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カバレーフスキイ:歌劇「コラ・ブリュニオン」


  • カバレーフスキイ:歌劇「コラ・ブリュニオン」 ジェムチュジン/スタニスラーフスキイ・ネミローヴィチ=ダーンチェンコ記念音楽劇場O & Cho他 (Melodiya 33CM 04245-50 [LP])
Ars Antiqua / Mikrokosmos Mail Order Co.から購入。実は5月頃には手元に届いていたのだが、解説書に記載されているあらすじだけでも読んでから聴こうと思っている内に、ただ時間だけが経ってしまった。

カバレーフスキイの名はピアノの初学者やヴァイオリンの中級者にとって、お稽古曲の作曲者として馴染みがあるだろうが、一般の聴き手にとっては、誰もが運動会で耳にしたであろう「道化師」のギャロップを除くとごく限られた作品しか知られていないだろう。この歌劇「コラ・ブリュニオン」の序曲は吹奏楽用に編曲されていることもあり、カバレーフスキイの数少ない有名曲と言ってよい。しかしその全曲となると、実演はおろか音盤ですら目にすることがない。このジェムチュジン盤は、もしかしたら唯一かもしれない歌劇の全曲盤である。

「コラ・ブリュニオン」の原作は、ロマン・ロランの傑作小説である。16世紀に実在した人物を主人公にしたこの本は、何とも陽気で愉快で、“オプティミスト”をそのまま具現化したかのような主人公の生き様と語り口は、美しい人間賛歌である。古いロマン・ロラン全集の類でしか読めないのが残念。

カバレーフスキイはこの小説を深く愛好し、自ら台本を手掛けて歌劇とした。当初は「クラムシイの親方」というタイトルだったが、初演から30年後に大幅な改訂を行い、「コラ・ブリュニオン」とタイトルも変更した。ジェムチュジン盤は、この改訂版による。

