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O. ディゴーンスカヤ:ショスタコーヴィチと「黒衣の僧」, DSCH社―(4)

同じく1975年の春、彼の死の直前になってついに、ショスタコーヴィチは、彼にとって非常に多くの意味を持った歌劇の構想に長い時間をかけたことの理由を説明した。「私は、チェーホフの長編の“鍵”を見つけることができませんでした。そこには多くの台詞がある一方で、動きがほとんどありません。そして、そのことは歌劇に不向きです。しかし、主要な理由は、私が舞台上で幻覚、幽霊、蜃気楼を表現する方法を思いつかなかったことにあります。なんといっても、僧は歌うと同時に動かなければならず、舞台上のコーヴリンと、客席の観客に見えるものでなければならないのです。私は、解決策を見つけることができませんでした……私は、頭の中で音楽を、その初めから中間部、終わりに至るまでの全体を聴いて思い描いた時にのみ、作曲を始めます。今のところ、私にはそのような展望はないように思えます37」。

この説明は、詳細であるにもかかわらず、混乱している。なぜショスタコーヴィチは、舞台上の幽霊に劇的な体裁を与えることが非常に難しいと思い至ったのだろうか?このことは、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の作曲者には問題にならなかったと考えられるだろう。「マクベス夫人」では、セルゲーイには見えないボリース・ティモフェーヴィチの亡霊が、真夜中にカテリーナの前に現れる。さらに、ショスタコーヴィチもはっきりと分かっていたことだが38、舞台上で幽霊を表現する問題は、随分前にベンジャミン・ブリテンの歌劇で解決されていた。ショスタコーヴィチは後期の交響曲において、ブリテンの経験を生かして“幻想的な”音楽様式を採用しているという、広く知られた見解すらある。エリック・ローズベリーによれば、ショスタコーヴィチの後期の交響曲には、「驚くべき、新しい動機、すなわち、初期の交響曲では極端にリアリスティックだったショスタコーヴィチがブリテン(後者については、ヘンリー・ジェイムスの原作による2つの歌劇『ねじの回転』と『オウエン・ウィングレイヴ』においてその特徴が卓越している)から影響を受けた、幽霊に対する関心」が現れる。「超常現象に対するブリテン風の感覚は(中略)、(交響曲第14番の)『自殺』における悲痛な叫びや、楽章を通しての弦楽器の鋭く冷たい響き、あるいは『用心して!』での骸骨の踊りに、見事に投影されている。明らかにブリテンの世界へ踏み込んだ同様の例は、交響曲第15番にも見出すことができる。そこでは、緩徐楽章の12音音列、終楽章のチェレスタの幻想的な音楽や死の舞踏が、前作の声楽交響曲のイメージと繋がっている。そしてそのことは、ヴォルコフ=ショスタコーヴィチの回想録で、交響曲と黒衣の僧の亡霊についてのチェーホフの小説との関係に特別な重みを与えているように思われる39」。

しかし、アレクサーンドル・メドヴェージェフが作曲家との個人的な会話に基づく創作メモに記した、今まで知られることのなかった事実は、ローズベリーの論理を否定する。メドヴェージェフによると、ショスタコーヴィチはチェーホフの中に、永遠にさまよえる僧と不合理ではない行動の特徴に鏡のように反映された、真の人間性が集中していると考えていた。台本作家が黒衣の僧について最初に語った言葉(恐ろしくはないが、チェーホフが語っているように“慈悲深くも狡猾”である)は、ショスタコーヴィチから即座に反応を得た。「そうです、そうです!その通りです、その通り!」その反応は、長い間温めてきた自分の考えが他人の口から発せられたことに対する喜びだと、メドヴェージェフははっきりと理解した。メドヴェージェフの言葉から明らかなように、ショスタコーヴィチが黒衣の僧を死の前兆である不吉な幽霊として捉えていなかったという事実は、(ショスタコーヴィチの後期作品が持つ死の“鋭く、冷たい”幻想的な主要音調と、僧=幽霊のイメージとの関連に関する)ローズベリーの仮説には、十分な注意をしなければならないことを示す40。幽霊に劇中で姿を与えるために、ショスタコーヴィチはブリテンの経験と音楽様式に近づく必要はなかったと考えられる。それゆえに2人の作曲家の作品に共通する音調の類似性を具体的かつ直接的に検証することは、あまり生産的ではない41。この立場をとることで、作曲家の謎めいた言葉が説明され得る。「私は舞台上で幻覚、幽霊、蜃気楼を表現する方法を思いつかなかった」。これはすなわち、ブリテン風のあの世や幽霊・蜃気楼ではなく、彼自身の(そして、チェーホフの)完全にリアリスティックなイメージを表現する方法のことなのだ!42

