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O. ディゴーンスカヤ:D. D. ショスタコーヴィチの未完の歌劇「オランゴ」, DSCH社―(3)

3. 歌劇「オランゴ」のプロローグ:手稿の外観と年代特定


十月に向けたショスタコーヴィチの歌劇の構想に直接関係する、現存する音楽と文献の話に戻ろう。

博物館ファイルに含まれる個々の手稿38の中で、一つはその完全性と他と比べて大きいサイズであることで区別されている:それは4枚の大判で縁の広い両面の総譜用五線紙(37.2×44.1)であり、重ねてまとめられている。五線紙は標準的なものではなく、やや光沢があって黄色っぽく、商標はない。そして、まちまちの長さの五線が茶色で印刷されている(1ページ当たり35段)。自筆譜に標題は記されておらず、作曲家によるページ番号は振られていない。16ページ中13ページは、ショスタコーヴィチが青紫色のインクで書き込んでいる。書き込みは最初のページの1段目から始められており、13ページ目の中段辺りで終わっている。最終小節の終わりには二重線があり、この断片全体が構造的に完結していることに疑いはない。

手稿の状態は良好である:作曲家の書いた文字は容易に判別でき、五線紙の質も損なわれていない。五線紙には2つのはっきりとした垂直方向の折り目(一つは真ん中で折り曲げられており、もう一つはそれよりも少し右側である)がある。このことは、五線紙が一度以上折り曲げられたこと(そのサイズを考えれば驚くようなことではない)、そして折り曲げられた状態で保管されていたことも示している。最後の紙の裏面は、特に折り目に沿って非常に汚れている。紙の縁に沿ってしみやにじみがあるその汚らしい見た目は、手稿がしばしば汚れた面に置かれていたか、最後の紙の裏面が他の紙よりも擦られる機会が多かったのだろうとの推定を可能にする。最初の紙の右下の角は顕著に耳折れしており、2番目の紙の角はそれよりも綺麗な状態である。また、残りの紙はほぼ完全に綺麗なままである。作曲が完了した後で手稿がめくられることはめったになかったことが、あるいはあったとしても最初から最後までではなかったことが、明らかである。

この種類の五線紙は、ショスタコーヴィチの手稿の中では1930年代にのみ使われている。多くのスケッチが、この種類の五線紙を使って書かれている39。歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の第6~9場の総譜(1930~1932)40、歌劇「大きな稲妻」のピアノ・スコア(1932)41、24の前奏曲 作品34のスケッチ(1932~1933)42、ピアノ協奏曲第1番 作品35の第2~4楽章のスケッチ43、劇音楽「人間喜劇」のいくつかのスケッチと総譜の断片(1933~1934)44、「敵か味方か…」に基づく歌詞を持つタイトル不詳の作品のスケッチ45、映画音楽「司祭とその下男バルダの物語」の多くのスケッチ(1933~1935)46、交響曲第5番のスケッチ(1937)47、映画音楽「ヴォロチャーエフカの日々」の総譜(1936~1937)48などが挙げられる。

ここに挙げた全ての自筆譜の五線紙は、習慣的に真ん中で折り曲げられている。その内のいくつかでは、使い易さのために五線紙があらかじめ折り目に沿って半分に裂かれている。五線紙が折り曲げられた状態で束にしてショスタコーヴィチの住居内に積んであったこと、そしてショスタコーヴィチがそれを1937年の終わりに使い切ったことに、疑う余地はない49。その後、その五線紙は永遠にショスタコーヴィチの机からは消え去った。作曲家の後年の手稿に、この五線紙が使われている例はない。したがって発見された作曲家の手稿は、論理的に1930年代の物だと言える

自筆譜は、それまで知られていなかったショスタコーヴィチの舞台作品の断片(ピアノ・スコア)で、11曲(序曲と2曲のバレエの情景を含む)から成り、独唱者、一人のバレリーナ(自筆譜では、バレエ団という指示ではない)、合唱という編成である。「ピアノ・スコア」という語は、条件付きで用いられ得る。ショスタコーヴィチの自筆譜は、ピアノ演奏用の特別な編曲ではない。そして、ピアノという楽器の特質を十分に反映したものとはなっていない。作曲家は「伴奏」部分を、ピアノ・パートに類似した2段譜に書いただけなのだ。ただし、手稿の中に楽器の指示は書き込まれていない。楽譜の中身も、ピアノでの演奏のしやすさや重奏の論理の破綻を考慮していない、ほとんど2行のスケッチ的な貼り付けのようなものである:フレーズの終わりに現れる旋律の切れ目はたぶん、独奏楽器(オーボエが吹き終える!フルートが歌い終える!)や楽器群によるスコアの論理的な補完ではないかと思われる。表記もまた、スケッチ的なものである―急いで書かれており、小節線はフリーハンドで中途半端に引かれており、テンポと強弱の指示は大半が欠落している。音符のいくつかは、はっきりと判読することができない。声楽パートの下に書かれている歌詞も大急ぎで書かれており、文法上の規則に従っていない。最初のページには、空行を挟んで楽譜と文字との間に明らかな空白がある。すなわち、文字は3段の空行を空けて、縦線で明示された4段目に書かれている。手稿の他の箇所では、小節全体が不測の事情で欠落している。自分が書いたものを読者に読み易くするために、ショスタコーヴィチはそれぞれの節を書き込んだ後に空白の段を入れている。この表記法は彼の書き方の原則となっており、本質的には彼の自筆譜全てに見られるものである。彼が声楽曲(本作品を含む)において歌詞を歌のパートの上に書く際も、この同じ不変の原則に従っている50

