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O. ディゴーンスカヤ:D. D. ショスタコーヴィチの未完の歌劇「オランゴ」, DSCH社―(1)

1. 十月革命15周年記念行事の準備:「祝福の花束」


1932年初め、ソヴィエト=ロシアは熱狂の渦の中、その年の主要な記念日である十月革命15周年の準備を開始した。地方の祝典では、コムソモールと赤軍の15周年記念も計画された。首都の全ての劇場と演奏会をマネジメントする機関は、容赦なく祝典の準備に引きずり込まれ、彼らの動向は細大漏らさず、かつ定期的にメディアで議論された。雑誌や新聞の紙面は、告知と計画で溢れていた。「十月革命15周年記念に向けた我々の準備」「劇場は十月革命15周年記念の準備を進めている」「劇作家は十月革命15周年記念に向けて構想を練っている」「首都は十月革命15周年記念の準備を進めている(レニングラード/モスクワ)」「十月革命15周年記念の音楽」「十月革命15周年記念の準備状況を点検しよう」「レニングラードの作曲家達は十月革命15周年記念に備えている」1などといった調子である。上からの圧力が脅迫的に提示する「それで、君達は十月革命15年の祝賀のために何をしているのかね?」という見えざる、そして聞こえざる問いのせいで、作曲家同盟は始終神経を尖らせており、集団の報告と個人の誓約とが至る所で次々と表明され始めた。

ショスタコーヴィチはこの十月の祭典に、同時に全てのジャンルで拘束されていた。報道された事柄から判断すると、彼は十月の各種行事を祝うために、真に感動的な創造の奔流を約束していた。

1932年1月、レニングラード・マールイ・オペラ劇場は立て続けに二つの告知を出した。それは、ニコラーイ・アセーェフの台本によるソヴィエトの音楽喜劇および十月革命15周年のためのショスタコーヴィチの音楽の上演が決定したというものだった2

1932年2月、作曲家自身が「カール・マルクスから我々の時代へ」という5楽章の交響曲を作曲する意思を公表した。この交響曲はニコラーイ・アセーェフの詩による十月革命15周年のための作品3である。さらに、レニングラード・マールイ・オペラ劇場(Малегот)の依頼で「同じくアセーェフの台本による3幕の喜歌劇」の作曲についても明らかにした。「この喜歌劇の主題は、慣れない資本主義社会の中におかれた国外のソ連市民である4」。

同年3月のはじめ、Малеготは再び「十月革命15周年は、詩人アセーェフと作曲家ショスタコーヴィチが準備しているソヴィエトのミュージカルによって、祝われるだろう5」と確約した。

ショスタコーヴィチの名は、作家アナトーリイ・マリエンゴフと対で、モスクワ・オペレッタ劇場と全ロシア劇作家及び作曲家協会との間に交わされた「十月革命15周年のためのソヴィエトのミュージカルに関する劇作家と作曲家との間の約定について6」という協定の結果立ち上げられた最初の3つの創作チームの中にも挙げられた。

この創造的なコンビはまた、モスクワ・オペレッタ劇場のために「十月」をテーマとした別の作品を作ることも約束した。こちらは既に5つの新作オペレッタを来るシーズン(10月)に上演することが、政府にも世間にも告知されていた。そこには、マリエンゴフとショスタコーヴィチによる喜歌劇「黒人」も含まれていた7

