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兵庫芸術文化センター管弦楽団第50回定期演奏会

兵庫芸術文化センター管弦楽団第50回定期演奏会
  • ショスタコーヴィチ:交響曲第14番
  • R. シュトラウス:楽劇「サロメ」より「サロメの踊り」
  • ラヴェル:ラ・ヴァルス
  • J. シュトラウスII世(ショスタコーヴィチ編):ポルカ「観光列車」【アンコール】
2012年3月9日(金) シャファジンスカヤ(S) ディデンコ(B) 井上道義(指揮) 兵庫県立芸術文化センター大ホール

すっかり時機を逸してしまったが、一ヶ月以上も前の演奏会の感想。

PACオーケストラの第50回定期は、ショスタコーヴィチの第14番。いつものように金曜日~日曜日の3回公演である。日曜日に京都市民管弦楽団の「第26回室内楽の集い」に出演させていただいたために土日の両日が埋まっていたのだが、休日出勤の振替で、運よく初日の公演を聴きに行くことができた次第。ちなみに室内楽の集いでは、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第11番を演奏。第2楽章のグリッサンドを随分はずしてしまうなど、不本意な点も多々あったが、概ね評判は良かったみたいで一安心。

平日のマチネにもかかわらず7~8割の席は埋まっており、1時間近く前に到着したにもかかわらず、当日券の残席はわずかであった。土日と比較すると明らかに年輩の聴衆が多かったが、幅広い層の聴衆を確保して、3回の公演全てを満席にするPACの経営努力には頭が下がる。

さて、目当てのショスタコーヴィチは前半。弦楽器のプルト数は、ほぼ初演時のもの(=モスクワ室内Oの編成)を踏襲していたが、コントラバスだけは倍の4本であった。ただし、ソリスティックな部分については2本のみで演奏していたので、残りの2本はあくまでも強奏時のアシスタント的な役割であったように思われた。率直に言って、この団体には手の余る箇所が少なくなかったようで、技術面の不満が皆無であったとは言い難い。ただ、全曲を通しての集中力は相当なもので、アンサンブル上の難所を乗り切るために期せずして集中度が高まったという側面も否定できないにせよ、それでも聴き手を舞台に釘付けにさせるに足るだけのエネルギーが放出されていたことは事実。総じて、よく健闘していたと言うべきだろう。

歌手の後ろについて、いつもながらの所作で舞台に登場した井上氏は、緊張感を漲らせつつも、わりと無造作な自然体で振り始めた。しなやかにフレーズを流していく一方で、ここぞという箇所では和声やリズム、音色などを思い切り強調して大見得を切る自在さは、氏一流のものである。ともすれば表面的な効果に終始しそうな表現が、いずれも音楽に深い彫りを与えていたのは、さすがとしか言いようがない。全体を通して、生気に満ちた積極的な音楽の運びが印象的であったが、それはおそらく、氏がこの交響曲を単に死の諸相を描いた作品とは捉えていないということなのだろう。

舞台上に投影された字幕(一柳氏による、詩の要点を簡潔に押さえた秀逸なもの)を見ながら音楽に身を委ねていると、ある一組の男女のドラマが明確に浮かび上がってきた。不測の死が訪れた2人の死に様は、聴き手に「いかに生きるべきか」を強く訴えかける。井上氏の解釈は、まさに「生」が強く意識される点で、この作品の本質に鋭く迫っていると言える。

歌手2人は、とても素晴らしい出来だった。シャファジンスカヤは、特に第4楽章以降で、声質、声量、表現力のいずれをとっても文句がなかった。アレクサーシキンの代役を務めたディデンコも、若々しい声の張りと考え抜かれた表現の両方が傑出しており、井上氏の音楽に一層の深みを与えていた。

聴衆は……やはり健闘したと言っておくべきか。舌なめずりしながらショスタコーヴィチを聴きに来たような人は、少なくとも金曜日の公演会場で目に付くことはなく、大半が編成の小ささと音楽の異様さに意表を突かれたであろうことは想像に難くない。第1楽章の冒頭が始まるや否や押し殺した咳払いや落ち着かない衣擦れの音が聞こえてきたことが、その証である。第7楽章の中間部では、おそらく極度の静寂に緊張も極限に達したのであろう、コル・レーニョのフレーズが終わってチェロの旋律が入ると同時に、曲の最中であるにも関わらず、盛大な咳払いが始まったのは微笑ましくすらあった。

後半の2曲は、いわゆるオーケストラの醍醐味といった感じの舞曲で、舞台上も客席もリラックスした雰囲気が支配していた。「サロメの踊り」の途中(しかも静かな箇所)で遠慮の欠片もない下品なくしゃみをした男性がいたのだが、井上氏が棒を振りつつゆっくりと客席を向いて音のした方向をにらみつけると、客席からは笑いが起こるという和やかさ。それなりに燃焼度の高い熱演ではあったが、ショスタコーヴィチの切迫した緊張感の後ではやや凡庸に聴こえてしまったのが残念。

「皆、ウィンナワルツが大好きなんです。ショスタコーヴィチもそう。ショスタコーヴィチをやりますが、安心してください。短いですから」。という口上で笑いを誘った井上氏が振り始めたアンコールは、ショスタコーヴィチがオーケストレイションをした「観光列車」。いきなりトロンボーンがはずしたのはどうかと思ったが、快速テンポでスタイリッシュにまとめた演奏は、万雷の拍手を受けていた。「ラ・ヴァルス」からの流れを考えるとごく自然な選曲だが、第14番のことだけを考えて足を運んだこともあって、予想だにしていなかった。思わぬところで実演を聴けて、大満足。
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theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Shostakovich,D.D.

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まとめteみた.【兵庫芸術文化センター管弦楽団第50回定期演奏会】

兵庫芸術文化センター管弦楽団第50回定期演奏会ショスタコーヴィチ:交響曲第14番R.シュトラウス:楽劇術文化センター大ホールすっかり時機を逸してしまったが、一ヶ月以上も前の演奏会の感想。PACオーケストラの第50回定期は、ショスタコーヴィチの第14番。いつものよう?...

comment

Secre

No title

工藤さんと同じ日に行きました。さすが微細にわたるコメントです。字幕の訳はプログラムより過激に思いました。特に8曲目。このアポリネールの詩が挿入されている意味が分りずらい。(イスラムの問題提起なのか。)
メインが最初にあり後の2曲はオーケストラは鳴っているわりに曲の香りが浮き立たず添え物的でした。(順序を逆にすると帰る人が多かったりして。)
アンコールの「観光列車」、ウイーンフィルのニューイヤーで煩雑に演奏されていて、それで充分とおもわれるが、何故彼が編曲をしたのか、そのいきさつが工藤さんのブログ内の記事から読み取れて納得しました。

Re: No title

どすとさん、いつもコメントありがとうございます。「舌なめずりしながらショスタコーヴィチを聴きに来たような人」は、いらっしゃったのですね(笑)

字幕は、単位時間当たりの文字数にかなりの制約があるでしょうから、端的にその内容を伝えるために過激な表現をとった部分があるのは仕方のないことでしょうね。少なくとも私は、その場で鳴り響いている音楽の印象と乖離しているとは思いませんでした。

この作品を貫く死生観は確かに反キリスト教的だと思いますが、実のところ、私はもっと単純にこの作品のプロットを捉えています。第7楽章で投獄された男が、自分を逮捕した者(あるいは権力、体制…etc.)を罵倒しているのが第8楽章である、といった考え方です(あるいは、その痛烈な罵倒ゆえに逮捕された)。
プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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