ショスタコーヴィチの「オランゴ」

  • ショスタコーヴィチ:歌劇「オランゴ」、交響曲第4番 サロネン/ロサンゼルスSO他 (DG 479 0249)
ショスタコーヴィチの未完のオペラ・ブッファ(作曲家自身が明確にこう命名している訳ではないが、出版譜にはこのように表記されている)「オランゴ」のDSCH社の出版譜を入手(2012年8月2日のエントリー)してから半年以上が経ってしまった。既に音盤はリリースされ(国内盤も出た)、ネット上でもこの作品に対する様々なコメントを少なからず読むことができるようになっているが、何せ、その存在が仄めかされたことすらなかった作品だけに、せめて巻頭の論文くらいはしっかり読んでから所感をまとめようと考えたのが悪かった。論文がそのものが大部(28ページ)であることに加え、ロシア語を読み下す語学力がないので、とりあえずは英訳を読むしかないのだが、DSCH社の出版物の英語は概して非常に読み辛い。結局は原語と行ったり来たりしながら、大意を掴むだけで非常に時間がかかってしまった。本blogにも拙訳をエントリーしたが、そもそもが重訳であることもあって、日本語として成立していない箇所も多々ある上に、誤訳も随所に潜んでいることと思われる。まぁ、その程度のものだと笑って読み流していただければ幸いである。

さて、現時点では、このディゴーンスカヤの論文が、楽曲の成立背景に関する唯一のまとまった資料と言ってよいだろう。ただ、この論文においても、確たる事実として挙げられていることは、それほど多くない。まず、企画の発端から頓挫までの経緯は、以下の通り:
  • 1932年の十月革命15周年記念行事の一環として、ボリショイ劇場は「台本:デミャーン・ベドニイ、音楽:ドミートリイ・ショスタコーヴィチ」の歌劇「鍵」の制作を企画した(詩人との契約は1932年1月31日、作曲家との契約は3月8日であった)。
  • 5月10日、ベドニイは執筆が頓挫したことを劇場に通告する。その背景には、同年4月末にロシア・プロレタリア作家協会が解散したことで、ベドニイの社会的地位に変化が生じたことがあると推察される
  • そのわずか2日後の5月12日に、アレクセーイ・トールストイ(とスタルチャコフ)が台本作家となることを引き受け、ショスタコーヴィチもそれを了解した。契約は5月17日になされた。
  • この時点では、「革命と社会主義建設の過程における人間の成長」という基本テーマだけが(劇場の要請で)決まっていた。
  • 「オランゴ」の上演予定は、そのタイトルと共に一般に告知されていたが、契約期限までに台本執筆が完了することはなく、そのまま契約は破棄され(10月15日)、十月革命15周年記念行事での初演が前提であったプロジェクトは完全に頓挫した。
A. トールストイが台本を引き受けた当初は、「オランゴ」ではない、別の物語を書いていた可能性が指摘されている。
  • A. トールストイ(とスタルチャコフ)が書いた、「パルチザンの息子」という題のオペラ台本(あらすじをまとめた程度のもの)が発見された。この文書には、音楽担当としてショスタコーヴィチの名が記されている。
  • 文書の日付は、ボリショイ劇場と結んだ契約の中で定められた、あらすじの提出期限に一致している。
  • 「パルチザンの息子」の筋は、ありきたりの平凡なものではあったが、「革命と社会主義建設の過程における人間の成長」という基本テーマによく沿ったものである。
しかし、ショスタコーヴィチが「パルチザンの息子」に着手した形跡は残っていない。どうやら、歌劇「オランゴ」は、もともとA. トールストイ(とスタルチャコフ)と作曲家ガヴリイル・ポポーフとの間で構想が練られていたようであるが、1932年6月初頭の時点でショスタコーヴィチが音楽を担当することとなり、十月革命15周年記念行事の企画自体も「オランゴ」へと変更になったものと考えられる。そもそも「革命と社会主義建設の過程における人間の成長」という基本テーマには(敢えてこじつけなければ)合致しない作品が、なぜ記念行事で上演されるものとして取り上げられたのか、またなぜポポーフからショスタコーヴィチに変更になったのか、この辺りの事情は判然としない。ともかく、ショスタコーヴィチは「オランゴ」に乗り気ではあったようだ。