筋書きの大まかな概要は、下に書かれた歌詞から推測することができる。外国人の一団が、ソ連にやってくる。労働者―かつての奴隷のような労働者(「労働は呪いだ、奴隷の不幸な運命だ」)ではなく、現在の自由な労働者(「恐ろしくも輝かしい闘いの中で、奴隷は自らの祖国を見つけた…解放された労働者階級が、その祖国の名前である」)―を賛美する合唱の後、登場人物の一人であるヴェセリチャク(司会者)が、アマチュアの一座による出し物で客人達を歓待し始める。出し物の中には「世界の八番目の不思議」と言われる、バレリーナのナスチャ・テルプシホロヴァによる踊りが含まれている。しかしプログラムの目玉は、猿人オランゴである。オランゴとは、もう一人の登場人物である動物学者の説明によると「ナイフとフォークを使って食べ、鼻を鳴らし、原初的なリズム「チジック=ピジック」をピアノで奏で、『ヘ‐ヘ‐ヘ』と言う」生き物である。動物学者の命令で、オランゴはその能力を客人達に披露するが、皆が楽しんでいる最中に突然、彼は外国人のスザンナに攻撃的な叫び声を上げながら駆け寄る (「あああ赤毛のああああばずれめ!ひひひ引き裂いてやるぞ!グルルル…」)。この後に、典型的な「認識の情景」が続く:外国人達は次々に、オランゴの中に自分の夫(または恋人)、息子、兄弟、生徒の姿を認める。オランゴが生物学的な実験の結果生まれた雑種で、かつては優れた新聞記者だったことが明らかになる。日々の政治的な誤りの影響で、彼は最終的に動物になってしまい、モスクワのサーカスに売られたのだ。歌劇の断片の最後の場面は、オランゴが落ちぶれていった過去の経緯―「いかにして尋常ではない雑種オランゴが出現し、戦争に参加し、パリへ戻り、何をして、何が起こったのか? どうしてソ連に行ったのか、どのようにして人目にさらされたのか、どのように結婚したのか、誰が、何が彼を壊したのか、いかにしてГОМЭЦ(国立音楽・演劇・サーカス団体連合)の長が彼をハンブルクで150ドルで買ったのか、についての興味深い話」―を全員が演じる準備が整ったところで終わる。訓戒風の合唱が「…猿人の手で人生を何とかしようという無駄な試みを」笑うように誘う。

ここで自筆譜は終わっている。しかし、文学的な内容と獣風の「主人公」の名前は、この自筆譜を A. O. スタルチャコフとA. N. トルストーイの台本に基づく諷刺オペラ「オランゴ」のプロローグ(あるいは第1幕)として特定することを可能にする51

上述したように、ショスタコーヴィチはボリース・アルカーノフがアルバート・コーツの厚意で彼のために調達した「ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社」の五線紙(ベルリン製)を用いずに、特殊な35段の五線紙の方を好んだ。「オランゴ」の作曲を始める前に、彼はこの五線紙を歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の第3幕に使っており、さらにその前には「オランゴ」の密接な先駆けである未完の歌劇「大きな稲妻」のピアノ・スコアにも用いている52。「ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社」の五線紙は、2つの自筆譜でのみ使われている。ただし、それは1932年ではなく1934年である:映画音楽「女友達」作品41の前奏曲の1曲(トランペットとオルガンのための)のスケッチと、交響曲第4番 作品43の第1楽章のいくつかのスケッチである53。この五線紙の残りがどうなったのかは、分からない。