この一方でショスタコーヴィチは、十月革命15周年の記念日である11月7日に公開されることになっていた映画「呼応計画」の音楽を大急ぎで作曲した。

彼はまた、コムソモールの記念日にも何かを捧げようと考えていた。1932年5月、「地方のTRAM(労働青年劇場)とTRAMの中核的なグループは、コムソモールの15周年記念日を祝うための準備を始めた。モスクワTRAMは、新たなTRAM行進曲の作詞と作曲に着手した。さらにTRAMの作曲家であるショスタコーヴィチも、その行進曲の仕事に招聘した8」。この行進曲がどうなったのかは分からない。また、この創作においてショスタコーヴィチがどのような役割を果たしたのかについても、何も分からない。しかし、彼らは作曲家が多大な貢献をしてくれると期待していた(そして彼も約束したのだ!)。1932年9月2日のある告知によると、TRAMは「コムソモールの15周年記念日に捧げた新作の劇『戦闘訓練』」を上演しようとしていた。「脚本はリヴォーフ、ソコローフスキイ、ゴルベーンコである。監督はM. ソコローフスキイ、美術はF. コンドラートフ、音楽はD. ショスタコーヴィチとF. ルブストフである9」。

つまり、歌劇、喜歌劇、合唱を伴う大規模な多楽章の交響曲、劇音楽、映画音楽、そしてTRAM行進曲は、ショスタコーヴィチが祝日のために約束した豪勢な祝福の花束の構成物であった(しかし、その年の終わりまでその仕事から解放されず、しかも滑稽なほど浅薄な内容でケリをつけた)。もちろん作曲家は、彼のお気に入りの作品であり1932年の切り札でもあった歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」に特別な力を注いでいた。しかしながら十月を前にしたヒステリーが最高潮に達した春に、ショスタコーヴィチは予期せぬ光栄な申し出を受け、断ることはできなかったし、また断ることもなかったのである。


