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ショスタコーヴィチ・フェスティヴァル・ライヴ(1998)

  • ショスタコーヴィチ・フェスティヴァル・ライヴ(1998)(交響曲第4&15番、アダージョ断章(1934年)、5つの断章、ロストロポーヴィチの半生~ジョン・トランスキーとの対話) ロストロポーヴィチ/ロンドンSO (Andante SC-AN-4090)
  • Klemperer in Los Angeles(ヴェルディ:歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲、ベートーヴェン:交響曲第5番、ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より第1幕への前奏曲、ブラームス(シェーンベルク編):ピアノ四重奏曲第1番、シェーンベルク:弦楽四重奏と管弦楽のための協奏曲(ヘンデル:合奏協奏曲作品6の7より)、ストラング:インテルメッツォ、ガーシュイン(ブレークマン編):前奏曲第2番) クレンペラー/ロス・アンジェルスPO (archiphon ARC-114/115)
  • ブラームス(シェーンベルク編):ピアノ四重奏曲第1番、J. S. バッハ(ウェーベルン編):「音楽の捧げ物」より6声のリチェルカータ、J. シュトラウス2世(シェーンベルク編):皇帝円舞曲 ギーレン/南西ドイツ放送SO (Intercord 7243 5 44057 2 3)
  • シューベルト:交響曲第3番、シューマン:交響曲第3番 ヴァント/北ドイツ放送SO (BMG/RCA BVCC-37090)
  • ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン・ソナタ、プロコーフィエフ:ヴァイオリン・ソナタ第2番 モラヴェッツ (Vn) ヴォンドロヴィツ (Pf) (Supraphon 1 11 2148 G [LP])
訪問者雑記帳にも書いたが、9月13日朝にWWWサーバとして使用していたSun Ultra1 140Eが壊れた。10年前にはほとんどの作業をUNIX上で行っていたものの、最近はWindowsパソコンで大概のことが間に合うようになってしまったため、今回壊れた二代目のマシンは事実上メール&WWWサーバとしてしか使っていなかった。大学の総合情報センターで使用していたマシンのお下がりをもらって使用していたので、そろそろ耐用年数かと思って新規に廉価なワークステーションであるSun Blade150を購入しておいたところ、タイミング良く(?)更新せざるを得なくなってしまった。Solaris 9がある程度動き出して、環境を整えるためにいざコンパイル…と思ったら、かつて使っていたプログラムのソースが見当たらないとか、バージョンが大きく変わってたとか、ずいぶんと時間がかかってしまった。あとはLaTeX関連を整備したら一区切りつけるつもり。

と、ここまで書いてからさらに一ヶ月…。未聴盤も仕事もたまっている状況を何とか打破しなければ。

Tower Records難波店に、注文していたロストロポーヴィチによる1998年のショスタコーヴィチ・フェスティヴァルのライヴ録音集が入荷。金曜日の夜に注文をして、日曜日の昼には入荷の電話あり。このアルバム最大の話題は、交響曲第4番の初稿(?)が収録されていることだろう。初稿の録音としては、ロジデーストヴェンスキイのMelodiya盤LPの余白に収録された「交響曲第4番の成立過程について」というレクチャーの中で演奏されたものがあったが、現在は入手が容易ではないために、このCDのリリースは非常に喜ばしい。いわゆる決定稿とは随分と雰囲気が異なるだけに、好事家にとっては交響曲第4番をめぐる様々な憶測を喚起する材料となるだろう。ただし、僕個人の意見としてはこの初稿を「幻の第4」とすることには懐疑的。ショスタコーヴィチが、せっかく演奏する機会があるのにオリジナルではない形で演奏を許可するとは思えないからだ。それは、たとえば「ガリーナ自伝」にある「カテリーナ・イズマーイロヴァ」をヴィシネーフスカヤが歌う際に、初演歌手が歌えないという理由で変更を余儀なくされた箇所をこっそりと元通りにして歌わせたというエピソードを思い起こしても明らかだろう。「ショスタコーヴィチ自伝」にある「この交響曲のこと、その性格やテーマについては、まだ何もいうことができない。これまであたためてきた音楽的材料は、この作品のためには一つも使われず、まったく新らしく書きはじめている」という記述を真相とするのが、妥当なように思われる。とはいえ、この初稿の続きも聴きたかったというのが本音。

