O. ディゴーンスカヤ:ショスタコーヴィチと「黒衣の僧」, DSCH社―(5)

「セレナータ」の編曲の自筆譜は、12段の二つ折り五線紙4枚(1枚に残りの3枚が挟み込まれている)から成り、1~15のページ番号が振られている。五線紙には、次のような印刷業者の銘がある。「Article 056 Price 0-22k. Format 310 x 240. Dunayev Factory, Moscow. Order No. 651-D/6」。原稿は紫色のインクで書かれ、95小節(内3小節は、線を引いて消されている)から成る。小節線は、鉛筆で書き込まれている。ショスタコーヴィチ自身による表紙がある。「G. ブラガ/セレナータ/ソプラノ、メゾソプラノ、ヴァイオリン、ピアノのための」。1ページ目には、以下のメモ書きがある。ページの中央上部には「セレナータ/ワラキアの伝説」、左上隅には「歌詞:M.M. マルチェッロ/訳:A. ゴルチャコーヴァ」、右上隅には「作曲:G.ブラガ」。また、ショスタコーヴィチの筆跡で速度表記が記されている。「Andante con moto」。最後のページ(15ページ)にはサインがあり、作品が完成した日付が記されている。「DShostakovich/25 IX 1972」。作品は、ト長調で6/8拍子である。

チェーホフによって語られ、「黒衣の僧」の主人公アンドレーイ・コーヴリンが聴いたように、M. マルチェッロの詩(A. ゴルチャコーヴァ訳)によるG. ブラガの「セレナータ(ワラキアの伝説)」あるいは「天使の歌」46は、「病的な空想にとりつかれた娘が、夜ふけの庭に妙なる調べを聞く。あまりにもすばらしい、ふしぎな響きなので、きっと聖者の歌ごえだろう、われわれ死すべき人間には理解できず、だからまた天上へ飛び去る音楽だろうと思いこむ47」という内容である。残念ながら、ショスタコーヴィチが編曲の際に使用したブラガの「セレナータ」の楽譜は、見つかっていない。イリーナ・アントーノヴナ・ショスタコーヴィチが覚えている限りでは、その楽譜は知人から貸与された。その楽譜は、有名な編曲の一つである、A. グートハイルがピアノ伴奏の「愛のロマンス・セレクション」の中で出版したものであるという可能性が高い。A.ゴルチャコーヴァによるロシア語訳は、グートハイル版で示されているように「モスクワの出版社A. グートハイルが権利を保有」していた。そしてこれが、ショスタコーヴィチの手稿譜に用いられている訳である。しかし、この訳の文学的な質に不満を持った作曲家は、後に一部を変更している48




あの響きは何だろう

天上から降り注ぐように聴こえるあの響きは

その響きは私を魅惑し、ここから飛び去っていく

まるで鳩の翼があるかのように


ここに出てきておくれ、お願いだから!

その魅力的な響きはどこからやってくるのか、教えておくれ

眠れ、我が友よ

魂はこの辺りにはないのだから!


木の葉は互いに囁き合い

月に照らされて

あなたをうっとりさせるようなものを

あなたの想像力は探し求め、考え出すのでしょう


ちがう!ちがう!

ちがうのだ、あの調べはとても聖なるもので

死にゆく者が見果てぬもので

今や、祝福された天国へと

舞い戻って行ったのだ

私は、魂でそれを感じることができる!


おやすみ、ママ

その響きは、私を誘惑する


見果てぬあの調べは

今や、祝福された天国へと

舞い戻って行った

私は、魂でそれを感じることができる!


おやすみ、ママ

その響きは、私を誘惑する

その響きは、私を誘惑する

その響きは、私を誘惑しているに違いない!

[あの神々しい合唱が聴こえるか?]

[それは、とても魅力的で]

[その響きは、真夜中の空気を駆け抜け]

[その歌は、天国から降り注ぐ]


[すぐに、ここに来ておくれ!私の元へ、友よ!]

