80歳記念 ウラディーミル・フェドセーエフ指揮 チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ

80歳記念 ウラディーミル・フェドセーエフ指揮 チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ
  • リームスキイ=コールサコフ:交響組曲「シェエラザード」
  • チャイコーフスキイ:弦楽セレナード
  • チャイコーフスキイ:1812年
  • スヴィリードフ:組曲「吹雪」より「ワルツ・エコー」【アンコール】
  • チャイコーフスキイ:バレエ「白鳥の湖」より「スペインの踊り」【アンコール】
2012年10月20日(土) 兵庫県立芸術文化センター大ホール
その容姿のせいか若々しい印象の強いフェドセーエフだが、1970年代半ば(つまり僕が生まれた頃)からモスクワ放送響との素晴らしい関係が始まったことを考えると「80歳」という年齢も当然のこと。とはいえ、やはりその数字にはいささかの驚きがある。それは溌剌とした指揮姿のような外見上の理由ではない。オーケストラの機能を十二分に発揮させつつも、生気に満ちた淀みのない流れを持つ、颯爽とした力感に満ちた彼の音楽ゆえである。メタリックな音の輝きが印象的なソ連時代の演奏、個性的なテンポ設定や歌い回しで抒情性が際立つ1990年代以降の演奏と、そのスタイルに変遷はあったものの、いわゆる巨匠然とした音楽をすることはなかったし、またそれこそがフェドセーエフの魅力でもあった。

それは、年齢的にはもしかしたら最後の来日になるかもしれない今回の公演でも変わらなかった。しかしながら、そこにもう一つ“深い静寂”という要素(その萌芽は2006年のショスタコーヴィチにも聴かれてはいたが)が加わったことで、今回の演奏はまさに異次元の境地に達していたと言いたい。「美味しんぼ」の京極さん風に言えば、「なんちゅうもんを聴かせてくれたんや」といったところ。

演奏会の幕開けが「シェエラザード」というのは、名手揃いのチャイコーフスキイSOの奏者達にとってもプレッシャーが大きかったようで、序盤はピッチに不安定さがあったし、主力メンバーをトップに据えた木管陣にも細かい乱れが散見された。完璧としか言いようのないヴァイオリンのソロ(ハープの細やかな表情も特筆しておくべきだろう)の後、ゆったりとしたテンポで動き始めた主部では、そのテンポの遅さに起因するアンサンブルの綻びもなかったわけではない。しかし、このようなあら探しをいくらしてみたところで、鷹揚とした、それでいて表情豊かな、この第1楽章の音楽的な素晴らしさが損なわれることはない。晴朗な大海を彷彿とさせる振幅の大きな音楽の揺らぎに身を委ねているだけで、何とも形容し難い幸福感が全身を包み込んでくれる。威圧的な音が一切ないのに音量の幅は極めて大きく、個々の音の響きは冷たく乾燥しているのに全体の響きは人間的な温もりに満ちた、まさにロシアの響きが、フェドセーエフが紡ぎ出す音楽に一層の彩りと魅力を与えている。

アタッカで間髪入れずに始まった第2楽章は、個々の奏者の名技が炸裂。ただしそれは指回りの鮮やかさを誇示する類のものでは全くなく、極めて表情豊かな最弱音という形で発揮されるものであった。クラリネットをはじめとする木管楽器も素晴らしかったが、特に印象に残ったのは、コーダのヴァイオリン(シェスタコフ)とホルン(ニキティン)の掛け合い。もの凄い緊張感なのに、音楽から温もりと艶やかさが失われることがない。音響的にはあまり褒められた出来ではない芸文の大ホールが最弱音で満たされたのには、衝撃すら覚えた。

第3楽章の冒頭が息を飲むような美しさだったのは、当然の帰結だろう。やはりゆったりとしたテンポで奏でられる歌は、フェドセーエフらしく爽やかに流れていくが、それでいて時にフレーズや音がその場で息を潜めて佇んでいるかのような寂寥感が漂うのは、80歳にしてフェドセーエフが至った境地と言うべきだろう。しかしそれは人を寄せつけない厳しさではなく、あくまでも人懐っこい、心に寄り添うような温かみをまとっている。このような最弱音を実現できるオーケストラの機能の高さも、賞賛されなければならない。私が先に“深い静寂”と述べたのは、このようなことである。満を持して登場したサモイロフのスネアドラムに導かれる中間部の切ないほどの楽しさも、この主部の至高の表現あってこそ。

