなく、読むための時間も含む)をかけるほどの価値は感じられなかった、というのが正直なところ。その最大の理由は、訳者自身も「訳者あとがき」で示唆しているように、個々の記述の信頼度があまり高くないところにある。様々な文献からの引用が多く、もちろんそれらの引用元も明記されているのだが、何をどのように引用し、それらをどう関連付けてどのような解釈を行っているのかが、全文を通して明確ではない。そもそも、引用元の吟味がどのような基準で行われているのかも判然としない。したがって、ある熱烈なファンが彼のアイドルであるムラヴィーンスキイに関するものを手広く蒐集し、それを年代順に並べて披露している、といった感が強くなってしまい、評伝的な体裁をとりながらも、対象であるムラヴィーンスキイの人物像や評伝を貫くストーリーがない、極言すればゴシップ集に近いものとなっているように感じられる。

たとえば、ショスタコーヴィチの交響曲第13番を巡るすれ違いについて、「(ショスタコーヴィチは)ムラヴィンスキーに対して苦々しく思っていなかった」(p.255)としつつも、そのすぐ後の記述の中では「ささいな怨恨を抱いたままのショスタコーヴィチは、……(ムラヴィンスキー)との関係に、はっきりした態度を示すことはなかった」(p.278)としている。このように主張が一貫していないのは、様々な憶測や関係者の回想を著者が無批判に列記しているだけのようにしか思えない。だから、読んでいて面白いエピソードがあることは否定しないが、それらを引用する場合には少なからず注意が必要となるだろう。

また、記述内容のバランスの悪さも気になる。チェルカーソフやショスタコーヴィチとの交流に関する記述が大半を占めているのだが、それはムラヴィーンスキイの人生の大半を占めるという観点からなされているのではなく、単にチェルカーソフやショスタコーヴィチに関する史料の絶対量が多いというだけのように思われる。もちろん、ショスタコーヴィチ作品の初演や解釈に関する記述も面白いが、これだけの大著を手にする読者の多くは、たとえばサルマノフなどのような、ムラヴィーンスキイだけが積極的に取り上げ続けた作曲家との関係についても知りたいと思っているにちがいない。

さらには、文の読み辛さも指摘しておきたい。これは、訳文がこなれているかどうかという話ではなく、文意を理解できない文が少なからずあるということである。もっとも、このことは必ずしも翻訳上の問題とは限らず、原文自体が文意の不明瞭な英文であった可能性もある。この点については原著を読んでいないのではっきりしたことは言えないが、少なくとも単行本にする前に『クラシックジャーナル』誌で連載していたのだから、もう少し丹念に推敲してもよかったのではないかと思う。

訳者が本文に手を加えたり、本文中に訳注を埋め込んだりしていることも、僕の趣味ではない。写真やディスコグラフィ、コンサートリストについても同様。それ自体は労作であるし、非常に有用で素晴らしい資料ではあるのだが、それを他人の著作に埋め込んでしまうことには違和感が残る。それらの資料は別途対価を支払ってでも欲しい人達がいるはずだ。事実、自費出版に近い形だった初版は一定の部数が出たようだし、僕自身も店頭で購入した。であるならば、純粋に訳書の体裁をとり、本体価格をもう少し下げるべきではないだろうか。

期待が大きかっただけに、我ながら随分と辛口な評になってしまったが、この偉大な指揮者に関する書物を上梓するにあたっての、訳者をはじめとする関係者の情熱とエネルギーには、率直に敬意を表しておきたい。

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tag : 作曲家_Shostakovich,D.D. 演奏家_Mravinsky,E.A.

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Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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