歌劇のあらすじは以下の通り:
【序曲】
才能ある彫刻家コラ・ブリュニオンの音楽による肖像。彼は、辛苦ゆえに快活さを失うということがなかった。いつも陽気で、人生観は楽天的である。
【プロローグ】
ついこの間、60歳の誕生日を祝ってもらったばかりのブリュニオンは、自分の半生について語ろうとする…「でも、物語の終わりを先取りしてはならないよ。順番通りに話していこうじゃないか」。
【第1幕第1場】
舞台はクラムシイの葡萄畑。真昼間の日差しがきつい。娘たちが葡萄を収穫している。ブリュニオンとセリーヌは、例によって互いのことばかり気にしているのだが、快活な若者であるがゆえに、互いをだしにして絶え間なく冗談を言い合っている。彼らは愛し合っているが、その想いを告白するくらいなら死んだ方がましだと思っている。しかし愛というものは、愛し合っている者同士が誇り高く、互いに自分の方が強く想っていると考えている場合、本質的に気まぐれで予測のつかないものである。公爵の召使ジッフラールは、この活発なカップルが口げんかした時はいつでもセリーヌの機嫌をとろうとした。この二人はしょっちゅう口論していたので、彼にはその機会が数多くあった。小柄で黒髪のジャクリーヌもまた、機知のあるブリュニオンに強く惹かれている。城から聴こえてくる鐘の音が村に鳴り響く。町の司祭が、公爵がパリから帰還するという知らせを葡萄畑に伝える。公爵が、多くの客人と兵士を伴って村に到着する。
【間奏曲】
村の人々は、彼らの「守備兵」すなわち公爵の兵隊に何が期待できるのかをよく知っていた。彼らは皆大食いで大酒飲みであった。「神さまはわしらの救助者からわしらを救ってくださるんだ!わしらは自分ひとりで十分身を救うのだ」。
【第1幕第2場】
城の前の草地で、クラムシイの住人達は公爵に挨拶をする。本当のことを言えば、その挨拶は熱狂的なものではなかった。城の愚かな主人は、パリからの客人達に、彼の素晴らしい職人ブリュニオンと、彼が作った城を装飾する数多くの美しい彫刻を自慢する。パリから来た可愛らしい女性であるテルム嬢や他の客人を伴って、公爵は城に戻る。しかし、町の住人達は草地に留まり、楽しく過ごす。ブリュニオンは城に招待されるが、自分の気持ちに従うべきかどうか、すなわち客人達と合流するかセリーヌと共に留まるかを決めかねている。今日の彼女の機嫌は、最悪であった。ジッフラールは完全に落ち着きを失い、ほろ酔いの司祭は難なく彼らの結婚を祝福する。執念深いジャクリーヌもまた幸せであった。彼女はついにコラを籠絡する。
【第2幕第3場】
コラは今、40年に渡ってジャクリーヌと夫婦生活を送っている。この歳月、彼女は家から埃と静けさとを追っ払った。一方でコラはお気に入りの弟子ロビネと仕事をし、自分の妻を笑い、自分自身を笑い、あらゆることを笑った。唯一の例外は、セリーヌの思い出だった。彼はセリーヌの彫像を作り、それは彼の自慢の種だった。しかし今は、彼には別の喜びがある。それは最愛の孫娘グロディだ。少女はコラにたいそう可愛がられていて、彼の大切な宝物である。公爵は自分の城の装飾のために、コラの傑作の全てを持ち去っていた。そしてついに、公爵はセリーヌの像も手に入れることと決めた。コラは、「そこでなら彼女も火事や風雨から安全でいられるだろうよ!」と言って納得した。どんな時でも彼は芸術家そして職人であり、自分の力と芸術の不滅、そして未来を信じていた。敬虔な教区民達は、やれ祈祷だ、やれ行列だなどと言っては司祭を絶えず煩わせていたので、司祭は教区民一同から逃れて旧友の家にいた。彼らは、顔を合わせた時はいつも楽しく過ごした。しかし彼の休息は短い。家の外から聴こえてくる教会の聖歌は、不吉な予兆である。疫病がクラムシイを襲ったのだ!
【間奏曲】
恐ろしく情け容赦のない災厄がクラムシイの町を、そして勤勉で陽気な町の住人達の家々を覆う。まるで、大きく黒い雲のように。
【第2幕第4場】
丘の麓にある町の門の裏で、コラは静かにため息をつき、追い詰められた獣のように嘆いている。彼は疫病と格闘しており、それは生死を賭けた闘いであった。彼の朦朧とした意識の中では、例外的に思考がはっきりしている時と、暗い空に輝く星を見つめている時とが代わる代わる訪れた。星を見つめ、その柔らかな音楽に耳を澄ませることは、不滅の愛をもって生を愛する真の芸術家の全てであった。そしてこの生への愛は疫病に打ち勝ち、病は退却した。直ちに、ブリュニオンの友人達は戻ってきた。ブリュニオンが最初に見たのは、もちろんシャブリの瓶を持った陽気な司祭だった。それからロビネが非常に悪い知らせを持って戻ってきた。疫病に感染した家は焼き払われ、ブリュニオンの家は既に壊されてしまったのだ。彼の財産は全てなくなり、お気に入りの横笛だけが残った。「まぁ、何もないよりはマシだな」と、いつも楽観的なブリュニオンは言い、ワインを飲んだ… まさにこの時、ジャクリーヌがこの世を去ろうとしていること、そしてグロディもまた死に瀕していることを、司祭が伝える。この知らせは彼の家が破壊されてしまったことよりもずっと悪い知らせであり、苦労して立ち上がり、杖で身を支えながら、町へと出発する。
【間奏曲】
ゆっくりと苦しみながらも忠実なロビネと共に、ブリュニオンは町へ向かって歩く。
【第2幕第5場】