第4楽章ではオーケストラの威力が惜しげもなく披露されたが、それでも全ての音が指揮者の意思で完全に制御されているかのようで、単なる轟音の快楽に溺れることはない。最後に特筆しておくべきは、オーケストラの、そしてロシア音楽の醍醐味が凝縮されたクライマックスを経て、全てが静まり返った後のコーダの何という美しさ!これを形容する言葉を、私は持ち合わせていない。

正直なところ、「シェエラザード」がこんなに内容豊かな音楽だとは思ってもみなかった。ソロのみならずトゥッティでも高い技術を求められる曲であり、このオーケストラの卓越した名技に対する期待の方が上回った状態で、演奏を聴き始めたのも事実である。それが、第1楽章の主部に入った瞬間から、決して表層的な描写に留まらない心象風景の多彩で深い表現に心を奪われてしまった。演奏の流儀は、今となっては一世代前の、いささかロマンティックなもの。だから、新しい時代の扉を開くというよりは、一つの時代が幕を下ろそうとしている、そんな感慨を伴った演奏でもあった。翌21日は大阪で「悲愴」がメインの公演があったのだが、兵庫の「シェエラザード」を選択して本当によかった。

後半は、兵庫芸術文化センター管弦楽団との合同演奏。といっても、「1812年」のバンダ以外は弦楽器のみの参加。客席からざっと数えたところでは、1st Vnが12プルト、コントラバスが13人という巨大編成である。演奏に先立ってフェドセーエフのスピーチがあった後、弦セレが始まる。フェドセーエフによる同曲は2006年にも聴いており、今回もその基本的な解釈に違いはない。ただ、「シェエラザード」に聴かれた“深い静寂”を、とりわけ中間楽章で実現するには、アンサンブルの完成度が低かったことが残念。管楽器のトップの多くが前半と入れ替わった「1812年」はお祭りのような感じで、こうなると単純に轟音を愉しむに限る。曲も曲だし。これもまたフェドセーエフ、なのだろう。

アンコールの2曲は、お馴染みのもの。スヴィリードフでのシェスタコフのヴァイオリン・ソロは、「1812年」のお祭り騒ぎから一転、「シェエラザード」の世界に連れ戻してくれた。作曲家自身も想像しなかったであろう深い名演。「スペインの踊り」は、やりたい放題のサモイロフのタンバリンを目で楽しみながら、「1812年」のお祭り気分の中で終演。

率直に言って、後半の合同演奏は蛇足だったと思う。でも、その分入場料を安くしろ、とは言わない。「シェエラザード」1曲で十分にその元はとれたし、その圧倒的な印象は後半の演奏を経ても今なお全く薄まってはいないからだ。客席が6割程度しか埋まっておらず、演奏者に対して申し訳ないくらいだったが、損をしたのは間違いなく足を運ばなかった人の方。私は、勝ち組です(笑)
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theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 演奏家_Fedoseyev,V.I.

comment

Secre

No title

私は負け組みです。(笑〕
このコンビの素晴らしさは工藤さんもコメントされている2006年に経験しているのですが今回、曲目が不満であることもあり見送ったのです。
2011年2月の芸文オケの定期で彼はモーツアルト40番、悲愴という名曲コンサートのような曲目をこのホールで指揮していました。
コンマスに荒井氏を呼んでいたが、特に名声のある巨匠にしては案外特徴がなく(悲愴の終楽章のテンポにこだわりがある番組をかってみたのだが)記憶の渦にうずもれてしまった。
(オッコー、カムがこのオケを指揮したシベリウスは感銘深かったのに)
フェドセーエフの音楽は当然のことながらこのオケでないと発揮できない種類のものなのだと工藤さんのコメントから納得しました。
プロフィール

Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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