[あの甘い歌の響きは、私を誘惑する]

[あぁ!辺りは全てが静寂の中]

[風が、木の葉をそよがせている]


[ここには誰もいない、恐れる必要はない]

[庭は、月明かりの中に浸かっている]

[静寂の中で聞こえるのは、木の葉の囁き]

[気分がすぐれないんだね、愛しい人よ]















[私には、もはや心の平穏はない]













[私の心の平穏は、永遠に失われてしまった]








チェーホフの要約よりも、ほとんど決まり文句で綴られた、あまりこなれていない翻訳の方が、「セレナータ」の幻想的な内容を明確に示している49。高揚し、明らかに狂乱している病気の少女は、バルコニーに立ち、あの世からの呼びかけ、すなわち天使の歌の天国的な調べを聞く。木の葉のそよぐ音しか聞こえない、現実的な少女の母親は、病気の娘をなだめようとするが、それは無駄になってしまう。“聖なる”響きに誘われ、少女は天国へと旅立とうとする。

典型的にロマンチックな主題(孤独、不可解、天国と現世を離れることへの郷愁)で織りなされるこの物語において、他の作品、たとえばムーソルグスキイの「死の歌と踊り」の「セレナード」(病気の少女がうっとりするような死への召喚を聞き、それを受け入れる)や、ゲーテの詩によるシューベルトのバラード「魔王」(病気の子供が魔王の幻想の中に死の誘惑的な呼びかけを聞く。父親には、ただ風と木の枝の音しか聞こえない)などとの類似を把握することは容易である。ムーソルグスキイやブラガのセレナードとシューベルトのバラードは、同じような物語の要素を持っている。すなわち、病的な、狂乱状態の子供、あるいは、子供だけが聞く神秘的な死の召喚、あるいは召喚への服従(セレナードでは自主的に、バラードでは強制的に)である。精神的な敵の存在は、幻想世界の実際的で“現実的”な登場人物(母、父)には訳が分からない50。ショスタコーヴィチは明らかに、こうした対応関係に気付いた。アレクサーンドル・メドヴェージェフによると、作曲家自身が、前者との会話の中で、「セレナータ」と「魔王」の間にある類似関係を指摘した。ムーソルグスキイの「死の歌と踊り」は、かつて1962年にショスタコーヴィチがオーケストレイションを行っている。それゆえに、彼が関心を持つ領域からその曲がはずれることはなかった。

この悲劇的な文脈にブラガの「セレナータ」を位置づけることで、ショスタコーヴィチの編曲において原曲の最後の小節51が変更された理由が説明される。ppからfへの力強いクレッシェンド(pppで弱奏される全曲を通じて、唯一のfである)を伴う「セレナータ」の効果的な終止は、ショスタコーヴィチによって、溶けて空の彼方に舞い上がるような(原曲よりも1オクターヴ高い)morendoで奏でられるヴァイオリンのパッセージに置き換えられ(このことは、「その響きは私を誘惑する」という最後の歌詞と一致する)、pppで消え入るように変更された(全曲を通じて、唯一のpppである)。これは、粗野で直接的な“人生の肯定”(主音に“付けられた”特徴的な和音で表現される)と、(魂が?)“飛び去り”(生命が?)“消えゆく”イメージとを明らかに交換するものである。

一貫したパターンに固執するそのような音楽上の措置や解釈は、知られざる事実に秘められた深刻さに言及するならば、明白なものとなるだろう。1972年9月25日(彼の66回目の誕生日)、ショスタコーヴィチは1つではなく、2つの作品に最終的な仕上げを施し、日付を書き入れた。1つ目は、お分かりのように「セレナータ」の編曲である。2つ目は、ベンジャミン・ブリテンに献呈された交響曲第14番の第10楽章「詩人の死」(詩:ライナー・マリア・リルケ)の清書である52。1969年に完成した交響曲の“雛形”は、作曲家自身の言葉で知られているように、ムーソルグスキイの「死の歌と踊り」である。この作品とブラガの「セレナータ」との関連については先に議論した。交響曲第14番が持つ共通の概念的遺伝子の存在は、ブラガ=ショスタコーヴィチの「セレナータ」の非音楽的な内容にも十分に拡張できると考えられる。自分の誕生日(「セレナータ」を完成させた日)に死についての交響曲(「詩人の死」の楽章)に回帰したというまさにその事実は、象徴的な行為と受け取ることができるだろう。そしてそのことは、晩年のショスタコーヴィチと、大したことのない仕事のように思われる流行歌の編曲に“あの世”の反映を投影したことの意味を理解させてくれる。