歌劇「黒衣の僧」の台本は、ショスタコーヴィチの死の時点で未完成のままだった。仕上がっていたのは、「歌劇の構想、幕の構成についての全体的な合意、鍵を握るエピソードの概略、に限られていた。歌劇の最後の場面については作曲家と合意し、完全に書きあげられた43」。しかし、この歌劇の構想に確かに関係する音楽は、残された。それが、ガエターノ・ブラガの「セレナータ」の、ソプラノ、メゾソプラノ、ヴァイオリン、ピアノのための編曲44と、第1幕第1場のスケッチ45である。



  1. Medvedev A.V. Tezisy doklada [Summary of a Paper], p. 4.

  2. 1964~5年に、幽霊についての歌劇である「ねじの回転」を含むブリテンの歌劇を知った(以下を参照のこと:Roseberry E. ‘A Debt repaid? Tribute to Britten in the works of Shostakovich's late period (some observations)’. D.D. Shostakovich. Sbornik statey k 90-letiyu so dnya rozhdeniya [D.D. Shostakovich. Collection of Articles Marking the 90th Anniversary of his Birth]. L. Kovnatskaya(編). P. 326)。

  3. 同上. p. 328.

  4. E. ローズベリーによって引用された「証言」中の“ショスタコーヴィチ”の発言「第15交響曲はもちろん、完全に自立した作品であるとはいえ、そこには、『黒衣の僧』と多くのものが結びついている。(Bartlett R. Shostakovich and Chekhov. P. 349 からの引用)」は、交響曲が歌劇の作曲の実質的な始まり、すなわちブラガの「セレナータ」の編曲の1年以上前に完成したという事実を考えると、疑わしい。「黒衣の僧」についてのショスタコーヴィチの解釈(運命の死者というよりもむしろ人間と考える)を考えると、上述した「証言」からの引用はさらに支持できない。

  5. このことは、「黒衣の僧」の作曲時に、ブリテンが室内歌劇の分野で達成したことをショスタコーヴィチが全く無視するつもりだったという意味ではない。S.M. ヘーントヴァは、以下のように述べている。「彼(ショスタコーヴィチ)は、チェーホフの長編に基づく、豊かな器楽的展開をもった内省的な室内歌劇を思い描いた。彼は明らかに、ベンジャミン・ブリテンの例によって導かれた。彼は、ブリテンの室内歌劇を丁寧に勉強していた」。同時に彼女は、作曲家が「1972年7月に、ロンドンからブリテンがいるオールドバラまで出かけた(車で3時間の旅である)。そこで彼は、ホテルに2日間滞在した。ブリテンは、自分の歌劇『ヴェニスに死す』を見せた」と記している(Khentova S.M. Shostakovich. Zhizn i tvorchestvo [Life and Work], v. 2. p. 507)。しかし、「豊かな器楽的展開」を思い描いたという言葉の出典は示されておらず、それゆえにその真偽は今日まで証明されていないままである。

  6. 登場人物の劇的な取り扱いは、彼が終生考え続けた問題であった。1975年6月15日、彼は、マリイーンスキイ劇場で上演されたA.P. ペトローフの歌劇「ピョートル大帝」について手紙で教えてくれるよう、I.D. グリークマンに電話で頼んだ。「私は、現代歌劇でツァーリがどのように描かれているかについて興味があります」(Pisma k drugu: Dmitry Shostakovich - Isaak Glikman. [Story of a Friendship: The Letters of Dmitry Shostakovich to Isaak Glikman]. M. SPB. 1993. p. 310)。

  7. Medvedev A.V. Theses of a paper... . p. 4.

  8. ドミートリイ・ショスタコーヴィチ・アーカイヴス, f. 1. sec. 1. rec. gr. 304.

  9. ドミートリイ・ショスタコーヴィチ・アーカイヴス, f. 1. sec. 1. rec. gr. 21.ドミートリイ・ショスタコーヴィチ・アーカイヴスの未確認の草稿の中から、本報の著者とO.V. ドンブロフスカヤによって、2003年に発見された。

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Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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