  1. ショスタコーヴィチの未発表の手稿の多くが、グリーンカ記念国立中央音楽文化博物館(ГЦММК)で名づけられないままにされている。それらについて筆者は、「博物館ファイル」という仮の名をつけて科学的検証を行った。0. Digonskaya, “Shostakovich's Film Music: Unknown Author's Manuscripts”, Muzykalnaya akademia, No. 2, 2006, pp. 92-96.および、同, “Shostakovich's Unknown Author's Manuscripts at SCMMC”, in: Shostakouich - Urtext, Edited and compiled by M. P. Rakhmanova, Moscow, 2006, pp. 144-169 (in Russian).を参照のこと。
  2. D.D. Shostakovich's Archive, rec. gr. 1, section 1, f. 10, sheets 40, 42-49 of arch. pag.
  3. РГАЛИ, rec. gr. 2048, inv. 2, f. 34.
  4. ЦМБ(中央音楽図書館), VII 1 III-798, inv. No. 20854.
  5. РГАЛИ, rec. gr. 2048, inv. 2, f. 17.
  6. D.D. Shostakovich's Archive, rec. gr. 1, section 1, f. 93.
  7. РГАЛИ, rec. gr. 2048, inv. 3, f. 33a, sheets 25 and 44; D.D. Shostakovich's Archive, rec. gr. 1, section 1, f. 262, and others.
  8. D.D. Shostakovich's Archive, rec. gr. 1, section 1, f. 278.
  9. ГЦММК, rec. gr. 32, f. 113.
  10. РГАЛИ, rec. gr. 2048, inv. 1, f. 6, sheets 4, 4rev., and 5.
  11. ГЦММК, rec. gr. 32, f. 102. 作曲家は、総譜に映画の原題「極東」を書いている。
  12. 詳しくは、0. Digonskaya, “Shostakovich's Unknown Author's Manuscripts at SCMMC”, pp. 159-161.
  13. 「ショスタコーヴィチは、彼の常として伝統的な方法とは異なり、独唱者の段の下ではなく上に歌詞を書く(A. I. Klimovitsky, “Igor Stravinsky and Dmitri Shostakovich: Orchestrations of Beethoven's and Mussorgsky's ‘Song of the Flea’”, in: Dmitri Shostakovich: Research Studies and Documents, Edited and compiled by L. Kovnatskaya and M. Iakubov, Iss. 1, Moscow, 2005, p. 134, in Russian.からの引用)」。
  14. 現在は参照番号がある:ГЦММК, rec. gr. 32, f. 2164. 「オランゴ」の自筆譜の発見と年代特定について詳しくは、以下を参照のこと:0. Digonskaya, “Shostakovich's Film Music: Unknown Author's Manuscripts”, p. 93;同, “Shostakovich's Unknown Author's Manuscripts at ГЦММК”, pp. 158-163;同, “Shostakovich's Unwritten Operas (on the basis of two unknown author's manuscripts)”, pp. 47-58. 1986年、M.A. ヤクーボフはショスタコーヴィチの創作構想の中に歌劇「オランゴ」があったことについて、雑誌「Rabochii i teatr (No. 18, 1932)」に掲載された告知によって得られた情報(引用元は明示せず)を用いて言及した:「A. トルストーイとA. スタルチャコフの台本(A. スタルチャコフの小説『アルテュール・クリスティの出世』による)に基づく諷刺オペラ(‘政治的な諷刺’)『オランゴ』は、1920年代末から1930年代初めに構想されたショスタコーヴィチの舞台音楽の中で『都会主義的』なものに分類できる…(“...I Tried to Convey the Fervour of Struggle and Victory...” Introduction, publication, and comments by M. Iakubov, Sovetskaya muzyka, No. 10, 1986, p. 55.からの引用)」。文中、ヤクーボフがスタルチャコフの名前を二度に渡って誤記し、歌劇「オランゴ」を正当な理由なしに都会主義的だとし、ショスタコーヴィチが1920年代末に抱いた歌劇の構想の一つとして誤った位置付けをしていることがわかるだろう。
  15. M. A. ヤクーボフは「歌劇[大きな稲妻]の仕事は、1932年の秋よりは前に中断されたことになる」と「確信を持って」推定している(M. Iakubov, “Unfinished Opera The Great Lightning”, p. 392)。しかし、より正確な日付の確かな根拠がある。「大きな稲妻」の自筆譜の表紙には、特定されていない何者かが「1932年6月11日受領(ЦМБ, VII I III-798, inv. No. 20853. 筆者は、この情報を提供してくれたG. V. コピィトヴァに感謝する)」と書いている。この表記が、ショスタコーヴィチが作曲を最終的に断念した後でのみなされたことは明らかである―未完の自筆譜が「保存のために」保管庫に提出された際に書かれたと考えられる。このことは、歌劇の作曲が1932年6月11日より前に中断されたことを意味する。
  16. 筆者によって発見され、年代特定された。現在、それらには参照番号がある:ГЦММК, rec. gr. 32, f. 2253(映画音楽のスケッチ)、2156 (交響曲のスケッチ)
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theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Shostakovich,D.D.

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Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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