40年で初めて、コラの妻は愛の言葉を語る。しかしそれは、普通ではない愛の告白であった。「あたしはお前さんのことを思っていたが、お前さんはあたしのことを思ってくれなかったのでね。それだからお前さんが優しくって、あたしが意地わるだったのさ。お前さんがあたしを可愛がってくれないもんだから、あたしゃお前さんを憎んだのさ。それでお前さんときたら、そんなことを気にすることか……コラ、お前さんは何時も笑ってばかりいてさ…」この短い時間に、彼らは彼らの悲しい歴史を読み返しているように思えた。隣の部屋では幼いグロディが、傷ついた鳥のように、死と闘っていた。突然、奇跡が起きた。死が、幼い患者の病床から去ったのだ。彼女は穏やかに呼吸をし、それを聞いたジャクリーヌは「やっとこれであたしも行けるわ」という言葉を残して、静かに死んだ。ブリュニオンは彼女の瞼を閉じてやり、生涯片時も休むことを知らなかった働きものの手を組み合わせてやり、ベッドのカーテンを閉めた。彼はそれからグロディのところへ行き、彼女の看病をした。ブリュニオンが歌う子守唄の歌詞は徐々に人生讃歌へと変わっていく。それは彼が死んだ後に生きる者に向けて、そして彼がそうであったのよりも賢く幸せであるだろう者に向けて歌われる。彼の歌は、彼がまだ見ぬ人々に向けた歌である。
【第3幕第6場】
セリーヌとブリュニオンは、草地で行われたあの祭り以来、会うことがなかった。彼らは偶然に出会う。とはいえ、この出会いは実際のところ、本当に偶然の出来事だったのだろうか?コラは、セリーヌが暮らす農場に足を踏み入れたのは全くの偶然なのだと、自分に言い聞かせた。彼らはありとあらゆることを語り合う。しかし彼らの心の中では、遠い昔に葡萄を収穫していた娘達が歌っていた柔らかな旋律が響いていた。それは、若かりし日々の永遠の追憶のようであった。そしてついにセリーヌは、人生で初めてコラへの愛を、からかうような調子など抜きで、白状する。40年間、彼女はこの愛の言葉を胸に秘めていた。彼女の感情の発露はあまりにも情熱的だったので、まるで18歳の少女に戻ったかのようであった。しかし人生は過ぎてしまっていて、何も元には戻り得ない。「コラ、コラ、このろくでなし!」
【間奏曲】
コラがクラムシイに戻ると、彼は多くの住人達に会う。不穏な空気が、町を支配していた。ジッフラールは曹長になっており、町の住人は皆彼を恐れていた。彼は金に汚く、人を裏切るという点でユダの化身である。コラは城へ行き、公爵に直訴することに決めた。友人達は命が危ないと言うが、勇敢なブリュニオンは自分の任務のために旅立つ。
【第3幕第7場】
公爵は、クラムシイの家々が焼けるのを見て、サディスティックな喜びを感じている。町の住人達が、略奪をし、疫病を持ち込んだ兵隊達と、彼らの新たな曹長ジッフラールに憤慨していることに、彼は気付いている。彼はまた、人々が彼のことも憎んでいることも知っている。「その巣と共に、怒れる者どもは焼けてしまうだろう!」非常に都合よく、ジッフラールが登場する。彼はこれまでずっとブリュニオンに復讐する機会を窺ってきた。それは、セリーヌが彼女の短気な友人に当てつけるためだけに彼の妻になったということを、彼が分かっていたからだ。そこでジッフラールはコラを中傷することに決め、公爵にこう言った:「ブリュニオンは謀叛人です!彼は殿下の悪口を言い、人々を謀叛へと扇動しているのです!」愚かであったが故にこれまで自分では何も創ることがなく、他人の創った美しい物に満足することができなかった公爵は、憤激のあまり、ブリュニオンが創った素晴らしい芸術品を全て壊してしまう。公爵はただ一つのことだけを知っていた。すなわち、彼は主人でブリュニオンは従者ということである。彼は美術品を一つずつ火の中へ投げ込むと、木彫りの鹿、美しい箱、葡萄の木の蔓など、ブリュニオンの天才的な才能によって創り出された作品の全てを、炎は直ちに焼き尽くした。狂った野蛮人は、何もかも焼いた。セリーヌの彫像までも。言うまでもないことだが、ジッフラールはできる限りのことをして公爵を助けた。その時、誰かがドアをノックした。ブリュニオンである。彼が創ったあらゆる作品が巨大な暖炉の中で燃えているのを見た時、彼は自分の目を信じることができなかった。しかし、彼の痛切な涙は、猛烈な笑いへと取って代わられる。自分の手で創った物は壊れてしまうが、彼の器用な手と彼の思考、そして彼の才能は決して壊されないのだということに、彼の辛辣な魂は思い至ったのだ。そこで彼は、「非難」を受けたことに対して許しを請うふりをし、その償いをすることを約束する。
【間奏曲/第3幕第8場】
陽気に騒ぎ笑いながら、クラムシイの住人達は城の前の草地に集まる。彼らは厳かな祭りに参加するためにやってきたのだ。今日は、聖マルタン(クラムシイの守護聖人)の祭日なのだ。公爵の栄光を記念する像の除幕式が行われることになっている。公爵とその客人達は、城の玄関先に姿を現す。式典は厳かに執り行われ、鐘、太鼓のロール、そして大音量のファンファーレが混然一体となって響く。ブリュニオンは公爵に、像はとても印象的で、騎士の鎧に身を包み、堂々と勇敢な姿で馬に乗っている様子を表現したものであることを約束していた。ブリュニオンは像の除幕をする栄誉を与えられた。司祭はブリュニオンに祝福を与え、クラムシイの人々は公爵の栄光を讃えるカンタータを歌う。そしてついに、厳粛な瞬間が訪れる。ブリュニオンの芸術品を力づくで破壊した公爵は、このまさに芸術品によって恥をかかされて立ち尽くしてしまう。彼が見たのは驢馬に跨り、さらに尻尾の方を向いている自分の姿であった。とめどのない大笑いが勝利を収めた。ブリュニオンと町の人々は、この勝利を祝った。それは天才の、人々の、そして生の勝利であった。「人生はいいものだ。わしの仲間たち!ただ一つの欠点はそれが短いことだ。長生きしたいものだね!」