  1. G.ブラガの「セレナータ(ワラキアの伝説)」または「天使の歌」のオリジナル版は、「天使のセレナータ」と呼ばれ、チェロのための小品として書かれた(以下を参照のこと:Muzykalnaya entsiklopediya [Encyclopedia of Music], v.1. M. 1973. p. 553;Muzykalny slovar Grouvs [Groves Dictionary of Music]. M. 2001. p. 133)。現在知られているA. グートハイル版では、女声(ソプラノまたはコントラルト)とピアノに、フルートかヴァイオリン、またはチェロ(「可能ならば、隣の部屋で演奏すること」と指示されている)を追加するようになっている。(たとえば、以下を参照のこと:GSCMMC. f. 347. rec. gr. 5602)

  2. Chekhov A.P. Sobr. Soch. [Collected Works] v. 7. p. 294.

  3. ショスタコーヴィチによる歌詞の変更は、ブラケット([])で示す。S.M. ヘーントヴァは、A. ゴルチャコーヴァが翻訳したM. マルチェッロの歌詞を変更することなく、“旋律に合わせた微細な修正だけを行った”と間違っている。(Khentova S.M. Shostakovich: Zhizn i tvorchestvo [Shostakovich: Life and Work]. p. 508)

  4. M.P. チェーホフの回想によると、「黒衣の僧」の著者は、「神秘的で、美しいロマンティシズムに満ちたロマンス」を見つけた。(Chekhov M.P. Around Chekhov. M. 1933. p. 226.(Chekhov A.P. Sobr. Soch. [Collected Works]. v. 7. p. 537. からの引用))

  5. 特定の主題の類似は、ブラガの「セレナータ」の筋書きと、レフ・トルストイの「戦争と平和」におけるオトラードノエの有名な場面との間に見出されることだろう。そこでは、2人の少女、詩的なナターシャと退屈なソーニャの対照的な態度が並置されている。片方は天国へと飛び去りたいと願い、もう一方は眠たげで、友人の突然の欲求に困惑する。偶然の一致で、夜、開け放たれた窓辺で2人の少女は歌を歌い、アンドレーイ皇太子に聞かれる。この場面は、チェーホフの長編小説における主題の詳細に影響したのではないだろうか(コーヴリンは「ふたりのやさしい女の声が歌いはじめた」のを聞く)?そして、トルストイ自身も、その引喩に気付いていたのではないだろうか(彼は、「黒衣の僧」のことを熱狂的に語っていた(「見事だ!あぁ、なんて見事なんだろう!」))?(G.A. Rusanov's letter to A.P. Chekhov, dated 14 February 1895(Chekhov A.P. Sobr. Soch. [Collected Works]. v. 7. p. 536 からの引用)を参照のこと)

  6. 編曲が原曲とは異なる他の点については、それ自体は興味深いものであるにせよ、「セレナータ」の全体的な雰囲気を本質的に変えるようなものではない。たとえば、中間部 (練習番号4~5) においてピアノの右手の伴奏音形をヴァイオリンに移し(若干の変更がある)、スタッカートを加えて低音部の音域を高くしていることは、さざめき、すなわち歌詞にある「葉の囁き」の効果を創り出しているに過ぎない。

  7. 自筆譜は、ブリテン=ピアーズ図書館(Aldeburgh, Suffolk IP15 5PZ, England)に保管されている。本報の著者によって、ドミートリイ・ショスタコーヴィチ・アーカイヴスでそのコピーが発見された。現在の書架番号は以下の通り:f. 2. p. 1. rec. gr. 2.

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genre : 音楽

tag : 作曲家_Shostakovich,D.D.

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Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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