  1. 以下の文献を参照のこと:Rabochii i teatr, 1932, No.2, pp.6-7; No.4, p.8; No.6, pp.14-15; No.23, pp.1-5.
  2. 以下の文献を参照のこと:“Theatres Are Preparing for the 15th Anniversary of the October Revolution”, Rabochii i tealr, No.1, 10 January 1932, p.8; “Our Preparations for the 15th Anniversary of the October Revolution: Theatres Say”, Rabochii i teatr, No.2, 18 January 1932, p.8. 1932年1月25日に開催されたМалеготの芸術委員会レパートリー作成部門会議の議事録によると、劇場は公演のために9つの班を編成することを決定した。「西側における階級闘争」というテーマを担当する第3班には、「作家アセーェフ、作曲家シェスタコーヴィチ(ママ)、指揮者ラビノーヴィチおよびサモスード、劇場からカプランとカーニン」が含まれた。「テーマというのは、ドイツにおいて新たなソヴィエト人民であることを自覚した者が、西側の環境の中でいかに振る舞うべきか、というものであった。現代ドイツの特質との社会闘争を諷刺的に明らかにするような出来事が、こうした背景に対立するものとして演じられる(CSALA St. Petersburg, rec. gr. 290, inv. 1, f. 9. Typed copy)」。このファイルの他の書類(sheets 48 and 51)から、喜歌劇「粉まみれの釘」に言及している事実も明らかになっている(筆者は、この情報を教えてくれたA. N. クリューコフと、そのことを思い出させてくれたローレル・フェイに感謝する)。「粉まみれの釘」は恐らく、未完の歌劇「大きな稲妻」の原題だと思われる。
  3. ショスタコーヴィチは交響曲の第1楽章を書き上げたが現存していない、という説がある(以下の文献を参照のこと:Dmitri Shostakovich. Notational Reference, E. Meskhishvili(編著), Moscow, 1995, p. 250(ロシア語);D. C. Hulme, Dmitri Shostakovich: A Catalogue, Bibliography, and Discography. Third Edition, Scarecrow Press, USA, 2002, pp. 99-100;Dmitri Shostakovich, Sikorski Musikverlage, Gamburg, 2005, p. 161)。この説は、作曲家自身によって引き起こされたという側面もある。彼は、ある時には「何がしかの曲を書いている」「詩の選択を終えた。壮大なものを書きたい」と言い、さらには「私はそれをイヴァーン・イヴァーノヴィチ・ソレルティーンスキイのために演奏した」として交響曲のことを否定していない(以下の文献を参照のこと:S. M. Khentova, In Shostakovich's World, Moscow, 1996, p. 35(ロシア語))。この作曲家の言葉は、ソレルティーンスキイが1932年末に新しい交響曲について公けに語っているという事実によって、間接的に確認される。彼は次のように語っている:「十月革命15周年のために、フィルハーモニーの依頼で作曲された3つの交響曲が初演されることになるだろう。それらは、ショスタコーヴィチおよびグラドコフスキイの交響曲、そしてジヴォートフによる交響的な連作歌曲集である(I. Sollertinsky, “Review of the Season Continues: The Philharmonic Says”, Rabochii i teatr, No. 24, 1932, p. 4からの引用)」。ソレルティーンスキイが「カール・マルクスから我々の時代へ」について言及していることに、疑う余地はない。ショスタコーヴィチはその曲の断片をソレルティーンスキイに弾いて聴かせ、1932年2月(この時点で、作曲は他に交響的な作品を作曲する意思はなかった)に発表された自身について述べた文章の中でも言及した。しかし、この曲が完成することはなく、レニングラード・フィルハーモニーはその十月に捧げる作品への関心をなくした。自筆譜は現存しておらず、また発見されてもいない。
  4. Sovetskoe iskusstvo, 15 February 1932.(M. Iakubov, “Unfinished Opera The Great Lightning”, in: Dmitri Shostakovich. New Collected Works, Vol.54, Hypothetically Murdered, Music to the Stage Revue, Op. 31, The Great Lightning, Unfinished Opera, Sans op., Score, DSCH, Moscow, 2007, p. 400からの引用)
  5. “Maly Opera Theatre in 1932”, Rabochii i teatr, No.7, 1932, p.23.
  6. “General Contract is Signed”, Rabochii i teatr, No.7, 1932, p.23.
  7. “5 Soviet Operettas”, Rabochii i teatr, No.20 , 1932, p.16.
  8. “TRAMs Are Preparing for the 15th Anniversary of the October Revolution”, Rabochii i teatr, No.14-15, 1932, p.19.
  9. “Upcoming Premieres”, Rabochii i teatr, No.24, 1932, p.20.「戦闘訓練」の正確な初演日は、引用文献の中に記されていない。ショスタコーヴィチがそこに参加したという説に言及しているのは、E. メスヒシヴィリのNotaional Referenceの1932~3年の箇所だけである。そしてそこには“オリジナルの音楽”がなかったことが示されている(Dmitri Shostahovich. Notational Reference, p. 250を参照のこと)。作曲家はその音楽を、おそらく書いていない。彼はこの契約に触発されることはなく、故意に無視した上に、起こり得る不愉快な結果に無関心でさえあった。彼はこの後の経緯を、1932年9月16日にガスプラでイヴァーン・ソレルティーンスキイに宛てて書いた手紙の中で語っている:「レニングラードに戻ると、私はTRAMから中傷を受けました。400ルーブルの前金を受け取って去ってしまったというのです。TRAMが私を放り出すなら、私は新しい場所を探すつもりです。 これらのことは心配の種ですが、私は恐れていません (D. D. Shostakovich, Letters to Ivan Sollertinsky, illustrations published and prepared by D. I. Sollertinsky, foreword by L. G. Kovnatskaya, text prepared by D. I. Sollertinsky, L. V. Mikheyeva, G. V. Kopytova, and O. L. Dansker, comments and name index by O. L. Dansker, L. G. Kovnatskaya, G. V. Kopytova, N. V. Livshits, L. V. Mikheyeva, and L. O. Ader, St. Petersburg, 2006, p. 113, in Russianからの引用)。日付からすると、おそらくショスタコーヴィチは「戦闘訓練」について言及しているのであり、その初演に際して彼が告発されそうな立場にあったことがわかる。
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genre : 音楽

tag : 作曲家_Shostakovich,D.D.

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Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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