『諏訪根自子 美貌のヴァイオリニスト その劇的生涯 1920-2012』(アルファベータ, 2013)

  • 萩谷由喜子:諏訪根自子 美貌のヴァイオリニスト その劇的生涯 1920-2012, アルファベータ, 294p., 2013.

基本的に演奏家個人の生涯にはあまり関心がないこともあって、ついつい買いそびれていたが、各所で良い評判を目にすることが多く、この種の本は一度品切れになると極端に入手難になるので、店頭に並んでいる内に確保した(今のところは順調に版を重ねているようなので、杞憂かもしれないが)。

これまでにも「諏訪根自子」という名は一度ならず目にしたことはあったものの、名字が「諏訪」なのか「諏訪根」なのかも判然としない程度にしか記憶に留まっていない。どのような本あるいは雑誌の、どのような文章で見たのかも全く覚えていないが、「戦前にベルリン・フィルと共演した日本人」という文脈であったことだけは確かだろう。なぜなら、本書を通読して、私が知っていた事実は唯一それだけだったからだ。ヴァイオリニストや日本人演奏家に特別な関心を寄せるマニアは別として、私と同世代以下の一般的なクラシック音楽ファンの大半は、多かれ少なかれ私と似たような認知度ではないだろうか。その彼女がどのような存在であったのか、生涯を俯瞰できるだけも労作の名に相応しいだろう。

とはいえ、彼女の実演はおろか、録音も聴いたことがない私にとっては、彼女の個人的な履歴や人柄よりも、その生きた時代や社会、音楽界に対する興味の方が主である。とりわけ戦前の記述において、この興味は十二分に満たされた。当時の日本のヴァイオリン界の状況についてはもちろんのこと、わが国で西洋クラシック音楽がどのように受容されていたのか、現在と本質的に何ら変わりのない“天才少女”を巡るマスコミの取り上げ方など、どの頁も読み飛ばすことのできない情報の密度を持っている。

一方、渡欧してからの記述は、今となっては確たる資料を十分に揃えることができなかったのだろうが、日々の連続性があまり感じられず、やや断片的な印象が否めない。また、プライヴェートの恐らく不愉快であったろう出来事についても、諏訪氏本人が口を閉ざしたのか、はたまた著者の人柄故か、その顛末が明解に語られることはない。これは、戦後の記述においてより顕著である。引退状態の期間が長かったこともあり、音楽家としての諏訪氏に特記すべき事跡がほとんどないのだから、致し方のないところではある。ただ、引退状態に至る過程についてはもう少し突っ込んで欲しかったというのが、率直な感想。また、引退状態以降の彼女にとって、生涯の伴侶との結婚は重要な出来事であったことを考えると、ゴシップ的な関心とは別の次元で、詳しい経緯を読みたかったとも思う。この辺りは、著者の人柄なのだろうとは思うが。

「ゲッペルスのストラディヴァリ」については、著者と私の関心事が異なる。演奏家にとって楽器というのは身体の一部なわけで、ましてや、自身の芸術に対する賞賛(贈り手に政治的な思惑があったとしても)として与えられた楽器であれば、いかなる返還要求も彼女にとっては不当なものであったことは、想像に難くない。楽器の出自や真贋など、彼女にとってそれほどの意味を持たなかったに違いない。私だったらむしろ、妬みや偽善的で皮相な正義感から彼女と彼女の楽器に対してなされた中傷がどれほど醜いものであったかの方に紙数を割いたと思う。

本書を通読すると、時代の巡り会わせで劇的な人生を歩んだように見える彼女が、むしろ真摯に芸術に生きた、実は地味な人生を送ったという事実が明確に浮かび上がる。それはとても美しく、心打たれる物語である。

数は多くないものの、生前の録音も復刻されているようだ。本書中でも特記されているバッハの無伴奏が、一刻でも早く復刻されることを願いたい。

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theme : クラシック
genre : 音楽

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Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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