さて、その「オランゴ」とはどのような物語なのか。台本自体は未完であったものの、あらすじはほぼ完全な形で残っている。それについては、既にアップした当該箇所の訳文を参照していただくとして、この物語についての関連情報を以下にまとめてみる:
  • 「オランゴ」の元となったのは、共著者スタルチャコフの小説「アルテュール・クリスティの出世」である(小説そのものは現時点で発見されてされていない)。スタルチャコフは、1937年5月に「人民の敵」として銃殺刑に処された。
  • この小説は、生物学者イリヤー・イヴァーノヴィチ・イヴァーノフ(1870~1932)が1920年代後半に行った、雌の類人猿に人間の精子を人工授精させる実験を題材としている。
  • この実験は、少なくとも当時のソ連国内ではそれなりに有名な話であり(スターリンはこれを発展させて“半人半猿兵士”を養成するようなアイディアすら持っていた。たとえば、ここを参照されたい)、これを題材とした文学作品は、「アルテュール・クリスティの出世」の他にもいくつか作られている(ブルガーコフの「犬の心臓」やセルヴィンスキイの「パオ=パオ」など)。
  • ショスタコーヴィチも、イヴァーノフ博士の実験のことは知っていたようだ。1929年7月に黒海沿岸へ観光旅行をした際に、実験施設であるスフミのサル園を訪問している。
以上が、ディゴーンスカヤが提示している“事実”である。すなわち、「オランゴ」の成立(?)過程を要約すると次のようになるだろう:いかにもソ連らしい事情で、いかにもソ連らしいオペラの制作を依頼されたショスタコーヴィチは、紆余曲折の末にA. トールストイとスタルチャコフの2人とその仕事を引き受けた。当初着手した「パルチザンの息子」は彼らをあまり惹きつけなかったためか、依頼の内容に合致するとは思えない「オランゴ」を題材として取り上げ、仕切り直しをした。あらすじや全体の構成は、ひとまず完成し、プロローグの台本は書き上げられた。ショスタコーヴィチはそのヴォーカル・スコアを仕上げたものの、この段階で「オランゴ」の制作は頓挫した。以後、この作品について作曲家も作家も振り返ることはなかった。

「オランゴ」の音楽は、舞台作品を中心に活躍していたショスタコーヴィチ初期の典型的な作風を示している。現代の我々にとってみれば“半人半猿”という衝撃的な題材を扱った作品だが、既に「南京虫」で“冷凍人間”を取り上げていたショスタコーヴィチにすれば、さほど奇を衒った感覚はなかったものと思われる。同時期に没頭していた「ムツェンスク郡のマクベス夫人」に比べると、中期以降の作風を予感させる要素もほとんどなく、遺されたプロローグだけで判断するならば、少なくとも音楽面では意欲的な作品とまでは言うことができないだろう。

ただ、自作(バレエ「ボルト」や劇音楽「条件付きの死者」)の引用に加え、ブルジョア的頽廃をワルツで表現したり(たとえば、喜歌劇「モスクワよ、チェリョームシキよ」)、社会主義的めでたしめでたしのフレーズとして交響曲第3番のコーダを用いる(たとえば、映画音楽「黄金の山脈」やカンタータ「祖国の詩」など)など、ショスタコーヴィチの定型的な手法が見られるという点で、ショスタコーヴィチの仕事ぶりが窺われるのは興味深い。つまりショスタコーヴィチは、定型句を効率的に用いて、与えられた台本に適切な音楽を与えつつ、契約で定められた期限を遵守しようとしていた。要するに、いかに興味ある題材であったにせよ、歌劇「オランゴ」はショスタコーヴィチにとって“お仕事”であったのだ。

未完に終わったから、あるいは未発表だったからといって、その作品の価値が過大に評価されるべきではない。今後、「オランゴ」が完成に至らなかった背景に、新たな事実が発見されることはあるだろう。それが後年のショスタコーヴィチの創作態度に影響を及ぼしたとされることも、あるかもしれない。ただ、音楽作品としての評価は、せいぜい同時期の舞台作品と同程度が妥当なところだろう。

ショスタコーヴィチ自身はピアノ譜しか遺していないために、オーケストレイションは、いまやショスタコーヴィチの初期作品の編集等について権威となった感のあるG. マクバーニーが行っている。この編曲は決して悪くないが、少なくない歌手が必要であるにもかかわらず30分程度の曲ということもあり、この作品が実演で取り上げられる機会は僅少であろう。世界初演のライヴ録音であるサロネン盤は、仮に「オランゴ」唯一の音盤となったとしても、十分にリファレンスとして堪え得る水準の仕上がりである。安っぽい猥雑さを強調するロシア臭には不足するが、現代においても近未来風の雰囲気を持つ話の内容からすれば、この洗練された響きも悪くない。

演奏時間ではメインであるにもかかわらず「ボーナス・ディスク」扱いの交響曲第4番は、今ではちょっと古いタイプの“現代的な”演奏。和声や楽曲構造が終始明晰であることに加え、響きが整理されていることによるすっきりとした“無機質な”肌触りなど、サロネンの美質が存分に発揮されている。ただ、指揮者というよりは演奏者側の問題なのだろうが、近年の弦楽器奏者はもう少しアーティキュレイションを意識したボウイングをすることが多いので、それに比べると音楽が静的に過ぎるというか、少々平板に感じられる。

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Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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