さて、肝心の交響曲第4番の演奏だが、ロストロポーヴィチがナショナルSOと行った全集録音よりは良い出来だろう。ただしこれは、オーケストラの能力に負う部分が大きいだろう。ロストロポーヴィチの演奏様式そのものはほとんど変わっていない。全体にざわついた印象があるのは、ロストロポーヴィチのバトン・テクニックにも一因があると思われる。音楽の高揚と共に演奏そのものが雑然としてしまうのも残念。DISC-2に収録された「5つの断章」は、淡々としているものの作品の玄妙な響きが十分に引き出された秀演。演奏の精度はいまひとつか。交響曲第15番は、このアルバム中最もまとまった演奏。全集録音に比べると、弱奏部の意味深さが段違い。ただ、ライヴ録音ゆえの瑕はともかく、磨き上げられたという印象はあまりないのが惜しい。DISC-3はロストロポーヴィチのインタビューだが、いつもながらの自分を押し出すようなエピソードの羅列で、敢えてこのアルバムに収録する必要があったかどうかは甚だ疑問。

先日ラトルとベルリンPOによるブラームス=シェーンベルクのピアノ四重奏曲第1番を映像で見たのに触発され、CD棚の中から同曲の録音を2種類取り出してみた。まずは、クレンペラーによる初演録音。ロマンティックでありながらもオーケストレイションの仕掛けを的確に強調していく解釈は、録音の劣悪さを超えて今なお模範であり続けるだろう。他の収録曲もなかなか興味深い。特にDisc-2は演奏頻度の低い曲目ばかりなのが嬉しい。ただ、録音は極悪。1934年1月1日に行われた演奏会の放送録音であるDisc-1は逆にオーソドックスな曲目だが、こちらの録音状態はまだまし。「運命」を「田園」と混同したアナウンサーの解説は噴飯ものだが、演奏自体は熱気に溢れた立派なもの。最後にクレンペラーの肉声が収録されている。

さてもう1枚は、この曲の定番演奏であるギーレン盤。耽溺するロマンティシズムは希薄だが、編曲の魅力を余すところなく引き出しているのが素晴らしい。ラトルのような細部拡大主義的演奏ではなく、中庸なバランス感覚を持っているところも面白い。ウェーベルン編の「6声のリチェルカータ」は、逆に淡々としすぎてて物足りないところも。シェーンベルク編の「皇帝円舞曲」も同様。

かぶとやま交響楽団の第28回定期演奏会で演奏したことをふと思い出して、演奏会以来聴くことのなかった「ライン」を聴いた。作品全体としては手放しで傑作と言うわけにはいかないが、それでも魅力的な部分がたくさんあって楽しく聴き通した。ヴァントの理詰め解釈が冒頭のリズム・パターンから効果的で、第1楽章などでも冗長さを感じさせない。先日ヴァントのブラームスには物足りなさも感じたところだが、理屈っぽく感じられるブラームスでは理詰め解釈だと不満で、逆に情念の音楽ともいえるシューマンでは理詰め解釈が大きな説得力を持つのが、どこか不思議で面白い。シューベルトの第3番も同様。

Mikrokosmos Mail Order Co.から到着して一ヶ月。次の荷物が届いてようやく聴いたショスタコーヴィチのヴァイオリン・ソナタ。真摯な演奏で悪くはないのだけれど、少々野暮ったい。
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theme : クラシック
genre : 音楽

tag : 作曲家_Shostakovich,D.D.

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Yosuke Kudo

Author:Yosuke Kudo
B. モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房, 2000)に、「音楽をめぐる手帳」という章がある。演奏会や録音などを聴いて思ったことを日記風に綴ったもので、実に面白い。

毎日のように音楽を聴いているにもかかわらず、その印象が希薄になる一方であることへの反省から、リヒテルに倣ってここに私も覚え書きを記しておくことにする。無論、リヒテルの深みに対抗しようなどという不遜な気持はない。あくまでも自分自身のために、誰に意見するわけでもなく、思いついたことをただ書きなぐるだけのことである。

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