この喜びの情景で、才気溢れる、そして何より楽天的なクラムシイの職人の歌劇は幕となる。

原作が戯曲ではないので、話の構成などをそのまま歌劇にすることができないのは当然だが、ジッフラールを悪役として主要人物の一人に格上げしたことで、単純な勧善懲悪の話になってしまい、コラ・ブリュニオンの魅力的なキャラクターが十分に生かされていない台本には不満が残る。楽天的な主人公に堕落した貴族(支配者)、そして人民に支持される芸術の力という要素は、社会主義リアリズムの理念によく合致したと思われる。もっとも、芸術を理解しない愚鈍な支配者というのはソヴィエト時代には微妙な話題だったかもしれず、それが体制の御用作曲家カバレーフスキイの代表作とされながらも演奏機会に恵まれなかった理由なのかもしれない。

カバレーフスキイの音楽は、いかにも平明でわかりやすく、野趣溢れる華やかさと歌謡性とに満ちた彼らしいもの。ただ、コラの人生は決して順風満帆ではなく、時に苦い思いをしながらも、それを自身の中で楽天的に解決して人生を謳歌しているところがコラの魅力であるにもかかわらず、音楽はその感情の移ろいを表面的になぞっているだけのように感じられる。たとえば、ブリュニオンとセリーヌの再会のシーンは小説の白眉だが、妻ジャクリーヌとの死別のシーンもまたそれに劣らず白眉であるにもかかわらず、音楽は小説ほどの感動を与えてはくれない。この辺りがこの作品の、そしてカバレーフスキイに対するあまり高くはない評価の一因なのだろう。

ジェムチュジン率いるスタニスラーフスキイ・ネミローヴィチ=ダーンチェンコ記念音楽劇場のメンバーは、作品の喜劇的な雰囲気を見事に表出している。歌手陣の表現力が素晴らしく、オーケストラも洗練はされていないが手堅く音楽を支えている。

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theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Kabalevsky,D.B.

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Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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